2015年1月22日木曜日

ヤブミョウガ-4/8 和漢三才図会,絵本野山草,花彙,挿花千筋の麓,本草鏡,重刻秘伝花鏡,庶物類纂図翼

Pollia japonica
2014年12月
ヤブミョウガは長い期間「杜若」と考定されてきたので,日本における「杜若」考定の変遷をみる(承前).

江戸初期
図入り百科事典★寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)の「杜若」の項においても,「杜若はやぶしょうがと俗に云う」と言い,「花の色は黄色か白」と「杜若」と花の白いヤブミョウガへの誤考定が入り込んでいる.一方,「燕子花 かきつばた」の項には「倭名抄に劇草を用ゐ、或は杜若を用ゐて,加岐豆波太と訓ず、並に誤りなり。劇草は馬藺なり(湿草)。杜若は薮生薑(やぶしょうが)なり。」と誤用を戒めている.
「杜若(トウヂヨ,やぶしょうが)  杜衡(トコウ) 楚衡(ソコウ) 若芝(ジャクシ) 杜蓮(トレン) ●(樔の木→犭)子薑(ソウシキョウ) 山薑  〔俗ニ薮生薑(ヤブショウガ)トイウ〕
杜若(ヤブショウカ)
本綱、杜若ハ人織ル者無シ。今山中ニ時ニ之レ有リ。茎葉ハ薑ニ似テ文理有リ。旋葍ノ根ニ似タリ。花ハ黄ニテ赤ク、大イサ麻ノ子ノ如ク、中ハ豆蔲ニ似タリ。
一種紫花ヲ開キ子ヲ結バザルモノ有リ.
気味(辛ク微温) 神農本草ニ杜若ノ根ハ乃チ上品ニテ、足ノ少陰、大陽ノ諸証ヲ治スル要薬ニシテ、世ニ用ウルコトヲ知ラズ、惜シキカナ。
△按ズルニ、杜若ハ竹薮ノ中ニ之レ有リ。葉ハ生薑ニ似タル故、俗ニ薮生薑ト日フハ是レカ。其ノ花黄或ハ白ナリ。然ルニ杜若ヲ以ッテ燕子花(カキツバタ)ノ訓ト為スハ甚ダ非ナリ。(水草ノ下ニ詳カナリ)

『本草綱目』(草部芳草類杜若〔集解〕)に次のようにいう。
(薬方に用いられなくなったので)杜若(ショウガ科スイシャゲットウまたはツユクサ科ヤブミョウガ)を識っている人はいない。いま山中に時に存在する。
茎・葉は薑(しょうが)に似ていて文理(すじめ)がある。根は旋葍(覆)(おぐるま) の根に似ている。花は黄色で、子は赤く大きさは棗子(なつめのみ)ぐらい。中は豆蔲(ずく)(芳草類)に似ている。
一種に紫色の花を開き、子を結ばないものがある。
気味〔辛、微温〕  『神農本草経』に、杜若の根は上級品で足の少陰(腎経)・太陽(膀胱経)の諸証を治す要薬とある。それなのに世間で用いることを知らないのは惜しいことである。
△思うに、杜若は竹薮の中にある。葉は生薑に似ていて俗に薮生薑というのがあるが、それがこれであろうか。花は黄か白色である。それなのに、杜若を燕子花と訓ませるのは大へんな誤りである〔(巻九十七)水草(燕子花)の項に詳しい〕。現代語訳 島田・竹島・樋口,平凡社-東洋文庫」

江戸中期

★橘保国(1715-1792)絵本野山草』(1755) 巻之四 には,「花めうが 志やく志や
花白く,車咲き,五つびら.葉,めうがだけのごとく,六月に,はなあり.一名,やぶめうが.本名は和縮砂(わしやくしや)なり」とあり,図示された植物は明らかにヤブミョウガであるが,ここでは,逆に「花めうが(和縮砂)=ヤブミョウガ」と考えられていた.(NDL,右上図

★小野蘭山『花彙』(1765) 花草乃二 には,「トジャク 杜若(トジヤク) ハナメウガ ヤブメウガ
處々陰濕ノ地ニ多ク生ス春ノ末苗ヲ生ス高サ二尺許茎葉根共ニ荷(ミヤウガ)ニコトナルコトナシ六七月葉間ニ小穂ヲナシ白花ヲ叢生ス八月累々トシテ子ヲムスフ色碧緑眞(マコト)ニ門冬子(シャウカヒケノミ)ノ如シ本邦上古杜若ノ字ヲ以テ子(カキツハタ)花トス誤ト云ヘシ」と杜若を,白い花と青い実を付けるヤブミョウガと校定している.(NDL,左図

★入江玉蟾『挿花千筋の麓』(1768)明和五年,(図は1777 写本)では,高価な花器にいろどりとして撫子を添えて,一本だけ主役として挿され,茶花として高く評価されていた様子が伺える.
「唐銅(カラカ子)置花生
杜若(ヤブメウカ) 花メウカトモ云
世ニ燕子花(カキツハタ)ノ文字ニ用来ルコト久可改
撫子」(右図,WUL

★斎藤憲純『本草鏡』草之三(1772) では,中国本草書の記述を多く紹介した後,「杜若」は京都で「ハナミョウガ」,丹後で「アマミョウガ(根が辛くないミョウガ?)」と呼び「葉は蘘荷,五辧で梅の花に似る花を房状につけ,青い実をつける」と「ヤブミョウガ」の性状を記し,稲生若水がこれを杜若とするのは誤りと主張しているとしている.この若水の主張の原典は探し出せなかった.(下図,●は解読不能文字)

「杜若
怡顔齋曰方密之通雅云杜若即高良薑補筆談云杜若即今之高良
薑後人不識又別出高良薑條高良姜花成穂芳華可愛土尺用塩
梅汁淹以為姜南人亦謂山薑花又曰豆花本艸圖經曰杜若苗似
山姜花黄赤子色大如子中似豆出峡山嶺南北正是高良
姜●子乃紅也南楚見人東高良姜乃似●茅或高州有此種今處
州以青皮樹為杜若冬不凋樹皮焼之香成章按杜若山姜高良姜綱目
以分出三條今審之三名為一●●矣根為良姜苗為杜若一種有其根細小
如竹鞭者此乃寇宋爽●杜若云似旋葍者是也従前以俗称藪蘘荷艸
者充之殊為誤拠冦氏言似旋葍根而味辛如藪蘘荷則根形●似
而絶無辛味今退藪蘘荷而入来未詳中具曰山姜者亦之疑杜若非他
物也宣併二名為一也○藪蘘荷一名ハナミヤウカ又曰アマミヤウガ丹後所在
陰(濕)地生ス葉蘘荷葉ニ似テ五六相対シテ●生花五辧梅花ノ如ク花謝シテ青●
小実ヲ結根ハ細小竹鞭ノ如ク旋葍根ノ横生スルニ似タリ稲翁以為杜若ハ非ナリ
是類草ト雖施ヲ眞ニアラズ又貝原翁大和本草ニハ和ノ良姜是トス即保昇
時珍所説ニ拠ナリ得タリト云ヘシ○杜若古訓カキツバタトスルハ大ニ非也稲翁曰カ
キツバタハ漳州府誌渓蠻叢笑ヲ引テ所載燕子花葯圃同春ノ烟蘭是ナ
リ松岡翁曰燕ヲカシヨトリト詠セシ哥アリカキツバタモ亦カヲヨハナヲ云ヘハ燕ノ
写●ニ符合セリ或ハ荃ノ字ヲアオヨハナト訓スルハ非也荃ハ水菖蒲ノ一名ナリ
[一名]土細辛 ●学入門蓋謬称也」(NDL

この書は「本草綱目」所収品について市販薬材の良否・産地・由来などを記す.文中の年記や引用文献から安永(1772-80)の頃の著作らしい.斎藤憲純は京都の人で憲純は名,号は東渓,生没年は未詳.ほかに「名物拾遺」「物類彙考」などの著作があるが,これも「本草鏡」と大同小異の内容である.「著作には松岡玄達およびその門下の名を挙げることが多いので,玄達の弟子かも知れない.(磯野)

★平賀源内-校正『重刻秘伝花鏡』(1773)(原本 陳扶揺『秘伝花鏡』1688)巻之五には,「杜若 杜若一名杜蓮一名山薑生武陵川澤今處處有之。葉似薑而有文理,根似高良薑而細味極辛香。又似旋花根者即真杜若也。花黄子赤大如棘子,中似豆今人以杜蘅亂之非以藍菊名之更非」とある.源内の『物類品隲』には「杜若」の項が見出せなかったが,源内は杜若≠ヤブミョウガを認識していたので,あえて書かなかったのではないかと思われる.

★、幕臣(旗本)戸田祐之(通称は要人)が描いた薬草図集『庶物類纂図翼』の【第二六冊】艸本別録上 (1779) には,開花時と結実時のなかなか美しい絵がある.
「也布女於賀(やぶめうが)
充杜若或為縮砂 未詳」(右図,国立公文書館)

2015年1月17日土曜日

ヤブミョウガ-3/8 本草綱目,多識編,本草綱目品目,秘伝花鏡,花壇地錦抄,草花絵前集,大和本草,花譜

Pollia japonica
2008年7月 茨城県南部
ヤブミョウガは長い期間「杜若」と考定されてきたので,日本における「杜若」考定の変遷をみる(承前).

古くの日本の本草学は,中国から渡来した本草書,主に『本草綱目』に記載された品目を,日本の品目に当てはめる考定の学問と言っても過言ではなかった.試料が実物ではなく乾燥や修治された状態で入ってきた場合,或いは情報が文章や簡単な図でのみの場合は,その考定が正しくない場合も数多くあった.「杜若」もその一つで,初期には考定が出来ず,またその後長期間誤って「ヤブミョウガ」とする考定が続いた.

安土桃山時代(1574-1600
中国における本草書の集大成とも言える★李時珍『本草綱目』(1596)は,刊行の八年後の 1604年には日本に渡来したとの記録がある.この『本草綱目』は,1637年に初の和刻本が出るなど,日本の本草学の教科書となり,多くの版本が出た.

『本草綱目』の「杜若」の項の性状に関する記述は「葉は薑に似て文理があり,根は高良薑に似て細く,味は辛くして香ばしい.また根は旋葍の根に似ていて殆んど見誤るほどだが葉が少し違う(弘景*).陰地に生ずるもので,苗は廣薑に,根は高良薑に似てゐるが全く辛味がない(恭*).苗は山薑に似て花は黄に子は赤い.その子は子(きょくし)ほどの大さで中は(ずく)に似ている(保昇*).衛州の一種の山薑は莖,葉が薑のやうで紫の花を開き,子は結ばない(頌*).杜若な(る)ものは世間に知る者がない(時珍*).**」とある.

それまで渡来していた本草書に比べると,記述が多くなった分混乱も深まる.葉が薑(しょうが)に似ていて根が旋葍***のそれに似ているのは共通しているが,根の味は辛いか味がないか,花も黄色か紫色か,実は赤くて棗ほどの大きさなのか,それとも生らないか.
* 梁:陶弘景,唐:蘇,韓:升,宋:蘇,明:李時珍
** 和訳は,白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳)『頭註国訳本草綱目』(1929)春陽堂(以下『頭註国訳』)による.
*** ヒルガオ科ヒルガオではなくキク科オグルマか?

江戸初期の★林羅山『多識編(1612) (再版 16301631),羅浮子道春諺解『新刊多識編巻之二 古今和名本草並異名』(1649)  巻之二 芳草部第二「杜若 案古久礼(こくれ) [異名]杜衡(トカウ)本 杜連(レン)別録」とあるが,この初めて出てきた和名とも思われる「古久礼」が何かは不明(左図,NDL).

「ヤブメヤウガ」は杜若の和名として磯野+の初見となる★貝原益軒『本草綱目品目 (1762) 「杜若 ヤブメヤウガ カキツハタト訓ス 非也」に現われる.
+ 貝原益軒著『本草綱目品目』『本草名物附録』は,寛文12年(1762)初刊『本草綱目』和刻本の附録だが,執筆されたのは延宝8年(1680)頃の可能性がある.しかしこのリストでは一応1672年に置き?を付した*

この「ヤブミョウガ」は現在の「ヤブミョウガ (Pollia japonica)」ではなく,益軒が活動した筑前地方の「ハナミョウガ (Alpinia japonica)」の方言であろうと,牧野は推測する****.そうであれば,益軒の『大和本草』での「杜若 ヤブミヤウガト云」と「和品 ヤブ茗荷,・・・杜若ヲヤブミヤウガト云別ナリ」の一見相反する記述が頷ける.

日本にも出版直後に輸入されたとの記録もある★陳扶揺『秘伝花鏡』(原本 1688, 平賀源内が校正・訓点を加え『重刻秘伝花鏡』1773)巻之五 には,「杜若 杜若一名杜蓮一名山薑生武陵川澤今處處有之。葉似薑而有文理,根似高良薑而細味極辛香。又似旋花根者即真杜若也。花黄子赤大如棘子,中似豆今人以杜蘅亂之非以藍菊名之更非」とあり,「ヤブミョウガ (Pollia japonica)」とは全く違う記述がされている.(図は平賀源内校訓『重刻秘伝花鏡』)(左図,NDL)
一方で,「ヤブミョウガ」は観賞用植物として,純白の細かい花と,瑠璃色の玉を並べたような実を賞されて,庭で育てられていた.
★伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』四・五(1695
「ミやうが草 初 花雪白。葉ハミやうがのことく」

★伊藤伊兵衛『増補地錦抄』七(1695)には,ミやうが草の絵が納められている(左図).

★伊藤伊兵衛三之丞画・同政武編『草花絵前集(1699)
「○茗荷草(めうがさう) 花しろくこまかにて、実は丸くて、其いろるりの玉をならべたるごとく、四五月より咲。」(左図,NDL)

★貝原益軒『大和本草(1709)
◇巻之八芳草類
「杜若 ヤブミヤウガト云葉ハ生薑ニ似テヒロシ.ヤフノ内陰地ニ生ス楚詞ニ出タリ根ハ良蘘ニ似テ小ナリ實ハ豆蔲ニ似本草與合ヘリ我國俗杜若ノ根ヲ良蘘トシ子(ミ)ヲ砂仁トス伊豆縮砂ト云アヤマレリ又國俗アヤマリテ杜若ヲカキツハタトヨム。カキツハタハ燕子花ナルヘシ杜若ニハアラズ又別ニヤフミヤウカ又山ミヨウカ共云草アリ此不同」(下図,NDL)
巻之九雑草類
「和品 ヤブ茗荷 又山ミヤウカトモ云 葉ハ蘘荷ニ似テ長五六寸アリ 茎モ蘘荷ニ似テ高二尺許 花白ク實黒クシテ円シ 南天燭ノ子ヨリ小ナレ 林下巷口陰湿ノ地ニ生ス 又杜若ヲヤブミヤウガト云別ナリ」
(左図,NDL)

付録巻之一
「燕子花(カキツバタ)溪蠻叢笑ニ云紫花全テ燕子ニ類(ニタリ).一枝數葩漳人名テ紫燕ト為○篤信曰燕子ノ花又極テ而小者ノ有其形状花容大者與同」

★貝原益軒『花譜(1709)巻之中三月
.燕子花(かきつばた) 福州府志に出たり.倭俗,あやまりて杜若をかきつばたといふ.杜若は別物なり.(以下略)」

****牧野富太郎「花の名随筆6 六月の花 カキツバタ一家言」「牧野富太郎選集 第二巻」東京美術1970(昭和45)年5月発行

益軒が杜若を『本草綱目品目』と『大和本草』巻之八芳草類で,在住地博多方言での「ヤブミョウガ」すなわちは「ハナミョウガ Alpinia  japonica」と校定し,『大和本草』巻之九雑草類の「和品 ヤブ茗荷,ヤフミヤウカ又山ミヨウカ」とは別品としていた****.しかし,小野蘭山はじめ,以降の多くの本草家がこの二つの「ヤブメヤウガ」を区別しなかったことから,「杜若=ヤブミョウガ P. japonica」が何の疑いもなく継承されることになったと考えられる.

また,多くの本草家が「杜若」を「カキツバタ」というのは誤りだと古くから言っているのに,いまだにカキツバタの漢字名として「杜若」が用いられている.

ヤブミョウガ-2/8 「杜若」 本草経集注,新修本草,本草和名,和名類聚抄,名語記,下学集,カキツバタ(誤用),犬子集,毛吹草

ヤブミョウガ-4/8 和漢三才図会,絵本野山草,花彙,挿花千筋の麓,本草鏡,重刻秘伝花鏡,庶物類纂図翼

2015年1月13日火曜日

ヤブミョウガ-2/8 「杜若」 本草経集注,新修本草,本草和名,和名類聚抄,名語記,下学集,カキツバタ(誤用),犬子集,毛吹草

Pollia japonica 

ヤブミョウガは長い期間「杜若」と考定されてきたので,日本における「杜若」考定の変遷をみる.

古くの日本の本草学は,中国から渡来した本草書,主に『本草綱目』に記載された品目を,日本の品目に当てはめる考定の学問と言っても過言ではなかった.試料が実物ではなく乾燥や修治された状態で入ってきた場合,或いは情報が文章や簡単な図でのみの場合は,その考定が正しくない場合も数多くあった.「杜若」もその一つで,初期には考定が出来ず,またその後長期間誤った考定が続いた.

日本には,飛鳥初期までに陶弘景の『本草経集注(500頃成) が伝来されたと考えられている.復元されたその書の「杜若」の項には「味辛,微,無毒。主治胸脅下逆氣,中,風入腦,頭腫痛,多涕出,眩倒目,止痛,除口臭氣。久服益精,明目,輕身,令人不忘。一名杜蘅,一名杜蓮,一名白蓮,一名白芩,一名若芝。生武陵川澤及宛。二月、八月采根,曝乾。(得辛夷、細辛良,惡茈胡、前胡。)
今處處有。葉似薑而有文理,根似高良薑而細,味辛香。又似旋複根,殆欲相亂,葉小異爾。《楚詞》云山中人兮芳杜若。此者一名杜蘅,今複別有杜蘅,不相似。(《大觀》)」とある.

さらに,奈良時代には唐の蘇敬が著した『新修本草(659)も渡来した.これは第9次遣唐使(717-718)がもたらしたらしい.『続日本紀』の延暦6 (787) 515日条には典薬寮から上奏文として,『新修本草』を調査したところ,この書はそれまで用いていた『本草経集注』を包含したうえ100余条を増加しているので,今後は『新修本草』を用いるべきと提案され,これが許されたと記されている.

『続日本紀巻第卅九〈起延暦五年正月、尽七年十二月。〉』「《延暦六年(七八七)五月戊戌【十五】》○戊戌。典薬寮言。蘇敬注新修本草。与陶隠居集注本草相検。増一百余条。亦今採用草薬。既合敬説。請行用之。許焉。(戊戌。典藥寮言。蘇敬注新修本草。与陶隱居集注本草一百餘條。亦今採用草藥。用之。許焉。)

これ以降,平安時代にかけて『新修本草』が本草書の標準になったと考えられる.
新修本草』「卷第七<篇名>杜若」には,「容:味辛,微,無毒。主胸脅下逆氣,中,風入腦,頭腫痛,多涕,出。眩倒目,止痛,除口臭氣。久服益精明目,輕身,令人不忘。一名杜衡,一名杜蓮,一名白蓮,一名白芩,一名若芝。生武陵川澤及宛。二月、八月采根,曝幹。
得辛荑、細辛良,惡柴胡、前胡。今處處有。葉似姜而有文理,根似高良姜而細,味辛香。又似旋根,殆欲相亂,葉小異爾。《楚辭》雲∶山中人兮芳杜若。此者一名杜衡,今復別有杜衡,不相似。
〔謹案〕杜若,苗似廉姜,生陰地,根似高良姜,全少辛味。陶所註旋根,即真杜若也。」とある.

この記述を受けての日本での「杜若」の考定は,

平安時代の延喜年間(901 - 923)に編纂された★深根輔仁撰『本草和名』には,「杜若 一名杜衡一名杜連一名白蓮一名白芥 (中略)  出隠居本草注 唐」とあるが,和名はない(左図 NDL).

984年(永観2年)朝廷に献上された★丹波康頼(912 – 995)撰『医心方』の「第七巻 草上之下三十八種」には「杜若 唐」とあるのみで,和名はない.

★源順『和名類聚抄』(931 - 938),那波道円 []1617刊本)には,『新修本草』で「杜若」の一名とされる「杜衡」の項はあるが,「杜若」の項は見当たらない. また,「杜衡」の項の内容は「杜若」とは全く異なる.

鎌倉時代の語源辞書★経尊『名語記』(1275)一〇「かきつばた如何。杜若とかけり」(未確認,出典:小学館『日本国語大辞典』第二版)

室町時代の日本の古辞書の一つ★東麓破衲編『下学集』(1444年成立) 巻下之三,艸木門の「杜若」に「カキツバタ」のふり仮名があるが,説明はない(右図NDL).

平安・鎌倉・室町時代までは中国本草書から「杜若」という薬草があることは分かっていたが,それが日本のどの植物に該当するのかは分かっておらず,室町後期には「カキツバタ」という,誤った読み仮名が振られていた.カキツバタを杜若と書く誤用は以降,物語・歌の世界で今にいたるまで用いられている.

松江重頼『犬子集』(1633)三・「杜若 見る人や何の用事もかきつばた〈重頼〉」(愛知県立大学図書館).
松江重頼『毛吹草』(1645)巻第二 連歌四季之詞 初夏 「杜若 皃よ花(かおよばな*)」.

なお,奈良時代の『万葉集(785) には,カキツバ(ハ)タはいくつかの歌に詠われており,その際の表記は「垣播,垣津旗,垣津播,加吉都播多」である.

*「かきつばた」の別名.かおよぐさ,かおよばな,かきつ,かいつばた.(小学館『日本国語大辞典』第二版)

2015年1月8日木曜日

ヤブミョウガ-1/8 杜若,古久礼,革牛草,アオノクマタケラン,ハナミョウガ

Pollia japonica
2008年8月茨城県南部
庭に樹木を植えてから多くの鳥が訪れるようになり,植えた覚えのない植物が「鳥の贈り物」として生えてきた.多いのは赤い実のなるナンテン,ヤブコウジ,マンリョウ,青い実のヤブラン.サンショウも生えてきた.ヤブミョウガもサクラの木の下,スイセンのベルトの真っ只中に生えてきて,広い葉をつけ,白い花が咲き,緑青→碧色の実をつけたが,次年の春のスイセンの生育を考えて退場を願った.採取時に根をかじったが,特に味はしなかった.

ヤブミョウガは日本原産の植物だが,その名が文献に現われたのは比較的新しく,磯野*によれば江戸時代中期,貝原益軒が 1680 年頃に作稿した『本草綱目品目』(1762 ) に,中国本草の「杜若」をヤブミョウガ**と考定したのが初出.それまでの和本草書では,「杜若」はあっても,日本のどの植物にあたるかは記載されていなかったり,カキツバタの漢名としたりしていた.この「杜若=ヤブミョウガ」の考定は江戸末期の大本草家,小野蘭山や水谷豊文,伊藤圭介そして飯沼慾斎にまで受け継がれた.

2014年12月 庭
また,江戸初期の林羅山『多識編』では「杜若 案 古久礼(こくれ)」とあり,これを引用している後続の書があるが,古久礼の本体は確認できなかった.

*磯野直秀『資料別・草木名初見リスト』慶應義塾大学日吉紀要 No.45, 69-94 (2009)
**牧野によればこのヤブミョウガはハナミョウガの方言の可能性

一方,江戸中期以降は観賞用の植物として,ミョウガソウ,ヤマミョウガ,ヤブショウガ,ハナミョウガとも呼ばれて,深緑の葉,純白の穂状の花,黒紫色の実(左図)が楽しまれ,特に茶花として評価が高かった.

「杜若」は日本の本草研究の大本になった『本草綱目』草之三 芳草類に収載されている薬草で,【主治】胸脅下逆氣,中,風入腦,頭腫痛,多涕出。久服益精明目輕身。令人不忘(《本經》)。治眩倒目 ,止痛,除口臭氣(《別》)。山薑去皮間風熱,可作炸 湯。又主暴冷,及胃中逆冷,霍亂腹痛 の効能があるとされる(右図,本草綱目 和刻 名物附録図 上 杜若,NDL).

しかし,記載された性状(特に花や実の色「花赤,子赤,大如棘子」)は,ヤブミョウガと一致せず,更に根や実に特に味がないことから,最初に「杜若=ヤブミョウガ」とした貝原益軒自身,この考定には疑問をもったようだ.『大和本草』(1709) 巻之八芳草類では,「杜若 ヤブミヤウガト云」とあるが,牧野はここに記述されている性状からこれは,「筑前方言のヤブミョウガすなわちハナミョウガ(ショウガ科)である」とした.一方同書の巻之九雑草類には,「和品 ヤブ茗荷 又山ミヤウカトモ云」とあり,これは「花白ク實黒クシテ円シ」などの記述からツユクサ科のヤブミョウガの事と考えられる.

さらに,江戸後期には,佳気園『茶席挿花集』で,ヤブミョウガは『本草綱目』の「茗荷」の項に言及されている「革牛草」であろうとされ,この考定は岩崎灌園『本草図譜』でも支持された.さらに,灌園は同書で「杜若」は「あをのくまたけらん」と考定し,牧野富太郎も『頭注国訳本草綱目』の「杜若」の項で「和名 あをのくまたけらん, 學名 Alpinia chinensis(現在の学名は A. intermedia)」とした.この「革牛草」の本体も確認できなかった.
ハナミョウガ 実 2009年1月 伊豆

しかし,木村康一,木村孟淳『原色日本薬用植物図鑑』保育社 (1981) には,「アオノクマタケランの種子は「黒手伊豆縮砂(くろでいずしゅくしゃ)」として,ハナミョウガ (A. japonica) (左図)の種子「伊豆縮砂(いずしゅくしゃ)」の代用とされるが香味に劣る」との記述はあるが,アオノクマタケラン及び杜若自体,またヤブミョウガの薬用植物としての記述はない.

一方,中国においては,清末の呉其濬 (1789-1847)の『植物名実図考』(1848) では,「杜若」としてアオノクマタケラン(Alpinia intermedia)と思われる植物が図示されている.しかし現代中国では「杜若」はヤブミョウガ (Pollia japonica) を指すとされ,一方 Alpinia intermedia は「光叶(葉)山姜(中国)」,「山月桃(台湾)」と呼ばれている.


2015年1月7日水曜日

Season's Greetings and Happy New Year, "Baa Baa Black Sheep" for 2015, Loch Ness & Urquhart Castle.

Season's Greetings and Happy New Year "Baa Baa Black Sheep" 2015
1978-May Scotland, Loch Ness & Urquhart Castle  左側下に Black sheep が二匹見える
Baa, baa, black sheep, 
Have you any wool?
Yes sir, yes sir, 
Three bags full.
One for the Master, 
One for the Dame,
And one for the little boy
Who cries down the lane.

1978-May Scotland
Abe, abe, Abenomics, 
Have you any wool?
Yes sir, yes sir, 
Three bags full.
Two for the Master, 
One for the Dame,
But none for the little boy
Who cries down the lane.

2008 July Koiwai Farm