Pollia
japonica
江戸初期
図入り百科事典★寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)の「杜若」の項においても,「杜若はやぶしょうがと俗に云う」と言い,「花の色は黄色か白」と「杜若」と花の白いヤブミョウガへの誤考定が入り込んでいる.一方,「燕子花 かきつばた」の項には「倭名抄に劇草を用ゐ、或は杜若を用ゐて,加岐豆波太と訓ず、並に誤りなり。劇草は馬藺なり(湿草)。杜若は薮生薑(やぶしょうが)なり。」と誤用を戒めている.
図入り百科事典★寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)の「杜若」の項においても,「杜若はやぶしょうがと俗に云う」と言い,「花の色は黄色か白」と「杜若」と花の白いヤブミョウガへの誤考定が入り込んでいる.一方,「燕子花 かきつばた」の項には「倭名抄に劇草を用ゐ、或は杜若を用ゐて,加岐豆波太と訓ず、並に誤りなり。劇草は馬藺なり(湿草)。杜若は薮生薑(やぶしょうが)なり。」と誤用を戒めている.
杜若(ヤブショウカ)
本綱、杜若ハ人織ル者無シ。今山中ニ時ニ之レ有リ。茎葉ハ薑ニ似テ文理有リ。旋葍ノ根ニ似タリ。花ハ黄ニテ赤ク、大イサ麻ノ子ノ如ク、中ハ豆蔲ニ似タリ。
一種紫花ヲ開キ子ヲ結バザルモノ有リ.
気味(辛ク微温) 神農本草ニ杜若ノ根ハ乃チ上品ニテ、足ノ少陰、大陽ノ諸証ヲ治スル要薬ニシテ、世ニ用ウルコトヲ知ラズ、惜シキカナ。
△按ズルニ、杜若ハ竹薮ノ中ニ之レ有リ。葉ハ生薑ニ似タル故、俗ニ薮生薑ト日フハ是レカ。其ノ花黄或ハ白ナリ。然ルニ杜若ヲ以ッテ燕子花(カキツバタ)ノ訓ト為スハ甚ダ非ナリ。(水草ノ下ニ詳カナリ)
『本草綱目』(草部芳草類杜若〔集解〕)に次のようにいう。
(薬方に用いられなくなったので)杜若(ショウガ科スイシャゲットウまたはツユクサ科ヤブミョウガ)を識っている人はいない。いま山中に時に存在する。
茎・葉は薑(しょうが)に似ていて文理(すじめ)がある。根は旋葍(覆)(おぐるま) の根に似ている。花は黄色で、子は赤く大きさは棗子(なつめのみ)ぐらい。中は豆蔲(ずく)(芳草類)に似ている。
一種に紫色の花を開き、子を結ばないものがある。
気味〔辛、微温〕 『神農本草経』に、杜若の根は上級品で足の少陰(腎経)・太陽(膀胱経)の諸証を治す要薬とある。それなのに世間で用いることを知らないのは惜しいことである。
△思うに、杜若は竹薮の中にある。葉は生薑に似ていて俗に薮生薑というのがあるが、それがこれであろうか。花は黄か白色である。それなのに、杜若を燕子花と訓ませるのは大へんな誤りである〔(巻九十七)水草(燕子花)の項に詳しい〕。現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫」
江戸中期
★橘保国(1715-1792)『絵本野山草』(1755) 巻之四 には,「花めうが 志やく志や
花白く,車咲き,五つびら.葉,めうがだけのごとく,六月に,はなあり.一名,やぶめうが.本名は和縮砂(わしやくしや)なり」とあり,図示された植物は明らかにヤブミョウガであるが,ここでは,逆に「花めうが(和縮砂)=ヤブミョウガ」と考えられていた.(NDL,右上図)
處々陰濕ノ地ニ多ク生ス春ノ末苗ヲ生ス高サ二尺許茎葉根共ニ茗荷(ミヤウガ)ニコトナルコトナシ六七月葉間ニ小穂ヲナシ白花ヲ叢生ス八月累々トシテ子ヲムスフ色碧緑眞(マコト)ニ麦門冬子(シャウカヒケノミ)ノ如シ本邦上古杜若ノ字ヲ以テ燕子(カキツハタ)花トス誤ト云ヘシ」と杜若を,白い花と青い実を付けるヤブミョウガと校定している.(NDL,左図)
★入江玉蟾『挿花千筋の麓』(1768)明和五年,(図は1777 写本)では,高価な花器にいろどりとして撫子を添えて,一本だけ主役として挿され,茶花として高く評価されていた様子が伺える.
「唐銅(カラカ子)置花生
世ニ燕子花(カキツハタ)ノ文字ニ用来ルコト久可改
撫子」(右図,WUL)
★斎藤憲純『本草鏡』草之三(1772?) では,中国本草書の記述を多く紹介した後,「杜若」は京都で「ハナミョウガ」,丹後で「アマミョウガ(根が辛くないミョウガ?)」と呼び「葉は蘘荷,五辧で梅の花に似る花を房状につけ,青い実をつける」と「ヤブミョウガ」の性状を記し,稲生若水がこれを杜若とするのは誤りと主張しているとしている.この若水の主張の原典は探し出せなかった.(下図,●は解読不能文字)
「杜若
怡顔齋曰方密之通雅云杜若即高良薑補筆談云杜若即今之高良
薑後人不識又別出高良薑條高良姜花成穂芳華可愛土尺用塩
山姜花黄赤子色大如棘子中似豆蔻出峡山嶺南北正是高良
姜●子乃紅豆蔻也南楚見人東高良姜乃似●茅或高州有此種今處
州以青皮樹為杜若冬不凋樹皮焼之香成章按杜若山姜高良姜綱目
以分出三條今審之三名為一●●矣根為良姜苗為杜若一種有其根細小
如竹鞭者此乃寇宋爽●杜若云似旋葍者是也従前以俗称藪蘘荷艸
者充之殊為誤拠冦氏言似旋葍根而味辛如藪蘘荷則根形●似
而絶無辛味今退藪蘘荷而入来未詳中具曰山姜者亦之疑杜若非他
物也宣併二名為一也○藪蘘荷一名ハナミヤウカ京又曰アマミヤウガ丹後所在
陰(濕)地生ス葉蘘荷葉ニ似テ五六相対シテ●生花五辧梅花ノ如ク花謝シテ青●
小実ヲ結根ハ細小竹鞭ノ如ク旋葍根ノ横生スルニ似タリ稲翁以為杜若ハ非ナリ
是類草ト雖施ヲ眞ニアラズ又貝原翁大和本草ニハ和ノ良姜是トス即保昇
時珍所説ニ拠ナリ得タリト云ヘシ○杜若古訓カキツバタトスルハ大ニ非也稲翁曰カ
キツバタハ漳州府誌渓蠻叢笑ヲ引テ所載燕子花葯圃同春ノ烟蘭是ナ
リ松岡翁曰燕ヲカシヨトリト詠セシ哥アリカキツバタモ亦カヲヨハナヲ云ヘハ燕ノ
写●ニ符合セリ或ハ荃ノ字ヲアオヨハナト訓スルハ非也荃ハ水菖蒲ノ一名ナリ
[一名]土細辛 ●学入門蓋謬称也」(NDL)
この書は「本草綱目」所収品について市販薬材の良否・産地・由来などを記す.文中の年記や引用文献から安永(1772-80)の頃の著作らしい.斎藤憲純は京都の人で憲純は名,号は東渓,生没年は未詳.ほかに「名物拾遺」「物類彙考」などの著作があるが,これも「本草鏡」と大同小異の内容である.「著作には松岡玄達およびその門下の名を挙げることが多いので,玄達の弟子かも知れない.(磯野)
★平賀源内-校正『重刻秘伝花鏡』(1773)(原本 陳扶揺『秘伝花鏡』1688)巻之五には,「杜若 杜若一名杜蓮一名山薑生武陵川澤今處處有之。葉似薑而有文理,根似高良薑而細味極辛香。又似旋葍花根者即真杜若也。花黄子赤大如棘子,中似豆蔻今人以杜蘅亂之非以藍菊名之更非」とある.源内の『物類品隲』には「杜若」の項が見出せなかったが,源内は杜若≠ヤブミョウガを認識していたので,あえて書かなかったのではないかと思われる.
★、幕臣(旗本)戸田祐之(通称は要人)が描いた薬草図集『庶物類纂図翼』の【第二六冊】艸本別録上
(1779) には,開花時と結実時のなかなか美しい絵がある.
「也布女於賀(やぶめうが)
充杜若或為縮砂 未詳」(右図,国立公文書館)