NDL 大葉バウシバナ + ツユクサ(生殖部) |
★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(成稿 1852年(嘉永5)ごろ,出版 1856年(安政3)から62年(文久2))は,草類1250種,木類600種の植物学的に正確な解説と写生図から成る.草部20巻,木部10巻.草部は1852年(嘉永5)ごろ成稿,56年(安政3)から62年(文久2)にかけて出版された.
その「巻之一」には「オオボウシバナ」が「大葉バウシバナ」の名で記載されている.
「大葉ボウシバナ
近道野生ノ品ニ比スレバ全草惣テ大ニ花亦六七倍ニ至ル.生殖部同シケレドモ.
鞍狀一種ノ葯形ニ些異アリ.亦以郭大圖示之 此品産地ヲ詳ニセズ.花辧大ナルヲ以テ.
染紙ヲ製ルニ必ス此種ヲ用ユ」
とあり,雄蕊・雌蕊の拡大図が附され,ツユクサとの差が明示されている.
★博物局『教草』(明治5~7年発行)
明治初頭,日本の代表的産物・産業について取り上げた,彩色木版『教草』(30数枚1組)が,当時の博物局によって刊行された.その作成の目的は,海外博覧会で日本のものづくりをわかりやすく紹介するためであり,また,それらを日本の子どもたちが学ぶ教材とするためでもあった.
『教草』には,藍や養蚕,苧麻や葛布など,染織に関するいくつもの事柄をはじめ,漆や紙などの製法,稲や茶葉などの農作物,豆腐や蒟蒻の作り方まで,様々な産物が取り上げられている.興味深いのは,これらの作業に関わる男女が江戸時代の風俗をしていることで,この絵草子が海外の博覧会で日本の産業の紹介のために描かれたので,異国情緒を強調するためかも知れない.
その中には,近江国山田郷で,オオボオシバナの花を摘み,圧搾し,得られた汁を紙に塗り重ねて青紙を製造する行程が,それぞれの道具と共に美しい木版画で描かれている.
近江国山田郷が名産地になったのは,琵琶湖畔で,草津川・志津川・北川などの琵琶湖にそそぐ大小の川があり,適度の湿気を含んだ肥沃な土地に恵まれ,日当たりもよく,大きな用途の友禅染の京都に近いことにあったのだろう.
最後の行で「些の米醋(す)を加ふ、尤能く色を発す」と,青紙から青い色素を溶出した液(青汁)に酢を加えると青色が濃くなるとある.圧搾時に酢を加えるとある文献もあり,弱酸の存在が安定性に寄与していることが認識されていたようだ.また,利用法として菓子への着色が記されているのは,初見.
「教草 第十四
青花紙一覧(あをばながみいちらん)
青花ハ鴨跖草(つゆくさ)の花なり、鴨跖草ハ何国にも自生の夥しき物なれども、近江国山田郷にて作るものハ、一種大葉のものにして、花弁の大さも常品に十倍す、故に青花紙を製するにハ、必是種を要する也、鴨跖草の種法ハ、冬月向陽の地に下種して苗を生す、三月の末に至りて畑地へ移栽へ培養す、肥ハ人糞、油渣等を用ゆ、夏用土用前より花を開く、野生の者に比すれバ、格別大にして、且美なり、毎朝露を侵し花弁を摘釆る、紅花(べにのはな)を摘むが如し、此花を用ひて汁を絞り、紙に染込たるもの、即青花紙なり、又ボウシ紙とも云
青花紙を製するにハ、先づ花を搾り、液を収むることなり、花を搾るの法ハ、花弁の生鮮なるものを撰び取り、塵芥をよく去り、竹篩いにて雌雄蕊并黄粉を篩ひ除け、桶に入れ圧板を載せ、枕木をかひしめ、木を以てしめかくれバ、青汁自から流出づ、桶の下に呑口を付け、承るに盤を以てし、他に漏れざらしむ
WUL リンク先は原HP (http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/mu11/mu11_03287/mu11_03287_p0015.jpg) |
紙を染むるの法ハ、美濃上有知(こづち)村にて製する花口紙一帖四十八葉の紙を染台の上に延べ、刷毛を用ひて青汁を蘸(ひた)し、一帖畳(かさ)ねたるまゝ刷(は)き染むるなり、紙の両角に些少の余白を止め、日光に曝し乾すなり、白を止むるゆへんハ、乾上りたる後、畳ねたる紙、花液の為に粘合したるを引離すに便利ならしめんが為なり、右の紙乾き上りたれバ、此度ハ一帖の紙を十二箇に分ち、一箇四葉づゝ畳ね置き、再び青汁を以て刷き乾かす、又其次にハ二葉づゝ畳ね、又前の如く青汁を刷き乾かす、是より後ハ幾度刷きても皆二葉づゝ染むるなり、一葉離して染むることなし、右の如する都合五十度より六十度に至る、始めて好き青花紙となる、夫を二帖合して一束と名く、即九十六葉也、四辺を剪揃へ、箱に入れ方物とす
青花を作る村数凡五十箇村、戸数凡三百五十軒、慶応丁卯年産出三千一百十帖、価金一千五百四十九両一歩二朱、明治辛未年産出一千五百七十帖、価金一千二百六十八両
青花ハ青を染むる品の内にて、別して鮮明なるものなれども、惜むべきは染上たる後一度水に入れバ、忽消滅して痕なし、仮令水に湿ハざるも、日を経れバ色減じ、久く保つ能ハざるなり、夫故衣服模様の下絵を画くにハ是非とも青花を要するなり、其他菓子を染め、燈籠を彩(あや)どるなどに妙とす、火を映(うつ)して色黯(くらま)せざれバなり、青花紙用法ハ、一葉の紙を入用たけ剪刀(はさみ)にて剪(き)り取り、碟子(こざら)に入れ、水を澆(そそ)げバ、乍ち青汁出づ、或ハ些の米醋(す)を加ふ、尤能く色を発す、且水を澆きて快く消散し、毫(すこし)も影子(あと)を止めざるなり
明治六年一月 山本章夫 撰 溝口月耕 画
図説明 右上より左下へ
重り石,重し竹,しめ木,桶蓋,押枕,しめ桶
鴨跖草之圖
花採籠,花入籠,花通し,花揉桶,敷布,箕,花入文庫,染紙載,染臺,花鉢,染刷毛
花摘之圖,花篩之圖,花液を収むる圖,青花紙を製する圖
友禅染における青(花)汁の使い方には,以下のような記事がある.
「まず、生地につゆ草から絞った青い汁を集めた「青花」で下絵を描き、その下絵の上に、柿渋を引いた紙の筒に金の先口をつけたものから糊を細くしぼりだして、糸目糊を置いていきます。その中に筆や刷毛で染色していくことで、隣同士の色が混ざることなく、一色一色の区別が細かく、はっきりした鮮明な染めが生まれます。この後、糊伏せや鑞伏せをした上で、地染め、蒸しなどの、いくつかの工程を経て仕上げます。糸目糊を置いた部分は、染め上がって水洗し水元を経て糊を落とすと、くっきりとした白い線として残り、鮮やかな色使いとこの白い線とのコントラストがデザイン的にも優れており、友禅染の美しさを決定する要素になっています。」