かれの著作には,“Darnel” が三作品に各一度登場する.一つは三大悲劇の一つ「リア王
“KING LEAR”」(1605,1606, 1608),もう二つは史劇「ヘンリー五世
“THE LIFE OF HENRY THE FIFTH”」(1599年の初め,1599, 1599),及び「ヘンリー六世第一部 “THE
FIRST PART OF KING HENRY THE SIXTH”」 (1588 - 1590),で,何れも登場人物のセリフの中に,有用な小麦に対する有害無益な悪性雑草として語られている.これらの戯曲中で
Darnel がどのようにかたられているか,戯曲の年代順にみてみよう.
年代として最も古いのは,古代ブリテン王国を舞台にした『リア王』である.三人の娘の上二人の甘言に騙され,領土を相続させたリア王が母国を追放される.フランス貴族に嫁した末娘,コーディーリアが王権と領土回復のためにイングランドに侵攻し,狂気の内に彷徨うリア王を探す.リア王は失った王冠として小麦畑に生育する雑草を頭にかぶっている.この雑草の王冠を構成する草の内に,ドクムギ(Darnel)がある.
ACT IV SCENE IV The same. A tent.
[Enter, with drum and colours, CORDELIA,
Doctor, and Soldiers]
CORDELIA Alack, 'tis he: why, he
was met even now
As mad as the vex'd sea; singing
aloud;
Crown'd with rank
fumiter and furrow-weeds,
With hardocks,
hemlock, nettles,
cuckoo-flowers,
Darnel,
and all the idle weeds that grow
In our sustaining corn. A century send
forth;
Search every acre in the high-grown
field,
And bring him to our eye.
[Exit an Officer]
What can man's wisdom
In the restoring his bereaved sense?
He that helps him take all my outward
worth. (Project Gutenberg)
リア王が被っている雑草の冠は,fumiter, furrow-weeds,
hardocks, hemlock, nettles, cuckoo-flowers 及び darnel より成る
コーディリーアのセリフの和訳を以下に示す.
★坪内逍遥訳①
「コーデ あゝ、それは、きッと父上であらう。つい今がたも、暴風(あらし)の海のやうに乱心して、唄を歌うておいて遊ばすのに逢うたとの事です。
お頭(つむり)には野原や麦畠に生えてゐる穢(むさ)くるしい雑草や毒草で製(こしら)へた冠を冠って。‥
…百人組を派遣(つかは)して、生ひのびてゐる畠の隈々(くまぐま)を捜索させ、早うこゝへお伴れ申せ。
人間の智慧の力で、狂うたお心が如何(どの)位(くら)ゐまでは治るものであらうか? 父上をお救ひ申す者には、わたしの有ってゐるものは何品でも遣(つか)はしますぞ。
(こゝの原文には、種々の雑草や毒草の名を列記してある。多分、実演の際、さういふたぐひの草を花環風(はなかむりふう)の物にして、- オフィリヤの場合にての如く - リヤ王役者がかぶって出たのであらう。本文にそれを一々訳出すると、却って趣味を害するから、省いたが、原文を読む人の為に、爰(こゝ)に注しておく。fumiter は延胡索(エンゴサク)の類、ミヤマケマン属の草。furrow weeds は鋤(す)いた地面に生える雑草、名はない。burdocks は牛蒡(ごぼう)の類。hemlock はドクセリとか、ドクニンジンとかいふもの。nettles はイラグサ。darnel はドクムギとでも訳すべき雑草。cuckoo flowers はハナタネツケバナとかいふもの。sustaining corn とあるは栄養となる穀物即ち麦の事。)」
★小津次郎訳②
「コーディーリア ああ、お父上だわ、たったいまお見かけした者があるという。荒海のようにたけり狂い、大声で唄を歌っておられた、
頭にはぼうぼうのカラクサケマンや畑の雑草をおつけになり、ごぼう、毒人蔘、いらくさ、バターカップ、毒麦、その他わたしたちを養ってくれる穀物畑に生える、役にも立たない草を冠のようになさっていたという。
捜索隊を出してください。高く伸びた草原の隅から隅まで探して、わたくしのところへお連れしてちょうだい。
乱れたお心をもとへもどすことは、人間の智恵ではできないことだろうか?-お治ししてくれる人があったら、わたしが身につけているものは何でもあげます。」
★三神勲訳(1969)③
「コーディーリア ああ、それは、きっと父上です。つい今しがたも荒海のように狂って、大声で歌を歌っていたのを見かけた人があります。
頭の上にはのびたえんごさくやあぜ草や、毒ごぼう、毒にんじん、いらくさ、たねつけ花、烏のえんどうなど大事な麦畑にはびこるつまらぬ雑草を集めてこしらえた冠をかむって。
すぐ一個中隊の兵を出し、麦ののびた畑のすみずみのこらず探して、早くここへお連れ申しなさい。
なんとかして、医術の力で正気をなくしたお心を元どおりに直せないものだろうか?父上をお救い申す者には、わたしの持っているものは
なんなりともとらせます。」
★小田島雄志訳④
「コーディーリア ああ、それはきっとお父様。ついさきほども見かけた者がいます。荒海のように狂い立ち、大声で歌い、
頭には伸び放題の雑草や畔草(あぜぐさ)、ゴボウ、毒ニンジン、イラクサ、キンポウゲ、毒麦など、私たちのいのちのもとである穀物畑にはびこる役立たずの草の冠をかぶっておられたとか。
すぐに捜索隊を送り、生い茂る麦畑をすみずみまで捜し、お父様を私の目の前にお連れして。
人間の知恵で乱れたお心をもとにもどすことはできないものか。なおしてくれたものにはどんなお礼でもします。」
★熊井明子訳⑤
「コーディーリア ああ、それは父上です。つい今しがたも、嵐の海のように荒れ狂い、大声で歌う姿をみかけた者がいるのです。
はびこるカラクサケマンや畑のうねり(ママ)の雑草(ファロー・ウィード)、ゴボウ、ドクニンジン、イラクサ、タネツケバナ、ドクムギ、人間に力をつける穀物に混じるそれらすべの無益を雑草の冠を頭にのせて。
百人の兵士をつかわして、生き茂る畑をくまなく探し、父上を私達のところへおつれしなさい。」
★松岡和子訳⑥
「コーディリア ああ、きっとお父様だわ。たった今お見かけした者がいる。
荒海のように猛り狂い、大声で歌を歌い、頭には伸び放題の*カラクサケマンや畑のうねの雑草、ゴボウ、毒ニンジン、イラクサ、キンポウゲ、毒ムギなど、有益な麦畑にはびこる無益な雑草を冠にしていらしたとか。
一個中隊を捜索に出しなさい。麦が高く伸びた耕地のすみずみまで捜し、ここへお連れして。
なんとか医術の力で正気を無くしたお心を元どおりにできないものか?治してくれた者には、私の持っているどんな宝でも取らせます。
*:これらの草は「無益な雑草」となっているが、熊井明子著『シェイクスピアのハーブ』によれば、実はすべて薬効を持っているそうだ.」
★野島秀勝訳⑦
「コーディリーア ああ!父上にちがいない.たった今,お見かけした者の話では,
荒海のように猛り狂い、大声で歌をうたっておいでだったとか.頭には伸び放題の華鬘草(けまんそう),田の畔(あぜ)にしげる名もない草、矢車草、毒人参、刺草(いらくさ)、種つけ花,毒麦そのほかわたくしたちを養う大切な穀物畑を荒らす役立たずのさまざまな雑草を冠になさっているとのこと.
すぐ百人隊を遣わし,茫々(ぼうぼう)と生い茂る野原を隈(くま)なくお探しして、わたくしの目の前にお連れ申し上げるように.
人間の知恵で,あの失われた御正気を回復する術(すべ)はないものか?その術を知っている者には、わたくしの財産すべてを与えよう。」
信じていた娘たちの裏切りと,王国を失った,失望と悲しみとで,狂ったリア王がかぶった王冠は小麦畑の雑草で作ったものであった.
王冠を作る植物の和訳を比較すると,以下のようになる.緑色のマーカーは原文における植物の解釈に論点がある植物を示し,黄色いマーカーの訳は疑義がある和訳を示す.
○Fumiter:①延胡索(エンゴサク)の類、ミヤマケマン属の草,②カラクサケマン,③えんごさく,④伸び放題の雑草,⑤カラクサケマン,⑥カラクサケマン,⑦華鬘草(けまんそう)
○Furrow-Weeds:①鋤(す)いた地面に生える雑草,②畑の雑草,③あぜ草,④畔草(あぜぐさ),⑤畑のうねりの雑草(ファロー・ウィード)**,⑥畑のうねの雑草,⑦田の畔(あぜ)にしげる名もない草
○Hardocks:①牛蒡(ごぼう)の類,②ごぼう,③毒ごぼう,④ゴボウ,⑤ゴボウ,⑥ゴボウ,⑦矢車草
○Hemlock:①ドクセリとか、ドクニンジン,②毒人蔘,③毒にんじん,④毒ニンジン,⑤ドクニンジン,⑥毒ニンジン,⑦毒人参
○Nettles:①イラグサ,②いらくさ,③いらくさ,④イラクサ,⑤イラクサ,⑥イラクサ,⑦刺草(いらくさ)
○Cuckoo-Flowers:①ハナタネツケバナ,②バターカップ,③たねつけ花,④キンポウゲ,⑤タネツケバナ,⑥キンポウゲ,⑦種つけ花
○Darnel:①ドクムギ,②毒麦,③烏のえんどう,④毒麦,⑤ドクムギ,⑥毒ムギ,⑦毒麦
次記事以降にそれぞれの植物と和訳の妥当性を見ていこう.
①坪内道遥訳『ザ・シェークスピア-全戯曲(全原文十全訳)全一冊,改訂新版』第三書館(1999)
②三神勲訳『リヤ王』世界文学全集 1, シェイクスピア 河出書房新社(1969)
③小津次郎訳『リア王』(筑摩世界文学大系 16,シェイクスピア I)筑摩書房(1972)
④小田島雄志訳『リア王』シェイクスピア全集
u-28 白水社(1983)
⑤熊井明子著『シェイクスピアのハーブ』誠文堂新光社(1996)
⑥松岡和子訳『リア王』シェイクスピア全集 5 ちくま文庫(1997)
⑦野島秀勝訳『リア王』岩波文庫
赤205-1 岩波書店(2000)
**:熊井明子『シェイクスピアのハーブ』⑤,『シェイクスピアの香り』東京書籍(1993)では,John Gerard “The herbal, or, General
Historie of plantes” (1597) のFurrow grass の可能性を指摘している.
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