2019年8月22日木曜日

イチハツ-3 和-3(仮) 園芸花卉や絵の題材としてのとしての鳶尾,草木弄葩抄・絵本福寿草・明朝紫硯・絵本野山草・重刻秘伝花鏡・本草正譌・誹諧名知折

Iris tectorum
明朝紫硯』より 大岡春ト (新日本古典籍総合DB)
イチハツは,比較的乾燥したところでもよく育ち,葉はつややかで,扇を拡げたように伸び,紫碧色の大型で繊細な花をつける事から,庭植えの花卉として愛でられ,また俳句や絵画の題材になった.

★菊池成胤『草木弄葩抄』(1735 序)
知名度は低いが,先行する『花壇綱目』や『花壇地錦抄』より記載がはるかに詳しい園芸書で,草類だけを載せる.著者名は明記されていないが,序文の筆者菊池成胤(浪華の人)と思われる.現存本は上巻だけである.見出し数は209だが,同一項に類品を挙げる場合が少なくないので,総品数はこれよりかなり多い.ただし,凡例で断っているように,品種の多いキク・シャクヤク・ボタン・ユリは載せていない.この上巻に
いちはつ        漢名 鳶尾(えんび)
 花に紫白二色あり 葉ひおうぎに似たり」とある.
この文はそのまま次項の『画本野山草』に盗用されている.

★大岡春卜 編,大岡春川 画『絵本福寿草(1737) は,絵師を志す者の為の絵手本で,草花を正月から十二月までに配し,和漢名を付記し,塗るための色を指定し,また興趣を添えるためか,詩歌を記載している.図は科学的な写実と絵画的な表現で描かれている.
この書の第二巻に,花のつくりと葉のつき方の特徴をよく捉えた絵と共に
いちはつ
○鳶尾 本綱                  ○紫羅傘 同
一八や 九ツ時分 花は昼
  花ムラサキ 中ノフ黄 四月 白モアリ」とある.

大岡春卜(しゅんぼく)(1680 - 1763) は,江戸中期の画家.大坂生.初め狩野派画家として名を知られ,嵯峨親王に厚遇された.元明画を研究して法眼に叙せられ,のち大覚寺の門跡につかえる.代表作は妙心寺霊雲院の障壁画などだが,むしろ画本(絵を描くときの手本)作家として知られ,その著『明朝紫硯』(1746年刊,中国の画譜『芥子園画伝』を翻案した初期の色摺版画),『画本手鑑』『画巧潜覧』などは,当時,画に志す人々を大いに刺激した.
大岡春川(しゅんせん)(1719 – 1773) は,江戸時代中期の画家.春卜に絵画をまなび,その養子となる.明和元年法橋(ほっきょう)に叙せられ,仙洞御所造営の際には障壁画をえがいた.著作に『絵本福寿草』『蒔絵大全』などの絵手本もある.

『絵本福寿草』を編した★大岡春ト(1680-1763)の『明朝紫硯(1746) は,彼が作製した我が国最初の色摺り画譜である.自序には中国書をもとに文徴明,東郭克弘,戴文進,丁玉川,朱銓文衡,王維烈の中国の画家の作品を摸刻したと書かれていて,画中には漢詩が添えられている.本書は印刷に木版摺りと合羽摺り*および手彩色が併用されており,合羽摺りの嚆矢として,日本版画史上貴重な資料である.実物の名画を見る機会のない画家志望者に,手本或は参考として歓迎されたと思われる.

その「生動畫園巻上」に,清で出版された多色木版画『芥子園畫傳』(1679 – 1701) の「草蟲花卉譜下」に収載されている「紫胡蝶 (倣張奇畫・黄虞山人句)」の絵画部のみの摸刻が収められ,「文徴明」の書より得ているとあり,五言の漢詩が載る.(冒頭図)

『芥子園畫傳』は清代の康煕帝の時代に,発案・審定者である李漁の意向をうけ,娘婿の沈因伯によって出版された絵画技法の教科書であり(後述),套印*という木版多色刷技法で制作されている.
*合羽摺り:合羽と呼び,柿渋や漆を塗って水分をはじくようにしてある型紙の着色したい部分を切り抜き,着色したい部分に合せて絵の上に置き、刷毛や“たんぽ”でその切りぬいた部分に色を塗る技法.ステンシル法.
**套印:重ね刷り

★橘保国 (1715 - 1792) 著『画本野山草』(1755
江戸時代の「絵本(画本)」は,画業志望者用の絵手本であった.本書もその一つで,大坂の絵師橘保国(号,後素軒)の描いた,画業志望者用の草木画の絵手本集である.図の脇に「花朱 生エンシ クマ」などと,使用する絵具や描き方を指示しているが,指示の無い品も多い.掲載品は全163品(品種を含めず)で,外来品も少なくない.その花期・花色・形状などは図とは別の頁に詳しく記されているが,記文の約半数は『草木弄葩抄』(前出)の文をそっくり,あるいは部分的に用いている.図では葉のつき方の互生と対生が誤っているなど.植物の細部は必ずしも正確ではない.
この書の「巻之一」に「いちはつ」の図があり,記述には
いちはつ 花に紫白二色有葉日扇(ひあふぎ)に似(に)たり二月末(すえ)花あり」とある(上記事参照).

★平賀源内-校正・訓点『重刻秘伝花鏡(1773) は,清代の博物学者・園芸家の陳淏子(ちん こうし、1612 - 没年不明)が,168877歳の時に刊行した園芸書『花鏡』に校正・訓点を,植物名に和名を施した書である.『花鏡』は花木・花草の種類、栽培法と、鳥・獣・魚・昆虫の飼育法を述べた書物.
この書の「五 花草類考」に
紫羅欄(イチハツ)
紫羅欄.俗墻頭草.一名高良姜.葉似蝴蝶草.而更
濶嫩.四月中発青蓮色.其辧亦類蝴蝶花.大而起
紫翠奪.可.秋分後分栽.性喜コノム高阜墻頭レバ
.」
とあり,紫翠色の花盛りには目を奪うほどの艶やかさで,愛すべしと褒めている.


★松平君山(1697 - 1783)本草正譌(1776)「巻之二草部二」 
鳶尾 イチハツ是ナリ時珍曰此即射干之苗非別一種肥地者
莖長根粗瘠地者莖短根瘦其花自有數色嗚呼時珍只
紙上ノ談其物ヲ採テ見サル故ニ誤レリ一説シャカト云非ナリ
鳶尾根似高良薑節大數箇相連ト云是イチハツノ根形ナリ
シャカハ蝴蝶花ナリ」と,李時珍の『本草綱目』の鳶尾に対する見解を実物を見ない故の空論と批判している.(左図)

君山は江戸時代中期,尾張藩に仕え,書物奉行となった漢学者.幼いころ父母に学んだ以外常師はなく,独学であったが,博覧強記,経史から諸子百家,地誌,本草に至るまであらゆる分野に精通していた.尾張藩儒として,高名な尾張本草学開拓の巨匠でもあったわけである.
本書は,明の李時珍の『本草綱目』をとりあげ,君山自身の見聞をもって考察弁明したものである.『本草綱目』は不朽の名著ではあるが,著者が多病なため,文献本位に傾く欠陥もあった.また,我国でも,貝原益軒・松岡恕庵などの著書が行われているが,独断に出づる説が少ない.君山は,それらに対する正論を志して,老躯を啓蒙にささげたわけであるが,さすが一代の大家だけに,本書の編集も大がかりなもので,門下の秀才が総動員された観がある.
本書刊行の意義は,徒らに先人の説に依存していた斯界に大きな警告を与えたもので,画期的な著述といえる.この書がいかに注目の的となったかは,これを機として論戦が展開され,「本草正々譌」・「本草正々譌刊誤」等が相ついて出たことによって推察される.

★谷素外編・北尾重政画『誹諧名知折(はいかいなのしおり)』(1781) は,俳人の為の植物図鑑で,所収数は全162品と多くはないが,例句も各品ほぼ1つずつ挙げられている.複数の植物を一枚に描く図の雰囲気は,『絵本野山草』とよく似ているが,花の描写はより正確で,さすが浮世絵師北尾重政の絵である.


花ばかりではなく,葉や蕾なども美しく描かれていて「紫羅傘 イチハツ 花紫 田家此草を屋上にうゆる」とあり.例句は岩槻の何□の句
「紫羅傘 いちはつや根強き棟の百姓家」
が掲げられている.(右図)

谷素外 (1734 - 1823) 江戸時代中期-後期の俳人.家は大坂の商家.江戸の建部綾足に入門したが,のちに破門され,江戸談林派の小菅蒼狐門にうつり,明和3年宗家7代となる.本姓は池田,絵本福寿草編著に『梅翁宗因発句集』など.
北尾重政 (1739 - 1820) 江戸後期の浮世絵師.北尾派の祖.幼少の頃より書画や書道を好み,独習した.一枚絵よりはむしろ版本における活躍が目立ち,手がけた絵本は60点を超え,黄表紙挿絵は100点以上あるといわれる.また谷素外に俳諧を学び、これを能くした.大田南畝は『浮世絵類考』で「近年の名人なり.重政没してより浮世絵の風鄙しくなりたり」と高く評価した.後の喜多川歌麿や葛飾北斎などにも影響を与えている.洋風画の影響の見られる「写真花鳥図会」も著名.

(続く)

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