Pollia
japonica
2008年8月茨城県南部 |
ヤブミョウガは長い期間「杜若」と考定されてきたので,日本における「杜若」考定の変遷をみる(承前).
江戸末期の飯沼慾斎までは疑問を抱く本草家や園芸家がいたが「杜若」としていたが,岩崎灌園が,「杜若」は「あをのくまたけらん」であると考定し.牧野富太郎も『頭注国訳本草綱目』 (1929) 芳草類巻之十四の「杜若」の項で「和名 あをのくまたけらん, 學名 Alpinia chinensis」とし頭注に「牧野云ふ,我が国にて杜若をかきつばた(あやめ科)に充てしは大なる誤であつた.叉之をやぶめうが(つゆくさ科)に充てたるのも固より中つて居ない.叉はなめうが即ち Alpinia Japonica, Miq. とするも穏当ではない.」とこれに賛同した.
江戸末期の飯沼慾斎までは疑問を抱く本草家や園芸家がいたが「杜若」としていたが,岩崎灌園が,「杜若」は「あをのくまたけらん」であると考定し.牧野富太郎も『頭注国訳本草綱目』 (1929) 芳草類巻之十四の「杜若」の項で「和名 あをのくまたけらん, 學名 Alpinia chinensis」とし頭注に「牧野云ふ,我が国にて杜若をかきつばた(あやめ科)に充てしは大なる誤であつた.叉之をやぶめうが(つゆくさ科)に充てたるのも固より中つて居ない.叉はなめうが即ち Alpinia Japonica, Miq. とするも穏当ではない.」とこれに賛同した.
江戸後期
琉球の物産の図譜★田村藍水『中山伝信録物産考』第三巻 (1769稿) では「杜若」は「伊豆縮砂」であるとほぼ断定して,ハナミョウガと思われる植物の図を示している.
「杜若 按ニ俗ニ伊豆縮砂ト称(ス)者.狭-葉 紅-花 即 眞-杜-若 也」(右図,写本,NDL)
『中山伝信録物産考(中山物産考)』は,1719年に冊封使(琉球国王の即位を認め祝う外交使節)として来琉した,清の徐葆光(じょ・ほこう ? - 1723)の記した『中山伝信録』の琉球に関する記述をもとに,田村登(田村藍水)が再編集した書
(1769稿).『中山伝信録』は最初は1721年に中国で出版され,さらにそれが当時の「日本」に伝わり,京都や江戸で出版され,琉球を知るための基本文献として広く読まれた.(「维基文库」の『中山傳信錄』で一部が閲覧可能)
『中山物産考』全3冊のうち,第一巻では,おもに琉球諸島の地誌と特産物について述べ,第二巻では,『中山伝信録』のなかの琉球の動植物・物産をもとに記している.「杜若」の項のある第三巻には,サツマイモ(番薯),ブッソウゲ(佛桑),ナゴラン(名護蘭)など『中山伝信録』には掲載されていない琉球の動植物について,図を附して記している.
★笠間藩主牧野貞幹(1787-1828)『草花写生』草花の彩色図集.筆致は繊細で,図の肩に名称を記した小紙片が貼付されている.貞幹自筆の部分には,最後に「笠間城/主牧野/貞幹写」の朱印が押捺されている.「ヤブメウガ 古記ノ杜若也」
★小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806) では,中国本草書の記述を離れ,「杜若=ヤブミョウガ」と同定し,その性状を正確に記述し,いくつかの地方名を記録している.
「杜若 ヤブメウガ,サヽリンドウ(紀州),メウガサウ(加州),チクランサウ(芸州),ハナメウガ(播州)
本邦古ヨリ,カキツバタヲ杜若ト書来レ共,是ニ非ズ.カキツバタハ燕子花ナリ.中山伝信録ニ杜若ヲ花ノ列ニ入ル.コレ琉球ハ固ヨリ和語ヲ用ユル故ナリ.杜若ハ多ク竹林下ニ生ズ.春,旧根ヨリ箸ノ大サ許ノ茎ヲ出ス.数寸ノ上ニ七八葉ヲ生ス.蘘荷(メウガ)葉ニ似テ茎葉トモニ糙渋(ザラツク)ス.面ハ深緑色,背ハ淡シ.中心又茎ヲ抽コト一尺余,ソノ梢ニ六弁ノ小白花層ヲナシテ開キ,長穂ヲナス.花ニ光沢アリ,蝋花ノゴトシ.円実ヲ結ブ.初ハ白シ,後緑色,縹碧色,黒色ニ変ジ,熟シテ又白色トナル.内ニ細黒子アリ.三角ニシテ,凹ナリ.山薑(ハナミョウガ)ニ似テ至テ小シ.秋冬,苗枯テ白行根(シロネ)ヲ多ク生ジ,横ニ引コト二三尺,其形旋葍(ヒルガホ)ノ根ニ似タリ.コレ若水翁ノ証スルトコロナリ.」
★岡林清達・水谷豊文『物品識名』(1809 跋)
「ヤブメウガ メウガサウ 杜若」(右図,左 NDL)
★岩崎灌園『杜若考』(1817) 中国本草書の杜若を,実際に育てた「アオノタケクマラン」と比較して,同定.また,「革牛草」との考定の初見.詳しくは ヤブミョウガ-8/8.
★岩崎灌園『杜若考』(1817) 中国本草書の杜若を,実際に育てた「アオノタケクマラン」と比較して,同定.また,「革牛草」との考定の初見.詳しくは ヤブミョウガ-8/8.
★佳気園著,岩崎常正画,芳亭野人編『茶席挿花集』(1824) (pdf p15)
五月の項に「やぶめうが 革牛草** 花白 ???? 葉めうがノ如し」とあるが,図はない.(右図,右 NDL)
★毛利元寿『梅園画譜』(春之部巻一,序文 1825)(図 1820 – 1849)では,益軒の言う二種の「やぶみょうが」を区別して,花が白く実の青黒い植物を「杜若」として図示している.また先行文献も詳しく記述し,その中に「革牛草」「古久礼(コクレ)」とされているとあり,更に中国本草の植物がショウガ科のハナミョウガではなく,タケクマランの一種である事も認識している.殿様の與芸とは思えぬ絵と記事がうれしい.(下図,NDL)
「大和本草ノ曰 杜若(トジャク)ノ花 ヤブ蘘荷(メウガ)ト云
国俗アヤマリテ杜若ヲカキツバタトヨム,カキツバタハ燕子花ナルヘシ杜若ニハアラズ又別ニヤフメイガ
又山ミヨウカ共云草アリ與レ此不同云シ同書ノ条別ニ載ヤフ蘘荷花白ク實黒クシテ圓トハ能ク此ニ合ヘリサレトモ生花千筋ノ麓ノ圖本ニ此圖ヲ載セテ杜若ト記セリ圖画コレト合ヘリ然レハ當草ヲ杜若ニ可レ充歟
茶席挿花集出 革牛草**(ヤブメウガ)
増補多識編芳草類に載て曰
杜若(トジャク) 和名 按ルニ 古久礼(コクレ) 異名 杜衡(トコウ) 本徑 杜蓮 別録増補異名 若芝(ジャクシ) 別録 楚衡(ソコウ)廣雅 ●(ソウ,犭+巢)子薑
●(扌+巢)ハ音爪藥性論 山薑 白蓮(レン)白芩(ゴン)
本草原始云
杜若 又土細辛 雷公*云凡使勿用鴨喋草根真ニ似タリ
予曰
群書曰是ヲ福洲高良薑ト云植木屋ニハ縮砂トス
此者良薑・縮砂ノ類ニ非ス高良(クマタケ)薑(ラン)ノ一類ナリ
高良(クマタケ)薑(ラン)ハ其葉冬ヲ凌テ凋ズ
別ニ高良薑(コウリヤウキヤウ)アリ今此ヲ只高良(リヤウ)薑(キヤウ)ト云」
★飯室庄左衛門(1789-1858か)『草花説』富山藩主前田利保の組織した赭鞭会の一員(右図,NDL)
★伊藤圭介訳述『泰西本草名疏』(1829) ツンベルクの “Flora Japonica” 中の植物(ラテン名)に該当する和名を,シーボルトの指導の下,記述.「POLLIA
JAPONICA. TH. ヤブメウガ 杜若」(前記事).
★加地井高茂 [編]『薬品手引草』(1843)
「杜若(トジャク) 古くれ」と読める.林羅山『多識編』からの引用と思われるが「こくれ」が何か分からない.(左図,NDL)
★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)』 巻之一 (成稿 1852年(嘉永5)ごろ,出版 1856年(安政3)から62年(文久2))では,未だにヤブミョウガ=杜若としている.
「ヤブメウガ 杜若
葉形實状啓蒙詳之宜就見.莖梢糙沙ニシテ粘リ.一二或ハ四五ノ花莖ヲ攅簇シテ数層ヲナシ.毎莖数花ヲツク.就中一ニ花先開キ.他ハ往々全開セザルモノアリ.萼卵圓三葉厚シテ白色光澤アリ.花三辧披針状.實礎丸圓.一柱長ク辧外ニ出.雄蕊六ニシテ黄葯.花萎實長スルニ至テ萼尚不脱 附 両蕋実礎郭大圖
所属未考」(右図,NDL)
★岩崎灌園(1786-1842)『本草図譜』(刊行1828-1844) では,ヤブミョウガ≠杜若=アオノタケクマランと,早くも後に牧野が指摘した考定に至っている.ただ,すでにツンベルクがツユクサ科に入れているにもかかわらず,ヤブミョウガをミョウガの一種としている.
野生種,園芸種,外国産の植物の巧みな彩色図で,余白に名称・生態などについて説明を付し,『本草綱目』の分類に従って排列している.巻5-10は文政13(1830)年江戸の須原屋茂兵衛,山城屋佐兵衛の刊行.以下巻11-96は筆彩の写本で制作,三十数部が予約配本され,弘化元(1844)年に配本が完了した.
巻之十三 湿草類四 「蘘荷めうが 一種 やぶめうが
山中陰地に宿根より生ず一莖に葉周りつき房をなして小白花を開き秋實を結ぶ熟して碧色麦門冬の実ににたり味淡く香なし先輩これを杜若に充るハ非なり是は修治に雷斅(カウ)*の云処の革牛草**なり.」(上図,右 NDL)
巻之七 芳草類二 「杜若 (とぢゃく) あをのくまたけらん
長崎にて和の高良薑と云形状くまたけらんに似て高さ二尺ばかり莖緑色暖地なれバ冬凋まず花の形も高良薑に似て白色心淡紅なり葉根ともに良香あり根黄色味辛し弘景の説に葉似レ薑而有二文理一根似二高良薑一而細味辛香と云又廣東新語に鮮草果人多種以為二香料一蓋即杜若非二菜中之草果一也其苗似縮砂一三月開レ花作レ穂色白微紅五六月子結其根勝二於葉一味辛以温能避二瘴気一と云是なり先輩かきつばた又やぶめうが等を充るハ皆誤なり別に委き考あり」(上図,左 NDL)
* 雷斅:南北朝時代(西暦5世紀)の中国の本草家.著した炮製を扱った専著『雷公炮炙論』が知られる.炮炙(炮製,ほうせい)とは,漢方薬の製剤過程において,薬剤から不要な成分を除いて有効成分を抽出する便宜のため,あるいはその毒性の軽減などを目的として一定の加工調整を行うこと.
** 本草綱目 湿草類 蘘荷 の項に「修治 斅曰:凡使,勿用革牛草,真相似,其革牛草腥、澀。」とあり,『頭註国訳本草綱目』白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳)(1929)春陽堂 の湿草類 蘘荷 の項でには「修治 斅曰く,凡そこれを用ゐる場合に,革牛草を用ゐてはならない.真に相似ているが,革牛草は腥(なまぐさ)く澀い.」と訳されているが,革牛草が何かは考察されていないし,ヤブミョウガの根はかじっても腥(なまぐさ)くもなく澀くもない.
多くの本草書に,薬効のない「ヤブミョウガ」が取り上げられたのは,中国本草書の「杜若」に誤校定されたからではあるが,この誤校定が疑問をもたれながら数百年続いたのは如何に先人の業績を大事にするとはいえ,自由に先輩の言に異を唱える風土がなかったか.を示すようで興味深い.
ヤブミョウガ-5 ツンベルク,属名の由来,学名,Nov. Gen. Pl.,Flora Japonica,Icones plantarum Japonicarum,泰西本草名疏,Pollia condensata,構造色,擬態
ヤブミョウガ-7/8 「杜若」,牧野富太郎 頭註国訳本草綱目・カキツバタ一家言・植物一日一題,方言,本草品彙精要,植物名実圖考,現代中国では「杜若」は「ヤブミョウガ」
ヤブミョウガ-5 ツンベルク,属名の由来,学名,Nov. Gen. Pl.,Flora Japonica,Icones plantarum Japonicarum,泰西本草名疏,Pollia condensata,構造色,擬態
ヤブミョウガ-7/8 「杜若」,牧野富太郎 頭註国訳本草綱目・カキツバタ一家言・植物一日一題,方言,本草品彙精要,植物名実圖考,現代中国では「杜若」は「ヤブミョウガ」
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