2020年12月4日金曜日

ツミ(3)エッサイ・クロツミ 訓蒙圖彙,頭書増補訓蒙圖彙大成,觀文禽譜,堀田禽譜

Accipiter gularis

堀田禽譜』サギ(チュウサギ?)を捕捉する黑つみ 元図を所蔵していた「戸田五助」は将軍の鷹狩用の鷹を飼育・訓練していた「千駄木御鷹部屋」を管理していた鷹匠頭 
宮城県県図書館「伊達文庫」収蔵〔禽譜〕

 中村惕斎の『訓蒙圖彙(キンモウズイ)』は,江戸時代前期に作られた「絵入り百科事典」であり,初版は寛文6年(1666)に刊行された.以後,元禄8年(1695)には『頭書増補訓蒙圖彙』,寛政元年(1789)には『頭書増補訓蒙圖彙大成』が,それぞれ大幅な増補改訂を経て刊行されている.『訓蒙圖彙』の「鷹」の項には鷹の年齢による呼び方しか記されていないが,『頭書増補訓蒙圖彙大成』には,「雀鷂・雀𪀚」の記述がある.しかしこの書では「雀鷂・雀𪀚」小鷹で,小鳥を獲るとしかない,また雀𪀚ゑつさい,雀鸇さしばが鳥を捉えている図があるが,どちらかは分明でない. 

堅田藩主で,のち佐野へ転封された堀田正敦の『觀文禽譜(1794) は江戸時代で最大最高の鳥譜で,その図譜部の通称『堀田禽譜』と対になる業績である.その巻四の鷹の部に「つみ(まつみ),くろつみ,ゑつさい」の三項があり,「くろつみ」は「くまつみ」「このやまつみ」「これやまつみ」とも呼ばれ,「つみ」より大きくて,鳥を獲る能力もまさっていて,将軍家のタカ狩りにはこれが用いられているとしていて,『堀田禽譜』にはサギ(チュウサギ?)を捕捉している図もあるが(冒頭図)(https://eichi.library.pref.miyagi.jp/da/detail?libno=&data_id=041-70093-1%20target=),つみの黒化個体と思われる.

以下図は NDL のデジタル公開画像よりの部分引用   

★中村惕斎『訓蒙図彙』初版(1666) 第十冊.巻之十三「禽鳥」には


 よう・をう
たか、鷙鳥(してう)也。一-黄鷹ト、わかたか、二-鷹(へんよう)ト、かたがへり、三-鶬鷹(さうよう)ト、おほたか」としかないが(左図)


★中村惕斎
編『頭書増補訓蒙図彙大成』全 21 (1789)巻之十三には,「禽鳥 此部にすむもろもろの鳥をのこらずしるす」とあり,「鷹」の項には,「鷹は惣名にて大小その品多く勇猛の鳥なり(中略)
○鷂は鷹の小さきものなり鷂の小さきを兄鷂といふさらに小きを雀鷂といふいづれもかなり小さければ小鳥をとるなり.
○雀𪀚ゑつさい 雀鸇さしば
何れも鷹の名小鳥をとるなり(後略)」

とある.また雀𪀚ゑつさい 雀鸇さしばが鳥を捉えている図が掲げられている.(右図)

はいたかの小さいものを兄鷂このり,さらに小さなものを雀鷂つみとし,雀𪀚ゑつさいとは別に考えていた.

 著者の中村惕斎(なかむらてきさい)(16291702)は京都の呉服商の家に生まれ,幼い頃から頭脳明晰,朱子学を独修して一家をなし,同時代の伊藤仁斎(16271705)に比肩する学者とも評された.儒学のほか,天文・地理・度量衡や音律にも通じた,幅広い知識を有した人物であった. 視覚教材としては,チェコのコメニウス(Joh. Amos Comenii, 15921670)による『世界図絵 Orbis Sensualium Pictus』(1658年)が教育史上著名であるが,近い時期に日本でも本書のような書物が出版されていたのである.

  初版の『訓蒙圖彙』は序目2巻,本文20巻全14冊であり,1頁に上下2図を載せている.和名と漢名,短い注記を付す.画者は不明(一説蒔絵師源三郎).以後「・・訓蒙」という書名が流行となった.
  寛文8年(1668)に刊行された第2版『増補 訓蒙圖彙』には,1頁に4図が載り,序目・20巻全7冊に改められた.この版がもっとも多く流布した.ケンペル『日本誌』(1727)もこの版から模刻した図を多く載せている.
  『頭書増補訓蒙圖彙』(1695)は1頁に4図が載り,序目・21巻よりなる.
  『頭書増補訓蒙圖彙大成』(1789)1頁に複数の物品の図が混在し,序目・21巻よりなる.

★『觀文禽譜(1794) の著者堀田正敦(17551832)は江戸時代中期-後期の大名.陸奥仙台藩主伊達宗村の八男として生まれ,天明61786)年堅田藩主堀田正富の養子となり,翌年家督相続,1万石.寛政11789)年大番頭,老中松平定信の知遇を得て翌2年若年寄,勝手掛となり寛政改革の財政を担当.文化31806)年に13千石,翌年にはロシア船来航により蝦夷地に赴き,文政91826)年下野佐野に転封.12年に16千石.天保31832)年に75歳で致仕するまで43年間若年寄の職にあった.
 この間『寛政重修諸家譜』編纂を総括するなど幕府の系譜編纂事業に寄与.また屋代弘賢,林述斎,大槻玄沢,谷文晁 ら学者,文人と交際,彼らの学問,芸術の庇護者となる.自らも博物学者として近世最大の鳥類図鑑『観文禽譜』を編纂した.<著作>『水月文章』『水月詠藻』『幕朝年中行事歌合』『蝦夷紀行』

 『観文禽譜』は江戸時代で最大最高の鳥譜で,その図譜部の通称『堀田禽譜』と対になる業績である.『観文禽譜』は,巻一がツル・サギ・シギ,巻二がカモメ・カモ,巻三がニワトリ・キジ・ハト,巻四がインコ・タカ・フクロウ,巻五がツバメ・コウモリ・キツツキ,巻六がヒバリ・スズメなどで,総計は655品.『堀田禽譜』の多くの図は現在宮城県県図書館に収蔵されているが,堀田正敦が伊達家出身に由来するからか.


観文禽譜』の巻四に

つみ すゝみたか 漢語抄 まつみ 黒ツミニ對トシテ称ス真シキ真カモト云カ如シ

雀鷂 倭名抄引漢語抄 〓(常+鳥)下学集〔  〕撃征 題

雀鷹 鶗〓(肩+鳥)通雅                                                               

新六帖ニ とやかへるつみをてにすゑあはつののうつらからむとこのひくらしつ  前内大臣家良

鷹百首                                            慈鎮和尚

西園寺鷹百首                                                公經

詩小雅 采芑 彼飛隼

 良安云*3コノリニ比スレハ又小ナリ毛色畧ハイタカニ似タリ翅彪横ニ

巻成スル者ノ如ナル者藤黑ノ彪ト名ツク唯雀ノ類ヲ取而已今按ニ
ルニ爾雅*4鷹隼醪陸疏*5鷂屬也齊人謂之撃征或謂之顆肩或
謂之雀鷹春化爲布穀者是也此屬數種皆爲隼又本草鴟集
解詩疏云隼有數種通稱鷂ト云ヘリ其説錯雜ナリト云トモコレヲ改フルニ
ヲホタカハイタカツミ彪各大小アレトモ同種ナリ然ルニ時ハ隼ハイタカ類トナシテツミ
ニ當ン方穏ナルヘシ稲若水庶物類纂*6ニモ撃征題〓(戸ノ下ニ日)雀鷹ヲハイタカニ當テ
ツミヲ別出セス是時珍カ隼鷂ヲ弁出スルト同意ニシテ未審ナラサルニ似タ

  *3:寺島良安『和漢三才図会』
  *4:『爾雅』(陸佃、11世紀末)の「釋鳥」に「鷹隼醜,其飛也翬」とある。
      翬:音読み        意味  速く飛ぶ。大いに飛ぶ。また、その羽の音。五色の美しい羽を持つ雉(きじ)
 *5:陸璣『毛詩草木鳥獸蟲魚疏』の「卷下」に
彼飛隼
隼鷂屬也齊人謂之擊征或謂之題肩或謂之雀鷹春
化為布榖者是也此屬數種皆為隼」とある.

頭注

潛確類書*1 李善曰驇撃之
鳥通日集又曲籍便覧*2隼註
〓云古今隼未有的指其物
者禽経但云鳥之小而驇
者皆曰隼

*1潛確類書:(明)陳仁錫纂輯『潛確居類書』全120卷,その「巻之一百六 飛躍部三」の「鷹隼」の章に,「鷹隼○〔禮記〕立秋乃日鷹隼乃撃○李善曰驇撃之 鳥通日集呼曰隼執取飛鳥撃奪毛羽〇故曰驇撃」とある.
*2曲籍便覧:「曲籍便覧」は特定できなかったが,()馮復京輯著『六家詩名物疏』(萬暦33 [1605] 序)の「詩名物疏 全覽二 有嘉魚之什二 采芑篇」の「隼」の項に「爾雅云鷹隼醜其飛也翬郭云鼓翅翬翬然疾(中略)雅翼云古今言隼未有的指其物者(以下略)」とある.

また続けて

黑つみ くまつみ これやまつみ

新六帖ニ あふ事を いつとか待ん わかさちの 山の黑つみ つみしらせても

利徳朝臣ノ説ニ聞ニ今官ニ養所ノツミハ多クコレ山ツミニシテマツミハ未観スト云ヘリコレ山ツミ
コノ山ツミトモ云ヘリ ハ越前福井ヨリ献ス亦尾藩ヨリモ來ルマツミヨリ差大ニシテワサモ亦勝
レリ疑ラクハ是エツサイノ雌ナラント」
とあり,

更に

ゑつさい 和名漢語抄引を悦哉としるせり 雀𪀚 和名抄引唐韻 零鳥 下学集

鷹三百種 かたむねをなほかひ残すゑつさい乃いかにしてかは鶉とるらん    定家

エツサイハツミノ雄ナル者ナリ大サヒヨトリノ如シ雀及小鳥ヲ取ノミ仙臺
候ノ寫眞*1ヲ観ニ頭背灰青黒ニシテ翅黒シ尾亦背灰ニシテ黒キ横彪
アリ臆*1ヨリ脇腹ニ至テ淡赤臆及腹下白シ咮*2黒ク脚黄ナリ
眼中亦黄ナリ」とある.

*1仙臺候ノ寫眞:現宮城県県図書館「伊達文庫」収蔵〔禽譜〕 (https://eichi.library.pref.miyagi.jp/da/detail?data_id=040-51703)では見られず.
*2
臆:オク,ヨク,むね
*3
咮:チュウ,くち,くちばし

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