2024年7月19日金曜日

ムギセンノウ(7) Agatha Christie “HOW DOES YOUR GARDEN GROW?” 『あなたの庭はどんな庭?』

 「ミステリーの女王」と称されるアガサ・クリスティー(Agatha Christie, 1890 - 1973)は,幼いころから親しんだ英国の童謡 “Nursery rhyme (Mother Goose)” をモティーフにした小説を幾つか著わしている.その中には,歌詞に沿った犯罪が起こる小説もあるし(“And Then There Were None” 『そして誰もいなくなった』),単に題名に使ったもの(“Hickory Dickory Dock” 『ヒッコリーロードの殺人』)もあるが,“HOW DOES YOUR GARDEN GROW?”『あなたの庭はどんな庭?』では,ポアロが訪問先の庭をみて思い出した英国の童謡 Mistress Mary, quite contrary” が犯罪の解明につながる.

“HOW DOES YOUR GARDEN GROW?” は,1935 年に “the Ladies Home Journal” で発表され,1939 年にアメリカで短編集 “The Regatta Mystery and Other Stories” に,1974 年に英国で短編集 ”Poirot’s Early Cases” に収載された.邦訳は何篇かあるようだが,中村妙子訳が『クリスティー短篇集10 黄色いアイリス』早川書房 (1980) に『あなたの庭はどんな庭?』の題名で収められている(以下和文の引用はこの翻訳に依る).また,1991 年にはTVドラマ化されている.TVドラマは,原作より大分ストーリーが盛られているが,それなりに面白い.(以下,ネタバレあり)

原作では,エルキュール・ポアロ(Hercule Poirot)が,老婦人ミス・アミーリア・バロウビー(Miss Amelia Barrowby)から,321日付けの調査依頼の手紙を受け取る事から始まる.その後すぐにこの老婦人の死亡記事を秘書のミス・レモン(Miss Felicity Lemon)が新聞紙上で見付けた事から,ポアロは不審におもい,バッキンガムシャー,チャーマンズ・グリーンの「ローズバンク荘」という彼女の屋敷を訪問する事とした.死亡を知らないふりをして来訪を連絡すると.同居していた姪の,メアリー・デラフォンテーン(Mary Delafontaine)からは断りの手紙が届いた.しかし旅行中で受け取らなかった事として,ポアロはローズバンク荘を訪れた.玄関までの前庭の小道を,美しく整えられた花壇を観賞しながら歩いて行ったポアロは,何事もきちんとしていなければ気になるので,花壇の縁取りに違和感を覚える.そして,童謡の Mary, quite contraryを思い出す.

“Rosebank was a house that seemed likely to live up to its name, which is more than can be said for most houses of its class and character.
Hercule Poirot paused as he walked up the path to the front door and looked approvingly at the neatly planned beds on either side of him. Rose trees that promised a good harvest later in the year, and at present daffodils, early tulips, blue hyacinths — the last bed was partly edged with shells.
  Poirot murmured to himself, ‘How does it go, the English rhyme the children sing?

   ‘Mistress Mary, quite contrary,
   How does your garden grow?
  With cockle-shells, and silver bells.
  And pretty maids all in a row.

  ‘Not a row, perhaps,’ he considered, ‘but here is at least one pretty maid to make the little rhyme come right.’
  The front door had opened and a neat little maid in cap and apron was looking somewhat dubiously at the spectacle of a heavily moustached foreign gentleman talking aloud to himself in the front garden. She was, as Poirot had noted, a very pretty little maid, with round blue eyes and rosy cheeks.”

「ローズバンク荘はその名にふさわしい花の咲き乱れる家だった。この程度の民家としては、これはなかなか大したことだ。
 エルキュール・ポアロは玄関へ通じる小径を歩きながらおりおり立ち止って両側の花壇を感に堪えぬように眺めた。いずれもよく計画されて作られている。もっと後の開花を約束しているばらの木もあったが、らっぱ水仙、早咲きのチューリップ、青いヒヤシンスといった花々がいまを盛りと咲いていた。花壇の一つは一部、貝殻で縁どられていた。
 ポアロはひとりごとのようにつぶやいた。「子どもたちがよく歌うあのイギリスの童謡はどういう文句だったっけ?

  つむじまがりのメアリーさん
  あなたの庭はどんな庭?
  トリガイの殻、銀の鈴
  きれいなねえさん、ひとならび

 ひとならびじゃあないが、すくなくとも歌の文句通りに、きれいなねえさんが一人、出てきたぞ」
玄関のドアがあき、キャップとエプロンをつけた小ざれいなメイドがポアロを少々うさんくさげな表情で眺めた。外国人らしいが、口ひげを蓄え、庭の前に立って何やらぶつぶついっている,何とも妙な人だと思っているようだった。このメイドはつぶらな青い目とばら色の頬の、じっさいなかなかきれいな娘だった。」

メアリー・デラフォンテーンからは調査は断られたものの,地元警察の刑事の話から,老婦人はストリキニーネの大量摂取で殺害された.ただ夕食に女中が用意した食物はいずれも薄味で,致死量のストリキニーネを混入したら,到底飲み込めない味になってしまうという事が分かった.被疑者になったのは,ロシア系で,老婦人の看護婦兼付き添いを務めていたカトリーナ・リーガー(Katrina Rieger)で,彼女が与えた消化剤のカプセルに毒物が含まれている可能性が指摘された.
 しかし,ポアロは,花壇に置かれた牡蠣の殻の数が少なく,縁取りの役目をはたしていない事から,噛まずに飲み込む牡蠣の身で,ストリキニーネを包んで摂取させたと見破った.秘書のミス・レモンの協力で,メアリーが地元の鮮魚店で牡蠣を一ダース半購入した事を突き止め,自白に追い込んだ.園芸好きメアリーは,蛎殻の始末に困り,縁取りとして花壇に並べたのであった.

"Hercule Poirot betook himself to Rosebank. As he stood in the front garden, the sun setting behind him, Mary Delafontaine came out to him.
‘M. Poirot?’ Her voice sounded surprised. ‘You have come back?’
‘Yes, I have come back.’ He paused and then said, ‘When I first came here, madame, the children’s nursery rhyme came into my head:
  ‘Mistress Mary, quite contrary,
  How does your garden grow?
  With cockle-shells, and silver bells,
  And pretty maids all in a row.
‘Only they are not cockle shells, are they, madame? They are oyster shells.’ His hand pointed.
He heard her catch her breath and then stay very still. Her eyes asked a question.
  He nodded. ‘Mais, oui, I know! The maid left the dinner ready — she will swear and Katrina will swear that that is all you had. Only you and your husband know that you brought back a dozen and a half oysters — a little treat pour la bonne tante. So easy to put the strychnine in an oyster. It is swallowed — comme ça! But there remain the shells — they must not go in the bucket. The maid would see them. And so you thought of making an edging of them to a bed. But there were not enough — the edging is not complete. The effect is bad — it spoils the symmetry of the otherwise charming garden. Those few oyster shells struck an alien note — they displeased my eye on my first visit.’
(中略)
Hercule Poirot said slowly, ‘I think, madame, that you have cared in your life for two things only. One is your husband.’
He saw her lips tremble.
‘And the other — is your garden.’
He looked round him. His glance seemed to apologize to the flowers for that which he had done and was about to do.”

「ポアロはローズバンク荘に行った。前庭にたたずむ彼の背後で、夕日が沈みつつあった。メアリー・デラフォンテーンが出てきた。
「ポアロさんですの?」意外そうな声音だった。「またいらしたんですか」
「はい、またうかがいました」とちょっと言葉を切ってから続けた。「はじめてこちらにうかがいましたとき、マダム、私の頭にはある童謡が浮びました。
  つむじまがりのメアリーさん
  あなたの庭はどんな庭?
  トリガイの殻、銀の鈴
  きれいなねえさん、ひとならび
 ただこの場合はトリガイではなかったのです。カキの殻だったんですよ」と指さした。
 はっと息を呑む音が聞えただけで、ミセス・デラフォンテーンは黙って立っていた。物問いたげな目がポアロに向けられていた。
 ポアロはうなずいた。「そうです。私にはなにもかもわかっています。メイドは食事を用意して出かけた - 彼女も、カトリーナも、夕食に出たのはそれだけだと断言するでしょう。あなたがたご夫婦だけが知っている。あなたが、一ダース半のカキを買って帰ったということをね -
叔母さまへのご馳走として。カキは噛まずにのどを通るから、ストリキニーネを入れやすい。しかし、殻が残る。ごみバケツにいれるわけにはいかない。メイドが気がつくでしょうから。
 それであなたは、花壇をそれで縁どることを思いついた。しかし、あいにく数が足らず - ぐるっと隈なく縁どるわけにいかなかった。当然、見てくれがよくない - まったく非の打ちどころがない庭がその花壇だけ、シンメトリーを欠いて見えた。あの貝殻は不協和音を打ち出していました - はじめてうかがったときに、私はこれは感心しないと思ったんですよ」
(中略)
 エルキュール・ポアロはゆっくりいった。「あなたは、マダム、一生涯、ただ二つのものだけを愛してこられた。まずご主人」
 相手の唇がわなわなと震えるのをポアロは見た。
 「それから - あなたの庭と」
 ポアロはまわりをぐるっと見まわした。たったいま彼がやったこと、これからしようとしていることに対して、庭の花々にゆるしを乞うかのように。」

メアリーが逮捕されると,この庭を世話する人が居なくなってしまう.引退したら装飾用のオモチャカボチャ*1vegetable marrow, Cucurbita pepo L.)を育てたいと考えている園芸好きのポアロは,美しく咲いているメアリーの庭の花々に詫びたのであろう.

TVドラマでは,


①ポアロ(David Suchet)は老婦人(Margery Mason)とチェルシーのフラワーショーで遭遇し,その時にストック*2の空の種袋を渡される.
②手紙に書かれていた「ローズバンク荘」の住所はバッキンガム州ではなく,Charman's Green, Surrey (サリー州チャーマンズ・グリーン)となっている.
③時節は3月ではなくフラワーショーが開催される 5月.従ってメアリー(Anne Stallybrass)の庭に咲く花もバラやデルフィニウムやニコチアナなど夏の花-2, 4
④老婦人が人を呼ぶためのベル(silver bell)が,花壇に埋められているのをポアロが発見.より童謡に近くなる-2, 3
⑤ソ連大使館の職員(Nicholai: Peter Birch)がカトリーナ(Catherine Russell)と恋仲で,スパイ活動らしい怪しい行動をとる.
⑥最初の訪問からミス・レモン(Pauline Moran)が同道し,その日のうちに大団円を迎える -2
⑦原作には登場しないヘイスティング大尉(Captain Arthur Hastings: Hugh Fraser)やジャップ主任警部(Inspector Japp: Philip Jackson)が活躍?.
⑧追い詰められたメアリーが自殺を図って飲んだ除草剤(WEED-KILLER)の容器の中身は,夫(Henry Delafontaine: Tim Wylton)が隠れ飲みをしていたウィスキーで,自殺は未遂に終わる.
  等が異なるが,それなりに見ごたえがあって面白い.

1*:『ビッグ・フォー』の最後で言及,『アクロイド殺人事件』では実践中
2*
:空のストック Stock (Matthiola incana) の袋は,姪夫婦に大切な「貯え」或は/及び「株」を横領され,空に近くなった事の隠喩的メッセージか?


オモチャカボチャ 左よりRevue horticole, sér. 4 (1852-1974), Van Houtte, Fl. Serres, vol. 12 (1857)Rev. Hort. (Paris), ser. 4 vol. 66 (1894)

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