2015年11月19日木曜日

マルバアサガオ-4 種子の薬理活性,瀉下剤,『原色日本薬用植物図鑑』,現代中国,アサガオと同等.『本草綱目』,『頭註国訳本草綱目』,「英国薬局方,印度薬局方,Kaladana」,日本薬局方

Ipomaea purpurea
2015年10月 茨城県南部
アサガオ (Ipomaea nil) は日本へ中国から奈良時代に移入されたが,観賞用としてよりは,その種子の瀉下剤としての薬用の有用性が高く評価されたからである.現在ではマルバアサガオにも同様の薬理活性があるとされている.

★木村康一,木村孟淳『原色日本薬用植物図鑑』保育社 (1981) 「アサガオ Pharbitis nil
種子を牽牛子(けんごし,Pharbitis Semen)と呼んで,瀉下薬とする。種皮の色によって白牽牛子と黒牽牛子に区別するが,薬効に差はない。瀉下作用はきわめて強く,102g03g(粉末)で緩下薬,0515gで峻下薬となり,それ以上用いる時は注意を要する。通常エタノールで抽出したエキスから水溶性物質を去った樹脂を牽牛子脂(けんごしし,Resina Pharbitidis)と呼んで使うことが多い。薬用植物としての産地は奈良,徳島,和歌山などの各県があげられる。有効成分は樹脂配糖体のpharbitinで,ほかに11%の樹脂油が見いだされている。
同属のアメリカアサガオ P. hederacea CHOISY,マルバアサガオP. purpurea VOIGT.なども種子が牽牛子として用いられている。」とあり,マルバアサガオもアサガオと同様,その種子は瀉下剤として用いられるとある.

現代中国においてもネット上の★『藥用植物圖像數據庫』(2015118日閲覧)で
牛(註 繁文では圓葉牽牛)
【中文名稱】        圓葉牽牛,牽牛花圓葉牽牛,牽牛花
【藥用部位】        以種子入藥。中藥名: 牽牛子。
【藥理作用】           瀉下、利尿作用。
【性味功能】        苦、辛,寒,有毒。瀉水消腫,瀉下通便,殺蟲攻積。
【主治用法】        水腫,喘滿,痰飲,氣,蟲積食滯,大便秘結。: 入丸、散,1-3分;煎湯,1.5-3錢。」
と種子には下剤,利尿剤として,アサガオ種子(牽牛子)と同じとみなされ,遼寧では栽培されていることを記している.

アサガオの種子は牽牛子として知られ,★李時珍『本草綱目』(明代,1596)『本草綱目 草之七 蔓草類』の「牽牛子」の項には「【主治】下氣,療滿水腫,除風毒,利小便(《別》)。治癖氣塊,利大小便,除腫,落胎(甄權)。取腰痛,下冷膿,瀉蠱毒藥,竝一切氣壅滯(大明)。和山茱萸服,去水病(孟詵)。除氣分濕熱,三焦壅結(李杲).逐痰消飲,通大腸氣秘風秘,殺蟲(時珍)。」とある.

★『頭註国訳本草綱目 第六冊』白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳)(1931)の「第十六巻 蔓草類 牽牛子」の頭註には
頭註
「木村(康)*曰,あさがほノ種子ハ峻下剤トシテ有効ナレドモ,ソノ瀉下作用著シキヲ以テ注意ヲ要ス.用量ハ一―三瓦ヲ粉末トシテ内服シ,局方ヤラツパ根ニ代用スルヲ得ベシ.叉牽牛子ヲ細砕シ酒精ニテ温浸シ,浸液ヨリ酒精ヲ溜去シ,残渣ヲ水洗シタル後水浴上ニテ乾燥セシメテ製シタル物質ハヤラッパ脂ノ代用トスベク,一回用量ハ〇・五~〇・七瓦トス.尚英国局方ニ Kaladana (Pharbitis seeds) トシテキスルモノハまるばあさがほノ乾燥セル種子ニシテ,複方カラダナ散(Pulvis Kaladanae Compositus)カラダナ脂(Kaladana resin)カラダナ丁幾(Tincture Kaladana)等ノ製剤アリ.複方カラダナ散「カラダナ三,重酒石酸加里六,生姜一」ノ割合ニテ各ノ粉末ヲ混ジテ製シ,一日量〇・六五~四・〇瓦ヲ服用ス.生薬学,英局方,猪子吉人,東京医事新報,明,二四(六八一)五七一(六八二)六一八.」とある. *考定者の一人,木村康一

この,「英国薬局方」に「まるばあさがほノ乾燥セル種子Kaladana (Pharbitis seeds) 」より得られた「複方カラダナ散(Pulvis Kaladanae Compositus)カラダナ脂(Kaladana resin)カラダナ丁幾(Tincture Kaladana)等ノ製剤」が,記載されているか,調べたが,実際には主に熱帯英植民地の民俗自然薬物を記載した局方追補(当局承認) THE BRITISH PHARMACOPOEIA 1898, INDIAN AND COLONIAL ADDENDUM” (1900) 「英国局方 印度及び植民地追補」には記載されていた.但し起源植物はアサガオ或はアメリカアサガオとされ,マルバアサガオとは,されていない.
該書の31ページには “KALADANA. Kaladana. Synonym.—Pharbitis Nil. The dried seeds of Ipomoea hederacea, Jacq.” とあり,以下規格及び試験法が記載されているが,効用についての言及はない.
I. nil c. v. hinomaru

遡ると,1868年の PHARMACOPEIA OF INDIA 印度薬局方に,” PHARBITIS NIL, Choisy. KALADANA” の項があり,薬理については “Active principle, a resin, Pharbitisin (infra)., Properties and Uses. " Safe and effectual cathartic, closely resembling in properties and uses officinal jalap, for which it forms an excellent substitute, though not quite so active in operation.” とそのレジン(脂)はヤラッパ程ではないものの,十分その代替物となる,安全な下剤であるとしていて,インドではアサガオを古くから下剤として用いていたことが分かる.
 
現在の『日本薬局方JP 16)』の「医薬品各条 - 生薬等」には,アサガオの種子が「ケンゴシ Pharbitis seed, PHARBITIS SEMEN, 牽牛子 本品はアサガオ Pharbitis nil. Chosy (Convolvulaceae) の種子である.(以下性状,灰分,貯法)」として収載されている.

一方,マルバアサガオの種子には,幻覚剤としての作用があると考えられていたとの記述もある.次記事

以上の記事で,学名は該図書文献文書の記載に準じた.

2015年11月7日土曜日

マルバアサガオ-3 日本渡来時期,馬場大助『遠西舶上画譜』,米田芳秋教授による曜白アサガオの開発

Ipomoea purpurea
2015年10月 茨城県南部, 葉はカラスウリ
マルバアサガオも熱帯アメリカ原産である.英名 Common morning glory の名からもわかるように欧米でアサガオ (morning glory) といえばこの種をさす.花径は5~6センチで,アサガオ(Ipomoea nil)よりやや小輪であるが,園芸化が進んでおり様々な花色,模様のものが存在する.開花時期はアサガオより遅く,秋深くまで咲き続ける.

日本に渡来した時期については,「江戸時代宝永年間(1704-1711)に渡来」(長田武正『原色日本帰化植物図鑑』保育社 1976),「江戸時代に渡来した」(林弥栄ら編『日本の野草 (山渓カラー名鑑)』山と溪谷社 1983),「宝永(寛永の誤りか?)7年 (1630) ごろ九州福岡地方で「八房」と称したものである (最新園芸大辞典 1987 第9巻 p77 誠文堂新光社),「明治中期に渡来」(木村陽二郎監修『図説草木名彙辞典』柏書房 1991),「1705年前後に観賞用花卉として渡来し,暖地を中心に野生化した.」(清水矩宏ら『日本帰化植物写真図鑑』全国農村教育協会 2008  とあるが,この分野の第一人者の米田芳秋教授に拠れば,「日本への渡来は寛永7年 (1630) ごろに福岡地方で「八房」と称したもの (最新園芸大辞典 1969 第4巻 p.2104 誠文堂新光社) とされているが,条斑点絞り系統は明治中頃に輸入されたようだ(永沼小一郎 (1903) まるばあさがほ図解 朝顔の研究 第1巻11 p.9)「アサガオの近縁種と種間雑種」」とある.


『遠西舶上画譜』(1825)
江戸後期の本草・園芸家★馬場大助の『遠西舶上画譜』(1825)には,英名の「モー子ンガ・ガロウヒー」として,海外より渡来したアサガオの図が描かれているが,葉の形状や花の配色からマルバアサガオと思われる(右図,東京国立博物館).
馬場大助(1785-1868)は江戸後期の旗本・本草家.富山藩主前田利保が江戸で主宰した本草同好会「赭鞭会」の有力会員であった.麻布飯倉の自邸内に多数の舶来植物を植え,それらを実物から彩色写生し,形状や渡来年などを注記した本画譜は,袋綴の間紙に用いた薄墨色の紙が,淡彩の画に微妙な効果を与えているが,注記が読みにくい欠点がある.

一方,磯野慶大教授は,天保3年(1832)718日に毛利梅園が『梅園草木花譜・秋之部四』に,マルバアサガオを描いているとしている(磯野直秀『明治前園芸植物渡来年表』慶應義塾大学日吉紀要 No.42, 27-58 2007)が,これは「ハリアサガオ」で,マルバアサガオではない.

マルバアサガオ,アサガオ,ハリアサガオの種子
マルバアサガオの蔓の伸び方はアサガオより旺盛で,蔓の絡まる性質もつよいので,垣根栽培に向いているが,今日では帰化し野外に自生するもののほうが多く,とくに本州中央部に普通.アサガオ(Ipomoea nil)と異なり,受粉後果実が下を向き,種子(左図),子葉ともアサガオと比べてかなり小型である.

 米田芳秋教授による曜白アサガオの開発

マルバアサガオは欧米で長年に渡り品種改良され豊富な変異をもっているので,新種開発を目指して.これと日本種のアサガオとの交配を今井喜孝氏,萩原時雄氏らが試みたが成功しなかった.
2006年8月

米田芳秋教授は,古里和夫氏によって1956年アフリカのギニアで採集されたアフリカ系(性質は強健であるが,非常に遅咲きで9月下旬以降にしか咲かない.葉は切れ込みが浅くやや波打つ.花は他のアサガオの野生型に比べて淡く,空色.分子系統学的解析からも他のアサガオ系統よりもアメリカアサガオやマルバアサガオに近い)のうち,空色無地丸咲のアフリカ系アサガオを雌親とし,白地青紫色条斑点絞り花のマルバアサガオを交配し,交配成功率は2~3%であったが,初めて雑種を得た.F1では淡青地条斑点絞りが咲いたが,稔性は低かった.

2006年 8月
米田教授は1976年以来,このアフリカ系アサガオ×マルバアサガオの後代を橋渡しとして,種々のアサガオを大量に交配した.特に覆輪種との交配により,雑種の花の「曜」に沿って覆輪が花筒方向に伸び始め,最終的に花筒まで到達した「羽根車」という系統を開発した.この形質により雑種性アサガオの花は色鮮やかな印象を与えるようになり,この新しい形質を1979年に曜白と命名した.

その後繰り返し日本系アサガオと交配し,架け橋・舞姿・紗矢佳・千秋・矢車などの品種名の新種アサガオを固定化し「曜白アサガオ」として「種のサカタ」より発売した.これまでにない変わった花の模様を持ち,花のしおれも遅いことから最近では広く栽培されている.曜白アサガオには,マルバアサガオの遺伝質は 16分の1 でしかないが,多花性や秋遅くまで咲き続け,花持ちがよく,よく蔓を伸ばすなど,マルバアサガオの長所を発揮している.

教授の著書『アサガオ 江戸の贈りもの-夢から科学へ-』(95年,裳華房)にそのご苦労や喜びが詳しい.


2015年11月2日月曜日

マルバアサガオ-2, フランス,移入時期.ルドゥテ『美花選.』,ドルビニ『万有博物辞典』.学名.リンネ,ロート,ディレン,欧州図譜

Ipomoea purpurea
2015年10月 茨城県南部 葉の形,下を向いた複数の果実
成書1.によれば,フランスには,英国より遅れて 1629 年に移入された.「volubilis (マルバアサガオ)の生まれ故郷は南アメリカの暑い地方である.巻きつく茎,明け方に開花し午前中の半ばには閉じてしまう漏斗形の大きな花は,奇妙なことにヒルガオ属やセイヨウヒルガオ属を想起させる.この一年生のヒルガオ科植物は 1629 年にフランスに移入され,植物学者によって imomee (Imopea purpria) と名づけられている.」とあり,また名の由来は「茎の様子」から「巻きつく (volubile)-volubilis (マルバアサガオ)」とされる.
成書1"Les Noms des Plantes" "Les Noms des Fleurs" A. Lucien Guyot, Pierre Gibassier L.ギィヨ・P.ジバシエ著/飯田年穂・瀬倉正克訳『花の名前 ─ヨーロッバ植物名の語源─』(1991), 八坂書房 
原書を見ることができなかったので移入年代の典拠の確認はできず,また,「奇妙なことに」の意味がよくわからないが,ロスがリンネが帰属させた属を変更したことに関連するのかもしれない.移入年は,ルドゥテの『美花選.(1827) の解説で,ギユマンが「(フランスの)庭園では二世紀に渡って栽培されている」とあるのに,よるのかもしれない.

この花はフランスに於いても植物画家の興味を引いたと見えて,ルドゥテの豪華な植物図譜『美花選 ‘Choix des plus belles fleurs :et des plus beaux fruits /par P.J. Redouté.(1827) に,彼が改良し特許も取得したスティップル彫版を駆使した彩色銅版画(一部手彩色)を用いて描かれている.ルドゥテは,植物図譜の最高傑作とも呼ばれる『ユリ譜』(Les liliacees. 1802-16) や,『バラ譜』(Les roses. 1817-21) の図版を製作したが,それらの図譜が専門家向けだったのに対し、本書はより一般的な読者を想定して製作されたもので,植物学的な観点からは批判もあるが,一方でルドゥテの画家としての魅力を最も良く示すとの評価もある.
ルドゥテがこの図譜に記した植物名は “POMAEA QUAMOCLIT.” であるが,これはルコウソウの学名であり,彼の誤りは,この書の解説を書いたギユマン(Jean Baptiste Antoine Guillemin, 1796 - 1842)によって,当時の正しい学名 Convolvulus purpureusと訂正されている.
IPOMAEA QUAMOCLIT.
La plante ici figurée par M. Redouté n'est pas l’Ipomoea Quamoclit*, mais le Convolvulus purpureus espèce mal-à-propos rapportée au genre Ipomoea par quelques botanistes.
Ce Convolvulus, extrêmement répandu dans les jardins d'Europe, ou on le cultive depuis plus de deux siècles, est originaire d'Amérique. Ses couleurs sont très-variables, car on en voit à fleurs blanches, discolores, panachées, rayées, etc.
* Ipomoea Quamoclit* ルコウソウ
ここでルドゥテ氏によって示された植物はルコウソウではありません.何人かの植物学者によって報告されたようにConvolvulus purpureus という,別のアサガオの種です.このセイヨウヒルガオは,ヨーロッパの庭園の中で非常によく見られ,また2世紀以上栽培されていて,アメリカの原産です.よく見られるように,白,二色,まだら,ストライプ,とその色は,大変に変化に富んでいます.(試訳)

Pharbitis hispida (Zuccagni) Choisy
d’ Orbigny, C.V.D., Dictionnaire universel d’histoire naturelle, plates vol. 3, t. 41 (1841-1849) [Maubert]

Charles D’Orbigny’s Dictionnaire Universel d’Histore Naturelle 
ドルビニ万有博物辞典
フランスの博物学者 Charles Henry Dessalines d'Orbigny 1806-76)により編纂された,フランスの図鑑黄金時代の掉尾を飾った図譜.この辞典に収められた 280 葉に及ぶ部分カラー印刷手彩色図版は,Travier, Oudart, Pretre Maubert 等,当時有数の画家による原図に基づき,部分色刷り手彩色点刻彫版鋼版(スティップル彫版)で刊行された.サイズは八つ折り.点刻彫版法でのグラデーションが美しく,水彩画の雰囲気をとどめる上品な図とレタリングの見事さも目を惹くフランス製図版の代表例の一つ.本図の原図者は当時自然科学の図譜描画者として著名な Edouard Maubert (1806-1879).http://www.plantillustrations.org/

最初に学名をつけたのはリンネで,この植物がヒルガオ科 (Convolvulaceae) のセイヨウヒルガオ属 (Convolvulus) に属するとして Convolvulus purpureusと,”Species Plantarum, Edition 2” (1762) に記載した.

9. CONVOLVULUS  foliis cordatis indivislis, frueti-   purpureus.
bus cernuis, pedicellis incraffatis.
Convolvulus calycibus tuberculatis pilosis. Virid. cliff.
18. Hort, ups. 38. Gron, virg. 141 ,

220  PENTANDRIA MONOGYNIA.

Convolvulus purpureus, folio subrotundo. Bauh.pin295; Ehret, pict. 7. f. 2.
ß. Convolvulus caeruleus minor, folio subratundo. Dill. elth. 97. t. 82. f. 94.
γ. Convolvulus folio cordato glabro. Dill elth. 100. t, 84. f. 97.
Habitat in America.
Pedunculi erecti, at Pedicelli in fructu incrassati cernui, calyce punctato-scabro & piloso.

リンネが引用した先行文献ディレン (Dillenius , Johann Jakob, 1684 - 1747) 著の “Hortus Elthamensis - - ” (1732) の二つの図を示す.(いずれも Biblioteca Digital del Real Jardin Botanico de Madrid

しかし 1787 年,ドイツのロート (Albrecht Wilhelm Roth, 1757-1834) ” Botanische Abhandlungen und Beobachtungen, 27”  (1787) という書でサツマイモ属に属するとして,現在も有効な学名 Ipomoea purpureaとなった.この文献をネットで探したが,見つけ出せなかった.なお,属名 Ipomoea はギリシャ語の ιπς (ips) イモムシ,または ιπος (ipos) セイヨウヒルガオと,όμοιος (homoios) 似ている に由来するそうだ.種小名は赤紫色の意味で,リンネ以前にラテン名をつけた植物学者が観察した花色に由来.

欧州で出版された植物図譜(自然図譜)からマルバアサガオが描かれた図版を示す.
9. は米国での,ラッパ型の花に対応した吸蜜・花粉搬送者としてのハチドリの吸蜜の状況を描いている.


    1.    Curtis’s Botanical Magazine, vol. 25: t. 1005 (1807)(英)

2.    Curtis’s Botanical Magazine, vol. 4: t. 113 (1791) (英)

3.    Curtis’s Botanical Magazine, vol. 41: t. 1682 (1815) (英)

4.    Edwards’s Botanical Register, vol. 23: t. 1988 (1837) (英)葉が?

5.    Step, E., Bois, D., Favourite flowers of garden and greenhouse, vol. 3: t. 195 (1896-1897) (英)

6.    Ehret, D., Plantae et Papiliones Rariores, t. 7, fig. 2 (1748-1759)(独)

7.    Ruiz Lopez, H., Pavon, J., Flora Peruviana, et Chilensis, Plates 1-152, vol. 1: p. 12, t. 121, fig. a (1798-1802)(西)

8.    Georges Cuvier., Dictionnaire des sciences naturelles, Plates Botanique, vol. 3: (1816-1830)(仏)

9.    Gould, A monograph of the Trochilidæ, or family of humming-birds, vol. 4: t. 247 (1861)(英)

2015年10月30日金曜日

マルバアサガオ-1 英国への移入,ジョン・グッドイヤー (John Goodyer), ジョン・パーキンソン (John Parkinson), トーマス・ジョンソン (Thomas Johnson),米国園芸品種

Ipomoea purpurea
千葉県北西部 2015年10月
植物公園のフェンスに絡んで咲いていたアサガオ.はじめは色からヒルガオの仲間かと思ったが,萼や実のつき方からアサガオの類とわかり,その後調べて,野生化したマルバアサガオと判明.花は栽培種のアサガオと比べると小さいものの,花色はおしゃれ.その後近所の路傍でも,色々な色と模様の花を見つけた.
熱帯アメリカ原産で,17世紀には欧州で広く庭園で栽培されていた.渡来時期ははっきりしないが,英国にはイタリア経由で入ったとされ*, 1621 年に,当時有名な植物学者グッドイヤー (1592–1664) によって育てられたとの記録がある.また,パーキンソンの『太陽の園,地上の園 (1629) には絵も記載されている.ジェラードの『本草あるいは一般の植物誌』(1597)には,記述はないが,トーマス・ジョンソンによる増補改訂版(1636)には,丸葉青色ヒルガオの名で,葉と花の図が掲げられている.
*Alice M Coats, “Flowers and their histories”(1956)

フランスでは1629年に移入された(L. ギィヨ,P. ジバシエ)とされていて,「花のラファエロ」ルドーテが『美花選」(1827) に美しい絵を描いている(次記事).

草丈がぐんぐんと伸びることから,英名は “Tall morning-glory” ,導入された当時は種小名のように赤紫色の花のみであったが,その後多種の花色の株がでて,多くの植物図譜に描かれた.多花性で,秋の低温時にも開花結実する性質があるので,ヨーロッパ,アメリカで古くから栽培されており,現在でも人気は高く,花色や模様の改良が続けられている.

Gunther, (Robert Theodore, 1869-1940) “Early British botanists and their gardens, based on unpublished writings of Goodyer, Tradescant, and Others”, Oxford University Press,1922.
オックスフォード大学にゆかりのある植物学者の手書きのノートを,Gunther が後世活字化して出版した書. ジョーン・グッドイヤー (John Goodyer, 1592–1664) 17 世紀のアマチュア植物学者で,トーマス・ジョンソン(ジェラードの植物誌の改定者)など,多くの植物学者と交流があり,イングランドの植生の調査に貢献した.彼の蔵書や記録はオックスフォード大学のマンダレンカレジに現在も保存されている.

Bryonia nigra
“JOHN GOODYER  p153-154
Convolvulus coeruleus       7 Sept. 1621
flos Noctis. non script.
Hath manie small weake round hairie browne redd branches, growinge from one root, windinge wrappinge and turninge them selves against the sunne, round sticks or poles that are sett by them for that purpose: whereon by certaine distances growe greate broad leaves, in a manner round, yet picked at the toppe, without anie corners like Ivie leaves, verie like those of Bryonia nigra (←) but rounder, somewhat rough above and smooth underneath. Forth of the bosomes of the leaves growe longe slender hairie footstalks, on the toppe whereof growe 2 or 3 most beutifull flowers, not flowringe all at a time but one after another, those that will open in the morninge make some small shewe overnight, onlie wound together, and not of half their growth, erlie in the morninge they appeare in their full lenght, but joyned close together with 5 corners, which after in a short time open and are round like a little bell, like those of white Bindweed (↓), but of a delicate Azure or as it were a color of blewe and redd mixed together, with five straight strakes or lynes in the inside like redd darke colored crimson velvet. This glorious Shewe continueth but awhile, for towards night the same daie that they open, they beginn to vade and fold themselves in together at the toppe, and never open againe, and the next daie fall quite away. Quaere, whether they do always so. MS. f. no.

Bindweed
「一本の根から多数の細く弱々しい,毛の生えた赤褐色の枝を出し,その目的のために側に設置した棒や柱に,太陽(の進行方向)とは反対側から,くるくると絡みつく.ツタとは異なり角がない,先端の尖がった丸っぽい大きな広い葉をある間隔を持って生やす.(その葉は)Bryonia nigra* (ウリ科ブリアニア属) に似ているがより丸く,表面は粗いが下面は滑らかである.葉の付け根から毛の生えた長細い柄を伸ばしその先に2または3個の美しい花をつける.(この花は)ずっと咲いているわけではないが,次から次と咲く.夜間は、ただねじれているだけで花が半分も開かない.朝開く花は、早朝には完全な大きさとなり、短時間の内にその全体の姿を見せる。白色のセイヨウヒルガオ類(Bindweed**)の花と同じように,小さなベルのような花は,五稜の花弁をしっかりと繋ぎ合わせているが,花の色は繊細な紺碧色で,それは赤と青を混ぜ合わせたような色合いである.内側には赤っぽいくすんだ紅色のベルベットのような五本のまっすぐな縞もしくは線がある.この輝かしい姿は,ほんのしばらくしか続かず,開花したその日の夜にはしぼみ始め,先の方が閉じ合わされ,二度と開くことがない.しかも翌日には枯れてしまっている.常にそうするのかは,疑問である.」
Bryonia nigra* : Bryonia alba L., ウリ科ブリアニア属, 図は “A curious herbal, - - - Volume 2” (1737-1739), Elizabeth Blackwell,
Bindweed**: Calystegia sepium (L.) R. Br. [Convolvulus sepium L.]?, 図は “Flora Londinensis, vol. 1 t. 13” (1775), William Curtis

ジョン・パーキンソンJohn Parkinson, 1567-1650) “Paradisi in Sole Paradisus Terrestris (Park-in-Sun's) 『太陽の園,地上の園』” (1629)
The Garden of pleasant Flowers.  p358
1. Convolvulus caeruleus major rotundifolius
BHL/MoBot
“ I. Convolvulus caeruleus major rotundifolius.
The greater blew Bindweede, or Bell-flower with round leaves.
This goodly plant rifeth up with many long and winding branches, whereby it climbeth and windeth upon any poles, herbes, or trees, that stand neare it within a great compasse, alwaies winding it selfe contrary to the course of the Sunne : on these branches doe growe many faire great round leaves, and pointed at the end, like unto a Violet leafe in shape, but much greater, of a sad greene colour : at the joynts of the branches, where the leaves are set, come forth flowers on pretty long stalkes, two or three together at a place, which are long, and pointed almost like a finger, while they are buds, and not blowne open, and of a pale whitish blew colour, but being blowne open, are great and large bels, with broad open mouths or brims ending in fine corners, and small at the bottome, standing in small greene huskes of fine leaves : these flowers are of a very deepe azure or blew colour, tending to a purple, very glorious to behold, opening for the most part in the evening, abiding so all the night and the next morning, untill the Sunne begin to growe somewhat hot upon them, and then doe close, never opening more : the plant carrieth so many flowers, if it stand in a warme place, that it will be replenished plentifully, untill the cold ayres and evenings stay the luxury thereof : after the flowers are part, the stalkes whereon the flowers did stand, bend downwards, and beare within the huskes three or foure blacke seedes, of the bignesse of a Tare or thereabouts : the rootes are stringy, and perish every yeare.”
「大型青花 or 丸葉ベル型花ヒルガオ
この美しい植物は多くの長い曲がりくねった枝を伸ばし,相当な範囲の内に立っている支柱や草木に昇って絡みつく.常に太陽の進行方向とは逆の方向に蔓を伸ばす.これらの枝の上に多くの見事な大きな丸い葉をつける.(葉の)形状はスミレの葉のように先が尖るが,くすんだ緑色でずっと大きい.枝の葉のついた節から(伸びる)目に見えて長い茎の上に花をつける.一カ所に2-3個つく(花は)蕾で花が開かないうちは細長くて指のようで,薄い白みがかった青色であるが,開き始めると豪華で大きなベルのようになり,完全に開くと口または縁は繊細な角で終わる.底では細くなり繊細な葉の緑の萼の中に立っている.これらの花は大変深みのある碧青色や青色で紫色を帯び,豪華で観賞価値が高い.殆どの部分は夕方に開き,夜の間から,太陽が温める次の朝までその状態を持続し,その後閉じて,二度と開かない.この植物は暖かい場所に植えられると,とても多くの花をつけるので,冷たい風や夜がきて豪華さを奪うまでは,たくさんの花であふれんばかりになっている.花が終わると花のついていた枝(茎)は下を向き,莢の中に 3-4 個の黒い種ができる.大きさは Tare(カラスノエンドウ類)のそれくらいで,根は糸状(鬚根)で毎年枯れる.」と,果実のつき方などに,グッドイヤーよりも観察が鋭い.

★トーマス・ジョンソンによる,ジェラードの『本草あるいは一般の植物誌』の増補改訂版 “The herball or Generall historie of plantes. Gathered by John Gerarde of London Master in Chirurgerie very much enlarged and amended by Thomas Johnson citizen and apothecarye of London” (1636)

CHAP. 318. Of Blew Bindweed.
¶ The Description.
1 * BLew Bindweed bringeth forth long, tender, and winding branches, by which it climeth upon things that stand neere unto it, and foldeth it selfe about them with many turnings and windings, wrapping it selfe against the Sun, contrary to all other things whatsoever, that with their clasping tendrels do embrace things that stand neere unto them; - -

‡** 2 There are also kept in our gardens two other blew floured Bindweeds. The one a large and great plant, the other a lesser. The great sends up many large and long winding branches, like those of the last described, and a little hairie: the leaves are large and roundish, ending in a sharpe point: the floures are as large as those of the great Bindweed, and in shape like them, but blew of colour, with five broad purplish veines equally distant each from other: and these floures commonly grow three neere together upon three severall stalks some inch long, fastened to another stalke some handfull long: the cup which holds the floures, and afterwards becomes the seed vessell, is rough and hairie: the seed is blacke, and of the bignesse of a Tare: the root is stringie, and lasts no longer than to the perfecting of the seed. I have onely given the figure of the leafe and floure largely exprest, because for the root and manner of growing it resembles the last described.

「318章 青花ヒルガオについて
記述
1.青花ヒルガオは長くしなやかで巻きつく枝を伸ばし,近くにある物によじ登り,何度も折り返して絡み付いてその物に自分自身を固定する.(からみつく方向は)巻き鬚で近くにある物に絡みつく他(のよじ登り植物)とは対照的に,太陽(の進む方向)とは逆の向きに蔓を伸ばす.(以下略)」
「‡ 2.もう二種類,我々の庭で栽培している青花ヒルガオがある.一つは大きく豪華で,もう一つは小さい.豪華な方は,先ほど述べた物の様に,多くの大きく長い巻きつく枝を上に伸ばすが,やや多毛である;葉は大きく丸型で,先端は尖っている:花は「大型ヒルガオ great Bindweed」と同じくらい大きく,形もそっくりであるが,色は青く,互いに等距離の五つの幅広い条がついている.これらの花は通常,数つかみ分の長さ(some handfull long)の他の莖にくっついた何インチかの長さの三本ほどの莖に三個密接して着く.花を保持しているカップ(萼)は後で,種の粗い多毛な容器になる.種は黒くて,カラスノエンドウの種とほぼ同じ大きさである.根は糸状で種が熟するより長くは残らない.ここには葉と花との図のみを拡大して載せる.なぜなら根と成長の様式は,先ほど述べた物と似ているからである.」

* 1.の蔓の巻く方向を含めて Blew Bindweed の記述は,ジェラルドの初版 1597 年版にも同一文が記載されている.
** ‡はトーマス・ジョンソンによる新規追加項目及び記述.ジェラルドの初版 1597 年版にはない.

Bindweed は便宜的に「ヒルガオ」と訳したが,字義通りの「マキツキグサ」としてもよかったかな?.


現在でも米国を中心に庭園用草花としての人気は高く,多くの花色や模様の園芸品種が販売されている.米国の Jacksonville Morning Glory Vineyard で販売されている品種の花の画像を示す.この種苗店では日本のアサガオ園芸品種の種も多数販売していて,品種名に “shibori; 絞りとあるのは,そのためかもしれない.