Styrax japonica
Curtis's Botanical Magazine No.5950 (1872) |
米国北カロナイナ州の古都,ウィルミントン郊外の植物園Airlie Gardensは1729創設の古い植物園.ここは,米国南部の湿地植生と,意外なことに日本原産のツツジとツバキでも有名.4月に訪れた際には,米国南部の特産のSpanish moss(サルオガゼモドキ,パイナップル科)の垂れ下がっている木々と,食虫植物のpitcher plant=サラセニア(Sarracenia)(ヘイシソウ(瓶子草))の花が咲いている花壇(左図)の脇には,日本原産のエゴノキが“Japanese Snowbell”の標識をつけてつつましく咲いていた.
海外でもエゴノキは庭園花木として非常に人気がある.あまり大きくならず,病害虫にも強く(海外までは,まだ,エゴノネコアシアブラムシ,エゴツルクビオトシブミやエゴヒゲナガゾウムシはほとんど進出していないようだ),並木にすると花時には垂れ下がった花の下をよい香を楽しみながら散策できると評価が高い.日本より花つきも良いようだ.(このような現象は,アオキのように移出した花木に良く見られる.)
エゴノキに学名をつけて,西欧に紹介したのは,シーボルト.『日本植物誌 Flora Japonica』 (1835-1870) に美しい図(右図)とともに「エゴノキは日本の低木の中でも最も美しいものの一つであり、この国の南部の地方で野生状態でしばしば見かける。ことに、標高九八から三九〇メートルの高さの丘や木立の中、あるいは深い森の縁などに生えている。この植物は、ほぼ一・三から二・〇メートルの高さになり、五月に花を咲かせ、秋に果実が熟す。一般に寺や園遊庭園の周りの森に植えられているのは、かぐわしい香気を放つ豊かな白い花のためである。そういったところに植えられたものは、野生状態のものよりもはるかに丈が高く、また勢いがよくなる。この低木から採れる木材は硬く白いので、あらゆる種類の彫刻に用いられている。若い枝の先に、図23に掲げた特殊な種類の虫こぶ*が現れることがある。」と記した. 瀬倉正克訳『シーボルト「日本植物誌」〈本文覚書篇〉』八坂書房 (2007)
*エゴノキの芽にエゴノネコアシアブラムシが産卵すると,奇妙な虫こぶができる.東京近郊では7月上旬頃,虫こぶの先端が開き,出てきたアブラムシはイネ科の多年草アシボソの葉に移住する.
また,シーボルトは、一八二六年(文政九)の江戸参府の途上、室から大坂への旅先で田園と自然の観察し,日本の植物群ほど多様性と美しさを兼ね備えたところはない,として「アブラナ、タバコ、ヤノネグサ、べニバナ、ケシ、ゴマ、アサ、ワタを植えた畑の周囲にチャノ木がめぐらしてあるところには、かっては色とりどりに混じり合って、ナツグミ、ナワシログミ、ヤマグミ、ヤブデマリ、コバノガマズミ、ガマズミ、イワカサ、スズカケ、ガクウツギ、ヤマアジサイ、コアジサイ、アマチヤ、ミムラサキ、ヤブムラサキ、イソノキ、クサイチゴ、キイチゴ、サンザシ、ゴマハギ、メドハギ、ハギ、ヤハズオウ、ハクチョウ、チサノキ、ハクウンボクなどが茂っていた。」(石川禎一『シーボルト日本の植物に賭けた生涯』里山文庫 (1900))と耕作地にされた丘陵地の以前の植生には,チサノキ(エゴノキ),ハクウンボクが生えていたはずと,開拓前の植生に思いをはせている.
ところが,シーボルト『江戸参府紀行』斉藤信訳,平凡社東洋文庫 (1967) によれば,シーボルトが残した 1826年2月20日の記事として,北九州の山家から木屋瀬への道中での日本の田園の四季に対する同様な考察が記されている(「長崎から小倉への旅」の章)*1.一方「室から大坂への陸の旅(3月7日から3月13日)」の章にはそのような記録は見出せなかった.
シーボルト以降,エゴノキ(チサノキ)は海外にも知られるようになり,多くの来日科学者の記録に載る.
ところが,シーボルト『江戸参府紀行』斉藤信訳,平凡社東洋文庫 (1967) によれば,シーボルトが残した 1826年2月20日の記事として,北九州の山家から木屋瀬への道中での日本の田園の四季に対する同様な考察が記されている(「長崎から小倉への旅」の章)*1.一方「室から大坂への陸の旅(3月7日から3月13日)」の章にはそのような記録は見出せなかった.
シーボルト以降,エゴノキ(チサノキ)は海外にも知られるようになり,多くの来日科学者の記録に載る.
日本に開国を迫るために来た米国のペリー提督は,寄港地毎に植物や鳥類,魚介類の資料を採取し,後に米国議会に提出した報告書(『ペリー提督 日本遠征記』)の第二巻には,そのリストを添付したが,ハーバード大学のA.グレイ植物学教授の研究報告書の中には,艦隊が下田で採取した標本の中に,”Styrax Japonicum, Sieb. & Zucc. Fl. Jap. I, p. 53, t. 23; Simoda.—Leaves and blossoms larger than in Siebold's specimens. エゴノキ,下田,シーボルトの標本より葉も花も大きい” があると記している (Vol. 2, “ACCOUNT OF BOTANICAL SPECIMENS.LIST OF DRIED PLANTS COLLECTED IN JAPAN” p316,上図).
また,英国からプラントハンティングのために日本に1860-62年滞在したロバート・フォーチュンはその著書 “Yedo and Peking” (1863) に1861年5月神奈川の田園を訪れた際の記録として,”Wild roses are now in full flower. The hedges, banks, and uncultivated land are covered with their while blooms. A new species of Weigela is growing wild everywhere, and also in flower. In the end of May and in June, Deutzia scabra and Styrax japonica are very beautiful. They abound on every hill-side, in the hedges, and on the banks of streams. Later in the year the Styrax produces galls, from which a reddish dye is prepared. Honeysuckles, too (Caprifolium japonicum), are abundant, and their flowers, with those of the wild rose, fill the air with delicious perfume.”
「 ちょうど野ばらの花盛りで、生垣や堤や草原にその白い花が咲きみちていた。どこにでも繁茂していたハコネウツギ(Weigela)もまた,花の季節であった.五月の末から六月にかけて,ウツギ(Deutzia scabra)やエゴノキ(Styrax japonica)が大変美しく,丘や生垣や川岸のいたる所にいっぱいある。エゴノキは年の暮れにフシを生じ、それから赤みがかった染料が取れる。スイカズラ(Caprifolium japonicum)もまた豊富で、花は野バラとともに快い匂いを大気に放っていた。」と記している.(『江戸と北京』 R.フォーチュン/三宅馨訳,講談社(1897))
1866年から1871年まで横須賀造船所の医師として日本に滞在し,1873年から1876年に再度滞日したサバティエ(Paul Amédée Ludovic Savatier, 1830–1891)は,自ら横須賀や伊豆半島で採集を行った他,日本の植物学者伊藤圭介や田中芳男などから標本を入手した。
帰国後フランシェ (Adrien René Franchet) と共著で『日本植物目録』(Enumeratio Plantarum in Japonia Sponte Crescentium) を1873-1879年に出版した.そのなかで,Styrax 属の一つとして, S. japonicum (エゴノキ)について,「山地に多い.九州では雲仙と島原(伊藤圭介),野母崎(Buerger),長崎(Oldham).本州では,横浜(Maximowicz),下田(Williams & Morrow*)の報告があり,本人も横須賀と大島で見て,日本名は “Tsima noki” 」と記載した(右図).
*ペリー艦隊の隊員達
冒頭の図譜(Curtis’s Botanical Magazine, Volume 98 (1872), TAB. 5950)のテキストには,「日本南部ではありふれた灌木若しくは小木であるが,装飾的な価値が高いので庭園や街道筋でもよく栽培される.Wilford** によって1859年に王立植物園のための植物採集の際に朝鮮半島でも見出され,1854年のペリー艦隊の日本遠征の際にも琉球***で発見された.この木はヒマラヤからペナンにわたる東ベンガルにも繁茂している.このように広く知られ広い地域に分布している植物が,ツンベルクの『日本植物誌』やそれに先行するケンペルの著作に記述されていなかったのは非常に奇妙である.シーボルトは原産地名を “Tsisjano-ki” とし,また,王立キュウ植物園にこの木を導入したオルダム****は “Naats-gi” であるとした.」とある.
更にこの種の木は若い枝にフシを作る昆虫によって棍棒状の物体が出来るし,またヒマラヤやカシミアの種では牡鹿の角状の虫こぶが出来るが,これは皮をなめす(Tanning)ために輸入される.とも述べており,フォーチュンの虫こぶの記述と考え合わせると興味深い.
** Charles Wilford (? - 1893)
*** 下田の誤りと思われる.ペリーの項,参照
**** Richard Oldham, (1837 – 1864)
エゴノキは中国・朝鮮半島にも分布しており,中国では「野茉莉」,韓国では「때죽나무」と呼ばれる.韓国においての名前は,地面に向かってたれ下がるやや灰色がかって,つるつるしている多数の実が,まるでお坊さんが集まっているかのような姿であることに由来するとか.日本と同様,若い実を洗剤や魚毒漁に使用し,また,種に脂肪分が多いことから,油を絞って椿油と同様に用い,花も実も葉も薬用に使った.
昨年,大きな話題を呼んだ韓国の小説,李承雨著『植物たちの私生活』,金順姫訳 藤原書店(2012)には,エゴノキが女性を象徴する木として登場する.印象的な場面からの文を引用すると,
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「エゴノキ」と兄は短く言った。私は「エゴノキ」と真似して言ってみた。私にとっては初めて聞く名前で、当然どんな木なのか姿を想像できなかった。(中略)
「滑らかな木の幹がすんなりとした女の裸身を連想させるんだ」と兄は酔ったように言った。「本当にうっとりとさせるのは白い花なんだ。五月だからもう少しすると花が咲くだろう。地面に向かって頭を垂れているエゴノキの白い花は銀の鈴のようなんだ。その下に立っていると、りんりんと鈴の音が鳴っているようなんだ」と話す彼の声が深い海に沈んでいる碇のように暗い森の中に遊泳して入っていった。
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*1 いまチャの木が、アブラナ・クレナイ・ケシ・ゴマ・ワタを植えた畑の回りに垣をめぐらしている処は、かっては色とりどりに混じり合って、ナツグミ・ナワシログミ・ヤマグミ・ヤマデマリ・コバノグマズミ・ガマズミ・イワカサ・スズカケ・ミムラサキ・ヤブムラサキ・クサイチゴ・ゴマハギ・メドハギ・ハギ・ヤブツグサ・ハクチョウ・チサノキなどが茂っていたのだ。
また,英国からプラントハンティングのために日本に1860-62年滞在したロバート・フォーチュンはその著書 “Yedo and Peking” (1863) に1861年5月神奈川の田園を訪れた際の記録として,”Wild roses are now in full flower. The hedges, banks, and uncultivated land are covered with their while blooms. A new species of Weigela is growing wild everywhere, and also in flower. In the end of May and in June, Deutzia scabra and Styrax japonica are very beautiful. They abound on every hill-side, in the hedges, and on the banks of streams. Later in the year the Styrax produces galls, from which a reddish dye is prepared. Honeysuckles, too (Caprifolium japonicum), are abundant, and their flowers, with those of the wild rose, fill the air with delicious perfume.”
「 ちょうど野ばらの花盛りで、生垣や堤や草原にその白い花が咲きみちていた。どこにでも繁茂していたハコネウツギ(Weigela)もまた,花の季節であった.五月の末から六月にかけて,ウツギ(Deutzia scabra)やエゴノキ(Styrax japonica)が大変美しく,丘や生垣や川岸のいたる所にいっぱいある。エゴノキは年の暮れにフシを生じ、それから赤みがかった染料が取れる。スイカズラ(Caprifolium japonicum)もまた豊富で、花は野バラとともに快い匂いを大気に放っていた。」と記している.(『江戸と北京』 R.フォーチュン/三宅馨訳,講談社(1897))
1866年から1871年まで横須賀造船所の医師として日本に滞在し,1873年から1876年に再度滞日したサバティエ(Paul Amédée Ludovic Savatier, 1830–1891)は,自ら横須賀や伊豆半島で採集を行った他,日本の植物学者伊藤圭介や田中芳男などから標本を入手した。
帰国後フランシェ (Adrien René Franchet) と共著で『日本植物目録』(Enumeratio Plantarum in Japonia Sponte Crescentium) を1873-1879年に出版した.そのなかで,Styrax 属の一つとして, S. japonicum (エゴノキ)について,「山地に多い.九州では雲仙と島原(伊藤圭介),野母崎(Buerger),長崎(Oldham).本州では,横浜(Maximowicz),下田(Williams & Morrow*)の報告があり,本人も横須賀と大島で見て,日本名は “Tsima noki” 」と記載した(右図).
*ペリー艦隊の隊員達
冒頭の図譜(Curtis’s Botanical Magazine, Volume 98 (1872), TAB. 5950)のテキストには,「日本南部ではありふれた灌木若しくは小木であるが,装飾的な価値が高いので庭園や街道筋でもよく栽培される.Wilford** によって1859年に王立植物園のための植物採集の際に朝鮮半島でも見出され,1854年のペリー艦隊の日本遠征の際にも琉球***で発見された.この木はヒマラヤからペナンにわたる東ベンガルにも繁茂している.このように広く知られ広い地域に分布している植物が,ツンベルクの『日本植物誌』やそれに先行するケンペルの著作に記述されていなかったのは非常に奇妙である.シーボルトは原産地名を “Tsisjano-ki” とし,また,王立キュウ植物園にこの木を導入したオルダム****は “Naats-gi” であるとした.」とある.
更にこの種の木は若い枝にフシを作る昆虫によって棍棒状の物体が出来るし,またヒマラヤやカシミアの種では牡鹿の角状の虫こぶが出来るが,これは皮をなめす(Tanning)ために輸入される.とも述べており,フォーチュンの虫こぶの記述と考え合わせると興味深い.
** Charles Wilford (? - 1893)
*** 下田の誤りと思われる.ペリーの項,参照
**** Richard Oldham, (1837 – 1864)
エゴノキは中国・朝鮮半島にも分布しており,中国では「野茉莉」,韓国では「때죽나무」と呼ばれる.韓国においての名前は,地面に向かってたれ下がるやや灰色がかって,つるつるしている多数の実が,まるでお坊さんが集まっているかのような姿であることに由来するとか.日本と同様,若い実を洗剤や魚毒漁に使用し,また,種に脂肪分が多いことから,油を絞って椿油と同様に用い,花も実も葉も薬用に使った.
昨年,大きな話題を呼んだ韓国の小説,李承雨著『植物たちの私生活』,金順姫訳 藤原書店(2012)には,エゴノキが女性を象徴する木として登場する.印象的な場面からの文を引用すると,
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「エゴノキ」と兄は短く言った。私は「エゴノキ」と真似して言ってみた。私にとっては初めて聞く名前で、当然どんな木なのか姿を想像できなかった。(中略)
「滑らかな木の幹がすんなりとした女の裸身を連想させるんだ」と兄は酔ったように言った。「本当にうっとりとさせるのは白い花なんだ。五月だからもう少しすると花が咲くだろう。地面に向かって頭を垂れているエゴノキの白い花は銀の鈴のようなんだ。その下に立っていると、りんりんと鈴の音が鳴っているようなんだ」と話す彼の声が深い海に沈んでいる碇のように暗い森の中に遊泳して入っていった。
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*1 いまチャの木が、アブラナ・クレナイ・ケシ・ゴマ・ワタを植えた畑の回りに垣をめぐらしている処は、かっては色とりどりに混じり合って、ナツグミ・ナワシログミ・ヤマグミ・ヤマデマリ・コバノグマズミ・ガマズミ・イワカサ・スズカケ・ミムラサキ・ヤブムラサキ・クサイチゴ・ゴマハギ・メドハギ・ハギ・ヤブツグサ・ハクチョウ・チサノキなどが茂っていたのだ。