Xerochrysum bracteata cv. ‘Monstrosum’,
もっとも古くから欧州で知られていた不凋花(immortelle)は,クレタ島及び小アジアの原産とされていた Helichrysum orientale (ヘリクリスム・オリエンターレ)で,ローマ時代の博物学者,プレニウス(22 / 23 – 79)の 『博物誌 Naturalis historia』 ( 77 ) には,クリュソコメ,ヘリオクリュススあるいはクリュシティスの名で記されている.「春を告げる花で高さは一パルムスくらいで,毛が生えている.房状の花は黄金の輝きがある.根は黒く甘酸っぱい.これは日陰の岩地に生育する.その根は,身体を温め,収斂剤となる.肝臓の疾患,また肺の疾患にも服用薬として与え,子宮の痛みにはハチ蜜水に入れて煮つめたものを与える.月経を促し,もし生のままで与えると,水腫の水を抜く.また,ヘリオクリュススの花は黄金に似ていて葉は薄く,茎は細いが堅い.マギ僧たちは,この植物で作った花冠を身につけ,さらに,アピエロン(ギリシア語で「燃えないもの」「火に溶けないもの」の意味)と呼ばれる黄金で作った箱から取り出した軟膏を用いるならば,人生において人気と栄光がもたらされると信じている.」
さらに,「へリオクリュススを,ある人々はクリュサンテモン(ギリシア語で「黄金色の花」の意)と呼ぶが,白い若枝,やや白色の葉があり,ハブロトヌム(ヨモギ属)に似ている.太陽の光を黄金のような色に反射し,あたかも房状花がまわりにぶら下がっているようである.しかも決して色褪せない.この理由で,神のためにこの植物で花冠を作る.この行ないは,エジプト王プトレマイオス*がきわめて忠実に守り伝えた.これは低木の多いところに生育する.ブドウ酒に入れて飲むと排尿と月経を促す.」と不凋花であることと,多くの薬効や呪術的な効力について述べている.(*一世.エジプトにマケドニア王国を創建.在位前305〜前283年),「プリニウス博物誌 植物薬剤篇」 大槻真一郎編著 八坂書房 1994 より抜粋
フランスには,クレタ島あるいはロドス島から1629年に移入されたが.オレンジと同じ気候風土を必要とするので,フランスでは地中海地方のみで栽培が可能であった.この植物は冬の花束,葬儀用の花冠,その他装飾用の乾燥花として適しているため,プロヴァンスの村々は,1815年以降長年,永久花の栽培で暮らしを立てていた.ほかの村が球根や香料植物の生産で利益を得るように,バンドル,オリウール,サナリーの町村では,かつてこの植物の重要な取引が行われた.19世紀の終りには,バンドルでの不凋花の収穫は三十キログラム入りの箱三千箇を越え,一年の大部分,五百人の女手を必要とした.1909年に P ・ヴィムーはこう記した.「バンドルにおいて,その土地の女たちが戸口に坐って,次々に花冠につけるための花を歯でちぎっているのは,まことに奇妙な光景である.」他の種類の永久花もこれと前後して栽培された.1570年以来,南欧はわれわれに,白花永久花またはベルヴィルの永久花(Xeranthemum annuanum トキワバナ)を提供し,それは最初は繻子のような白であったが,撰出家の手によって,種々の色が出来た(バラ色,赤,紫,スミレ色).1799年に,オーストラリヤから来た苞のある永久花,またはマルメゾンの永久花(Helichrysum bracteatum 〔日本でいうムギワラギク〕)は,口のひろがった大きな盃状の花をつけ,原種は黄金色だが,今ではさまざまの色がある(繻子のような白,バラ色,赤,紫).現代ではガラス,陶磁,プラスティックなどが造花の製造に使われ,乾燥した生花に代って,葬儀や墓の装飾に使われるようになり,この産業も廃れてしまった.(『花の歴史』 L. Guyot et P Gilassier, 串田孫一訳 文庫クセジュ 白水社1965 一部改変)
左上図:J.J. Grandvilles ‘Immortelle’ from “Fleurs Animees” (1867) 銅版手彩色