2021年4月5日月曜日

ツミ-8 鷹狩-2 江戸時代前期『武用弁略』

Accipiter gularis

中央アジア地域で発生した,飼いならした猛禽類を用いて鳥類・獣類を捉える「鷹狩」の技法が,中国・朝鮮半島経由で日本に伝わったのは,古墳時代以前と考えられている.「鷹狩」は天皇・皇族・貴族の間で広まり,当時身分の低かった武家には禁止されていた.

しかし,武家が勢力を増すに従い,鷹狩は中央・地方の武士の間にも広がり,戦国大名にも愛好者は多く.信長・秀吉・家康も鷹狩を頻繁に催し,また優秀な鷹を求め,或は贈答品として用いた.多く用いられていた鷹はオオタカ(蒼鷹),ハイタカ(鷂),クマタカ(角鷹、鵰),ハヤブサ(隼)であったが,室町中期に著された『尺素往来』には,ツミ(雀鷂)も鷹狩に用いられていたことが記されている(前記事).

徳川家康は鷹好き・鷹狩通であった.鷹狩は将軍の野外活動の第一とし,合戦の模擬として代々の将軍に受け継がれた.そのため,各地の大名から若い鷹が幕府に獻上され,江戸の「御鷹屋敷」で訓練を受け,関東各地の「御鷹場」での鷹狩に使われ,獲物は大名や家臣にも下賜された.

 貞享元年(1684年)序の木下義俊(江戸前期,生没年不詳)著『武用弁略』は,武具 兵法 城郭 鉄砲等の武家として身に付けて置くべき様々な知識・技法を絵入で教える兵法の書であるが,その中の「鷹狩」の項には,ツミ(雀鷂と雀𪀚)が記されている.

 義俊は,『武用弁略』の序で,四民はそれぞれ皆仕事があって,精勤しては楽しみもある.その上に立つ武士は文武両道に精通し,なお君子であらねばならない.そのためには,先人の言葉を聴き,知識を深くすることが必須で,この書はそのために記した.とある.

 その嗜むべき武道の一環として「鷹犬(チヨウ ケン)-」として「鷹狩」が挙げられ,鷹の種には「雀鷂」と「雀𪀚」の項がある.この項には科学的・技術的な事よりも,歴史的・文献学的な,教養として武士が身に着けるべき事項が記されている.一方後半には,鷹狩に用いられる用語の意味や,装具・器具・装束などが記されている.


 武用弁畧叙

四民皆業アリ業ハ勤ニ精(クハシク)シテ嬉(タノシム)ニ荒(スサム)士ハ
其上ニ居テ武ヲ習(ナラフ)文ヲ學ハ是其常也盖(ケダシ蓋?)
成徳ノ君子聦明叡智ニシテ六藝ニ通(トウ)シ能(ヨク)
人ヲシテ善ニ道(ミチビク)小人ハ昏蒙(コノモウ)鄙陋(ヒロウ)ニシテ事々
物々惑多シ人ヲシテ利スルニ力トナシ韓子ガ曰
生ナガラニシテ知者ハ非(アラズ)(タレ)カ能惑(マドヒ)ナカナカラン
惑テ師ニ從(シタガハ)ズンハ其惑タルコト終(ツイ)ニ解ズト鳴(ア)
(ア)(クハン)ニ在テハ勤ニ日ナク學ニ月ナシ適師ア
リト雖(イヘドモ)得ガタキハ此謂(コノイヽ)也凢(オヨソ)遊藝(ユウゲイ)ハ好デ易(ヤスシ)(リク)
藝ハ倦(ウン)デ怠(オコタル)(タレカ)志アリトセンヤ事ヲ巧ミニ理(リ)
ヲ約(ツヅマヤカ)ニセント欲(ホツスル)ハ自(ヲノツカラ)是難(カタシ)トス先下學ヨリ上
達シ浅(アサキ)ヨリ深(フカキ)ニ至(イタラ)ハ昨日ノ非ヲ知(シリヌ)ベシ我苟(イヤシク)
武門ニ入テ士人ノ會(クハイ)ス日用々手ノ舞足ノ
踏トコロ惑アラズト云コトナシ故(カルガユヱ)ニ茗話ノ耳ニ
觸所聊(イササカ)之ヲ筆ニトヾメ初ニ品録ヲ立(タニ)(ツギ)
諸説ヲ拾テ八巻ニ終誠ニ蠡海(レイカイ)ノ一編ニシ
テ大方ノ前ニ繙(ヒモトキ)カタシ希(ネガハク)ハ後撰ノ判断ヲ待
得テ予ガ惑(マドヒ)ヲ解(トキ)ナバ大幸ナラント欲(ホツス)ルノ微
意ナリ而(シカフ)シテ以之ヲ書房ニ投ジテ標(ヘウ)スルニ
武用弁畧ノ四字ヲ以ス 干時(トキニ)貞享(デフキヤウ)甲子
鶉火(ジュンクハ)雍刕(イヨウシウ)ノ隠士芸窓(ウンサウ)ノ下ニ自序ス」 

貞享甲子鶉火=1684年旧暦6
雍州=京都
芸:香草の名,ヘンルーダ.昔これを本にはさんで防虫に用いたところから,書籍のこと

武用辨畧 巻第八
洛東 穏士 弌-- - 義俊 編集
             
河陽       褧衣斎 負--子 校正
                            
-津 神-平 侍-

-(チヨウ ケン)-(ノ ベン)

目録
                                                    -鷹(ヲホタカ)
-鷹(セウ)                                    鶻(ハヤブサ)
鷂(ハイタカ)                                  -鷂(コノリ)
-鷂(ツミ)                                    -𪀚(ヱツサイ)
-鳩(サシバ)                                 生(フ)
居(モト)                                        韛(タカタヌキ)
業(ブチザイ)                               攣(アシヲ)
絛(ヲホヲ)                                     (ハツ)
                                                   鳥屋(トヤ)
餌袋(ヱフクロ)                             
緤(キヅナ)」

(中略)

「雀鷂(ツミ)
兼名苑ニ曰雀鷂(ツミ)ハ善雀ヲ捉者也楊氏ガ漢語抄
ニ曰須々美多加或云豆美俗云雀執(ツミ)今ノ人●(面+鳥)(ツミ)
ニ作或●(常+鳥)ノ字皆ト訓ズ或記ニ疑ラクハ
鷹鷂ノ属ナラサル者歟既ニ古来ヨリ豆久美ト読
リ假名ヲ紛シタル歟心得確ト云云字彙ニ ●(常+鳥)ハ共ニ
同秘鷹傳ニ曰雀鷂或ハ雀鵰(ツミ)ニ作鷂ニ属ス鶙鵳(テイケン)
ヲ雀鷹トス以雌雄ニ應ズ何ソ必トセン鶙鵳ハ鷙(シ)
別称(シ)ハ鷹鷂ノ総名トス唯大小毛羽ノ品ヲ以和
名アリ押テ漢字ニ封ズ鳥ノ形勢タモ土地ニ替ベキ
者也ト云云案スルニ鷂ハ鸇(セン)也叉●(栞+鳥)(セン)ナリサレハ今●(栞+鳥)ヲ
ハイタカト訓ジ或サシバト読デ諸本相違セリ畢
竟右ニ云ルガ如ク一訣シ確クシテ取詮皆同属遠ニ
非ス然ハ其宜ニ應スヘ猶雀鷂(ツミ)ト称セルニモ既品
類ヲ別テ呼者アリ黒●(凋+鳥)(ツミ)木葉●(凋+鳥)(コノハツミ)通●(凋+鳥)(トヲリツミ)熊●(凋+鳥)(クマツミ)北山●(凋+鳥)(キタヤマツミ)
等也●(凋+鳥)(テウ)ハ鶚(カリ)属小鷹也師古ガ曰鶚ハ鷙撃ノ鳥
鷹鸇(ヱイセン)ノ属ト云云」

鶚:みさご
鵰:ワシ(鷲)、タカ科の鳥のうちの大形の鳥を指す,小形の鳥はタカ
鵰雞(チョウケイ):ミサゴ(鶚)

雀𪀚
楊氏漢語抄ニ雀𪀚和名悦哉唐韻ニ曰雀𪀚ハ
小鷹也或紫鷹(エツサイ)幼鷹菩提鷹等ニ作張九齢ガ
曰𪀚(シウ)ハ音(コエ)(シウ)鷹ニ似テ小也能雀ヲ捕故ニ江南ニ呼デ
雀𪀚(シヤクシウ)トス雌雄相交テ踏𪀚(タウシウ)ト曰秘鷹傳ニ雀●(公+鳥)(コウ)雀●(匊+鳥)(キク)
ニ作以悦哉ノ字ニ用今ノ人𪀚ヲ佐志波(サシバ)ト読ガ故歟如
何郭景純ガ曰今ノ俗●(公+鳥)(コウ)之ヲ雀𪀚ト云集韻ニ●(公+鳥)本
𪀚ニ作或●(松の下に鳥)(エツサイ)ニ作ト云云字彙ニ●(松の下に鳥)音松鷂ノ属也
●(匊+鳥)(キク)亦●(刹の刂を鳥)(キク)ニ同布穀鳥(フコクテウ)也ト云云布穀鳥ハ即鷂ノ別称鶗(タイ)
●(肩+隹)也今世●(松の下に鳥)ヲ波之太賀(ハシタカ)トシ𪀚ヲ佐古今志波ト読ル
事モ通テ用ルニヤ宜之ヲ辨ズベシ」

郭景純:中国,六朝時代の学者.本貫は河東聞喜(山西省聞喜県).西晋末に江南に行き,五行や天文,とりわけ卜筮(ぼくぜい)の術によって名をはせ,東晋王朝成立のはじめにその将来の命数を予言したという.だが,王敦(おうとん)が謀反をおこすに当たって,凶と断じたため殺された.

『集韻』(しゅういん):宋代に作られた韻書の一つ. 景祐6年(1039年)丁度らによって作られた勅撰の韻書である.平声4巻・上声2巻・去声2巻・入声2巻の全10巻.

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