2014年7月17日木曜日

クガイソウ(1/3) 威靈仙, 本艸綱目品目,和語本草綱目,大和本草,広益地錦抄,和漢三才図会,用薬須知,草木弄葩抄,絵本野山草,質問本草,剪花翁伝,薬品手引草,物品識名,本草綱目啓蒙,草木図説

Veronicastrum japonicum
2009年7月 尾瀬ヶ原駐車場 植栽
日本では高地の比較的乾燥した地に自生する,観賞価値は高いものの,園芸用としても,薬用としてもあまりポピュラーではない植物だが,江戸時代には多くの本草書に収載された.その理由は,リューマチや通風の特効薬として中国本草に収載されていた「威靈仙」と誤って比定されていたからである.

「威靈仙」の真起源はキンポウゲ科のテッセン類の根で,その名は「性猛なるを以って威と日ひ、功神なるを以って靈仙と日ふ」由来とされている.なぜ,薬としての効果のないクガイソウが,「威靈仙」と考えられたのかは,次の記事に述べるが,中国本草での記述の混乱と,それに伴う図のあいまいさにある.
しかし,輸入した正品と和品(クガイソウ)との性状・薬効の違いがはっきりとしてきて,江戸後期には,正品を藤性威靈仙と,クガイソウを草性威靈仙として区別した.

磯野の初見は, ★貝原篤信(益軒)『本艸綱目品目 蔓艸類 七十三種 巻之十八』(1762以前,執筆は1680頃か)で,これには,「威靈仙 クガイサウ」とあり,これ以降「威靈仙=クガイサウ」が定着したと思われる(左図,NDL).

★岡本一抱(1654 - 1716)撰『広益本草大成 通称 和語本草綱目』(1698刊)には「和人ハ徐長卿(フナバラ)及仙人艸ヲ以テ威靈仙トス.尤トモ非也.今ノ九蓋(ガイ)艸ト云フ者.是レ威靈仙ナリ,然レドモ惟タ唐ヲ用テ宜トス」とあり,17世紀末には,クガイソウを正品としながらも実際にはクガイソウは威靈仙としては用いられておらず,中国からの輸入品もクガイソウ基源のものではなく,また徐長卿(フナバラソウ)でも仙人草(センニンソウ)でもないことを認識していた本草家がいたことが分かる.

★貝原益軒『大和本草 巻之六 薬草類』 (1709) には,
「威靈仙 九蓋(カイ)草ノ和俗名ツク 葉ハ莖ニ付テ段々ニアリ 一段有五葉開花ヲ 花虎ノ尾ト云草花ニ似タリ 碧色也如穂長シ 八九寸アリ 七重草ノ類ニハアラス フナハラヲ威靈仙トスルハ非ナリ」と,「威靈仙=クガイサウ」と,当時フナバラソウが威靈仙として用いられていたことを示す(右図,NDL).

  伊藤伊兵衛『広益地錦抄 巻之五薬草五十七種』(1719)
「威靈仙(いれいせん)葉は五葉づゝならび車のごとく付て段〃にのぼる故に草花に草三七共九蓋(かい)草ともいふ 花はうすむらさき色粟穂(アワノホ)のかたちにて五月ひらくながめ有り 穂しだれてきぢの尾といふ草花に似たり 本草に作(ル)穂(ニ)碧白色といふハよく似たれとも初蔓を生ス叉菊花頭のことくと云は心得ず 時珍が別に数種有といふ是ハ和の威靈仙なるにや いにしへより是をよび来れり」と,クガイサウの花の美しさを讃える一方,古くから「威靈仙=クガイサウ」とされているが,『本草綱目』の威靈仙の記述には合致しない事もコメントしている.

★寺島良安『和漢三才図会 巻之第九十六 蔓草類』(1713頃)には,「威靈仙 いれいせん  九蓋(カイ)草 今俗云  宇豆保久佐 布那波良 右二ノ和名ハ古ノ名ヲ而非也
本綱、威靈仙は其の生ずること衆草に先んず。方なる茎は銀股の如く、数葉相対す。初生は蔓を作し、七月に花を生ず、六出浅紫或は碧白色。穂を作して莆台子に似たり。亦た菊花の頭に似る者有り。実は青色、根は稠密にして鬚多く、穀に似て毎年朽ち敗れ、毎年蒡引す。年深くして転(うたた)茂る。一根草鬚数百条、長き者二尺許り、初時は黄黒色、乾けば則ち深黒し。別に数種有り。根鬚は一様にして但し色或は黄或は白し。皆用うべからず。
根(微辛、賊、温) 痛風を拍するの要薬なり。(中略) 但し性大抵疎利なり。久しく服すれば恐らくは英気を損ず。気弱き者は之れを服すべからず)性猛なるを以って威と日ひ、功神なるを以って靈仙と日ふ。
△按ずるに、威靈仙(俗に云ふ九蓋草)は芸州・予州・丹波及び金剛山より多く之れを出す。初生は蔓に似て後に茎を立つ。高さ二三尺、茎は細円にして莞の如く、葉は虎尾草に似て六七葉対生す。頗る車輪の如し。最も長ずる者九段許り。(故に九重と名づく) 六月に花を開き、人家に栽うる者は四月に花を開く。形も亦た虎尾草及び荘草の花に似て穂を作し碧色、実を結びて鶏冠の実の如し。其の根髭多く芹の根の如し。乾けば則ち黒色、是れ能く上の説に合す。椎だ所謂る茎と図する所の花穂とは少し異なるのみ。
或は薬を採る人、徐長卿の根を用ゐて威靈仙に充つ。弁ずべし。(徐長卿*は根白色、細辛の如く、詳しくは山草に見ゆ)」
* ガガイモ科スズサイコ>
と『本草綱目』の「威靈仙」の記事を紹介・引用した後(中略部は後の記事で詳しく書く予定),その記述とクガイソウの性状は合致していることを強調しているが,莖の形状と花穂の形が異なるとは指摘している.

松岡恕庵(1668-1746) 用薬須知 巻之二 六』(1712脱稿 には,「威靈仙 和漢共ニアリ漢ヲ上トス 所謂鉄脚威靈仙是レナリ 和ノ九蓋草(クガイソウ)是ナリ 貨(ウル)所ノモノ間(ママ)仙人草根ヲ用ユ 甚タ毒有用可不 王藎臣ガ群芳譜ヲ按スルニ和ノ鐵線蓮ト云蔓草ノ根亦威靈仙ノ一種ナリ 若シ漢種乏キ時代用」とあり,クガイソウに比定はしているが,センニンソウの根は有毒で代用できない,しかしテッセンの根は中国からの輸入品が手に入らないときには代用できるだろうとしている.クガイソウの根には薬効がないことと,テッセン類が真の威靈仙で,中国ではこの根を用いていることを推察していたのであろう.

当時もっとも著名だった本草家稲生若水が校正し,和刻本草綱目のなかで一番優れているといわれている★稲生若水校『本草綱目(新校正本〉』(1714)  でも,「威靈仙 朱開寳 クカイソウ」とあり,本草学では「威靈仙=クガイサウ」が一般認識であったことを示す.

★菊池成胤?『草木弄葩抄(ソウモク ロウハショウ)』(1735) には,「くかい草 漢名 威灵仙(イレヒセン) <注 灵=「靈」と同音>
花のかたち虎の尾のことく色うす紫なり 葉くるま葉につきだん/\に葉いつる.」とある.(右図,左 NDL)
NDL の書誌情報によれば,この書は「知名度は低いが、先行する『花壇綱目』や『花壇地錦抄』より記載がはるかに詳しい園芸書で、草類だけを載せる。著者名は明記されていないが、序文の筆者菊池成胤(浪華の人)と思われる。現存本は上巻であり、これには図が一つも無い。
凡例によれば図集を下巻として出版するとあるが、刊行された形跡は認められない。上巻もこの国立国会図書館本以外に知られていないようである。見出し数は209だが、同一項に類品を挙げる場合が少なくないので、総品数はこれよりかなり多い。(中略)『絵本野山草』(宝暦5年=1755刊、特1-2166)は全163項目だが、うち半数の82項が本書の記文の全部あるいは一部の転写である。」(磯野直秀))

★橘保国『絵本野山草 巻之一』(1755
「くかい草 花のかたち,虎の尾のごとく,色うす紫なり.葉,くるまばにつき,だん/\に葉出る.五月,はなさく.」と,記述文は『草木弄葩抄』の剽窃に近い.図の花穂は花の付き方がまばらで直立し,テンニンソウを思わせるが,葉の形や付き方は実物に近い(右図,右 NDL).

琉球の植物の本草名を記載した★呉継志『質問本草 巻之三』 (1789) には,「威靈仙(大蓼 タカタデ ハボロシ*)(以下略)」とあり,また,巻之四には,クガイソウと比定されている.巻之三に添付されている図はサキシマボタンヅル(Clematis chinensis) と思われる(左図 上,WUL)現在の中国ではこれが威灵仙と言われている*葉疿子 センニンソウの別称.「クガイソウ (3/3))
一方,テッセンは欄路虎と言う名で記載されているが,威靈仙との関連には言及されていない(左図 下,WUL

寛政元年(乾隆五十四年、尚穆王三十八年、1789年)に完成した本書は,沖縄の中山および掖玖諸島の草木160種に関し,薬効を福建等の中国医師45名に質し作成したと始めに記す.草木の線描と簡単な効用を紹介.作者の呉継志,また,成立についての詳細は不明.時の八代薩摩藩主島津重豪はこれをおおいに喜んで出版するつもりであったが,果たさないうちに死去.これを48年後に曾孫の十一代藩主島津斎彬が世に出したものである.中山呉子善著,薩摩府學蔵版として,天保八年(道光十七年,尚育王三年,1837年)に江戸の須原屋,山城屋等で刊行されている.

毛利梅園1798 1851)『梅園草木花譜 夏之部 一』(1825 序,図 1820 – 1849)には,紫色の花と黄色い雄蕊が美しい,正確な写生畫と共に,「救荒本草曰 威靈仙(クガイサウ) 一名 能消, 地錦抄曰 和俗名 九蓋草(キウカイソウ)車三七, 大和本草曰 威靈僊, 増補多識編蔓草類曰 威靈仙(イレイセン)和俗ニ布那波羅(フナハラ)ト云 誤(アヤマリナリ),本草綱目曰以性●曰功神曰威以功神曰靈仙」とあり, 「壬午蕤賓日写」とあるが,梅園生存中の壬午は1822年,蕤賓= 陰暦5月の異称なので,この年の陰暦五月に写生したとわかる(右図,NDL).なお,『救荒本草』の威靈仙はクガイソウでもテッセン類でもなくて,現在では不明のキク科の植物.

「いけばな」愛好者のための実践的な花井栽培ハンドブック、切り花取り扱い技法ハンドブックとでもいうべき内容と性格とをそなえている特異な園芸書★中山雄平著,松川半山画『剪花翁伝 前編 五月』
(1847著,1851) には,「○ふかい艸 花、青く紫色を含めり。貌(かたち)、虎の尾と同じ。開花、五月より、二番切・三番切するゆゑに、九月まであり。方・地・土・肥・株、並に切時、升水(ミづあげ)の方、虎の尾艸におなじ。(○くがいそう 花は紫色を含んだ青である。花形は、おかとらのおと同じである。開花は五月からであるが、二番切り・三番切りと花を切っていくので、九月まで花がある。方位・土地・土壌・肥料や、株分け・花切りの時節や、水揚げ法などは、おかとらのおと同じである。)左図,WUL」とあり,栽培法や採花法,水揚げ法と実際に即した手法が記載されている.

★加地井高茂
[]薬品手引草(1843) には,「威靈仙 (イレイセン) 能消(ノフセウ)くがい屮 唐 和ハ偽物多シ」とあり,和の偽物が多いことが記されるが,クガイソウの根由来かも知れない.(右図,NDL)

★岡林清達・水谷豊文『物品識名 坤』(1809 には,「クカイサウ 草本威靈仙」とあり,威靈仙の中の草本がクガイソウだとしている.一方小野蘭山が,藤本威靈仙としているテッセンは,鉄線蓮の一種としているだけで,威靈仙との関連は記されていない.

★小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之十四下 草之七 蔓草類』(1803-1806)
「威靈仙 〔一名〕能消(証類本草) 寿祖(絹耕録)
集解ニ説トコロ、草本(クサダチ)、藤本(ツルダチ)ノ二種アリ。

藤本ノモノハ時珍説トコロノ鉄脚威靈仙ナリ。
平賀源内監修 秘伝花鏡(WUL)
和名テッセン即漢名鉄線蓮ナリ。秘伝花鏡ニ、鉄線蓮一名番蓮、或云、即威靈仙トイヘリ。広東新語ニ西洋蓮、西洋菊ノ名アリ。花戸ニ多クウユ。人家ニモ栽テ花ヲ賞ス。和州ニハ自生アリ。春時芽ヲ旧藤ヨリ発ス。一根数条赤色、竹木上ニ纏延スルコト甚長シ。節ゴトニ葉鬚相対シ生ズ。葉ハ山蓼(ボタンヅル)ノ葉ニ似テ、小シ。夏ニイタリ花ヲ生ズ。一茎一花大サ二寸余、六出アルヒハ八出、形玉蘂(トケイサウ)花ノゴトク碧色、中心ニ細小紫弁簇生シテ菊花ノゴトシ。マタ白弁紫心ノモノアリ。皆外弁マヅオチ内弁ノチニ凋ム。ソノ根数十条一葉ヲナシ、長サ一尺余、浅黒黄赤色。マタ一種カザグルマト呼モノアリ。葉大ニシテ橢ナリ、三葉一朶ヲナシ、大蓼(センニンサウ)葉ニ似タリ。花ハ鉄線蓮ヨリ大ニシテ紫心ナシ。碧色、白色、千弁、単弁ノ数種アリ。マタ鉄線蓮ノ一種ナリ。多ク人家ニ栽テ花ヲ賞ス。

又一種草本(クサダチ)ノモノハ、蘇頌ノ説トコロノ威靈仙ナリ。
和名クガイサウ或ハクカイサウトモイフ。一名トラノヲ越前 ヤヤツヽミ佐州 クルマサンシチ花戸 コノ草人家ニ多クウユ。春旧根ヨリ叢生ス。茎円ニシテ高サ一二尺、葉ハ形長シテ細鋸歯アリ。鳳仙(ホウセンクハ)葉ニ似テ、アツク深緑色。五葉ゴトニ節ニ対生シ層ヲナス。肥タルモノハ十二三層、小ナルモノハ八九層、故ニ、クカイサウト名ク。夏月、茎梢ニ長穂ヲイダス。六七寸許、小花密ニ綴リ、淡紫碧色、後小尖莢ヲムスブ。根ハ短シテ黄褐徴黒。一種江州伊吹山ニ産スルモノハ、茎短ク葉モマタ短、六七葉アルヒハ二三葉対生シ、或ハ互生シ、斉カラズ。又一種奥州南部津軽ヨリ出ルモノハ、茎葉ニ毛茸アリ、花穂扁ク、アルヒハ穂ヲナサズ、花小ニシテ色浅シ。其根細長、一尺許、浅黄褐徴黒ヲオブ。
薬舗ニ唐ノカモジデト呼モノ、色黒クシテ長ク、数首条一窼ヲナス。コレ真ノ鉄脚威靈仙ナリ。鉄線蓮ノ根ハ形同シテ脆ク折ヤスシ。内ニ小白心アリテ、舶来ニオナジ。代用ベシ。和ノカモジデト呼モノハ、大蓼(センニンサウ)根ナリ。色黒シテ徴褐、折バ内ニ大白心アリテ味辛シ。下品ナリ。又クカイサウノ根ヲ真ノ威靈仙ト称シ売。コレハ蘇頌ノ説ニヨルナリ。クカイサウ三種ノ中、奥州ノ産ハ根長シテ味アリ。用ベシ。」

と,威靈仙を藤本(ツルダチ),草本(クサダチ)二種があり,前者が時珍のいう鉄脚威靈仙であり,後者(クガイソウ)が蘇頌のいう威靈仙であるとしている.生薬店で中国渡来の「カモジグサ」として売っているのは,鉄脚威靈仙であり,和産のテッセンでも代用できる.また,センニンソウの根を「和のカモジグサ」と称して売っているが,これは副作用が強い.一方和産のクガイソウの根を真の威靈仙として売っている.と記している.

  飯沼慾斎『草木図説前編(草部)巻之一』(成稿 1852(嘉永5)ごろ,出版 1856 - 62)には,
「クカイソウ 第一目 一雌蕊, 第二綱 二雄蕊 ヂアンドリア
クカイサウ 草木威靈仙
数種アリ.本草啓蒙詳明草状.萼五出披針状.花筒様微ニ四裂シ.淡紫碧色.實礎麦粒状ニシテ一柱頭微哆.雄蕋二莖葯茶褐色ニシテ黄粉ヲ吐ク.其攅簇ノ数ニ多アリ少アリ.又莖葉ニ毛ノ有無.又草ニ矮生ナル者.又梢上ニ多穂ヲ出ス者.等ノ種々アレドモ.生殖部ミナ同シ故ニ不一々」
第二種 ヘロニカ・ヒルギニカ.羅, ヒルギニセ・エーレンプリース 蘭, 卵葉圖可併證」と,美しい単色木版画と共に性状が収載されており,漢名として草木威靈仙が記されている(左上図,NDL).

以上のように,リューマチや神経痛に著効を示すと考えられた威靈仙として,日本では江戸時代まで,クガイソウ,フナバラソウ,センニンソウ,テッセンなど多くの植物が比定されていた.一応クガイソウを正品とする説が多いが,実際には中国から輸入された威靈仙を治療には用いていたようだ.この輸入品の起源は主としてテッセン類と考えられ,輸入品が品薄の場合は和産のテッセンを用いてもいいだろうとの説もある.


なぜクガイソウが日本では威靈仙として比定されたのかは,次記事に記す.

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