2024年9月27日金曜日

ムギセンノウ-13-2-2. シェイクスピア『リア王』-3,雑草の王冠-2 Fumiter-2, カラクサケマン-2 ディオスコリデスとプリニウス

① Dioscorides, P., De materia medica (Codex Vindobonensis, ウィーン写本) (512), p. 156. cited name: kapnos e korudallion Diosc.
ヴィンドボネンシスは,古代ギリシャの医師ディオスコリデスによる本草書『薬物誌』のギリシャ語の写本である.西ローマ帝国の皇女であった貴婦人アニキア・ユリアナに捧げるために,512年から520年のいずれかの年にコンスタンティノープルで作成された.現在ウィーンのオーストリア国立図書館に収蔵されている.
② Dioscorides, P., De Materia Medica (Codex Neapolitanus) (620), t. 46 f. 2. cited name: KAPNOS E KORUDALION
ディオスコリデスによる本草書『薬物誌』に挙げられた植物の画を記した,ナポリで作成された手稿本
③ Mattioli, P.A., Cibo, G., “De materia medica” (1564-1584), t. 121. イタリアで出版された,マッティオリの記述文に,当時の有名な植物画家 Gherardo Cibo (1512 − 1600) が挿絵を描いたディオスコリデス本草書『薬物誌』の解説書.

 英国の大文豪,W. シェイクスピアW. Shakespeare, 1564 - 1616)の三大悲劇の一つ.古代ブリテン王国を舞台にした『リア王』では,三人の娘の上二人の甘言に騙され,領土を相続させたリア王が母国を追放された.彼に勘当され,フランス貴族に嫁した末娘,コーディーリアが王権と領土回復のためにイングランドに侵攻し,狂気の内に彷徨うリア王を探す.リア王は失った王冠の代りとして小麦畑に生育する雑草を頭にかぶっている.この雑草の王冠を構成する草のひとつが,Fumiter である. シェイクスピアの戯曲では,他に史劇『ヘンリー五世』(第五幕第二場)に,英国とフランスの長年の戦争で,田園が荒れ果てたことを嘆く重臣のセリフに,ドクムギとともに Fumitory として現れるのみ.

The Tragedy of King Lear
Act IV Scene IV

CORDELIA       Alack, 'tis he: why, he was met even now
   As mad as the vex'd sea; singing aloud;
   Crown'd with rank fumiter and furrow-weeds,
   With hardocks, hemlock, nettles, cuckoo-flowers,
   Darnel, and all the idle weeds that grow
   In our sustaining corn. A century send forth;
 この Fumiter が,和名カラクサケマンと言われる Fumaria officinalis L.(英俗名 Fumitory, 希臘語名 Capno 等,羅甸名 Fumus terræ 等)であることで,研究者の見解は一致している.このカラクサケマンは欧州ではギリシャ・ローマ時代には既に薬草として知られ,欧州の本草書には古くから記録され,現在の欧州連合の薬局方(EP)及びスペインなどヨーロッパの数国の薬局方にも収載されている.

古代ギリシャの★テオフラストス(Theophrastus,紀元前371 紀元前287年)著『植物誌』および『植物原因論』(Enquiry into Plants)内には関連する植物は見いだせなかった.

 古代ギリシャの★ペダニウス・ディオスコリデスPedanius Dioscorides, 40 - 90) 著『薬物誌』“De Materia Medica libriquinque 通称 Materia Medica(紀元1世紀)の第四巻110項には,
  T. A. Osbaldeston “DIOSCORIDES DE MATERIA MEDICA” IBIDIS PRESS (2000)
“4-110.
KAPNOS
  Capnum is a very tender shrubby little herb similar to coriander, but the many leaves are paler and the colour of ashes everywhere. The flower is purple; the juice sharp — quickening the sight, inducing tears — from which it received this name. Smeared on with gum, it is able to stop hairs pulled from off the eyebrows from growing again. The herb (eaten) expels bilious urine. It is also called corydalion, coryon, corydalion sylvestre, capnos that is among barley, capnites, marmarites, capnogorion, chelidonion parvum, peristerion, cantharis, or caliocri; the Romans call it apium, some, fumaria, the Egyptians, cynx, and some, tucis.”

★鷲谷いづみ訳『ディオスコリデスの薬物誌』エンタプライズ 1983/05 出版)
「第4巻 薬草類と根類
110
KAPNOS Fumaria parvifolia 
ケシ科カラクサケマン属の植物フマリア(Fumaria)は,小さ目の低木状の薬草で,コエンドロに似ており,とても柔らかい.葉はコエンドロに比べれば白っぽく,灰のような色をしており,数が多く,いろいろな部分についている.花は紫色である.搾り汁は刺激性で,視力を回復させ,涙を出させるのでこのような名称がある.ゴムと混ぜて塗れば,眉毛の脱毛を防ぎその再生を促す力がある.この薬草を食べると,胆汁の混入した尿を排出する.
  異名注 CorydalionCoryonlCorydalion sylvestreなどの異名がある.オオムギに混ざって生育するものをCapnos2と呼ぶ者もある.Capnites Marmarites3Capnogorion4ChelidonionparvumPeristerion5CantharisCaliocriなどとも呼ばれる.ローマ人はApiumと呼ぶ.Fumariaとも呼ばれる.エジプト人はCynxと呼ぶ.Tucisの異名もある.
    (l)小さい人形(ギ)2)燻(ギ)3)きらめくもの(ギ)4)激しく出る煙(ギ)5)小鳩(ギ)

と,カラクサケマンと考定される薬草 “KAPNOS” が記載され,視力回復・眉毛の育毛,胆汁排泄の薬効があるとしている.この薬効は近世まで受け継がれた.なお上記訳書の「ゴム」は「樹脂」の方が適切ではないかと思われる.

帝政時代の古代ローマの博物学者★プリニウスGaius Plinius Secundus, 22 / 23 79)著『博物誌』“Naturalis historia(77 -) は全37巻の百科全書的な大著であり,100人の著者によるおよそ2000巻の本からえらびだした2万の重要な事項が収録されている.
 この叢書のBook XXV. The natures of self-grown plants ; value of plants. には二種のカラクサケマン属の植物が記載されている.また,Book XXVI. “The remaining drugs by classes.” には,これらの植物の薬効が追加記述されている.この二種の内一つ Capnos truncaCapnos trunca)はオランダエンゴサク(Corydalis solida var. digitata)と,もう一つの Capnos fruticosabushy capnos)はカラクサケマン(Fumaria officinalis)とそれぞれ考定されている.

H. Rackham “Pliny Natural History The Loeb Classical Library (1949)
“Book XXVI
XCVIII.
Capnos trunca,c the popular name of which is chicken's feet, growing among ruins and on wall-banks, has very slender branches which are far apart, a purple flower and green leaves ; its juice disperses films, and so it is an ingredient of eye salves.
 c : "Lopped" or "maimed fumitory," in contrast with the capnos fruticosa of § 156.

XCIX. Similar both in name and in its properties, though a different plant, is the bushy capnos, which is very delicate, and has the leaves of coriander, the colour of ashes, and a purple blossom. It grows in gardens and crops of barley. Used as ointment for the eyes it improves the vision and, like smoke, produces tears, and to this fact it owes its name.a It also prevents eyelashes that have been pulled out from growing again.
 a : The Greek for smoke is καπνός”

“Book XXVI.
Those who have eaten the plant called capnos (smoke) pass bile in their urine.
Capnos trunca also carries away bile.”

★大槻真一郎編『プリニウス博物誌 植物薬剤篇』八坂書房 (1994)
「第二五巻  野草の薬効
九八 カプノス・トルンカ
 カプノス・トルンカ(「枝を切られたカプノス」の意。ケシ科キケマン属)はぺデス・ガリナキイ(「鶏の足」の意)と呼ばれる植物で、廃墟や垣に生えている。枝はとても細くてまばらで、花は紫色をしている。その緑色の汁*は目のくもりを取り除く。それゆえにこれは眼薬に混ぜられる。*英訳では「緑色の」は green leaves と葉の色を示す.

九九 カプノス・フルティコサ
カプノス・フルティコサ(「枝を繁らせるカプノス」の意。ケシ科フマリア属)は名前も効能もカプノス・トルンカに似ているが別の植物である。これはとても柔弱で、葉はコエンドロに似ており、灰色で、花は紫である。これは庭やオオムギ畑に生える。これを眼に塗ると視力がよくなり、煙のように涙を出させる。その名はこれに由来する(ギリシア語カプノス「煙」より)。これは抜いたまつげが再び生えるのを防ぐ。」

第二十六巻 VII 身体各所の病気に効く薬草 
35
カプノスという植物を食べた人は尿を通じて胆汁を排出する。
36
カプノス・トルンカ(ケシ科キケマン属)もまた粘液*を排出する。」*英訳では Bile.即ち胆汁 とある.

ディオスコリデスの “KAPNOS”とプリニウスの “Capnos fruticosa” の記述を比較すると,名前の由来「眼に塗ると煙 (καπνός) のように涙を出させる」故や,性状の「コエンドロに似ていて,花は紫」及び「視力増強,胆汁排泄」の薬効は一致するが,ディオスコリデスでは「眉毛の再生促進」,プリニウスでは「抜いた睫毛の再生を防止」と一見逆の作用のように思われるのが興味深い.当時睫毛を抜く美容法があったのだろうか.

Capnos trunca, オランダエンゴサク(Corydalis solida (L.) Clairv.)の Antique Botanical Prints


① R. Dodoens, “Stirp. Hist. Pempt.” p. 325, fig. 2 (1583)
② Oeder, G.C., “Fl. Dan.”, vol. 4 (1771-1777), t. 605
③ Thomé, O.W., “Fl. Deutschl”, vol. 2 (1885), t. 263
④ Masclef, A., “Atlas Pl. France”. vol. 2 (1890-1893), t. 25
     続く


2024年9月23日月曜日

ムギセンノウ-13-2. “KING LEAR”-2,シェイクスピア『リア王』-2,雑草の王冠-1 Fumiter カラクサケマン-1


Fumaria officinalis from Plantillustration.com & BHL

  Mattioli, P.A., Cibo, G., “De materia medica” (1564-1584), t. 121
 
Palmstruch, J. W., “Svensk Botanic” vol. 1 (1815), plate 42.
 
Smith, J.E., “Engl. Bot.”, ed. 3, vol. 1 (1863), t. 76
 
Perrin-Robins, I.S., “Brit. Fl. Pl.”, vol. 2 (1914), t. 89

 英国の大文豪,W. シェイクスピアW. Shakespeare, 1564 - 1616)の三大悲劇の一つ.古代ブリテン王国を舞台にした『リア王』では,三人の娘の上二人の甘言に騙され,領土を相続させたリア王が母国を追放された.彼に勘当され,フランス貴族に嫁した末娘,コーディーリアが王権と領土回復のためにイングランドに侵攻し,狂気の内に彷徨うリア王を探す.リア王は失った王冠の代りとして,小麦畑に生育する雑草を頭にかぶっている.この雑草の王冠を構成する草のひとつが,Fumiter である. シェイクスピアの戯曲では,他に史劇『ヘンリー五世』(第五幕第二場)に,英国とフランスの長年の戦争で,田園が荒れ果てたことを嘆く重臣のセリフに,ドクムギとともに Fumitory として現れるのみ.

The Tragedy of King Lear
Act IV Scene IV

CORDELIA       Alack, 'tis he: why, he was met even now
   As mad as the vex'd sea; singing aloud;
   Crown'd with rank fumiter and furrow-weeds,
   With hardocks, hemlock, nettles, cuckoo-flowers,
   Darnel, and all the idle weeds that grow
   In our sustaining corn. 

 この Fumiter は,和名カラクサケマンと言われる Fumaria officinalis L.(英俗名 Fumitory, 希臘語名 Capno 等,羅甸名 Fumus terraæ 等)であることで,研究者の見解は一致している.このカラクサケマンは欧州ではギリシャ・ローマ時代以前から薬草として知られ,古くから欧州の本草書に記録され,現在のヨーロッパ薬局方(EP)にも収載されている.日本では明治後期には渡来したとされ,また北海道では帰化している(清水矩宏ら『改訂 日本帰化植物写真図鑑』全国農村教育協会(2008)).

この戯曲の和訳での Fumiter は,ほぼカラクサケマンで一致しているが,黄色いマーカーの訳には植物名としては疑義がある.
Fumiter:①延胡索(エンゴサク)の類、ミヤマケマン属の草,②カラクサケマン,③えんごさく,④伸び放題の雑草,⑤カラクサケマン,⑥カラクサケマン,⑦華鬘草(けまんそう)  この中で,④はカラクサケマンの性状から訳しているのだろうが具体性に欠け,⑦はタイツリソウとも呼ばれる中国原産の美しい花で,シェイクスピアの時代には英国には入っておらず(1840 年代に移入),リヤ王の雑草の冠としてはきらびやかすぎる.
  
①坪内道遥訳『ザ・シェークスピア-全戯曲(全原文十全訳)全一冊,改訂新版』第三書館(1999 
   ②三神勲訳『リヤ王』世界文学全集1シェイクスピア 河出書房新社(1969 
  
③小津次郎訳『リア王』(筑摩世界文学大系16,シェイクスピアI)筑摩書房(1972 
  
④小田島雄志訳『リア王』シェイクスピア全集 u-28 白水社(1983 
  
⑤熊井明子『シェイクスピアのハーブ』誠文堂新光社(1996 
  
⑥松岡和子訳『リア王』シェイクスピア全集 5 ちくま文庫(1997 
  
⑦野島秀勝訳『リア王』岩波文庫 205-1 岩波書店(2000

カラクサケマンFumaria officinalis)は,ケシ科(Papaveraceae),ケマンソウ亜科(Fumarioideae),カラクサケマン属(Fumaria)の1年生,あるいは2年生の草本で,草丈 60-100 cm に伸び,春から夏にかけて,赤紫色の筒状の花を房のようにつける.細く柔らかい茎が簇生する様子は,地面から立ち上る煙,或はその汁を点眼した場合涙を流す様子を煙に遭った場合に例えられ,欧州言語の植物名はそれに由来する.欧州では,穀類の畑の雑草として嫌われてもいるが,ディオスコリデスプリニウスの著作では薬草とされ(次記事),現代まで認められている.ケマンソウ亜科(Fumarioideae)はかつて,クロンキスト体系で,独立したケマンソウ科(Fumariaceae)とされていた.

 日本産の類似している植物としては,旧ケマンソウ科のムラサキケマン,ジロボウエンゴサク,キケマン等が野草としてみられる.また旧科名の基となった移入園芸植物のケマンソウが庭園で栽培されている.

日本で普通に見られる類縁種
 
①ムラサキケマン(Corydalis incisa)茨城県南部
 
②ジロボウエンゴサク(Corydalis decumbens)茨城県南部
  ③ミヤマ
キケマン(Corydalis pallida var. tenuis)宮城県西部
  ④ケマンソウ(Lamprocapnos spectabilis, basion.: Fumaria spectabilis)宮城県植栽

2024年9月16日月曜日

ムギセンノウ (13). “Darnel” in W. Shakespeare’s play. “KING LEAR”-1,シェイクスピア『リア王』-1,雑草の王冠 植物の和訳


 英国の大文豪,W. シェイクスピア(W. Shakespeare, 1564 - 1616)の著作には多くの植物が登場するので,それに関して数多くの研究書が著され,またそれらの植物を栽培・展示する「シェイクスピア・ガーデン」が運営されている.

 かれの著作には,“Darnel” が三作品に各一度登場する.一つは三大悲劇の一つ「リア王  “KING LEAR”」(16051606, 1608),もう二つは史劇「ヘンリー五世  “THE LIFE OF HENRY THE FIFTH”」(1599年の初め,1599, 1599),及び「ヘンリー六世第一部  “THE FIRST PART OF KING HENRY THE SIXTH” 1588 - 1590),で,何れも登場人物のセリフの中に,有用な小麦に対する有害無益な悪性雑草として語られている.これらの戯曲中で Darnel がどのようにかたられているか,戯曲の年代順にみてみよう.
 年代として最も古いのは,古代ブリテン王国を舞台にした『リア王』である.三人の娘の上二人の甘言に騙され,領土を相続させたリア王が母国を追放される.フランス貴族に嫁した末娘,コーディーリアが王権と領土回復のためにイングランドに侵攻し,狂気の内に彷徨うリア王を探す.リア王は失った王冠として小麦畑に生育する雑草を頭にかぶっている.この雑草の王冠を構成する草の内に,ドクムギ(Darnel)がある.

 ACT IV SCENE IV        The same. A tent.

[Enter, with drum and colours, CORDELIA, Doctor, and Soldiers]

CORDELIA       Alack, 'tis he: why, he was met even now
   As mad as the vex'd sea; singing aloud;
   Crown'd with rank fumiter and furrow-weeds,
   With hardocks, hemlock, nettles, cuckoo-flowers,
   Darnel, and all the idle weeds that grow
   In our sustaining corn. A century send forth;
   Search every acre in the high-grown field,
   And bring him to our eye.
   [Exit an Officer]
   What can man's wisdom
   In the restoring his bereaved sense?
   He that helps him take all my outward worth.  (Project Gutenberg)

リア王が被っている雑草の冠は,fumiter, furrow-weeds, hardocks, hemlock, nettles, cuckoo-flowers 及び darnel より成る
コーディリーアのセリフの和訳を以下に示す.

坪内逍遥訳①
コーデ あゝ、それは、きッと父上であらう。つい今がたも、暴風(あらし)の海のやうに乱心して、唄を歌うておいて遊ばすのに逢うたとの事です。
  
お頭(つむり)には野原や麦畠に生えてゐる穢(むさ)くるしい雑草や毒草で製(こしら)へた冠を冠って。‥
  
…百人組を派遣(つかは)して、生ひのびてゐる畠の隈々(くまぐま)を捜索させ、早うこゝへお伴れ申せ。
  人間の智慧の力で、狂うたお心が如何(どの)(くら)ゐまでは治るものであらうか? 父上をお救ひ申す者には、わたしの有ってゐるものは何品でも遣(つか)はしますぞ。
(こゝの原文には、種々の雑草や毒草の名を列記してある。多分、実演の際、さういふたぐひの草を花環風(はなかむりふう)の物にして、- オフィリヤの場合にての如く - リヤ王役者がかぶって出たのであらう。本文にそれを一々訳出すると、却って趣味を害するから、省いたが、原文を読む人の為に、爰(こゝ)に注しておく。fumiter は延胡索(エンゴサク)の類、ミヤマケマン属の草furrow weeds (す)いた地面に生える雑草、名はない。burdocks 牛蒡(ごぼう)の類。hemlock ドクセリとか、ドクニンジンとかいふもの。nettles イラグサdarnel ドクムギとでも訳すべき雑草。cuckoo flowers ハナタネツケバナとかいふもの。sustaining corn とあるは栄養となる穀物即ち麦の事。)」

小津次郎訳②
コーディーリア ああ、お父上だわ、たったいまお見かけした者があるという。荒海のようにたけり狂い、大声で唄を歌っておられた、
  
頭にはぼうぼうのカラクサケマン畑の雑草をおつけになり、ごぼう毒人蔘いらくさバターカップ毒麦、その他わたしたちを養ってくれる穀物畑に生える、役にも立たない草を冠のようになさっていたという。
  
捜索隊を出してください。高く伸びた草原の隅から隅まで探して、わたくしのところへお連れしてちょうだい。
  
乱れたお心をもとへもどすことは、人間の智恵ではできないことだろうか?-お治ししてくれる人があったら、わたしが身につけているものは何でもあげます。」

三神勲訳(1969)③
コーディーリ  ああ、それは、きっと父上です。つい今しがたも荒海のように狂って、大声で歌を歌っていたのを見かけた人があります。
  
頭の上にはのびたえんごさくあぜ草や、毒ごぼう毒にんじんいらくさたねつけ花烏のえんどうなど大事な麦畑にはびこるつまらぬ雑草を集めてこしらえた冠をかむって。
  
すぐ一個中隊の兵を出し、麦ののびた畑のすみずみのこらず探して、早くここへお連れ申しなさい。
  
なんとかして、医術の力で正気をなくしたお心を元どおりに直せないものだろうか?父上をお救い申す者には、わたしの持っているものは
  
なんなりともとらせます。」

小田島雄志訳④
コーディーリア ああ、それはきっとお父様。ついさきほども見かけた者がいます。荒海のように狂い立ち、大声で歌い、
  頭には伸び放題の雑草畔草(あぜぐさ)ゴボウ毒ニンジンイラクサキンポウゲ毒麦など、私たちのいのちのもとである穀物畑にはびこる役立たずの草の冠をかぶっておられたとか。
  すぐに捜索隊を送り、生い茂る麦畑をすみずみまで捜し、お父様を私の目の前にお連れして。
  人間の知恵で乱れたお心をもとにもどすことはできないものか。なおしてくれたものにはどんなお礼でもします。」

熊井明子訳⑤
コーディーリア ああ、それは父上です。つい今しがたも、嵐の海のように荒れ狂い、大声で歌う姿をみかけた者がいるのです。
  
はびこるカラクサケマン畑のうねり(ママ)の雑草(ファロー・ウィード)、ゴボウ、ドクニンジン、イラクサ、タネツケバナドクムギ、人間に力をつける穀物に混じるそれらすべの無益を雑草の冠を頭にのせて。
  
百人の兵士をつかわして、生き茂る畑をくまなく探し、父上を私達のところへおつれしなさい。」

松岡和子訳⑥
コーディリア ああ、きっとお父様だわ。たった今お見かけした者がいる。
  
荒海のように猛り狂い、大声で歌を歌い、頭には伸び放題の*カラクサケマン畑のうねの雑草ゴボウ毒ニンジンイラクサキンポウゲ毒ムギなど、有益な麦畑にはびこる無益な雑草を冠にしていらしたとか。
  
一個中隊を捜索に出しなさい。麦が高く伸びた耕地のすみずみまで捜し、ここへお連れして。
  
なんとか医術の力で正気を無くしたお心を元どおりにできないものか?治してくれた者には、私の持っているどんな宝でも取らせます。
   *:これらの草は「無益な雑草」となっているが、熊井明子著『シェイクスピアのハーブ』によれば、実はすべて薬効を持っているそうだ.」

★野島秀勝訳
コーディリーア ああ!父上にちがいない.たった今,お見かけした者の話では,
  
荒海のように猛り狂い、大声で歌をうたっておいでだったとか.頭には伸び放題の華鬘草(けまんそう)田の畔(あぜ)にしげる名もない草矢車草毒人参刺草(いらくさ)種つけ花毒麦そのほかわたくしたちを養う大切な穀物畑を荒らす役立たずのさまざまな雑草を冠になさっているとのこと.
  
すぐ百人隊を遣わし,茫々(ぼうぼう)と生い茂る野原を隈(くま)なくお探しして、わたくしの目の前にお連れ申し上げるように.
  
人間の知恵で,あの失われた御正気を回復する術(すべ)はないものか?その術を知っている者には、わたくしの財産すべてを与えよう。」

 信じていた娘たちの裏切りと,王国を失った,失望と悲しみとで,狂ったリア王がかぶった王冠は小麦畑の雑草で作ったものであった.
 王冠を作る植物の和訳を比較すると,以下のようになる.緑色のマーカーは原文における植物の解釈に論点がある植物を示し,黄色いマーカーの訳は疑義がある和訳を示す.

Fumiter:①延胡索(エンゴサク)の類、ミヤマケマン属の草,②カラクサケマン,③えんごさく,④伸び放題の雑草,⑤カラクサケマン,⑥カラクサケマン,⑦華鬘草(けまんそう)

Furrow-Weeds:①鋤(す)いた地面に生える雑草,②畑の雑草,③あぜ草,④畔草(あぜぐさ),⑤畑のうねりの雑草(ファロー・ウィード)**,⑥畑のうねの雑草,⑦田の畔(あぜ)にしげる名もない草

Hardocks:①牛蒡(ごぼう)の類,②ごぼう,③毒ごぼう,④ゴボウ,⑤ゴボウ,⑥ゴボウ,⑦矢車草

Hemlock:①ドクセリとか、ドクニンジン,②毒人蔘,③毒にんじん,④毒ニンジン,⑤ドクニンジン,⑥毒ニンジン,⑦毒人参

Nettles:①イラグサ,②いらくさ,③いらくさ,④イラクサ,⑤イラクサ,⑥イラクサ,⑦刺草(いらくさ)

Cuckoo-Flowers:①ハナタネツケバナ,②バターカップ,③たねつけ花,④キンポウゲ,⑤タネツケバナ,⑥キンポウゲ,⑦種つけ花

Darnel:①ドクムギ,②毒麦,③烏のえんどう,④毒麦,⑤ドクムギ,⑥毒ムギ,⑦毒麦

次記事以降にそれぞれの植物と和訳の妥当性を見ていこう.

①坪内道遥訳『ザ・シェークスピア-全戯曲(全原文十全訳)全一冊,改訂新版』第三書館(1999
②三神勲訳『リヤ王』世界文学全集 1, シェイクスピア 河出書房新社(1969
③小津次郎訳『リア王』(筑摩世界文学大系 16,シェイクスピア I)筑摩書房(1972
④小田島雄志訳『リア王』シェイクスピア全集 u-28 白水社(1983
⑤熊井明子著『シェイクスピアのハーブ』誠文堂新光社(1996
⑥松岡和子訳『リア王』シェイクスピア全集 5 ちくま文庫(1997
⑦野島秀勝訳『リア王』岩波文庫 205-1 岩波書店(2000

**:熊井明子『シェイクスピアのハーブ』,『シェイクスピアの香り』東京書籍(1993)では,John Gerard “The herbal, or, General Historie of plantes” (1597) Furrow grass の可能性を指摘している.