Davidia involucrate
一昨年は 20 個,昨年は 100 個,今年は 200 個ほどの花が着いた.しかも低い枝にも花が着いたので,良く経過が観察できる.いくつかの花は切り取り,スキャナーで解像度を変えて読み取り,その微細な構造を撮影した.
中国では,鴿子樹・鳩子樹(鳩の木)ともいい,英語圏ではDove Tree と言うように,白い苞を翼に,中央の丸い花(雄蕊の集合体)を頭に,両性花の雌蘂を嘴に見立てると,花盛りのこの木は多くの白いハトが止まっているように見える.以前のブログに中国の伝説を原語で掲載したが,今回現島根大学 生物資源科学部 生物科学科 准教授 林 蘇絹さんによる和訳が見つかったので,引用する.
伝説(その1)
約2000年前の漢の時代、娘の婚姻によって北方の匂奴と和平を講じた皇帝がいた。漢元帝の時、当時中国四大美女の一人として誉めたたえられていた王昭君は、匂奴の呼韓耶単干に嫁がされ、胡の地へ赴いた。王昭君は、日夜故郷のことを思い続け、毎朝胡の地から南方(故郷の方向)に向かって礼拝をしていた。そのため、王昭君と一緒に行った鳩たちも、いつしか南に向ってお辞儀をするようになった。ある年の春、昭君は望郷の想いにかられ、故郷に宛てた一通の手紙を白い鳩たちに託した。鳩たちは故郷に向かって飛び立つと、雲を飛び越え、霧を突き抜け、嵐を打ち破り、九十九の山を越え、九十九の川を渡り、九十九夜を経てついに昭君の故郷成都(現在の四川省興山)に帰りついた。疲れきった鳩たちが鳩篭の様な珙桐の木に止まり、身を休めたところ、そのまま、飛び立とうとする鳩の姿をした真っ白な花になってしまった。それから毎年春になると、王昭君の代りに故郷の人々に「よろしく」と伝えるかのように、鳩の花が咲くようになった。そこで、この木は鳩子樹(鳩の樹)と名付けられたという。
昔、ある皇帝に白鳩という一人娘がいた。彼女は飛び抜けて才があり、しかも天女の様に美しかったので、皇帝はこの娘を掌の上の珠の様に可愛がり、何処に行くにも連れて行った。ある日、皇帝は遊山の折りに、とある村で休憩をとった。そこで珙桐という名の一人の農家の青年と出会った。珙桐は衣装こそ粗末だが実にハンサムな美青年であった。白鳩は珙桐に一目惚れしてしまい、父王に気づかれないうちに、髪に飾っていた翡翠の簪を二つに割って、その半分を一生の誓いの証として珙桐に渡した。しかし間もなく、このことが皇帝に知れた。皇帝は、このようなことは王家の尊厳を苦しく傷つけるものとして、さっそく新しい婿を選び娘の結婚を決めてしまった。さらに、家臣に命じ珙桐を山深くに連れ出し、殺害させてしまった。この事を知った白鳩は着の身着のままで王宮から逃げ、王共桐が殺された場所にたどりつくと、亡骸を抱きしめ号泣した。すると彼女のあまりの傷心が天に届いたのか、珙桐の亡骸は、二つに割った簪の形をした一本の木となり、見る見るうちに上に伸びはじめた。これを見た白鳩は驚喜しながら両の袂を広げて樹冠に向かうと、たちまち無数の白い花となって枝先に舞い上がった。そこで、この木は珙桐(コントン)と名付けられたという。
(林 蘇絹)東京大学大学院理学系研究科附属植物園社会教育企画専門委員会『ハンカチノキ』 (2000)
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