2017年5月30日火曜日

アマナ-(6)日本文献-2 山慈姑, アマナ 画本野山草,広倭本草,物類品隲,花彙,千家新流挿花直枝芳,本草正譌,本草正正譌,質問本草

Amana edulis
2017年4月
江戸中期以降は「山慈姑=アマナ」が定着したようだが,本草書では中国本草での記述と合わない部分は,「山慈姑には数種ありその一つがアマナで,他にはヒガンバナやショウキズイセンだ」とも記している.また,茶花の花材としても使われている.挿図は NDL の公開画像より部分引用.

橘保国(1715-1792)画本野山草(1755) の巻之二には
「春蘭 一名独頭(とくとう)蘭
葉 蘭に似て小し 春 白うす紅の花を開 蘭のごとし 二月 花」
 と本文にはあり,絵手本には
「花生エンシノグ内
白 ソトクサクシルクマ
春蘭(しゅんらん)
白六
クサクマ」
と塗る色が指定されている.名前は春蘭ではあるが,絵からアマナである.(左図)

直海元周『広倭本草(1759) 第四巻 には
山慈姑  三種アリ 一種ハアマナ 一種ハ石蒜ナリ  叉別ニ一種ノ物アリ 外丹本艸及ビ土宿本艸等ノ説ハ皆石蒜ヲ指ス 必石蒜ノ説ヲ非トスベカラズ 石蒜ハハミズハナミズト云モノナリ」(右図)
と山慈姑と呼ばれる薬草には三種あり,その一種はアマナであり,他の二種の一つはヒガンバナとしている.

平賀源内『物類品隲(1763) 巻之三には
山慈姑 和-アマナムギクワヰ又メウロント云東-璧曰山慈-姑處虜-處有之冬-月生ニシテ水仙-
而狭-月中--一高-許開花白-色亦有-色黄-上有-花乃衆-
一朶ニテ紐成スカ愛三月結實有三稜-月初苗-ト此モノ本-邦亦數-種アリ白-花ノモノ
-在ニアリ〇駿-河産亦赤-花ノモノ方-俗田ユリト云壬-午客-品中同-國沼-驛清玄-一具○大-和吉-
野下市産花深--色壬-午客--中同-所内-田七右衛門具」(左図)
と,『本草綱目』の記述を元にしながら,日本産の山慈姑=アマナには白と赤と黄色の花があるとし,夫々の産地も示す.この白花がアマナであろうか.

島田充房・小野蘭山『花彙(1765) 草一には,美しい絵と共に,
山慈姑(サンジコ) 俗名アマナ
-道山-中湿-地及假--芝(カリネシバ)ニ有之 冬月葉ヲ生ス綿棗兒(サンタイカサ)
葉ニ似テ緑色 苗高五七寸 二月莖ヲ抽箭幹(ヤガラ)ノ如シ 莖-
端花ヲ開ク 紫-色 形小山丹(ヒメユリノ)花ノ如シ 又有リ白色紅-色ノ者
-初メ苗-枯 其根-状慈-姑(クハヱ)ノ如シ故ニ名ク」とある.葉はツルボに似ていて,花は紫色,白,紅色があるとのこと.さて,何だろう.(右図)

千家新流の創始者,入江玉蟾撰『千家新流挿花直枝芳(1768) の「春」の部には,「山慈姑(サンジコ)和名 アマナ艸 種類あり」と立派な陶器製の壺に挿されたアマナの生花が春の折入花の手本として描かれている.茶花とはいえ,あまり持たなかったのではと心配される.(左図)

名古屋の儒学者で尾張本草学開拓の巨匠でもあった,松平君山(秀雲)(1697-1783) の『本草正譌(せいか)(1776) には
山慈姑
用薬須知の説石蒜と相混す本草綱目の形狀を案
するに和産の山慈姑と偁する物眞なり紅白黄の三色あ
り但二月中に花を開くと云和産は四月苗枯れて後花を
生す時候少し違ふは土地の異なり松岡氏臞仙神隠*
引く花紅にして花と葉と不相見故無義草と云石蒜根なる
へしと云山慈姑も葉枯れて後花を生す是亦無義草と
云へし強て石蒜とすへからす石蒜俗しひとはな本草七月
苗枯乃於平地出一莖如箭幹莖端開花四五朶六出
紅色如山丹花一而辧長黄蕊長鬚と是を以て見れは山
慈姑と混すへからす一種鐵色箭と名つく物は俗名夏水
仙なり」とあり,和産のアマナが山慈姑の本物としている.(右図)
*『臞仙神隠』明・寧献王朱権(明の太祖洪武帝の第17子,?~1488)撰の,前半は養生および家政の術,後半は農業を主とした月令.臞仙は朱権の自号。『神隠』『臞仙神隠書』『臞仙論』などともいう.閲覧できず.

一方,上記の「本草正譌」の所説を評した山岡恭安の『本草正正譌(1779) 草部には
山慈姑。按ズルニ同類五種。二種、葉深緑光沢、四月苗
枯テ後花アリ。綱目時珍ガ所説ノ物是ナルカ。一種、
葉韭葉ニ似テ粉緑色、二月開花、貝母花二似テ白或ハ
紫色、四月苗枯。俗名アマナ、是襲氏ガ所謂金燈龍
一名山慈姑ナル物ナリ。一種、八月赤花アリ、九月苗
ヲ生ジ三月枯。俗名ヘソビト云,是石蒜ニシテ浮図氏
ノ曼珠沙花、僧法雲ガ此ニハ赤華ト翻スト云物ナリ。
一種、鉄色箭、ナツ水仙ナリ、一種同類ニシテ七月白
花ヲ開ク、陳扶揺ガ所謂忽地笑*也。」 と山慈姑には何種かありその一つがアマナであり,花が赤いのはヒガンバナ(ヘソビ),そのほかナツズイセン,忽地笑*が山慈姑であるとしている.
*忽地笑:現代中国ではショウキズイセン(Lycoris aurea)とされている.花色は黄色.ここで言うのはシロバナマンジュシャゲ(Lycoris x albiflora)か.
この書はことさら先輩松平君山の説に異を立てたというほどではなく、すでに書き上げてあった「本草和産考」のうちから、所見を異にするものを摘出して世に問うたものといわれる.

中山呉子善・呉継志『質問本草』(1789 原稿成立)薩摩府學蔵版として,天保八年,道光十七年,尚育王三年,1837年刊
1789年に中山および掖玖諸島の草木160種に関し,薬効を福建等の中国医師45名に質し作成したと始めに記す.草木の線描と簡単な効用を紹介.作者の呉継志,また,成立についての詳細は不明.1837年江戸の須原屋,山城屋等で発行.
その「巻之三」には(左図),

山慈姑 アマナ ムギクワヰ
-冬生兩葉-對生春抽小莖-六寸而開--
月葉枯
---名朱姑與石蒜タリ惟石-葉上有毛此葉上無
毛是山--ナルコト-乙紫--*ノ之方-中ノ要藥 甲-** -
--姑能毒ヲ瘡---用用フ 甲辰** 周之良 履仁 呉美山
-山稱シテ---年江南-氏鑒シテ山慈姑先生ノ再-
マスセン 乙-** 潘貞蔚 石家辰
レハ---也 乙-巳 陳--爲 代潘貞蔚 石家辰ニ再-問ス」

と複数の中国人医師に質問したが,この植物は山慈姑だと言われたとある.但し「アマナ」は琉球列島には自生していなかったので(金城勇徳,沖縄県医師会報「質問本草」の植物について②),花の咲いた実物を示したのか,鱗茎をしめしたのか,絵を示したのかは不明.

*-乙紫--*:『本草綱目』の「山慈姑」の章,【附方】の項に「萬病解毒丸一名太乙紫金丹,一名玉樞丹。解諸毒,療諸瘡,利關節,治百病,起死回生,不可盡述(以下略)」があって,『国訳本草』では,「萬病解毒丸一名太乙紫金丹,一名玉樞丹。諸毒を解し,諸瘡を療し,關節を利し,百病を治し,起死囘生の功述べ盡し難い。」とあり,その製造法は「山慈姑を皮を去りよく洗ひ淨め焙じて二兩,川五倍子を洗い刮り焙じて二兩,千金子仁の白いものを研り紙で壓搾し油を去って一兩,芽の紅い大戟を蘆を去り洗ひ焙じて一兩半,麝香三錢を用ゐ,端午,七夕,重陽の日,或は天德、月德、黄道の上吉日を撰び,豫め齋戒して服装を改め,藥品の取扱ひに精心を凝らしそれぞれ末にし,それを祭壇に供へて礼拝祈禱してから,薄絹の重ね篩で羅(ふる)つてよく勻ぜ,糯米の濃飲で和して木臼で千杵搗き,一錢づつを一錠に作るのである」と訳され,「山慈姑」が霊薬「太乙紫金丹」の重要な原料であるとある.

**甲辰:1784年,乙-巳:1785

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