ドイツ人博物学者エンゲルベルト・ケンペルが,イチョウを Ginkgoとして,初めて西欧に紹介した際,葉がホウライシダ類(Adiantum, 英名:Maiden hair fern)に似ている事を述べた.また彼は将軍謁見のための江戸参府の道中(1691年)で,箱根山中で薬効があると聞いて採取し,ハコネクサ(Fákkona Ksa)とその名を記したハコネシダ(現在有効な学名:Adiantum monochlamys D.C.Eaton)を,ホウライシダ屬のホウライシダ(A. capillus-veneris L.)と同定した.
ケンペルがハコネシダの薬効を教え,オランダソウの名が生じたと,松川二郎『科学より見たる趣味の旅行』(1923)の「箱根巡りの科學」,牧野富太郎『牧野日本植物図鑑』(1940)の「ハコネサウ」に記されているが,ケンペルが訪れた1691年より前に刊行された『本草瓣疑』(1681),『広益本草大成』(1689)に,「阿蘭陀艸(オランダソウ)」の名や「オランダ人が箱根で採ってから,初めて産後産前の諸症状に効くこの薬草の事が分かった」との記述があるので,ケンペル以前に来日した西欧人が関与していると思われる(前記事).
また,ハコネシダ(虎の尾,小鳳尾艸,石長生)の蠻名として「カツテイラ」「ヘンネレス」「カツヘレサウ」「へねれんさう」が記録されているが,これは,ホウライシダの古いラテン名の“capillus-veneris”(ビーナスの髪)の前半・後半に由来すると考えられる.どのような経緯でこの名が,比較的早く知られたのかは不明.
ハコネシダは薬草として箱根の土産物にもなった(「七湯の枝折」(1861))が,一年中小型の可愛い葉が美しい緑を保ち,繊細な茎が漆を塗ったように光沢がある事から,『地錦抄』(1695),『広益地錦抄』(1719)で高く評価されたように,観葉植物としても育てられた.
貝原益軒★『大和本草』(1709)には,石長生,ハコネソウに関連する三種の植物の記述がある.その中で,「石長生」は「シノブ」と考定し,「箱根草」は万葉集にも詠われた「和草(にこくさ)」と,またオランダ人が薬効あるとした「箱根草」に似てより小さい種を「虎の尾」として,蠻語で「カツテイラ」「ヘンネレス」と言うと記した.更に万能薬とされていた「ウニカウル」(イッカクの角)に加えると,婦人薬として効果があるとした.
松岡玄達の★『本草綱目記聞』(1712以前)では「石長生」がハコネクサに考定されているが,別項で「鳳尾草」は「かつへらさう」であるとし,同人★『用薬須知』(1712)では,ハコネシダは「小鳳尾艸」の名で記載され,蠻名は「カツヘレサウ」で「嚏噎ヲ治ス」との薬効があるとされた.
★寺島良安『和漢三才図会』(1712頃)には,箱根草,石長生,虎尾草が項目としてあり,「箱根草」には「オランダ人が薬効があると言った」事が,「石長生」には,ホウライシダのラテン名由来の「かつへらさう・へねれんさう」の別名が記された.
江戸・染井の植木屋★伊藤伊兵衛三之丞・政武父子『地錦抄』(じきんしょう)シリーズは,1.『花壇地錦抄』(三之丞著,5冊,1695年刊),2.『増補地錦抄』(政武著,8冊,1710年刊),3.『広益地錦抄』(政武著,8冊,1719年刊),4.『地錦抄附録』(政武著,4冊,1733年刊)の4点が順次刊行された.
★『花壇地錦抄』(三之丞,1695)の「四季草花之巻五 葉ノ見事ナル類」に
「箱根草(はこねくさ)こまかに見事なる草立之莖ハ成程
細ク其色漆をぬるがことし相州箱根山ニ多し
阿蘭陀(オランダ)人江城参上ノ時箱根にて是を取産後産
前の諸疾に妙也卜云一名阿蘭陀草共云ト本草瓣
疑に見ゆ」とある.
また,栽培法として「はこね草 野土ニ植ル日かげの木の下ニ植えてよし」とあり,薬草としてのみならず,園芸草本としての価値も高く認められている.
★『広益地錦抄』(政武,1719)の「巻之五 藥草五十七種」には,
「阿蘭陀草(おらんださう) 葉こまかに付
小草なり巠
ほそく極テ黒クして黒漆(コクシツ)を
ぬるがごとくしだれて見事
花はさかず葉乃ながめ
ある事花にかへたり
所々深山岩窟(ジンザンガンクツ)に生藥に
箱根山成ルを用異名を
はこね草と云婦人の
産後産前の諸疾(シツ)に
せんじ用て妙なりと云」と,阿蘭陀草を本名として,花は咲かないが枝垂れた様は見事で,素晴らしいと褒めている.
儒学者として名高い貝原益軒(1630 - 1714)は,動植物にも関心が深く,著作には『大和本草』のほか,『花譜』『菜譜』があり,『筑前国続風土記』や多数の紀行書にも博物誌的記述が少なくない.★『大和本草』(1709)の「巻之九 草之五 雑草類」には,
「石長生(シノフクサ) 莖黒ク或紫色細莖ナリ葉似レ蕨又似レ檜四
時不レ凋マ多ハ生二石岩ノ下ニ一又生二山陰ニ一苗ノ高尺許今按ニ本
草弘景時珍所レ説ノ石長生ノ形-狀ヨクシノフニ合ヘリ
〔和品〕和草(ニコクサ)
藻鹽草ニ曰爾許(ニコ)草ハ萬葉ニハ和(ニコ)草トカケリ花モ
葉モコマカナリアヲ根トモ古歌ニヨメリ○篤信云和(ニコ)-草
是俗ニ云ハコ子草ナルヘシ箱根草ハシノフニ似テ小ナリ
葉細シ莖紫-色光アリ莖硬シ又黒色ナルモノアリ相州
箱根山ニ多シ他州ニモ岩-上古-墻石壁ナトニ生ス
〔和品〕虎ノ尾
小草ナリ箱根草ヨリ細ニシテ柔ナリ最美(ウルワシ)箱根艸
ニ相似テ不レ同蠻語ニカツテイラトモヘン子レストモ云狀
如レ此産後ニ紅夷人コレヲ用ユ日本人ハ四物湯ト等
分ニ合セ産前後ニ用テ
驗アリカゲホシスル又
膈症ニ此草ヲアメンタウス
氷沙糖三種等分ニ合セ服ス甚驗アリシノフハコ子草
虎ノ尾三物相似テ不同三才圖会草木五曰地-柏
根レ黄ニ狀如レ絲ノ莖細ニシテ上有二黄點子一無レ花葉三月ニ生ス長サ
四五寸許四月ニ採リテ暴レ乾用ユ主臓ノ毒下-血フ一神速○今
按此亦石長生之類歟」とある.この「カツテイラ」及び「ヘン子レス」は,ホウライシダの古いラテン名であり,後にリンネによって種小名に採用された
“capillus-veneris”(ビーナスの髪)の前半・後半に由来すると考えられる.これらの名は,ハコネシダの別名とされているので,益軒の云「虎の尾」はハコネシダと考えられる.また,紅夷人由来の婦人薬としての処方と,『本草綱目』由来の薬効の両方が記されている.
さらに,「巻之十六 獸類」の項には
「ウニカウル 蠻語ニ一角ヲウニカウル云是一獸ノ角ナリ
其獸ノ名シレズ犀角ノ類ナルヘシ蠻國ヨリ來ル俗ニ
稱スル處ノ功能ヲコヽニ記ス○解二諸毒及酒毒ヲ一就クレ中ニ
能解ス二魚毒菌毒ヲ一○食傷ニハ水ニテ用○傷寒ノ熱ニ○
水ニ溺死ニ水ニテ服ス姉人血積痛○産前後難
産腹痛箱根草ノ末ニ加用○咽痛甚シク飲水不ニ
レ通セ○(以下略)」とあり,イッカクの角の粉末をハコネソウ末に加える処方がある事を記録した.
松岡玄達 『本草綱目記聞』(1712以前)には
「鳳尾草 凢呼鳳尾草者三種貫衆一名鳳尾草
金星草一名鳳尾草別一種載千群芳譜有大葉鳳尾
草貫衆類也与?別也有小雉尾草大蕨ノ類也一根
数十茎四散スルモノヲ鳳尾草ト云小ナルモノハカツヘル草也小鳳
尾草蛮名カツヘレサウ用■(膈の月を口)噎之ヲ治ス巴旦杏鳳尾草氷
砂糖甘草細末而練蜜ニテ用甚有功ト云フ」とあり,また,同人の『用薬須知』(1712)には
「小鳳尾艸 蠻名カツヘレサウ 蠻人ノ傳ニ多ク用イテ嚏噎
ヲ治ス
巴且杏(アメントウ)鳳尾草 氷砂糖(コホリサトウ)甘艸 細末シテ蜜ニテ煉
用ルニ間有レ効ト云
又大葉ノ鳳尾アリ貫衆ノタグ
ヒノ通名ナリ
此ト別ナリ
小雉尾草モアリ
犬ワラビノ類ヲ
指ス
一根數十莖ニシテ四モニ散ズル者ヲ鳳尾艸ト云
小
ナルモノハカツヘレ艸ナリ」なりとあり,氷砂糖と甘草との配合剤の処方が載る..
江戸期の絵入り百科事典として著名な★寺島良安『和漢三才図会』(1712頃)の「九十二末 山草」の部に
「箱根草(本名未詳)
△按ズルニ,箱根草ハ相州箱根山ニ之レ有リ.小草ニシテ苗ノ高サ六,
七寸,細キ茎褐色,葉ノ形ハ銀杏(ギンナン)ノ葉ニ似テ小サク,其ノ根ハ細ク,
糸ノ如クシテ短シ.未ダ其ノ本名ヲ知ラズ.相伝ヘテ云フ,能ク産前
産後ノ諸血症及ビ痰飲ヲ治ス.往年阿蘭陀人之レヲ見テ良草有ルト称
ス.請ヒテ之レヲ採リ得テ,甚ダ以ッテ珍ト為スト云フ.」とあり,また「九十八 石草」の部には,
「石長生(かつへらさう・へねれんさう)(シツチヤンスエン)
丹草 丹沙草 〔俗に加豆閉良草とも,閉禰連牟草〕
本綱,石長生ハ石巌ノ下ニ生ズ.葉ハ蕨ニ似テ細ク,竜須ノ如ク,色
ハ檜ニ似テ沢勁ニ,茎ハ紫色,高サ尺余,余草ト襍(マジハ)ラズ四時凋マズ.
茎葉(鹹,微寒,小毒アリ) 寒熱ヲ治シ,諸風ヲ逐ヒ,疥癬ヲ治シ,
邪魅ヲ辟(サ)ク.
△按ズルニ,石長生ハ渓澗井石ノ間ニ生ズ.状蕨ニ似テ,面(メン)背青ク,
夏ニ背ニ子ヲ着ク.茶褐色ニテ虎尾草ノ子ノ如ク,茎ハ紫黒,折傷及
ビ痰咳,隔噎ノ薬ト為ス.」
「虎尾草(とらのを) 俗稱〔正字未考〕〔止良乃於〕〔濕草ニ同名アリ〕
△按ズルニ,虎尾草ハ石縫ノ間及ビ竹藪ノ中ニ生ズ.葉ハ大葉ノ蕨(ワラヒ)ノ
葉ニ似テ,甚ダ厚ク硬(コワ)ク微カニ反リ,枝椏無ク,其ノ背ニ茶褐色ノ粉
點有リテ花實無シ.彼ノ粉點ハモシ是レ子ト為ルカ.其ノ散ジ布ク処
逈(ハル)カニ二三尺ヲ隔テ,亦タ自然ニ出生ス.一茎僅カニ寸許リ,頂(イタダキ)ニ一
葉有リ.蕎麦ノ葉ニ似テ微カニ三稜ヲ成シ,尋(ツイ)イデ二葉ト爲ル.此ノ
時虎ノ尾草ノ苗ト云フヲ織ル音無シ.終ニ茎葉全ク備ハル.亦一異也(ナリ).人家ニモ亦タ之レヲ栽ウ.」(原文は何れも漢文)とある.
良安は,「箱根草」と「石長生」を別種とし,オランダ人の関与と蕃名とを振り分け,薬効も前者には婦人薬,後者には『本草綱目』のそれを記した.
(続く)