Helianthus annuus
ヒマワリの花が太陽の動きにつれてその向きを変えるという「神話」は,ペルーからヨーロッパに導入された直後からあったようで,欧州でのヒマワリの最初の記述 Monardes & Frampton の書“Historia medicinal de las cosas que se traen de nuestras Indias Occidentales (1569)” & its translation “Ioyfull newes out of the New-found Worlde (1577)”には “ the flower dooth turne it selfe cotinually towards the Sunne, and for this cause the call it to be that name, as many flowers and Hearebes doo ths like:” 「その花は,太陽の動きにつれて,みずから継続的にその方向をかえる.これが太陽の花という名前の由来だが,他にも多くの植物が同様の動きをする」と書かれている.
英国の本草・園芸家の Gerarde はもっと冷静で,” The flower of the Sunne is called in Latine Flos Solis, taking the name from those that have reported it to turne with the sunne, the which I couldevever observe, although I have endeavored to finde out the truth of it;” 「ヒマワリはラテン語で太陽の花と呼ばれるが,これは太陽の動きと共に花がその向きを変えると報告されていることから名づけられた.私はこれが真実であるか検討してきたが,これまでのところその様な事は全く観察できていない.」といい,また「私見ではその名前は,花の形が太陽に似ているからだ」とした(“The Herball (1597)”).
Parkinson は “Paradisi in Sole (1629)”に形状や性状,利用法については細かく記しているが,名前に関しては,The Names “The first hath his name in his title (The flower of the Sunne). The second, besides the names set downe, is called of some Plantamaxima, Flosmaximma, Sol Indianus, but the most usuall with us is, Flos Solis: In English, The Sunne Flower, or Flowers of the Snne.” と太陽を追いかけるからだとは云っていない.
古代の南欧州で,向日性の植物として良く知られていたのは,地中海沿岸に自生する草本のヘリオトロープ(Heliotropium europaeum)で,ギリシャ神話では,太陽の神アポロに愛されていた水の妖精 Clytie クリユティエが,アポロの新しい愛人を讒言し捨てられたが,それでもあきらめきれず9日間飲まず食わずで,天空のアポロの日の馬車の動きを横たわった地面から目で追い続け,ついにこの花になったとされる.
ローマ時代の博物学者プリニウス (Pliny the Elder, 23 AD –79 AD) の「Naturalis Historia 博物誌」のBOOK II. AN ACCOUNT OF THE WORLD AND THE ELEMENTS. CHAP. 41. (41.)—OF THE REGULAR INFLUENCE OF THE DIFFERENT SEASONS.には,”One might wonder at this, did we not observe every day, that the plant named heliotrope always looks towards the setting sun, and is, at all hours, turned towards him, even when he is obscured by clouds.” (英訳,John Bostock) とあり,また第22巻,57節には「へリオトロピウムの驚くべき力についてはすでに何度か語ったが、これは曇りの日にも太陽に合わせて動くほど、この天体に強い愛着を抱いている。夜になると切ないかのごとく青い花をとじる。」(大槻真一郎責任編集「プリニウス博物誌 植物薬剤篇」八坂書房 1994)と記されている.
この和訳本では「へリオトロピウム(ヒマワリ、その他の向日性の植物)」とし,また渋沢龍彦『フローラの逍遥』(平凡社 1987)のヒマワリの項では,「プリニウスがへリオトロピウムと呼んだ植物は、たぶん今日へリオトロープという名で知られている、ムラサキ科に属する潅木のことだったらしい。園芸植物としてはペルー原産のものが知られているが、南ヨーロッパの原野に自生している種類もあったようである。」としている.
しかし,プリニウスの時代にはヒマワリも,現在ヘリオトロープと一般に言われている潅木の H. arborescens も欧州には入っていなかったことや,プリニウスのその後の記述にあるこの植物の草丈や花穂の形状から,このへリオトロピウムは南欧州に自生している H. europaeum の事であることが分かる.
17世紀になり,ペルーから花が大きく,その形も太陽に似ているヒマワリが入ると,地味な H. europaeum の「へリオトロピウム=太陽とともに回転する花」の地位を完全に奪い,絵画や彫刻のクリユティエはヒマワリとともに現れるようになった.しかし,欧州では現在でも H. europaeum はEuropean Turnsole, Europäische Sonnenwende, など,太陽の動きと関連付けられた一般名で呼ばれている.
Filippo Parodi (1630 –1702) “Clytie”
Charles de La Fosse (1636 – 1716) “Clytie changee en tournesol” 1688
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8 年前