2018年2月27日火曜日

キンラン(6/6)  飯沼慾斎『草木図説』,参考歐州本草書・植物学書.ドドネウス,ワインマン,ホッタイン


2007年5月 茨城県南部
前記事に述べたように,日本最初のリンネ分類による日本の植物の図鑑として知られる★飯沼慾斎『草木図説』は草類1250種,木類600種の植物学的に正確な解説と写生図から成る.草部は1852年(嘉永5)ごろに成稿され,56年(安政3)から62年(文久2)にかけて出版された.
この書の第18巻には
スヾラン キサンラン ハクサンラン
此三種ハ同屬ニシテ,(中略)」とあり,
学名・和蘭名として,数種の欧本を典拠として以下の名称を挙げている.
Serapias falcate(セラピアス ファルカタ).春氏*1
林氏 Serapias(セラピアス)羅,Niesblad(ニースブラド) 蘭 ノ屬ニ七種ヲ舉グ.就中ソノ一種 Breed(ブレード)bladig.(ブラーヂフ)ヲ以テ,鐸氏 wildt voit Nieskruid. (ウヰルド ウヰツト ニースコロイド)ト併セ,叉物印滿4 Helleboging(ヘルレボリング)Niesworel(ニースワサルテル)ノ名下ニ所舉ノ六種等ノ圖説ヲ併セ考ルニ,ソノ品キサンラン・スズラン,白サンラン鐸氏ノ圖ハ全ク白サンランノ如シ)等ニ他ナラズ.ソノ種ヲ分カツヤ,葉ノ狭闊,花ノ垂下向上,叉辧ノ狭尖,花色ノ黄白紅駁,根形ノ線様塊様ニヨレバ,本邦所産ノ品々各々的當ノ種名アルベシ.姑期後日詳之.」
と,四種の欧文献を挙げ,
既に春氏(ツンベルク)の ”Flora Japonica” 中の記事については Blog-2 で記した.そこで,林氏(リンネの事だが,典拠はホッツイン(F. Houttuyn)の書),鐸氏(ドドネウス),物印滿(ウェインマン)の著著の参照部を以下に記す.

1)    ドドネウス(Rembertus Dodonoeus”Cruydt-boeck” (1618)
2)    ワインマン(Johann Wilhelm Weinmann “Phytanthoza Iconographica” (1737-1745)
3)    ホッツイン(F. Houttuyn”Linnaeus Natuurlyke Historie” (1761-1781)

1)ドドネウスの ”Cruydt-boeck” 『本草書』は,初版が1554年に出版された715の図版からなる草木の本で,レオンハルト・フックスの影響を受けて植物を6つのグループに分類した.薬草を多く扱ったので薬学の書物として評価された.フラマン語版は 1557年にCharles de L'Ecluseによりフランス語に翻訳され,1578年にHenry Lyteによって "A new herbal, or historie of plants" として翻訳された.ラテン語にも翻訳され,当時としては聖書についで多く翻訳された書物となった.この書には諸版があるが,日本に輸入されたのは1618年または1644年刊のオランダ語版で,ヨンストンの『動物誌』とともに江戸時代に野呂元丈らによってこの版から『阿蘭陀本草和解』などに抄訳された.また,石井当光らの『遠西独度涅烏斯草木譜 全四巻21冊』(天保14年の序)が現存する.
この書の 1563年版の “Deel 3” には,” Capitel 30Van wildt wit Niescruyt” の章があり(左図),これが慾斎の言う “wildt voit Nieskruid” に該当すると思われる(オランダ語版は閲覧できなかった).Lyteの英訳部分を最後に掲げる.

2) ワインマンの “Phytanthoza Iconographica”『薬用植物図譜』は擬似メゾチント印刷に手彩色された植物図版で,数千の植物の1000以上の図版が収録されている.江戸時代末期にブルマンによる蘭訳書が日本に伝わり,群芳園『烏延異莫漫莫草木名』(1815),栗本丹洲編『洋名入 草木図』二帳(1818)にオランダ名と和漢名の対比表が載せられ,また飯沼慾斎の『物印満本草図譜訳名』には524図までの読み仮名と,一部に考定和名がしるされた.またこの書のいくつかの図は模写され、岩崎灌園の『本草図譜』(1828),飯沼慾斎の『草木図説』(1856)に加えられた.彩色図が豊富で,和漢本草書の図や実物との比較がしやすい事から,欧州本草の紹介に重用された.

この書の第三巻には,”Helleborin” の章があり,同巻の第567-568図には,慾斎の言う同じ属の「六種」の図が掲げられている.
“N. 567 (上図左端)
b. Helleborine montana latifolia
c. Helleborine flore albo(左図)
d. Helleborine (flore) carneo

N. 568(上図中央)
a. Helleborine ferruginea foliacea
b. Helleborine flore albo
c. Helleborine minger flore albo”

群芳園『烏延異莫漫莫草木名』(1815)には,” Helleborine”
「ヘルレボリ子    金蘭
                             銀蘭
                             カキ蘭
                             宇治山幽蘭」
と既に考定されていた(上図右端)

3)マールテン・ホッタイン(Maarten Houttuyn もしくは Houttuijn,ラテン語表記 Martinus Houttuyn1720 - 1798年)は,オランダのホールンで出版業者の息子に生まれ,ライデン大学で医学を学び,1749年に学位を得て,しばらくホールンで医者を務めた後,アムステルダムに移った.
1761年から1785年の間にわたって博物叢書,"Natuurlijke Historie of uitvoerige Beschrÿving der Dieren, Planten en Mineraalen, volgens het Samenstel van der Heer Linnaeus"(仮訳『詳細リンネ氏の体系による動物界,植物界,鉱物界の自然史』)をオランダ語で出版した.動物界:18 (1761-1773),植物界:14 (1773-1783),鉱物界:5 (1780-1785) の計37巻,22,000ページで296の図版を含む大著で,主にリンネの Systema Naturae”(『自然の体系』)などの分類学の著書に基づいていた.

この叢書の第二部(植物界)の第12 (1780) の,” SERAPIAS. Niesblad.” の章には,慾斎の言う「七種」の記載がある.
(1)  Niesblad met Vezelige Bolwortels, Eyronde de Steng omvattende Bladen en hangende Bloemen.
I.. Serapias latifolia. Breedbladig
(2)  Niesblad met Vezelige Bolwortels, Zwaardachtige ongesteelde Bladen en hangende Bloemen.
II. Serapias longifolia. Langbladig.
(3)  Niesblad met Vezelige Bolwortels, Zwaardachige Bladen en opgeregte Bloemen; de Lip yan 't Honigbakje stomp enkorter dan de Bloemblaadjes.
III. Serapias grandiflora. Grootbloeming
 (4) Niesblad met Vezelige Bolwortels en Zwaardachtige Bladen; de Bloemen opgeregt en deLip van’t Honigbakje spits.
IV
. Serapias rubra. Roodbloeming.
 (5) Niesblad met rondachtige Bolwortels, de Lip yan't Honigbakje driedeelig gespitst, glad, langer dan de Bloemblaadjes.
V. Serapias Lingua Getongd,
(6) Niesblad met rondachtige Bolwortels, de Lip yan't Honigbakje driedeelig gespitst, zeer groot en aan den Voet gebaard.
VI. Serapias Cordigera. Hartdragend
(7) Niesblad met yerdubbeld – Zwaardachtige Bladen: de Steng om hoog byna naakt ; met Bladerige Scheedjes.
VII. Serapias Capensis Kaaps

慾斎が最も可能性の高いとしていた種は,項目名に示されたようにリンネによる二名法では  Serapias latifolia”  の名を持つ.現在の標準的な学名では,Cephalanthera damasonium のシノニムとされているラン科の植物で,英名は White Helleborine,見た目ではギンランによく似ている.


附:★ヘンリー・ライト(Henry Lyte, 1529-1607)『新本草書 ”A niewe Herball”』(1578)

イギリス史の黎明期にまでさかのぼる,古い家系のサマセット州の良家に生まれたライトが著した本書は,ドドネウスがフラマン語で著わした『本草書』(1554)をクルシウスがフランス語訳したものの重訳である.しかし自分自身が集めたものとドドネウスが提供した新材料によるていねいな増補版といえる.

Of Wilde Ellebor or Nesewurte. Chap xxv

◆The Descrition.
This herbeis like unto the white Ellebor abouvsayd, but in all partes it is smaller: it hath a straight stalke with Sinowey leaves, like the leaves of Plantaine or white Ellebor, but smaller. The flowers hang downe from the stalke of a white colour, followe in the middle, with small yellowe and incarnate spottes, of a very strange fashion, and whan they are gone, three cometh by smal seede like sande closed in thicke huskes. The rootes are spread here and there full of sappe, with a thicke barke, of a bitter taste.
  ◆The Place.
This herbe growth in Brabant in certayne moyst medowes, and darke shabowie places.
  ◆The Tyme
Thid herbe flowreth in June and July.
  ◆The Names.
This herbe is called in Greeke xxxxxx, bicause it is lyke in fashin to White Hellebor : in Latine Helleborine, and Epipactis: in high Douche Wildt wit Niescruyt, that is to say Wilde White Ellebor. Some thynke, that Eleborine is an herbe like to Elleborus onely in vertures, and not in fashion. These fellows wyl not receive this herbe for Hel- leborine : but by this the may know their erour, Bycause neyther Galen nor Dioscorides do attribute any of the properties of Ellebor to Helleborine.
  ◆The Nature.
This herbe is of hoate and drie complexion.
  ◆TheVertues.
The Decoction of Helleborine dronke, openeth the stoppinges of the liver, and is very good for such as are by any kinde of meanes diseased in their livers, or have received any poyson, or are bitten by any manner benemous beast.

2018年2月19日月曜日

キンラン (5/6) 飯沼慾斎『草木図説』,牧野富太郎校訂『増訂草木図説』参考歐州本草書・植物学書

日本最初のリンネ分類による日本の植物の図鑑として知られる★飯沼慾斎『草木図説』は草類1250種,木類600種の植物学的に正確な解説と写生図から成る.草部は1852年(嘉永5)ごろに成稿され,56年(安政3)から62年(文久2)にかけて出版された.
慾斎がこの書を著すに際しては,ドドネウス Rembert Dodoneus1517 -1585),ホッタイン Martin Houttuyn1720 - 1798),オスカンプ Dieterich Leonhard Oscamp (1756-1803),クニフォフ Johann Hieronymus Kniphoff1704 - 1763),ワインマン Johann Wilhelm Weinmann1683 - 1741)及びツンベルク Carl Peter Thunberg1743 - 1828)の六人の植物学者が著した書籍を参考にした事が知られ,これらの書籍から.相当すると考定した植物のラテン語名・和蘭語名を記載した.

慾斎が参考にした欧書の表紙
後年の★牧野富太郎校訂『増訂草木図説』(1907-22)成美堂 の牧野による「巻末ノ言」には,慾斎が『草木図説』中に参考にした歐州本草・植物学書の引用文献について,慾斎の苦労をしのびつつ,
「〇當時我邦ノ人能ク引用書ノ原書名ヲ著ハサズシテ唯其譯名ノミヲ掲ゲ叉林氏,春氏,等ト記シテ著者ハ全名ヲ舉ゲズ毎ニ後人ヲシテ其著者ノ名ト書名トヲ模索スルニ苦シマシム弊ト謂フベシ」といい,以下のようにその分献名を明らかにした.

番号は上図にしめした各書籍の表紙図の番号と一致.いずれも BHL より得られる.


引用文献
著者名
牧野富太郎校訂『増訂草木図説』の「巻末ノ言」 文献名及び発行年
鐸氏
ドドネウス(Rembertus Dodonoeus
Cruydt-boeck
1618
林氏
ホッツイン(F. Houttuyn
Linnaeus Natuurlyke Historie
1761-1781
阿須氏
オスカム(Dider. Leon. Oskamp
Afbeeldingen der Artseny-Gewassen
1796-1800
物印滿氏
ワインマン(Job. Guil. Weinmann
Phytanthoza Iconographica
1737-1745
印葉圖
キニホフ(Johann Hieronymus Kniphof)
Botanica Herbarium vivum etc.
1757-1764
春氏
ツンベルグ(Carl Peter Thunberg
Flora Japonica
1784
西勃氏
シーボルト(Philipp Franz von Siebold
不明
 

○書中又時々鐸氏ト云フ是レ「ドドネウス」氏(Rembertus Dodonoeus 即チ R. Dodoenus)ニシテソノ書ハ Cruydt-boeck ナリ西暦一千六百十八年(元和四年)和蘭国「ライデン」府ニ於テ出版セルモノナリ

○書中著者能ク林氏ト記セリ是レ和蘭國「ホッツイン」氏(F. Houttuyn)ノ著書ニシテ,固ヨリ林氏即チ「リンネ」氏(Karl von Linne' 即チ Carl. Linnaeus)自身の著書ニアラズ.唯「ホッツイン」氏ガ「リンネ」氏ノ學式に則テ以テ天物ヲ記述セルモノニシテ,題シテ Linnaeus Natuurlyke Historie ト云ヒ,全部三十四巻アリ.西暦一千七百六十一年(寶暦十一年)ヨリ同一千七百八十一年(天明元年)ニ亙リテ,同國「アムステルダム」府ニテ出版シタルモノナリ.而シテ書中又其第一種、第二種等ト云フハ,原書中其植物ヲ列記セル順次ノ號數ナリ・著者即チ飯沼慾齋翁ハ,主トシテ此書ヲ用ヰ以テ植物ノ洋名ヲ定メタリ.而シテ其之ヲ定メントスルヤ,其属(Genus)種(Species)ヲ捜索スルニ,其間實ニ多數ノ時間ヲ費セシコト,今ヨリ之ヲ想像スルニ餘リアリ.其僅ニ一行ニ記シ下シタル只一個ノ羅名(ラテン名)及ビ蘭名(オランダ名)ヲ抽出センガ爲メニハ,實ニ如何ニ長ク著者ヲ苦シメシカハ,此ノ如キ事業ニ經験アル人ノ直ニ首肯スル所ナリ.況ヤ當時ニ在テハ其参考ニ資スベキ圖書固ヨリ少ナク,今時ノ如ク幾多利便ノ典籍之無キヲヤ.今日ニ在テ翁ノ定メシ名稱ヲ閲スレバ,則チ其名ノ其實ニ副ハザルモノ甚ダ多シト雖ドモ,當時ニ在テハ何人ト雖ドモ葢シ之レ以上ニ出ヅルコト能ハザリシナルベク,頭脳非凡ニシテ精力絶倫ナル飯沼翁獨リ能ク之ヲ爲セシノミ.固ヨリ竟ニ本草式ヲ脱スルコト能ハザリシ.伊藤圭介氏等ノ企及シ能ハザリシコトハ,同氏等ノ著書并ニ言行ニ徴シテ,今ヨリ之ヲ追想スルニ難シカラズ.此ノ如キハ眞ニ睹易キ事歴ニシテ,印痕彰々敢テ春秋ノ筆ヲ俟タズシテ明カナリ.翁ノ齢既ニ知命ヲ過ギテ身老境ニ在リト雖ドモ,奮テ之ヲ遂グ.其氣力ノ旺盛ナル壮者ト雖ドモ,遠ク及バズ.世ノ此書ヲ繙ク者,翁ノ此勞ニ想到スルコト鮮ナシ.故ニ特ニ之ヲ記シテ翁ノ努力セル一斑ヲ示スコト此ノ如シ

○書中又、阿須氏ト云フ是レ「オスカム」氏(Dider. Leon. Oskamp)ニシテソノ書ハ Afbeeldingen der Artseny-Gewassen ト題シ四巻アリ卽チ西暦一千七百九十六年(寛政八年)ヨリ同一千八百年(寛政十二年)ノ間ニ於テ和蘭國「アムステルダム」府ニテ出版セラル藥用植物圖譜ナリ

○書中又、物印滿氏ト云フ是レ「ワインマン」氏(Job. Guil. Weinmann)ニシテ其書ハ Phytanthoza Iconographica ト云ヒ全部四巻ヨリ成リ西暦一千七百三十七年(元文二年)ヨリ同一千七百四十五年(延享二年)ノ間ニ獨逸國「ラゲンスブルヒ」府ニ於テ出版セル植物ノ彩色圖譜ナリ

○叉、印葉圖ト云フ是レ「キニホフ」氏(Johann Hieronymus Kniphof)ノ著 Botanica Herbarium vivum etc. ヲ指シタルモノニシテ西暦一千七百五十七年(寶暦七年)ヨリ同一千七百六十四年(明和元年)ノ間ニ於テ獨逸國「ハレ」府ニ於テ出版シタル書ナリ
○書中又、西勃氏ト云フコレ「シーボルト」氏(Philipp Franz von Siebold)ナリ而シテ飯沼翁ハ同氏ノ孰レノ書ヲ用ヰシヤ予ハ未ダ之ヲ知ルニ及バズ

○書中又、春氏ト云フ是レ「ツンベルグ」氏(Carl Peter Thunberg)ナリ其書ハ即チ同氏ノ著 Flora Japonica ニシテ西暦一千七百八十四年(天明四年)獨逸國「ライプチヒ」府に於テ出版セルモノナリ而シテ飯沼翁ハ果シテ親シク本書ヲ使用シテ細心考證セシヤ否ヤ予ハ頗ル之ヲ疑フ何トナレバ翁ノ書中通ジテ其本書ヲ使用セシ痕跡ヲ認ムルコト能ハザルと同時ニ若シ又親シク本書ヲ手ニシテ以テ彼我参照セシトセバ則チ必ズヤ幾多ノ點晴ヲ書中ニ見ザルベカラザレバナリ或ハ當時絶テ無クシテ僅カニ之レアルガ如キ本書ナリシヲ以テ偶ニ他ノ所藏ノモノヲ閲セシ乎又或ハ只伊藤圭介氏編著ノ泰西本草名疏(上述「ツンベルグ」氏ノ Flora Japonica 即チ日本植物志ヨリ植物ノ名稱ヲ抜粋シテ羅列セシ書)ニ據リシモノ乎予ハ今之ヲ詳ニスルコト能ハズ

と記した.慾斎が参考にした書物は,ラテン語とオランダ語で書かれているので,当時の蘭学者必須のオランダ語は勿論,ラテン語も読みこなし,夫々の内容を相互に関連付けていた,慾斎の努力と才能は非凡なものがある.これ等の書物は現在は Bio Heritage Library で閲覧・ダウンロードできるが,当時はさぞ高価なものであったろう.

飯沼慾斎『草木図説』第18巻の「スヾラン キサンラン ハクサンラン」の項に引用されている欧書の該当部は,次の記事にしるす.

2018年2月16日金曜日

キンラン (4/6) 飯沼慾斎『草木図説』,牧野富太郎校訂『増訂草木図説』「キサンラン ワウラン キンラン」

Cephalanthera falcata
2007年5月 茨城県南部
日本最初のリンネ分類による日本の植物の図鑑として知られる★飯沼慾斎『草木図説』は草類1250種,木類600種の植物学的に正確な解説と写生図から成る.草部は1852年(嘉永5)ごろに成稿され,56年(安政3)から62年(文久2)にかけて出版されたが,木部は江戸時代には出版されなかった.

慾斎が参考にした歐書は,ホッタインMartin Houttuynの博物誌を中心に,ドドネウスRembert Dodonaeus,オスカンプDieterich Leonhard Oscamp,キニホフJohann Hieronymus Kniphof,ワインマンJohann Wilhelm Weinmann,及びツンベルク Carl Peter Thunbergの植物学書 種であった.

この書の第18巻の「スズラン(カキランの旧名),キサンラン,ハクサンラン」の項には
NDL 公開デジタル画像より部分引用

スヾラン キサンラン ハクサンラン
此三種ハ同屬ニシテ,ミナ葉卵圓披針狀ニシテ莖ヲ擁シテ互生シ,縦脉著クシテ剛ク茎
高一尺餘,春夏ノ際梢上數花穂ヲナシテ開ク.子室角様,蕋体柱様,根ハ粗キ線様
ニシテ指様ナラザルヲ概標トス.ソノ各種ノ殊標ニ在テハ,スズランハ好テ山間湿
洳ノ處ニ生シ,葉本闊ウシテ末尤狭尖.茎足ニ紅暈アリ.花點頭シテ頗ル開展シテ,辧
尖リ色深黄,唇白質ニシテ紅点鮮明ナリ.キサンランハ葉差長ク花黄色上ニ向テ開
キ,辧頭尖ラズ罄口ニシテ展開ニ至ラズ.按ニ其形鈴ニ似タルコトハ此花却テスヾランヨリモ勝ル ソノ生ズル,山中ニアツテ湿洳ノ処ヲ好マズ.白サンランハ渓間樹陰ニ生シ,形スヾラント同シテ草差瘠小ニシテ花白色.

Serapias falcate(セラピアス ファルカタ).春氏
林氏 Serapias(セラピアス)羅,Niesblad(ニースブラド) 蘭 ノ屬ニ七種ヲ舉グ.就中ソノ一種 Breed(ブレード)
bladig.(ブラーヂフ)ヲ以テ鐸氏 wildt voit Nieskruid. (ウヰルド ウヰツト ニースコロイド)ト併セ,叉物印滿 Helleboging(ヘルレボリング)
Nieswortel(ニースウルテル)ノ名下ニ所舉ノ六種等ノ圖説ヲ併セ考ルニ,ソノ品キサン
ラン・スズラン,白サンラン 鐸氏ノ圖ハ全ク白サンランノ如シ 等ニ他ナラズ.ソノ種ヲ分カツヤ,葉
ノ狭闊,花ノ垂下向上,叉辧ノ狭尖,花色ノ黄白紅駁,根形ノ線様塊様ニヨレバ,
本邦所産ノ品々各々的當ノ種名アルベシ.姑期後日詳之.」
と,カキラン,キンラン,ギンランが同属三種であるとした.

さらに精密で美しいキンランの図には「キサンラン ワウラン
花五辧卵圓ニシテ不尖罄口開展セズ.蜜槽辧亦短ウシテ微ニ紅條アリ,下ニ短嘴ヲ出
ス.柱形蘭様,頭面淡黄ニシテ白色ノ長葯アリ」との記述と,「附蜜槽辧,本然圖,蘂柱,廓大圖」と拡大部分圖の説明がされている.

慾斎は「キンランの花が完全には開かない-罄口開展セズ-事から,スズランの名としては,カキランよりもキンランの方が相応しい」としているが,実際には,冒頭の写真や,三浦梅園の図のように,完全に開いている花を付けている個体も多い.時期なのか,生育条件なのか,個体差なのかは興味深い.

後年の★牧野富太郎校訂『増訂草木図説』(1907-22)成美堂 では,「キサンラン ワウラン キンラン」と「キンラン」を追加したうえで,その学名として,Cephalanthera falcata Lindl. を採用したが,その学名の出典は現時点では見出せなかったが,Epipactis falcata (Thunb.) Lindl.の学名は,リンドレーの著書 "The Genera and Species of Orchidaceous Plants" 412 (1840) に記載されている.

慾斎が参考にした欧書の著者とその漢字略名,書名および,上記カキランの項に引用された文献の該当部については,次記事に記す.