2020年3月10日火曜日

レンゲツツジ (6)-仮  羊躑躅 レンゲツツジ.庶物類纂,庶物類纂図翼,本草正譌,本草正々譌,千金方薬註

Rhododendron molle subsp. japonicum

『本草綱目』の和刻本のなかで一番優れているといわれている,稲生若水校『本草綱目(新校正)本』(「若水本」,1714)では,「羊躑躅 本經下品 [レンゲツヽシ]」と,羊躑躅=レンゲツツジと考定していた(前記事).一方若水の畢生の大作,庶物類纂』にも「羊躑躅」の項があるが,和名は考定されていない.しかし,「紅羊躑躅」の丹後での俗名を「列莫絜紫紫十」(レンゲツヽジ?)と記録している.
幕臣の戸田祐之が描いた『本草綱目』所載の薬草類の写生画集で,幕府から『庶物類纂』の参考図録として認められた戸田祐之筆『庶物類纂図翼』には,様式化された「羊躑躅」の図があり俗名は「幾禮牟介」(キレンゲ)とされている.
斎藤憲純の『本草鏡(1772)は『本草綱目』所収品について市販薬材の良否・産地・由来などを記す.この書の「羊躑躅」の項には和名として「キレンケ キツヽジ 黄丁子 朝鮮ツヽジ」を,産地として「洛北巖ノ山中」を挙げる.
 松平君山の『本草正譌(1776)は,『本草綱目』の項目をとりあげ,君山自身の見聞をもって,先賢の校定を考察弁明したものである.その書では「羊躑躅はモチツヽジとされているが,誤りであろう」としている.
君山の『本草正譌』に対する反論であるとされる,山岡恭安『本草正々譌(1778) には,「山(?羊)躑躅」の和名として「キツヽジ、又レンゲツヽジ」を挙げる.
松典子勅の『千金方薬註 (1778) には,「羊躑躅」の和名として「モチツヽジ,狐ツヽジ,ムマツヽジ」をあげ,「[和名]ツツジ一名レンゲツヽジ」とも記録している.さらに,「躑躅」は羊躑躅の略であり,ツツジを「躑躅」とするのは不適切であると主張している.
『庶物類纂』,『庶物類纂図翼』よりの図は国立公文書館,他の図は NDL の公開デジタル画像よりの部分引用

★稲生若水(1655 – 1715)・丹羽正伯(1691 – 1756)編『庶物類纂』延享4 年(1747)成立は,江戸時代中期に成立した日本の本草書.動植物・鉱物の中から薬効のあるものを選んで分類し,それぞれについて中国の文献から関係する記事を収集して記した書である.稲生若水は,元禄6(1693),金沢領主前田綱紀に召されて『物類考』(これが後に『庶物類纂』と改題)の編纂を命ぜられた.しかし,正徳5年(1715),若水は作成途中で病死し,1719年、八代将軍吉宗は前田綱紀にその未完の『庶物類纂』九属(363)の献上を要請し,これが幕府の文庫に納められた。のちに藩主綱紀も死去したことにより,事業は中断.それを惜しんだ8代将軍徳川吉宗は,若水の弟子である丹羽正伯らに編纂事業の継続を命じ,延享4年(1747)に全1054巻(465冊)が完成した.

その第八十六巻に
羊躑躅
羊躑躅生--山川-谷及淮-。今所在有之。春生
鹿-,葉似-,莖高三--尺。夏開-霄山
-橊(榴?)旋-,正--色羊誤レハ其葉則,躑-シテ而死,故
。三-月、四-月採,陰-。今嶺-南蜀--谷遍
皆深紅色如錦繡。然或云此種不藥。 本草圖經
者誤レリ矣決--明也唐ノ李----谷多--
毒能殺其花明-艷與二杜--花一相-似,樵-者識之其
--躅ニ,未タ-要ス亦其類耳。明李東璧本草綱目
謹按--躅花有-黄正----其品
甚多則此種亦當必有-也蘇-頌所ヨリ
謬也
--躅生諸山中花大如-盞類シテ-色羊食スレハシテ
癇 明高源遵生八牋
--躅生諸山中花大如-シテ-色羊食スレハ之則
-シテ而死或云羊食セバ則生シテ癇 明王仲遵花史左編
鬧羊花一名落羊花即黄---花即羊---花根名
--- 明襲延賢濟世全書
鬧羊花炒鍋 炒研--撃損--被覆出ス
 痳嘔任 傷重キハ再服 骨折者黄---頭焼-灰末---粉等分水調ヲ 〇清皖桐方氏
物理小識」とある.
旋葍:ひるがほ 鼓子花也 又名 旋花 旋葍花ト。『訓蒙図彙』 巻之二十(花草)左図

また,「紅羊躑躅
俗名 列莫絜紫紫十* 丹後州

紅羊躑躅
躑躅生山谷莖高三--尺夏開---
-云五-渡溪-頭躑躅紅 江陰縣志
羊躑躅有-黄各-- 清石巖逸叟増定致冨奇書」ともある.
*レムゲツヽジと読むべきであろう

★戸田祐之著『庶物類纂図翼』安永8 年(1779)成立
本書は幕府の書院番,戸田祐之 (1724 – 1779) が描いた写生画集.『本草綱目』所載の薬草類の花や根葉を写生して分類し,各地での呼び名も付記した.本書の献上を幕府へ願ったところ,上記『庶物類纂』(稲生若水・丹羽正伯編)の参考図録として有用であるとの評価を受け,本草学者植村政勝・田村元長等の修訂を経て『庶物類纂図翼』の書名を与えられ,安永8年に紅葉山文庫に収蔵された.平成8 (1996)に『庶物類纂』とともに国の重要文化財に指定された.全28 冊(添書含む).紅葉山文庫旧蔵.

この書の「草部十五」に「羊躑躅」の図があるが,花はかなり様式的で,葉の先端も尖っており,ヒカゲツツジを思わせる.「様式 俗名 幾禮牟介」とある.キレム(ン)ゲと読むべきであろうか.


★斎藤憲純『本草鏡(1772)
憲純の「本草鏡」は「本草綱目」所収品について市販薬材の良否・産地・由来などを記す.文中の年記や引用文献から安永(1772-80)の頃の著作らしい.巻1-9が現存するが,もとは10巻か.斎藤憲純は京都の人で憲純は名,号は東渓,生没年は未詳.ほかに「名物拾遺」「物類彙考」などの著作があるが,これも「本草鏡」と大同小異の内容である.「白井年表」は稲生若水の弟子とするが,年代的に合わない.著作には松岡玄達およびその門下の名を挙げることが多いので,玄達の弟子かも知れない.
この書の
羊躑躅
キレンケ キツヽジ 黄丁子 朝鮮ツヽジ 洛北巖ノ山中ニ多シ 小木也 葉石楠葉ニ似テ短小ニ
シテ光ル 花レンゲツヽジニ似テ純黄色 毒アリ 其外琉球霧(キリ)嶋 サツキツヽジ モチツヽジ 皆一類ニシテ
惣名ヲ躑躅ト云 就中曰三月花サクモノヲ躑躅ト云 ツヽジ美ナリ 五月花サク者ヲ杜鵑花
ト名ツク サツキキリシマ類ナリ サツキハ五月ノ異名 杜鵑ノ鳴時節ナルヲ以テ名ツク 一種細
葉ノモノ熊野ニテコゴメツヽジト云 花肆ニ雲棧(ザン)ツヽジト呼 其外品類是多シ 〇白杜鵑
名花譜 和名リウキウ舊琉球国ヨリ其種ヲ出スト云 〇四時杜鵑花紹興府志四季サキノ
サツキ也 〇山枇杷 集解 舊説イワナシニ充ルハ非ナリイワナシ小児誤テイバナシト呼 毒ナシ漢名未詳
[一名]玉支 本草必讀 盡月背 郷薬* [杜鵑花一名]石榴 汝南圃史
[附録]山躑躅アカツヽジ レンゲツヽジ モチツヽジ 皆此類属也 時珍杜鵑花ヲ一物トスルハ非
也草花ノ書ヲ考ヘシ 〇羊不喫草 未詳

*郷薬:郷薬集成方- 朝鮮,李朝初期の医書.85巻.兪好通,盧重礼,朴允徳らが,旧来の朝鮮医書を集大成した《郷薬済生集成方》(1398)を土台として,中国医書をも広く参照しつつ編纂し,1433年に完成した.

★松平君山(16971783)『本草正譌』巻之二 (1776)
君山(秀雲)は江戸時代中期の儒者.尾張(おわり)名古屋藩書物奉行.藩命で『士林泝洄(そかい)』『張州府志』を編集.著作はほかに注疏『孝経直解』,本草,詩文『三世唱和』など多数.
『本草正譌』は,明の李時珍の『本草綱目』をとりあげ,君山自身の見聞をもって考察弁明したものである.『本草綱目』は不朽の名著ではあるが,著者が多病なため,文献本位に傾く欠陥もあった.また,我国でも,貝原益軒・松岡恕庵などの著書が行われているが,独断に出づる説が少くない.君山は,それらの正論を志して,老躯を啓蒙にささげたわけであるが,さすが一代の大家だけに,本書の編集も大がかりなもので,門下の秀才が給動員された観がある.
本書刊行の意義は,徒らに先人の説に依存していた斯界に一大警告を与えたもので,画期的な著述といえる.
羊躑躅 和名モチツヽジト云然トモ此邉モチツヽジト云物花色淡
紫ニシテ粘滑ナリ然トモ毒ナシ貝原氏モチツヽジ黄花三四月ヒラク
ト云此邉未レ見 山躑躅紅ツツジ 映山紅キリシマ
杜鵑花サツキ皆一類ナリ」

★山岡恭安『本草正々譌』草部 (1778)
君山*の『本草正譌』に対する反論である.その動機は,ことさら先輩の説に異を立てたというほどではなく,すでに書き上げてあった『本草和産考』のうちから,(特に草木部で)所見を異にするものを摘出して世に問うたものといわれる.
*名古屋市教育委員会『名古屋叢書 第十三巻 科学編』より部分引用
山(?羊)躑躅。キツヽジ、又レンゲツヽジ、所在二種。一種花
金黄色、一種稍大ニシテ鵞黄色。綱目諸説、皆黄花ト
注ス、此二品ナルベシ、淡紅紫ノ物ハ山石榴ナリ。三
月満山ニ開花スルツヽジトパカリ俗称スル物ハ映山
紅、一名山躑躅ナリ。○杜鵑花、サツキ。○石巌花、
一名春鵑、キリシマ○羊不喫草、ゴトウツヽジ。」

★松典子勅『千金方薬註』第二巻 (1778)
羊躑躅            [和名]モチツヽジ 京 一名狐ツヽジ 熊野 一名 ムマツヽジ
名張 濟世全書 一名落羊花即黄-春-蓼。花捜山虎躑躅[和名]ツ
ツジ一名レンゲツヽジ 躑躅花ツヽジノ花 先君子曰三月
開ク者ハ皆ツヽジト名ク 五月開ク者ハ杜鵑花和名サツキ
ナリト レンゲツヽジノ花 衂血不ニ花蕋生ナル者鼻中ヲ
塞ク即チ止ム 余曽テ験過ス 按ニ諸書躑- -- --躅ノ
各名アリ 然レトモ躑躅ハ羊躑躅ノ畧稱ナリ 躑躅ヲツヽジ
ヲ躑躅トシ羊躑躅ヲモチツヽジトスルハ非ナラン 羊其花ヲ喫ヘ
バ躑躅スト 羊ノ躑躅スルヲ以テ名ク 羊ノ字ヲ除ケバ何モ
ノカ躑躅スルヤ知ルベカラズ」とあり,レンゲツツジの花を鼻孔に詰めると,鼻血がとまるとある.
さらに,ツツジを「躑躅」とするのは不適切であると主張している.字義的には,そうであろうが,しかし中国,明の王路撰『花史左編』(1617)の「花叢脞」では,「黄躑躅」が記載され,清の陳扶揺『秘伝花鏡』(1688)の「花木類攷」には「杜鵑 一名 紅躑躅」,「山躑躅 俗名 映山紅」と記載されている.従って「躑躅」が明時代以前から中国でツツジの意味で用いられていたのは明らかである.

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