2012年1月10日火曜日

フリティラリア・メレアグリス (2/2) - 英国古本草

Fritillaria meleagris (2/2)
Well! wind-dispersed and vain the words will be,
Yet, Thyrsis, let me give my grief its hourIn the old haunt, and find our tree-topp'd hill!
Who, if not I, for questing here hath power?
I know the wood which hides the daffodil,
I know the Fyfield tree,
I know what white, what purple fritillaries
The grassy harvest of the river-fields,
Above by Ensham, down by Sandford, yields,
And what sedged brooks are Thames's tributaries;
From “Thyrsis” (1865) by Matthew Arnold (1822-1888)

Fritillaria meleagris はイギリスに自生しているが,庭園の花としてはフランスからイギリスにもたらされた.フランスでは,ノエル・カペロン (Noel Capron) という薬種商がオルレアンの辺りで咲いているのを見つけたとされる.しかし,ユグノー教徒のカペロンは,その後間もなく 1572年8月24日にフランスのカトリックがプロテスタントを大量虐殺した「聖バーソロミューの虐殺」の際に殺された.
この花は 1578 年のライト Henry Lyte (1529? – 1607) の『本草書』の中の「チューリップ」と書かれている三つの植物のうちの第3番目の植物で,ラテン語で Flos Meleagris とされているものである(右図).おそらくフランスのユグノー教徒がイギリスへ避難した際,持ちこんだ花の一つであろう.

ジェラード John Gerard (1545-1612) は,庭でこの植物を育てており,その “The herbal, or, General Historie of plantes 『本草あるいは一般の植物誌』” (1597)(左図)では,市松模様のスイセン(The Checkered Daffodil)とかホロホロ鳥花(Ginniei Hen flower)とか最初の発見者カペロンにちなんで,カぺロンのスイセン(Narciss Caperonius)という名で記載して,「かなり変わった格子縞の模様があり,とにかく,自然,いや万物の創造主は,芸術に可能な最高に風変わりな絵画にも勝るすばらしい秩序を与えている」と述べている.

その後,バイモ属のいろいろな種や園芸種がスペイン,ポルトガル,イタリア,スウェーデンから多数導入され,パーキンソン John Parkinson (1567-1650) は彼の“Paradisi in Sole Paradisus Terrestris (Park-in-Sun's) 『日当たりの良い楽園・地上の楽園』” (1629) に 14 種を記述し,「点のような格子縞の模様がこの花にはあってすばらしく優雅であり,庭の装飾となる」と考えていた.そして薬用として何の効用もなく,庭の装飾になるだけだが「ほとんどの種類が華麗な美しきを備えており,おくゆかしい味わいがある」と述べている(下図).

そして十八世紀の中頃には,メレアグリス種は,希少とはいえ,イギリスにも自生していることが分かり,今では,オックスフォードの牧場や,冒頭に掲げたマシュー・アーノルドの詩との関連でよく知られている.フリティラリアの花はエリザベス朝やステユワート朝の時代には,珍しさの故に随分もてはやされ,野生種は乱獲され,現在では絶滅危惧種として,Oxford Preservation Trust 等により自生地で大切に見守られている.

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