Pollia
japonica
2008年7月 茨城県南部 |
ヤブミョウガは長い期間「杜若」と考定されてきたので,日本における「杜若」考定の変遷をみる(承前).
古くの日本の本草学は,中国から渡来した本草書,主に『本草綱目』に記載された品目を,日本の品目に当てはめる考定の学問と言っても過言ではなかった.試料が実物ではなく乾燥や修治された状態で入ってきた場合,或いは情報が文章や簡単な図でのみの場合は,その考定が正しくない場合も数多くあった.「杜若」もその一つで,初期には考定が出来ず,またその後長期間誤って「ヤブミョウガ」とする考定が続いた.
安土桃山時代(1574-1600)
中国における本草書の集大成とも言える★李時珍『本草綱目』(1596)は,刊行の八年後の 1604年には日本に渡来したとの記録がある.この『本草綱目』は,1637年に初の和刻本が出るなど,日本の本草学の教科書となり,多くの版本が出た.
『本草綱目』の「杜若」の項の性状に関する記述は「葉は薑に似て文理があり,根は高良薑に似て細く,味は辛くして香ばしい.また根は旋葍の根に似ていて殆んど見誤るほどだが葉が少し違う(弘景*).陰地に生ずるもので,苗は廣薑に,根は高良薑に似てゐるが全く辛味がない(恭*).苗は山薑に似て花は黄に子は赤い.その子は棘子(きょくし)ほどの大さで中は蔻(ずく)に似ている(保昇*).衛州の一種の山薑は莖,葉が薑のやうで紫の花を開き,子は結ばない(頌*).杜若な(る)ものは世間に知る者がない(時珍*).**」とある.
それまで渡来していた本草書に比べると,記述が多くなった分混乱も深まる.葉が薑(しょうが)に似ていて根が旋葍***のそれに似ているのは共通しているが,根の味は辛いか味がないか,花も黄色か紫色か,実は赤くて棗ほどの大きさなのか,それとも生らないか.
* 梁:陶弘景,唐:蘇恭,韓:保升,宋:蘇頌,明:李時珍
** 和訳は,白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳)『頭註国訳本草綱目』(1929)春陽堂(以下『頭註国訳』)による.
*** ヒルガオ科ヒルガオではなくキク科オグルマか?
江戸初期の★林羅山『多識編』(1612) (再版
1630、1631),羅浮子道春諺解『新刊多識編巻之二 古今和名本草並異名』(1649) 巻之二 芳草部第二「杜若 案古久礼(こくれ) [異名]杜衡(トカウ)本經 杜連(レン)別録」とあるが,この初めて出てきた和名とも思われる「古久礼」が何かは不明(左図,NDL).
+ 貝原益軒著『本草綱目品目』『本草名物附録』は,寛文12年(1762)初刊『本草綱目』和刻本の附録だが,執筆されたのは延宝8年(1680)頃の可能性がある.しかしこのリストでは一応1672年に置き?を付した*.
この「ヤブミョウガ」は現在の「ヤブミョウガ (Pollia japonica)」ではなく,益軒が活動した筑前地方の「ハナミョウガ (Alpinia japonica)」の方言であろうと,牧野は推測する****.そうであれば,益軒の『大和本草』での「杜若 ヤブミヤウガト云」と「和品 ヤブ茗荷,・・・杜若ヲヤブミヤウガト云別ナリ」の一見相反する記述が頷ける.
日本にも出版直後に輸入されたとの記録もある★陳扶揺『秘伝花鏡』(原本 1688, 平賀源内が校正・訓点を加え『重刻秘伝花鏡』1773)巻之五 には,「杜若 杜若一名杜蓮一名山薑生武陵川澤今處處有之。葉似薑而有文理,根似高良薑而細味極辛香。又似旋葍花根者即真杜若也。花黄子赤大如棘子,中似豆蔻今人以杜蘅亂之非以藍菊名之更非」とあり,「ヤブミョウガ (Pollia
japonica)」とは全く違う記述がされている.(図は平賀源内校訓『重刻秘伝花鏡』)(左図,NDL)
一方で,「ヤブミョウガ」は観賞用植物として,純白の細かい花と,瑠璃色の玉を並べたような実を賞されて,庭で育てられていた.
★伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』四・五(1695)
「ミやうが草 初 花雪白。葉ハミやうがのことく」
★伊藤伊兵衛『増補地錦抄』七(1695)には,ミやうが草の絵が納められている(左図).
★伊藤伊兵衛『増補地錦抄』七(1695)には,ミやうが草の絵が納められている(左図).
「○茗荷草(めうがさう) 花しろくこまかにて、実は丸くて、其いろるりの玉をならべたるごとく、四五月より咲。」(左図,NDL)
★貝原益軒『大和本草』(1709)
◇巻之八芳草類
「杜若 ヤブミヤウガト云葉ハ生薑ニ似テヒロシ.ヤフノ内陰地ニ生ス楚詞ニ出タリ根ハ良蘘ニ似テ小ナリ實ハ豆蔲ニ似本草與合ヘリ我國俗杜若ノ根ヲ良蘘トシ子(ミ)ヲ砂仁トス伊豆縮砂ト云アヤマレリ又國俗アヤマリテ杜若ヲカキツハタトヨム。カキツハタハ燕子花ナルヘシ杜若ニハアラズ又別ニヤフミヤウカ又山ミヨウカ共云草アリ與レ此不レ同」(下図,NDL)
◇巻之九雑草類
「和品 ヤブ茗荷 又山ミヤウカトモ云 葉ハ蘘荷ニ似テ長五六寸アリ 茎モ蘘荷ニ似テ高二尺許 花白ク實黒クシテ円シ 南天燭ノ子ヨリ小ナレ 林下巷口陰湿ノ地ニ生ス 又杜若ヲヤブミヤウガト云別ナリ」
(左図,NDL)
(左図,NDL)
◇付録巻之一
「燕子花(カキツバタ)溪蠻叢笑ニ云紫花全テ燕子ニ類(ニタリ).一枝數葩漳人名テ紫燕ト為○篤信曰燕子ノ花又極テ而小者ノ有其形状花容大者與レ同」
★貝原益軒『花譜』(1709)巻之中三月
「.燕子花(かきつばた) 福州府志に出たり.倭俗,あやまりて杜若をかきつばたといふ.杜若は別物なり.(以下略)」
****牧野富太郎「花の名随筆6 六月の花 カキツバタ一家言」「牧野富太郎選集 第二巻」東京美術1970(昭和45)年5月発行
益軒が杜若を『本草綱目品目』と『大和本草』巻之八芳草類で,在住地博多方言での「ヤブミョウガ」すなわちは「ハナミョウガ
Alpinia japonica」と校定し,『大和本草』巻之九雑草類の「和品 ヤブ茗荷,ヤフミヤウカ又山ミヨウカ」とは別品としていた****.しかし,小野蘭山はじめ,以降の多くの本草家がこの二つの「ヤブメヤウガ」を区別しなかったことから,「杜若=ヤブミョウガ
P. japonica」が何の疑いもなく継承されることになったと考えられる.
また,多くの本草家が「杜若」を「カキツバタ」というのは誤りだと古くから言っているのに,いまだにカキツバタの漢字名として「杜若」が用いられている.
ヤブミョウガ-2/8 「杜若」 本草経集注,新修本草,本草和名,和名類聚抄,名語記,下学集,カキツバタ(誤用),犬子集,毛吹草
ヤブミョウガ-4/8 和漢三才図会,絵本野山草,花彙,挿花千筋の麓,本草鏡,重刻秘伝花鏡,庶物類纂図翼
また,多くの本草家が「杜若」を「カキツバタ」というのは誤りだと古くから言っているのに,いまだにカキツバタの漢字名として「杜若」が用いられている.
ヤブミョウガ-2/8 「杜若」 本草経集注,新修本草,本草和名,和名類聚抄,名語記,下学集,カキツバタ(誤用),犬子集,毛吹草
ヤブミョウガ-4/8 和漢三才図会,絵本野山草,花彙,挿花千筋の麓,本草鏡,重刻秘伝花鏡,庶物類纂図翼
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