2015年2月12日木曜日

ヤブミョウガ-7/8 「杜若」,牧野富太郎 頭註国訳本草綱目・カキツバタ一家言・植物一日一題,方言,本草品彙精要,植物名実圖考,現代中国では「杜若」は「ヤブミョウガ」

Pollia japonica
2015年 1月 無味無臭の根
ヤブミョウガは長い期間「杜若」と考定されてきたが,岩崎灌園が「杜若」は「あをのくまたけらん」であると考定し.牧野富太郎もこれに賛同し,『頭註国訳本草綱目』『カキツバタ一家言』『植物一日一題』で,杜若はカキツバタでもヤブミョウガでもなく,アオノクマタケランであると熱心に説いた.
一方中国においては,明時代の『本草品彙精要』では,それまでの本草書の説の概要の記述にとどまっているが,清末の『植物名実圖考』においては,「杜若」として図示された植物は「アオノクマタケラン」と思われる.しかし,現代中国においての「杜若」は「ヤブミョウガ」であり,牧野富太郎の説は本家において否定されてしまった.

頭註国訳本草綱目』は,鈴木眞海が訳し,白井光太郎博士の監修・校註, 牧野富太郎博士・他の考定により,1929年に刊行された.その第4冊(1930) 芳草類巻之十四の「杜若」の項で,牧野は「和名 あをのくまたけらん*, 學名 Alpinia chinensis」とし頭注に「牧野云ふ,我が国にて杜若をかきつばた(あやめ科)に充てしは大なる誤であつた.叉之をやぶめうが(つゆくさ科)に充てたるのも固より中つて居ない.叉はなめうが即ち Alpinia Japonica, Miq. とするも穏当ではない.」と記すInternet Archive
*ショウガ科 ハナミョウガ属 現学名 Alpinia intermedia Gagn一方 A. chinensis はスイシャゲットウ

さらに,★『牧野富太郎選集 第二巻 カキツバタ一家言(1970) 東京美術 で,「(略)
 支那の植物に杜若(トジャク)という草があって、わが邦の学者は早くもこれをカキツバタであると信じた。そしてこの古い考定が今日まで続いて残り、俳人、歌人の間にはそれが頭にこびり付いて容易にその非を改むることができず、したがって俳聖、歌聖と仰がれる人でもみなこの誤りをあえてしているから、今日の人々の作り出す新句新歌のうえにもやはり旧慣に捉われひんぴんとしてこの墨守せられた誤りの字面が使われていて、すなわちこれらの人々には草や木の名の素養がまったく欠けていることを暴露しているのは残念である。私はこのような文学の方面でもその間違いはどしどし改めていくことに勇敢でありたいと思っている。今日、日進の教育と逆行するのは決してよいことではあるまい。
 全体わが邦で昔だれが杜若をカキツバタだと言いはじめたかというと、今から九百余年前に丹波康頼の撰んだ『本草類編』であろうと思う。そして同書にはまた、蠡実をもカキツバタとなしてある。次に『下学集』にも杜若がカキツバタとなっている。これでみるとカキツバタを杜若であるとしたのはなかなか古いことである。
 この杜若なる漢名を用いたのが長い年の間続いたが、今から二百三十四年前の寛永六年にいたって、貝原益軒はその著『大和本草』でカキツバタが杜若であるという昔からの古説を否定し、あわせてその杜若は筑前方言のヤブミョウガ(ツユクサ科のヤブミョウガではない)すなわちハナミョウガ(ショウガ科)であると考定して発表した。
 次いで稲生若水、小野蘭山などの学者が出て、今度は杜若はカキツバタでもまたハナミョウガでもなくこれはヤブミョウガ(ツユクサ科)であらねばならぬとの新説を立てた。そして右はこれら景仰せられた一流学者のしたことでもあるので、その後多くの学者はみな翕然(きゅうぜん)としてその説に雷同し、杜若はヤブミョウガであるとしてあえてこれを疑うものはほとんどなかった。
 しかるにその後岩崎灌園がその著『本草図譜』で右先輩の説をくつがえし、この杜若なる植物はアオノクマタケラン(ショウガ科に属し支那と日本とに産し暖地に見る)であるとの創見の説を建てたが、これはけだし一番穏当な見方である。すなわち杜若はかくアオノクマタケランだとするのがまず間違いのない鑑定だと信じてよろしい。
 これによってこれをみれば、杜若をショウガ科のハナミョウガに当てた貝原益軒の意見は、それは当たらずといえども遠からざる説ではあれど、しかし益軒の卓見がうかがい知られる。なんとならばこれは杜若を同じショウガ科のアオノクマタケランに当てた正説に最も近く、これをかのカキツバタだのヤブミョウガ(ツユクサ科の)だのに当てた説に比ぶればずっとその洞察が優れているからである。」と記す.

また,★『植物一日一題』(1953)東洋書館 の「紫陽花とアジサイ、燕子花とカキツバタ」においても,
「 私はこれまで数度にわたって、アジサイが紫陽花ではないこと、また燕子花がカキツバタでないことについて世人に教えてきた。けれども膏肓(こうこう)に入った病はなかなか癒らなく、世の中の十中ほとんど十の人々はみな痼疾で倒れてゆくのである。哀れむべきではないか。そして俳人、歌人、生花の人などは真っ先きに猛省せねばならぬはずだ。
(中略)
 昔からまたカキツバタと誤っている杜若の真物は、ショウガ科のアオノクマタケランである。人に笑われるのが嫌ならカキツバタを杜若と書かぬようにせねばならない。」と説く.

庶民にとっては,あまり特長もなく,薬効などの利用価値もない植物だっためか,方言は少ない.★小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806) では,各地の方言として「杜若 ヤブメウガ,サヽリンドウ(紀州),メウガサウ(加州),チクランサウ(芸州),ハナメウガ(播州)」を挙げ,★八坂書房[編]『日本植物方言集成』八坂書房 (2001) には「ヤブミョウガ おとこみようが 神奈川(津久井),ささりんど- 紀州,ちくらんそ- 薩摩,はなみょ-が 播州,みょ-がそ- 加賀 三重」とある.

一方近代中国においては
(みん)代に書かれた勅撰本草書★劉文泰等撰輯『本草品彙精要』(1505).太医院院判の劉(りゆう)文泰らが編集にあたり,1505年(弘治18)に完成させ,孝宗帝に進呈した.彩色原図を付した豪華本であったが,明・清時代には刊行されることなく秘蔵され,その後,数奇な運命をたどり,現在は日本に陳蔵されている.文章だけは1937年に上海で出版され,このとき初めて本書が世に知られた.『証類本草』などと比較すると,その内容はきわめて簡素で,別名,形状,薬効などが項目別に記され,それまでの本草書のおもかげはまったく残されていない.とされている.

以下は北京大学が公開している影印本(右図,Internet Archive)から「杜若」の項の引用であるが,この公開部には残念ながら図は付属していない.北里研究所東洋医学総合研究所名誉所長,大塚恭男氏の所蔵する2000点にも及ぶ美しい図版が付属する 1850 年頃のほぼ完全な写本の復刻版が市販されているそうだが,未見.

卷之九草部上品之下草之草
杜若 無毒  叢生
杜若出神農本經
主胸脅下逆氣中風入腦頭腫痛多涕出久服益精明目輕身以上朱字神農本經眩倒目止痛除口臭氣令人不忘以上黑字名醫所【名】杜蘅杜蓮白連白芩若芝【苗】圖經曰葉似薑花赤色根似高良姜而小其子如荳按此草一名杜蘅而中品自有杜蘅條杜蘅爾雅所謂土鹵者也杜若廣雅所謂楚衡者也其類自別然古人多相雜引用九歌雲采芳洲兮杜若又離騷雲雜杜蘅與芳芷王逸輩皆不分但云香草也今醫家亦稀用之【地】圖經曰生武陵川澤及冤句陶隱居曰今處處有之【時】春生苗二月八月取根【收】曝干【用】根【質】類高良姜而細【色】青白【味】辛【性】微散【氣】氣之濃者陽也【臭】香【主】頭痛出【助】得辛夷細辛良【反】惡柴胡前胡【制】雷公曰凡修事采得後刀刮上赤皮了細銼用二三重絹作袋盛陰乾臨使以蜜浸一夜至明漉出用【贋】鴨喋草為偽

★呉其濬 (1789-1847)『植物名実圖考』清末 (1848)
清末・呉其濬著の『植物名実圖考』三八巻と『同長編』二二巻は,薬草のみならず植物全般を対象とした中国初の本草書として名高い.『圖考』には実物に接して描いた,かつて中国本草になかった写実的図もある.幕末~明治の植物学者・伊藤圭介はこれを高く評価し,植物に和名をあてて復刻.のち伊藤本から中国で再復刻された.
「杜若」の項に付属する図は,これまでの本草書の模式的な図とは大きく異なり,写実的で,この「杜若」はヤブミョウガではなく,アオノクマタケランに類似している(Internet Archive).

巻之二十五芳草
杜若
杜若本經上品按芳洲杜若九歌畳詠而醫書以為少有識者
考郭璞有賛謝眺有賦江淹有頌沈約有詩豈皆未観其物而
空託采擷耶韓保昇曰苗似山薑花赤子大如棘子中似豆
細審其説乃即滇中豆耳蘇恭以為似高良薑全少辛味
陶云似旋葍根者即真杜若李時珍以為楚山中時有之山人
亦呼為良薑甄權所云●子薑圖經所云山薑皆是物也沈存
中以為即高良薑以生高良而名余於廣信山中採得之俗名
連環薑以其根瘠細有節故名有土醫云即良薑也根少味不
入藥用其花出籜中累累下垂色紅嬌可愛與前人所謂豆
花同與良薑花微異始即圖經所云山薑也余取以入杜若以
符大者為良薑小者為杜若之説但深山中似比者尚不知幾
許姑以備考云爾若劉圻父采杜若詩素英緑葉粉可喜又云
餐花嚼蕊有眞樂則亦韓保昇所云花黄一種草豆花帯紅
白二色非同良薑花紅紫灼灼也至桃花之書有以雞冠當之
者可謂刻畫無塩唐突西施
雩婁農曰昔人戯為杜若作杜處士傳若杜若者顯於古而晦
於今其今之逸民歟膏以明自煎蘭以香自爇杜若非所謂遺
其身而身存者耶
●  =樔の木を犭に,(そう)

ところが現代中国においては,「杜若」は「ヤブミョウガ Pollia japonica Thunb.」の中国名とされ,「アオノクマタケラン Alpinia intermedia Gagn.」の中国名は「光叶(葉)山姜」(大陸),「山月桃」(台湾)とされていて,結果的に牧野博士の説は逆転された.

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