Gomphrena globosa
2013年8月 |
日本には中国から天和から次の貞享のころ(1681-88年)に渡来したと,四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録』(1733),岩崎灌園『草木育種』(初版1818)
にはある.熱帯アメリカ原産の本種は,欧州から直接あるいは,インド経由で中国にわたったと思われる.
中国最初の園芸指南書といわれる陳扶揺『秘伝花鏡』(1688年)には,整った形と鮮やかな色を長期間保つ花として,女性が簪にして髪をかざり,さらにミョウバンの希薄溶液に浸した上乾燥させるとより長い間色が保てるとある(実験中).
中国最初の園芸指南書といわれる陳扶揺『秘伝花鏡』(1688年)には,整った形と鮮やかな色を長期間保つ花として,女性が簪にして髪をかざり,さらにミョウバンの希薄溶液に浸した上乾燥させるとより長い間色が保てるとある(実験中).
平賀源内校正 秘伝花鏡(NDL) |
★陳扶揺(ちんこうし,1612-没年不明)『秘伝花鏡』(原本 1688年, 平賀源内 校正本『重刻秘伝花鏡』1773年,右図)
「千日紅。本高二三尺莖淡紫色。枝葉婆娑。夏開深紫色花。千瓣細碎圓整如毬。生於枝抄。至冬葉雖。萎而花不薦婦女採簪於鬢。最能耐久。畧用淡礬水浸過晒乾藏於盒内。來年猶然鮮麗。子生瓣內最細而黑。春間下種即生。喜肥。」(句点は平賀源内に拠る)草丈は二三尺で,薄い紫色を呈し,葉は良く茂る.夏に開く花は深紫色で,細かい花弁が千もあり球のように丸く整っている.冬になって葉が落ちても花はしぼまず,女性がカンザシにする.薄い礬水(みょうばんすい)に浸して乾かし,暗所に保存すれば次の年までも色鮮やかである.花弁の間に黒い小さな種を生じ,春に蒔くとすぐに発芽する.肥えた土を好む.
その約200年後に著された『植物名實圖考』の記述は『秘伝花鏡』と全くといっていいほど同じで,200年の間,センニチコウに関する新たな知見は集積されなかったようだ(左図).
★呉其濬 (1789-1847)『植物名實圖考』清末 (1848)
「花鏡 千日紅本高二三尺莖淡紫色枝葉婆娑夏開深紫色花千瓣細碎圓整如球生於枝杪至冬葉雖萎而花不薦婦女採簪於鬢最能耐久略用淡礬水浸過晒乾藏於盒(内)來年猶然鮮麗子生瓣內最細而黑春間下種即生喜肥」
現代中国における異名は以下に示すようで,さすが漢字の国と興味深い.
【異名】百日紅、千金紅、百日白(《中國藥植志》),千日白、千年紅(《江甦植藥志》),呂宋菊(《陸川本草》),淡水花(《南寧市藥物志》),沸水菊(《廣西中藥志》),長生花(《上海常用中草藥》),蜻蜒紅、球形雞冠花(《福建中草藥》)。
日本においては,松平直矩の『松平大和守日記』(1642-95)の寛文4年(1664年)七月二十一日の記事に「五時花(ゴジカ)・千日花(センニチコウ)箱ニ植ル。」と記され(確認中),また同時期の日本最初の園芸書,水野元勝著『花壇綱目-初稿』(1664年)には紅黄草(フレンチマリーゴールド)三葉丁子(アフリカンマリーゴールド)日向葵(ヒマワリ)等と共に記載されていて(磯野直秀「日本博物学史覚書 XIV」慶応義塾大学日吉紀要・自然科学
No. 44 (2008),これらがセンニチコウを記載した現存最古の文献と思われる.
★水野元勝『花壇綱目 巻中 雑草の部』(刊本,延宝九年版 (1681))
万日講・花紫色なり又千日紅とも云●養土は肥土にすな少ませあはせ用てよろしきなり●肥は馬糞干粉にして右の土に成程少ませ根廻へちらし可然なりまた魚あらいしろも折々用てよろし・分植は無時(右図,NDL)
益軒は海外から来た花には低い評価しか与えなかったが,センニチコウとマリーゴールドは,例外的に高く評価した.
★貝原益軒『花譜 中巻 十一月』(1694)では「千日紅 三月に種をまくべし、十一月に花ひらく、むらさき色にして花おほし、愛すべし。馬糞或魚のあらひ汁を、ときどきそゝぐへし。」とあり、「三波丁子* 此種及千日紅、近年異国より來れるにや、むかしはきたらず。(中略)千日紅、三波丁子など、むかしなくて、ちかごろ出たるものなれど、其中にては、賞すべければ、いさゝかこゝにしるす。(後略)」(*アフリカンマリーゴールド)
★貝原益軒『大和本草巻之七 草之三 花草類』 (1709) では、陳扶揺『秘伝花鏡』の記述を引用した後,「○今案千日紅近年中華ヨリ來ル 其花千葉ニテアツク形楊梅*ニ似タリコキ紫色ニテウルハシ 冬ニ至テシホマス好花ナリ 魚汁馬糞ヲ肥トスヘシ 或曰寒ヲ畏ル 早ク霜雪ヲフセクベシ 子甚細微」としている.*ヤマモモの実
『同巻十九 諸品図上 草類』では,「千日紅 九月花開ク花紫色其形小薊花ニ似テ小ナリ 花美(ウル)ハシ 冬ニ至リテシボマズ 久シク堪フ 近年異邦ヨリ渡ル 可為好品(好品ト為スベシ)」(左図,NDL)
★伊藤伊兵衛三之丞画・同政武編『草花絵前集』(1699)
「〇千日向(せんにちこう)
花形さながら覆盆子(いちご)のごとく、色はこいむらさき、七八月にさく、此花九十月の時分枝ともにかり、かげほしにして、冬立花の下草につかふ。色かわらずして重宝なる物。」(右図,右 NDL)
★四世伊藤伊兵衛『地錦抄附録 巻之三』(1733)
「△天和貞享年中来る品々
美人蕉(ビジンセウ) 千日紅(センジツコウ)
岩石蘭(ガンセキラン) るかう
柊南天(ヒイラギナンテン) ゐんげんさう 今云かうわう草*
曼陀羅花(マンダラゲ) 今云朝鮮朝がほ」
(右図,左 NDL) *かうわう草 紅黄草 フレンチマリーゴールド
(右図,左 NDL) *かうわう草 紅黄草 フレンチマリーゴールド
江戸の絵入り百科事典として知られる『和漢三才図会』には,茎や葉の形状をそれぞれシュウカイドウとケイトウに例え,更に實は出来ないが,枯れた花を揉み砕いて蒔けば苗が出来るとしている.現在は苞を砂と混じてよく揉んで種を露出させると発芽率が高い事が知られている.
千日紅 (せんにちこう),
△按ずるに、千日紅は高さ二三尺、茎は秋海菜に似て淡紫色・葉は鶏頭草に似て大きく、面に毛葺(うぶげ)有り。九月に花を生ず、深紫色・千葉円くして形は楊梅の形に似たり。其の盛り久しく百日ばかりなり。樹に百日紅と名づくる者有り。之れに勝れるを以って千日紅と称して實(みの)らず、唯だ花を収めて二月に之れを揉み砕き蒔き種ゑて生ず。或は枝を挿しても亦た活く。凡そ菊花の如きは実無くして近年花を蒔くを知る。
△思うに、千日紅は高さ二、三尺。茎は秋海棠に似ていて淡紫色。葉は鶏頭草に似て大きく、表面に毛茸(うぶげ)がある。八、九月に花を開くが深紫色。千葉(やえ)で円く、形は揚梅(やまもも)に似ている。その盛りは百日ほども続く。樹に百日紅という名のものがあるが、これに勝っているので千日紅という。実は成らず、ただ花を収集し、二月に揉み砕き、これを蒔き種えて育てる。あるいは枝を挿しても生育する。大体、菊花のような実のないものについては、近年になって花を蒔けばよいことが知られるようになった。(現代語訳 島田・竹島・樋口『和漢三才図会』平凡社-東洋文庫)
センニチコウ-2 絵本野山草,草木育種,梅園草木花譜,草木図説,方言・地方名
センニチコウ-2 絵本野山草,草木育種,梅園草木花譜,草木図説,方言・地方名
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