2018年10月1日月曜日

ムシャリンドウ (11/11) –仮,学名 (6) 中井猛之進 Dracocephalum ruyschiana var. japonicum


Dracocephalum argunense

ムシャリンドウの現在の標準的な学名(正名)は,Dracocephalum argunense Fisch. ex Link で,フィッシャー (Fischer, Friedrich Ernst Ludwig von, 1782-1854) がロシア極東で発見した個体を基に,1822年にリンク (J. H. F. Link, 1767-1851) によって発表された.

一方日本産のムシャリンドウに対しては,シーボルが和名セイラン(青蘭)に由来する Stachys seiran というラテン名を残したと,ミクェルは記録している(前記事参照),一方,ロジャー艦隊(1853-1856)が尻屋崎で採取した標本を基に,米国の A. Gray が欧州産の Dracocephalum ruyschiana の変種として D. ruyschiana var. japonicum と名づけ (1859) た(前々記事参照).

これに対し,日本の中井猛之進は『植物學雑誌 (B. M. T.)(1911) に「内地産むしやりんだうハ欧洲産ノむしやりんだうヨリ花形大ニシテ其變種トスベキモノナルコト、學名ハ D. Ruyschianum v. arguneusisトスベキコト、其分布ハ日本、満韓、支那、アムール及ビダフリアニ亙ルコト」と述べて,D. Ruyschianum var. arguneusis の学名が妥当としたが,現在はこの名称も D. argunense のシノニムとされている.

中井猛之進 (1882 – 1952) は明治-昭和に活動した岐阜県出身の植物学者.東京帝国大学理科大学で松村任三に教え受け,1927 年東京帝大の教授となった.朝鮮などの植物分類・研究をおこない,同年学士院桂公爵記念賞.1943 年日本占領下のジャワのボイテンゾルフ(現ボゴール)植物園長.1947 年東京科学博物館長等を歴任した.著作に「朝鮮森林植物誌」など.ミヤギノハギ Lespedeza thunbergii (DC.) Nakai,チョウノスケソウ Dryas octopetala L. var. asiatica (Nakai) Nakai 等の学名の命名者.

植物學雑誌』第二百九十二號 p. 188

 彼は,『植物學雑誌』第二百九十二號(明治四十四年五月十二日發行 
188)の「◎雜録」の段に
「○ むしやりんだうトDracocephalum
Ruyschianum トハ同一ノモノナルカ
中井猛之進」
の題で,以下の論文を発表した.原文は上図にあるように,本文は片仮名であるが,読みやすいように記述は平仮名,海外地名・植物名及び単位名は片仮名で示す.

Dracocephalum Ruyschianum は亜爾泰山*以西欧洲に分布する植物なるが其類似のものとして記されしもの二あり、一は黒龍江の流域、ダフリア**、アムール竝に滿州、支那に産するもの一は日本に産するものなり、前者はダフリアの産として1822 年時の伯林の植物學教授HEINRICH FRIEDRICH LINK 氏が其著Enumeratio plantarum hortiregii botanici Berolinensis 第二巻にD. argunensis FISCHER として記せるに始まり1848 年にはBENTHAM 氏がDE CANDOLLE氏のProdromus第十二巻に同じ D. Ruyschianum より区別して記し1851 年には更にKARL FRIEDRICH VON LEDEBOUR 氏が Flora Rossica 第三巻にD. Ruyschianum v. speciosum なる新稱を下して D. argunensis を其異名とせり
一方我國に産するものは ASA GRAY 氏が1859 年本邦植物をMemoirs of the American Academy of Arts & Sciences に記し亜米利加植物と分布上の比較をなせしときムシヤリンダウを認めて D. Ruyschianum と区別あるものとし D. Ruyschianum v. japonicum とせしが MIQUEL 氏は直ちに之れを踏襲して Prolusio Florae Japonicae 中に記せり、さればHERDER 氏が Plantae Raddeanae を著せる際には D. Ruyschianum を二つに分ち typeと分ちて v. japonicum を記し D. argunensis は依然濁立したる一種とせり、KORSCHINSKY 氏が黒龍江植物を記せるときは同じく区別したれどもLEDEBOUR 氏の v. speciosum を用ゐたり、然るに FRANCHET, SAVATIER 兩氏が日本植物誌を記するに當りてはムシヤリンダウは D. argunensis type に外ならずと記し HEMSLEY 氏の支那植物目録にも亦別に区別せず我邦に産するもののみならず D. arguneusis をも同一のものとせり
下て1902 FREYN氏が Oesterichische Botanische Zeitschrift に黒龍江地方の植物を記載せるときには再び区別して D. arguensis を用ゐKOMAROV 氏の満州植物誌を記せるときも亦其名を用ゐ更にHERDER 氏と意見を異にし D . Ruyschianum v. japonicum を其異名とせり
之れに依て見るに兩者を区別する人は變種説をとるものと種説をとるものとの二派に分れ居れども斯く多數の人が区別しつゝあるより見れば假令 FRANCHET, SAVATIER, HEMSLEY の三氏は合一するも何等か区別の點あるらしく思はる
此に於てか我國に最も關係ある満韓地方のムシヤリンダウは果して D. Ruyschianum と区別し得べきものなるか又本邦所産のものも区別あるものなるか又本邦所産のものと満韓地方のものと区別あるものなるか此三題を解決すべき爲め余は先づ從來最も精密に記載せるBENTHAM 氏の記載に依て兩者を区別すれば大凡次の如し

D. argunensis
D. Ruyschianum
萼片毛なし、上唇廣く下唇
は狭し、花瓣青く萼片の三
倍に達し萼片の長さ
8 lin. あり
萼片に毛あり、上唇は卵形
下唇は披針形、花瓣赤紫色
にして萼片のに倍、萼片は
4 lin. あり

ASA GRAY 氏が本邦産のものを D. Ruyschianum と分ちたる理は花形大にして長な一寸五分に達し且毛の多きものなりと謂ふにあり
然らばBENTHAM 氏に從へば D. arguensis 即ち黒龍江地方に生ずるものは毛少くA.GRAY氏に依れば内地所産のものは毛多きが如く思はる、今之れを實物に就て見るに本邦産のものは、毛多きもの多く大陸産のものは毛少きもの多きが如くなれども我邦に産するもの必ずしも毛少きものなきに非ず, 大陸に産するもの毛多きものなきに非ず、たま/\ BENTHAM, GRAY兩氏の所檢を得たる標品が毛なきものと毛多かりしものなりしにして此點を以て兩者を分つことはもとより成し得べきことに非ず上唇下唇の廣狹も同じく個體的の差異にして区別の點とならず
次に花色に就て考ふるにBENTHAM 氏はtype のものは赤紫色にして D. argunensis は青色なりと云ふ、之れ果して然るか、不幸余は生品に就て之れを観察するの機を得ざれども之れを諸多の記載に照すに記載者に依り種々の説明あり、HERMAN BOERHAAVE 氏が1720 年に Lugdum Bativorum 第一巻に記せるときは青色なりとし ROBERT MORRISON 氏が1769 Plantarum Historiae Universalis Oxoniensis第三巻にも青色なりと記せり
然るに GMELIN 氏が Flora Sibirica 第三巻(1768) に云ふ所に從へば花肉色のものと白色のものとの二種あり、DIETRIG 氏の Garten Lexicon 第三巻(1803) には Blauen in Aehren stehenden Blumen と記しKOCH 氏の Taschenbuch der Deutschen und Schweizer Flora, WAGNER氏の Deutschen Flora 竝にTHOME氏の獨墺瑞のFlora には Blumen violet とせり、之れに依て見れば BEZTHAM 以前即ち blue, violet の色別を明にせざりし時代には blue なる記載をなし其以後はviolet とかpurple とか云ふ色にて区別したるが如し而れどもこは實地各地に就て観察するに非ざれば早計に D. argunensis との区別點とすること能はざるなり、況んや D. argunensis は從來植物學者に花色の観察を受くる機會多からざりしに於てをや、余は北韓所産のものを見しときは何れも濃き青色を呈し居たれども又淡きものなしとも斷定し得ず現にスミレ、ウツボグサ、キランサウの如き青色花又は董青色花を開くものに赤紫色の變種あるに於てをや
以上の三特徴が区別點とするに困難なるに比し花の大さは多少区別し易きが如し即ち余自ら標品に就て計りしにD. Ruyschianum にありては萼片10- 11 「ミリ」花瓣は25- 27 「ミリ」を算し D. argunensis にありては萼片10-18 「ミリ」通例14「ミリ」以上花瓣は30- 40「ミリ」に達せりWAGNER 氏のDeutschen Flora には D. Ruyschianum の花は2 「ミリ」ありとし KRYLOR氏の Flora Altaica にも又花形の小なるを云ひ反之 KOMAROV氏の Flord Manshurica にあるは D. argunensis なる故花形大なるを云ふ、内地所産のムシヤリンダウは花形に就ては D. argunensis に全然一致するものなり、然らば内地産のものは毛、花色、花形何れに於ても D. argunensis に一致し明に同一種なることを知り得るなり、而らば D. argunensis D. Ruyschianum と区別すべきは單に花形にありて其も32 許りの比例にすぎず花色は種々の記載に依り判然たる匪別なきが如し故に兩者は species として分たんよりは寧ろ LEDEBOUR, GRAY, KORSCHINSKY 氏等の考定せる如く變種とする方適當なるべし
變種としての學名はv. speciosa (1851), v. japonica (1859) の二者あれども D. argunensis の名最も古き故 v. argunensis  (Fischer) の新名を用ゐてムシヤリンダウを表はし得べく且最も穏當なり
以上のことを綜合すれば次の如し
内地産ムシヤリンダウは欧洲産のムシヤリンダウより花形大にして其變種とすべきものなること、學名は D. Ruyschianum v. arguneusisとすべきこと、其分布は日本、満韓、支那、アムール及びダフリアに亙ること
欧洲産のものは D. Ruyschianum type にして花形内地産のものより遙かに小にして東は亜爾泰山より北は露國及びスカンヂナビア半島の南部より南は高加索瑞西***、佛蘭西に亙りて産すること」
と記した.
*亜爾泰山=アルタイ山脈,西シベリアとモンゴルにまたがる山脈
**ダフリア=ダウリヤ,ザバイカルと沿アムール西部の17世紀以前の古称
***高加索瑞西=コーカサス

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