2019年8月28日水曜日

イチハツ-6 和-6(仮)物品識名・薬品手引草・草木図説・牧野増訂草木図説・方言

Iris tectorum

イチハツは,その根が鳶尾根,鳶尾頭という生薬として売られ,また「知母(ユリ科,ハナスゲの根茎)」の増量剤として用いられていた.
また,アヤメの類として一番先に咲く庭園花卉として,さらに,茅葺屋根の棟に土を盛り,屋根を抑える「芝棟」用の植物としても用いられていた.
外来種で栽培の歴史が短い故か,地方名は多くはないが,関東では「芝棟」に関連する名が残る.

★岡林清達・水谷豊文『物品識名(1809 )  (文化6(1809)跋刊)
品名を和名のイロハ順とし,ついで水・火・金・土・石・草・木・虫・魚・介・禽・獣に分け,各項にその漢名・和の異名・形状などを記した辞典.序によれば,『物品識名』は,初め水谷豊文(17791833)の友人岡林清達が着手したが眼病で中絶し,豊文が継続,完成させた.後編『物品識名拾遺』(特1-2504)は豊文の単独執筆である.イロハ順といっても,江戸時代の場合は第2字目以下はイロハ順ではないが,本書は「キリシマ・キリ・キリンケツ」のように,第2字目も同じ名を連続する工夫をしているので,一般的なイロハ引より使いやすい.本書は和名中心の動植鉱物辞典の嚆矢だったので,大歓迎された.
その「乾 以部」に,「イチハツ 鳶尾 紫羅蘭 本草彙言」とある.

★加地井高茂編『薬品手引草(1843) は,本草で用いられる動植鉱物の和名から漢名を引ける辞書で,その「イ」の部に「いちはつ                          紫羅傘(シラサウ)之」とある.

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』(1852成稿),出版 1856から62)は,草類1250種の植物学的に正確な解説と写生図から成る.草部20巻,『草木図説』はリンネの分類に従い,『本草綱目』による配列より近代化されていて,ラテン語の学名や時にオランダ語を加えている.リンネの分類体系のためには雄しべ・雌しべを正確に数える必要があったことは,慾斎の花部の描写を丁寧で正確にし,図を精密に美しくした.
その「巻之二」に
イチハツ  鳶尾
人家多栽テ花ヲ玩ブ.葉劔狀ニシテ脊ナク數片扁列シ長一尺餘胡蝶(シャガ)草ニ似テ光
澤ナク色淡緑,三四月葉間莖ヲ抽クコト亦一尺餘,多クハ一葉アツテ岐ヲナシ毎頂數
片ノ苞アツテ花ヲ出ス.大抵三花甲萎テ乙次之,初頭ハ梗ナク終末ナルハ短梗ヲ
見ル.花大小六瓣,大辧ハ展開微ク垂レ,形燕子花(カキツバタ)ニ似テ幅更ニ闊ク色淡紫碧ニシテ
紫點アリ,瓣心ノ許ニ剪栽様ノ裂片アリ白質紫點,小瓣ハ卵圓ニシテ上ニ立チ色
同シテ紫點少ク毛様裂片ナシ,叉白花或ハ淡黄褐色ノ品アリ實礙圓ニシテ一柱粗シテ
三裂半ニ至ル.末端ニ尖頭齒刻アツテ略花瓣ノ如ク色亦同ク,花心ニアツテ小瓣
ノ間ニ開ク.三雄蘂柱背ニ沿イ灰白色ノ長葯アリ.圖在燕子花 下可照見.實熟シテ鈍三角三區
ニシテ内ニ薄片子ヲ多ク蓄フ.根横行結節多毛味辛ク口舌ヲ刺戟ス.内外用共ニ功
アリ.此類花實根形率*前説ノ如シ.故ニ已下ノ諸種ニハタヾソノ殊態ヲ舉ルノミ.

第三種
イリス,ゲルマニカ** 羅 ドイッセ,イリス 蘭」とある.
*:おおむね
**Iris germanica:ドイツアヤメ,別名:ジャーマンアイリス

★牧野富太郎が上記著作を増補・改定した『増訂草木図説 1-4』(1907-22)には
「草部 巻二 
○第二圖版 Plate II.
イチハツ  鳶尾
Iris tectrorum Maxim.
アヤメ科(鳶尾科) Iridaceae

人家多栽テ花ヲ玩ブ.葉劔狀ニシテ脊ナク數片扁列シ長一尺餘胡蝶(シャガ)草ニ似テ光澤
ナク色淡緑,三四月葉間莖ヲ抽クコト亦一尺餘,多クハ一葉アツテ岐ヲナシ毎頂數片
ノ苞アツテ花ヲ出ス.大抵三花甲萎テ乙次之,初頭ハ梗ナク終末ナルハ短梗ヲ見ル.花
大小六辧,大辧ハ展開微ク垂レ,形燕子花カキツバタニ似テ幅更ニ闊ク色淡紫碧ニシテ紫點アリ,
辧心ノ許ニ剪栽様ノ裂片アリ白質紫點,小辧ハ卵圓ニシテ上ニ立チ色同シテ紫點
少ク毛様裂片ナシ,叉白花或ハ淡黄褐色ノ品アリ實礙圓ニシテ一柱粗シテ三裂半
ニ至ル.末端ニ尖頭齒刻アツテ略花辧ノ如ク色亦同ク,花心ニアツテ小瓣ノ間ニ開ク.
三雄蘂柱背ニ沿イ灰白色ノ長葯アリ.圖在燕子花 下可照見.實熟シテ鈍三角三區ニシテ内ニ薄
片子ヲ多ク蓄フ.根横行結節多毛味辛ク口舌ヲ刺戟ス.内外用共ニ功アリ.此類花實根
形率ネ前説ノ如シ.故ニ已下ノ諸種ニハタヾソノ殊態ヲ舉クルノミ. 附(一)花柱枝ノ
一 廓大圖(補)

第三種
イリス,ゲルマニカ 羅 ドイッセ,イリス 蘭

[補]本種ハ予ハ未ダ我邦ニ於テ野生セルアリヲ見ズタヾ諸州ニ栽植セラルヽア
ルヲ知ルノミ.泰西学者*本種ノ武州横濱附近ノ原野ニ自生スルアルヲ言フモノ
アリト雖ドモ此ノ如キ事實蓋シ之レナルカルベシ,而シテ往々之ヲ藁ヲ以テ葺キタ
ル人家ノ屋脊ニ植ウルヲ見ル種名 tectrrum (屋葢ノ義)ノ生ゼシ所以ナリ,花ハ短小梗
ヲ具ヘ,花蓋筒ハ花葢片ヨリ短シ,花葢片ハ平開シ,蕚片ハ柄アリ,幕(葢?)片ハ圓形ニシテ
紫色ヲ呈シ疎ニ長形ノ點ヲ散布ス.其下部ノ中央ニ鶏冠狀ノ隆起アリテ剪裂(裂片
ノ頂ハ鈍ナリ)シ以テ柄ニ連ル.柄ハ幅闊クシテ中部ニ六條ノ濁紫色縦線アリ.邊縁
ニ同色ノ分枝セル斜出脈條アリ.花辧ハ短柄ヲ有シテ蕚片ヨリ短ク,其旗片ハ橢圓
形ニシテ紫色ヲ成シ柄ハ淡黄色ヲ呈シ邊縁ニハ多數斜走ノ濁紫色脈條アリ,花柱
枝ハ蕚片ノ柄ヨリ少シク長クシテ花葢ノ喉邊ニシテ三岐シ,二個ノ兜片ハ廣橢圓形
ニシテ不齊ノ尖鋸齒アリ.葯ハ白色,花粉モ亦白シ,子房ハ緑色ニシテ三稜ヲ有ス,未
ダ果實ヲ見ズ,叉支那ニ産ス(牧野)」とある.

牧野はイチハツが日本には自生していない事をこの書のみならず,自著や『国訳本草綱目』の鳶尾の項の頭注でも,繰り返し述べている.
*泰西学者:学名を付けたマキシモヴィッチの事と思われる(西欧人文献の項参照)

一方,地方名としては,花や葉の類似性から,あやめ:岩手(九戸)/やつあやめ:山形(飽海)/やつはし:薩摩・薩川/からしょうが:神奈川(愛甲)/からしょうぎ:神奈川(津久井・藤沢)/やましょうぶ:鹿児島.茅葺屋根の脊棟に植えていることから,やねしょうぶ:神奈川/しよどめ:岩手(岩手),乾燥に強いことから,ひでりぐさ:伊豆・駿河/ひでりそう:伊豆・駿河/まんねんそう:伊豆・駿河が知られている. 

(続く)

2019年8月27日火曜日

イチハツ-5 和-5(仮)本草図譜・草木錦葉集・和訓栞・俳諧季寄図考草木・百花培養集・俳諧季寄これこれ草・剪花翁伝・實験真傳 草木保育剪伐法

Iris tectorum
岩崎灌園『本草図譜
イチハツは園芸植物として愛でられ,その栽培法も洗練されていた.江戸時代の俳諧の世界では四月の季語として用いられ,幾つかの「季語の植物図譜」に取り上げられている.現代では夏の季語とされている.

★岩崎灌園(1786 - 1842)著『本草図譜(1824 - 44) は,飯沼慾斎(17831865)の『本草図説』と並び称せられる江戸時代末に作られた二大植物図譜のひとつで,野生種,園芸種,外国産の植物の巧みな彩色図に,余白に名称・生態などについて説明を付し,『本草綱目』の分類に従って排列している.
この書の「巻之二十三」に,紫と白の二種のイチハツの大きな図と共に
鳶尾 ゑんび
                             こやすくさ和名鈔 
いちはつ
ひでりぐさ豆州
一名 紫蝴蝶 芥子園畫傳

木曽の馬籠にあり人家にも栽う葉は
蝴蝶花シャガに似て三四月莖を抽して一尺
餘末に花を開く形燕子花カキツバタに似て
周りにうねりありて紫
碧色三辧は小くして
上に向ひ三辧は大に
して下に向ふ心に黄
色の處あり根は指の
大さ形知母に似たり

一種   白花の物」とある.

このブログで度々言及している★水野忠暁著『草木錦葉集(1829) の著者,忠暁は幕府旗本. 草木の培養に長け,斑入り葉植物・葉変わり植物を集大成した本書を著した. 緒巻・前編・後編から成り,緒巻では斑入り愛好家の間で用いられる「通言」(特殊な用語)や各種栽培法,害虫の駆除法などを述べ,前編後編では「いろは順」に,斑入りの草木を写生図を添えて紹介している.「む」の部で中断しているものの千点余を掲載.図のほとんどは大岡雲峰の門人,関根雲停によって描かれていて,木版芸術としても大変優れた美しい図である.

その巻之一の「い」の部に,白い筋の入った葉を持ち,花を着けたイチハツが描かれている.
「十一
いちはつ布* ○鳶尾(エンビ) ○一名紫蝴蝶(シコテウ) ○宿根 ○白布にして後(のち)□□□□ ○並 ○中曰(日?)
 *布:斑の入り方

★谷川士清(ことすが)編『和訓栞(わくんのしおり)』(1777 - 1887
江戸後期の国語辞書.93巻.前編には古語・雅語,中編には雅語,後編には方言・俗語を収録.第2音節までを五十音順に配列し,語釈を施して出典・用例を示す.日本で最初の近代的な国語辞書として注目され,明治以後の辞書に与えた影響も大きい.その「後編 伊之部」に
いちはつ       鳶尾草也と云り 最初の義、此花の種類最多
しそれが中にはやく芲咲くもの也 花に紫白あり伊豆駿河にひ
でり草又萬年草といふ倭名抄には鳶尾をこやす草と訓ぜり」とある.

★梅枝軒来鶯著『俳諧季寄図考草木 (1842) では,俳諧で取り上げられる景物のうち,主として植物を月ごとに単彩のやわらかな筆使いで描く.わらびは萌え出た姿,イタドリは芽,ニラやニンニクは根という様に,句を詠む者の視点で描かれている点が本書の特徴である.田植え,藍刈(あいかる),間引き菜等の季節の農作業の様子も載せられて,風雅とともに生活との関連で植物が取り上げられている.植物の図には巧拙があり,益軒の『花譜』に良く似た図などどこかで見たような図も収められている.
その第上巻の「俳諧季寄圖考草木四月之部」に線画ではあるが,良く特徴を捉えた絵に
一八花(イチハツノハナ)
紫羅傘              鴟尾草   余罰
鴨脚花」
と異名がいくつか添えられている.「余罰」は調べたが不明.

★松平定朝著『百花培養集 後編(1849)
松平定朝(さだとも,号は菖翁,17731856)は幕府の旗本(2000石)で,御書院番・禁裏付を経て,京都町奉行を長く勤めた.花菖蒲で名高いが,園芸全般に詳しかった.本書は草花100種の解説で,図はないが,来歴や品種の解説に筆を費やす.
「九 鳶尾(イチハツ)
冬にも葉□れす暮春にいたり●(草冠+溪)蓀(アヤメ)の花形
に似たる六英の大輪□□□□紫雪白二品
あり□渡一篠□□□根□□□□□いたり
□□□に繁生せるもの之」

★加藤良左衛門正得著『俳諧季寄これこれ草[俳諧季寄是々草]』(1850 )
備中岡田藩士,加藤良左衛門正得が著した植物季語集ならびに植物図鑑.凡例によれば,本書の植物名は和名・俗名の別なく『誹諧季寄大成』の記載を「本名」として編集し,それぞれ本名の下に漢名を記すほか,適宜,気味・主能のほか(多くは小野蘭山の『本草綱目啓蒙』に従う),異名にも言及し,それぞれに植物図を掲げる.
上巻に「ナヅナ(薺)」~「イチハツ(鳶尾)」の30種,下巻に「ミル(水松)」~「イヌタデ(馬蓼)」の32種,合計62種を収録する.植物をよく観察し読む者に理解しやすい記載であり,植物図鑑としても役立つ書籍である.

その上巻の巻末に
一八 人家ニ多ク栽ユ春舊根苗ヲ一尺許ノ長葉扁布
シテ繁茂ス形チ胡蝶草(シャガ)ノ葉ニ似テ光澤(ツヤ)ナシ淡緑色三四
月頃莖ヲ別ニ抽テ一尺許頂ニ花アリ大サ三寸餘
六瓣ナリ三瓣ハ下ニ垂レテ瓣上ニヒレノ如キモノアリ
三辧ハ上ニ立チテ少シ小ナリ大体燕子(カキツバタ)花ニ似テ紫碧色
ニシテ深點アリ又白花アリ又淡黄褐色ノモノアリ 
   主 能
△苦平小毒アリ積聚ヲ治ス」
と主文にあり,図には
イチハツ 漢名 鳶尾  ヤツハシ 薩州
四月ノ季」とあり,四月の季語である事と,本草綱目啓蒙の地方名が記されている.

江戸時代後期の園芸家★中山雄平著,松川半山画『剪花翁伝(1847著,1851出版) は,他の園芸書と趣が異なり,「いけばな」諸流派の人々や広く「いけばな」をたしなむ人々の為に執筆されている.「いけばな」愛好者のための実践的な花卉栽培ハンドブック,切り花取り扱い技法ハンドブックとでもいうべき内容を備えていて,伝統的な「いけばな」文化の中心地である京・大坂ならではの地域性豊かな,かつ質の高い近世園芸書としても評価することができよう.その意味でも本書が,数多ある近世園芸書のなかでも異色な存在であることは間違いない.
その,「 前篇巻之二 三月開花之部」に
○一八(いちはち) 鳶尾花 花二種(にしゆ)白あり青あり 青は●(草冠+溪)蓀(あやめ)に等(ひと)し 開花 三月中旬 方 日向 一分濕 土 えらばず 肥 小便寒中澆(そヽ)ぐべし 移(うつしうえ)十月之」と,具体的な栽培法が述べられている.

★中山雄平著『實験真傳 草木保育剪伐法』(1893刊)の「巻之二 三月開花之部」にも全く同文の記述があるが,この書は上記『剪花翁伝』の標題を変えたものであり,他の植物の記述や,挿画も全く同じ.

(続く)

2019年8月25日日曜日

イチハツ-4 和-4(仮)本草綱目啓蒙・梅園草木花譜・秘伝花鏡会識・大和本草批正.箋注倭名類聚抄・有毒草木図説

Iris tectorum
『梅園草木花譜 夏之部 五
 イチハツの根は,生薬店で偽って「知母(ユリ科,ハナスゲの根茎)」の増量剤として売られていた.一方,有毒植物としても知られていた.

★小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-180648巻.は,『本草綱目』に関する蘭山の講義を孫職孝(もとたか)が筆記整理したもの.『本草綱目』収録の天産物の考証に加えて,自らの観察に基づく知識,日本各地の方言などが国文で記されている.この書の「巻之十三 草之六 毒草類」に
鳶尾  イチハツ ヤツハシ(薩州) 〔一名〕紫羅傘(閩書) 石
扁菊(藥性要略大全) 墻頭草(秘伝花鏡) 高良薑(同上芳艸類ノ高良薑ト同名) 紫羅
(同上) 花薑(廣東新語) 紫羅蘭(本草彙言)
人家ニ多ク栽一尺許ノ長葉扁布シテ繁茂ス射干胡蝶草
葉ニ似テ深緑色三四月茎ヲ抽コト一尺許頂ニ花アリ大
サ三寸余凡六出三出ハ大ニシテ三出ハ小ク燕子花(カキツバタ)ニ似
タリ紫碧色ニテ深紫点アリ又白花及淡黄褐色ノモノア
リ薬療ニテコノ根ヲ採テ知母ニ偽マジユ射干鳶尾ノ分
別蘇恭及韓保昇ノ説是ナリ李時珍ハ地ノ肥瘠ヲ以言ヲ
タテ一物トス尤非ナリ」とある.


★小野蘭山述,井岡桜泉記『大和本草批正(ひせい)』(江戸写)
江戸幕府の命を受けて江戸医学館で本草学を講義し,また大著『本草綱目啓蒙』(1803) の著者としても名高い小野蘭山は,弟子の津山藩医,井岡冽 (1778-1837) に筆記させた『大和本草批正』というゼミナール速記録のなかでは,貝原益軒の『大和本草』中の誤謬ならず,多くの先行文献の誤りを指摘している.
この書に,
紫羅襴花 今アヤメト偁スル者ナリ元来アヤメハ泥菖蒲ノ
古名ナリ紫羅襴花ニ充ルハ誤ナリ即蘭蓀又溪蓀是ナリ
品種多シ紺色ニ青シアルハ常品ナリ又白花アリ中禅寺ア
アヤメハ葉細長三尺許アリ花ハカキツハタト一般ニシテ濃紫色ナ
リ花セイブニ混シ易シ〇諸書ニ紫羅襴花ノ形状ヲ説ク
考フルニイチハツニアツベシ伹八種畫譜*ニ圖スル紫羅襴花
アラセイトウ*2ナリ然レドモ其文ハイチハツナリ」
とあり,更に
紫羅傘 即前條ノ紫羅襴花本草毒草類ノ鳶尾ナリ
〔射干蝴蝶花此類也]此八字ハ閩書ノ文ニアラズ〔カラスア
フキハ茎高ク花紅ナリ]射干ノ花紅ナルハベニヒアフキト云山中
自生ハ其花赤黄色ニシテ紫斑点アリベニヒアフキハ赤ニシテ紫斑アリ
キヒアフキハ黄ニシテ赤班アリ黄ヒアフキベハ自生ナシ二
種トモ花戸ニテ点ナキヲ上品トス〔時珍カ説不可據]時珍
地ノ肥瘠ニテ射干鳶尾ヲ分ツハ非ナリ〔又花白キアリ〕此
句ハ本條ヲ指ス」
とある.〔〕内の文は益軒の『大和本草』中の記述である.益軒と云よりは李時珍の記述のあいまいさや,『八種畫譜』の誤りにコメントしている.



*明の黄鳳池編『八種畫譜』中「新鐫草本花詩譜」(上図)に
紫羅襴花
草本色紫翠如鹿葱*3
花秋深分本栽種四月
發花可愛」とある.
文は蘭山の言うようにイチハツとしても矛盾はないが,絵の葉や花は文ともイチハツとは全く異なる.
*3鹿葱:ナツズイセン

蝴蝶花
草花儼若蝶狀色黄上赤色
細點闊葉安藝時分種
花痴識」
とある.花の絵は射干(今云ふヒオウギアヤ)とイチハツ(鳶尾)のハイブリッドの様である.葉の形状,花の咲く位置はむしろイチハツに似ている.


*2アラセイトウ:今言う「ムラサキハナナ,諸葛菜,ハナダイコン」

このブログで度々言及している★三浦梅園『梅園草木花譜(1825 序,図 1820 1849) 「夏夏之部五」には,美しい写生図に
「本草一家言*1
鳶尾 紫花射干 イチハツ
大和本草*2
紫羅傘(イチハツ) 俗通 一八(イチハツ) 
生花百競*3曰 紫胡蝶  和名 一八
本草圖經*7
鳶尾 イチハツ
和名類聚抄*5 鳶尾(コヤスクサ) 一名 烏園

*6 初夏十五日勤友
久貝氏送一莖同
十七日□□寫」
とある(冒頭図).
*1 本草一家言: 松岡玄達 (1668 - 1746) 著の本草解説書.「射干 ヒワウギ」の項にイチハツに関しての記述あり.
*2 大和本草:本ブログ,「イチハツ-3 -3」参照
*3 生花百競:千家新流の創始者,入江玉蟾撰『生花百競(千家新流挿花直枝芽)』(1768) の「夏」の部には双耳のついたカップ型の唐風の花卉に挿されたイチハツが描かれ,「紫胡蝶 シコテフ  和名 一八 イチハツ」とある(右図).
4* 本草圖經:宋の蘇頌著.「草部 下品之上 卷第八 射(音夜)干」の項に「蘇恭 射乾此是鳶尾,葉都似射干,而花紫碧色,不抽高莖,根似高良姜,而肉白,根即鳶頭也.」「鳶尾花亦不白,其白者自是射干之類,非鳶尾也.鳶尾布地而生,葉扁闊於射干.蘇云:花紫碧色,根如高良姜者是也.本經云 生九嶷山谷,今在處有,大類蠻姜也.三月採.一云 九月,十月採根,日乾.」とある.
*5 和名類聚抄:本ブログ,「イチハツ-1 -1」参照
*6 丑:己丑 1829年か,辛丑 1841年か

★小野蘭山(述)中村宗栄(写)『秘伝花鏡会識(1827) は,蘭山が,清代の陳淏子(1612 - 没年不明)が1688年に刊行した園芸書『花鏡』について解説した講義を,弟子の中村宗栄(詳細不明)が筆記したものと思われる.この書に
紫羅欗 イチハツ 綱目毒草部鳶尾穭生ナシ*圃ニ種ヱ花
ヲ賞ス苗形蝴蝶草ニ似テ葉長大射干ニ比スレハ苗矮
ク四月ニ花サク莖ヲ抽クコト一尺許燕子花ノ形ニ紫色
濃紫ノ班アリ瓣濶シ水草ニ非ス陰地ヲ好ム一莖一花
ノ者ナレトモ肥タルハ花ノ脚ニ蕾アツテ次第ニ開クア
リ常種紫色ノ者多シ又白花アリ〇射干ハ山中ニ自然
生アリ莖高四五尺ニ至リ小朶ヲ分チ其梢ニ大サ寸余
ノ六辧花集リ開ク赤黄色ニシテ紫斑点アリ紫花者極メ
テナシ前ニ本條アリ〇青蓮色ハカキツバタ色ヲ云即
紫翠色ノ青蓮ハ不詳紫翠色ノ蓮ルヤ」とあり,葉は射干(ヒオウギ)に似ているが短く,花は蝴蝶草(今言うシャガ)に似ているが,通常一茎に花一つしかつけない.アヤメやカキツバタと異なり,水辺を好まない.と言っている.
*穭生ナシ:自生しない の意か.種では繁殖しない の意か.

★狩谷棭斎 (1775 - 1835)の『箋注倭名類聚抄(1827) 「十草」には
鳶尾 本草云,鳶尾,一名烏園,古夜須久佐,〇千金翼方證類本草下品
同,下總本*和名二字.唐本註云,鳶尾葉似
射干而濶短,不長莖花紫碧色,根似高良
,皮黄肉白蜀本云,此草葉名鳶尾,根名
,亦謂之鳶尾,叉圖經云,葉似射干,布地生
黑根似高良薑
節大,數个**相連」とある.(右図)
*下總本:不詳
**个:「箇」の異体字

狩谷棭斎(カリヤエキサイ,1775 - 1835)著『箋注倭名類聚抄(センチュウワミョウルイジュショウ)』(底本 1827)(印刷局刊行本 1883
江戸時代に書かれた,『倭妙類聚抄』の注釈研究書として代表的な文献であり,狩谷棭斎(カリヤエキサイ)著.自ら漢学者であり,当代一流の考証学者によって知られた棭斎畢生の大作.漢学,国学,医学,本草学 ,易学など,当時のハイレベルな学者,研究者,思索家たちといった官民の幅広い人脈を通じての研究・考証の成果として,1827年に10巻本が完成した.五十有余年の時を経て,棭斎の薫陶を受けた最後の弟子,森立之(枳園)とその支援者の努力によって明治16 (1883) 年内閣印刷局から刊行された.国語学者・言語学者,亀田次郎は,新潮社「日本文学大辞典」のなかで「「和名抄」の研究としては,実に空前絶後の名著」と評している.

★清原重巨『有毒草木図説(1827)
毒性のある植物百二十二種を選び,前後二編・附録の二巻の構成で記述した書で,同時に刊行された『草木性譜』とともに,わが国独自の本草・博物学の到達点とされる.有毒植物に関するまとまった図説としては本邦初のものと言える.繊細な線画を特色とし,植物の形態を正確に写している.その前巻に
鳶尾 えんび いちはつ」
              本草綱目
毒あり處々園中に栽(うゑ)る葉冬を經て萎まず春新葉を生ず
射干(しやかん ひあふぎ)の初生-葉に似て柔軟直立せず心中(志んちゆう)より莖を抽で六辧
乃紫花を開く白花の者あり其一種なり」
と,特徴をよく捉えた美しい図とともに,常緑草本である事を記している.

続く