2015年1月8日木曜日

ヤブミョウガ-1/8 杜若,古久礼,革牛草,アオノクマタケラン,ハナミョウガ

Pollia japonica
2008年8月茨城県南部
庭に樹木を植えてから多くの鳥が訪れるようになり,植えた覚えのない植物が「鳥の贈り物」として生えてきた.多いのは赤い実のなるナンテン,ヤブコウジ,マンリョウ,青い実のヤブラン.サンショウも生えてきた.ヤブミョウガもサクラの木の下,スイセンのベルトの真っ只中に生えてきて,広い葉をつけ,白い花が咲き,緑青→碧色の実をつけたが,次年の春のスイセンの生育を考えて退場を願った.採取時に根をかじったが,特に味はしなかった.

ヤブミョウガは日本原産の植物だが,その名が文献に現われたのは比較的新しく,磯野*によれば江戸時代中期,貝原益軒が 1680 年頃に作稿した『本草綱目品目』(1762 ) に,中国本草の「杜若」をヤブミョウガ**と考定したのが初出.それまでの和本草書では,「杜若」はあっても,日本のどの植物にあたるかは記載されていなかったり,カキツバタの漢名としたりしていた.この「杜若=ヤブミョウガ」の考定は江戸末期の大本草家,小野蘭山や水谷豊文,伊藤圭介そして飯沼慾斎にまで受け継がれた.

2014年12月 庭
また,江戸初期の林羅山『多識編』では「杜若 案 古久礼(こくれ)」とあり,これを引用している後続の書があるが,古久礼の本体は確認できなかった.

*磯野直秀『資料別・草木名初見リスト』慶應義塾大学日吉紀要 No.45, 69-94 (2009)
**牧野によればこのヤブミョウガはハナミョウガの方言の可能性

一方,江戸中期以降は観賞用の植物として,ミョウガソウ,ヤマミョウガ,ヤブショウガ,ハナミョウガとも呼ばれて,深緑の葉,純白の穂状の花,黒紫色の実(左図)が楽しまれ,特に茶花として評価が高かった.

「杜若」は日本の本草研究の大本になった『本草綱目』草之三 芳草類に収載されている薬草で,【主治】胸脅下逆氣,中,風入腦,頭腫痛,多涕出。久服益精明目輕身。令人不忘(《本經》)。治眩倒目 ,止痛,除口臭氣(《別》)。山薑去皮間風熱,可作炸 湯。又主暴冷,及胃中逆冷,霍亂腹痛 の効能があるとされる(右図,本草綱目 和刻 名物附録図 上 杜若,NDL).

しかし,記載された性状(特に花や実の色「花赤,子赤,大如棘子」)は,ヤブミョウガと一致せず,更に根や実に特に味がないことから,最初に「杜若=ヤブミョウガ」とした貝原益軒自身,この考定には疑問をもったようだ.『大和本草』(1709) 巻之八芳草類では,「杜若 ヤブミヤウガト云」とあるが,牧野はここに記述されている性状からこれは,「筑前方言のヤブミョウガすなわちハナミョウガ(ショウガ科)である」とした.一方同書の巻之九雑草類には,「和品 ヤブ茗荷 又山ミヤウカトモ云」とあり,これは「花白ク實黒クシテ円シ」などの記述からツユクサ科のヤブミョウガの事と考えられる.

さらに,江戸後期には,佳気園『茶席挿花集』で,ヤブミョウガは『本草綱目』の「茗荷」の項に言及されている「革牛草」であろうとされ,この考定は岩崎灌園『本草図譜』でも支持された.さらに,灌園は同書で「杜若」は「あをのくまたけらん」と考定し,牧野富太郎も『頭注国訳本草綱目』の「杜若」の項で「和名 あをのくまたけらん, 學名 Alpinia chinensis(現在の学名は A. intermedia)」とした.この「革牛草」の本体も確認できなかった.
ハナミョウガ 実 2009年1月 伊豆

しかし,木村康一,木村孟淳『原色日本薬用植物図鑑』保育社 (1981) には,「アオノクマタケランの種子は「黒手伊豆縮砂(くろでいずしゅくしゃ)」として,ハナミョウガ (A. japonica) (左図)の種子「伊豆縮砂(いずしゅくしゃ)」の代用とされるが香味に劣る」との記述はあるが,アオノクマタケラン及び杜若自体,またヤブミョウガの薬用植物としての記述はない.

一方,中国においては,清末の呉其濬 (1789-1847)の『植物名実図考』(1848) では,「杜若」としてアオノクマタケラン(Alpinia intermedia)と思われる植物が図示されている.しかし現代中国では「杜若」はヤブミョウガ (Pollia japonica) を指すとされ,一方 Alpinia intermedia は「光叶(葉)山姜(中国)」,「山月桃(台湾)」と呼ばれている.


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