2016年8月20日土曜日

ヒマワリ(5) 中国文献,花史左編・羣芳譜・秘傳花鏡・長物誌・花木小志・廣羣芳譜・植物名實圖考

Helianthus annuus
2001年7月
ヒマワリが中国に渡来したのは,南米からスペインに移入されてから数十年後と思われる.

明の王路『花史左編』(1617)にヒマワリが「丈菊・迎陽花」の名で記載されているのが,中国の文献での初出と見られる.その後,明の王象晉『二如亭羣芳譜(羣芳譜)』(1621)に「西番菊」の名も記載され,花は有毒で,墮胎剤となるとある.清の陳扶揺『秘傳花鏡』(1688)には,「向日葵」の名が加わり,花が太陽の運行に合わせてその向きを変えることが,記載されている.
清の文震亨の『長物誌』(ca.1635)にも葵(タチアオイ)の仲間として「向日別名西蓮」として,また同じく清の謝堃の『花木小志』(1820)には,「向日葵」の項があり,種が食用になるとある.『羣芳譜』の改訂版として1708年に康熙皇帝に提出された『御定佩文齋廣羣芳譜(廣羣芳譜)』の「丈菊」の項の記事は『羣芳譜』と同一である.清末の呉其濬の『植物名實圖考』(1848))には,「丈菊一名迎陽花,向陽,向日葵」の名で図が掲載され「生花有毒能墮胎」とその花の毒性は疑問視している.種は炒めて食られるが,過食するとめまいがするとある.

★王路『花史左編』(1617)は,初め24巻,のち27巻.終わりの3巻は後人の補写.花に関する典故文献を集めた書.右編は伝わっていない.花の形状・変異・栽培法・病害虫・月別の園芸作業・園芸用具などについて記すとともに,花にまつわる故事や名園・名勝を収録する.文学色が濃く,一般の園芸書とは趣を異にする.
「丈菊 其莖丈餘翰亦堅粗每多直生雖有憤枯只生花大如盤盂單辨色黃心皆作窠如蜂房状至秋漸紫黑而堅劈而袂之其葉類麻尖亦叉名迎陽花」と草丈・茎の強さ・花の着き方・一重の黄色い花弁・種子のつき方や葉の形など,短い文の中にヒマワリの特徴が良く描かれている.背の高さだけではなく,東を向いて咲いている花の特徴から「迎陽花」という呼び名もあった(左上図).

★明の王象晉『二如亭群芳譜(群芳譜)』(1621)の「貞部 第三冊 花譜三 菊」の項に
丈菊 一名西番菊一名迎陽花,莖長丈餘,幹堅粗如竹,葉類麻,多直生,雖有分枝,只生一花大如盤盂,單瓣色黃心皆作窠如蜂房狀,至秋漸紫黑而堅,取其子之甚易生,花有毒能墮胎」とあり(右図,右側),大きな花は東を向いて咲き,硬くて黒紫色の種子は蜂の巣状について,その発芽率はよく,花には堕胎を誘発する毒性があるとする.この書は後世,改定補修されて御定佩文齋廣羣芳譜』として刊行された(右図左側).

★清の陳扶揺『秘傳花鏡』(1688)の「巻之五 花草類攷」には
向日葵 附莵葵
向日葵一名西番葵高一二丈葉大於蜀葵尖狭多
刻欫六月開花毎幹頂上只一花黄辧大心其形如
随太陽回轉如日東昇則花朝東日中天則花直
朝上日西沉則花朝西結子最繁狀如草蔴子*而扁
只堪備員無大意味伹取其隨日之異耳叉一種名
莵葵一名天葵多生於下澤苗如石龍苪而葉緑如
黄葵花似拒霜白而雅其形至小如初開單葉蜀葵
有檀心色如牡丹之姚黄可愛人多採莖葉灼之可
食」(*蓖麻 ( ヒマ ) の種子(蓖麻子))とあり(左図),太陽の運行に従って,朝は東,昼は上,夕は西と花の向きが変わると,花の運動について記述している.

この書は後に日本に渡来し,園芸書として大きな影響を与えた.平賀源内は校正・訓点を加え『重刻秘伝花鏡』(1773)として出版した.上記漢文はこの書から訓点を除いた文.

清の★文震亨(1585 -1645)の『長物誌』(ca.1635)「巻之二 葵花」には「葵花種類莫定初夏花繁葉茂最為可觀一曰戎葵竒
態百出宜種曠處一曰錦葵其小如錢文采可玩宜種
堦除一曰向日別名西最惡秋時一種葉如龍爪
花作鵝黃*者名秋葵最佳」(*鵝:ガチョウ,鵝黃:薄黄色)とあり,広く庭園で栽培されているとあるが(右図,右側),この「向日別名西」は葉の形状や花の色からオクラではないかとも思われる.
文震亨(1585-1645年),字美,江蘇蘇州人。他是明代大書畫家文征明的曾孫,天間選為貢生,任中書舍人,書畫鹹有家風。平時遊園、詠園、畫園,也在居家自造園林

清代の戲曲作家★謝堃(17841844)『花木小志』(1820)の「向日葵」の項には
「此花園林、寺觀、郊野、陂塘在在有之。子亦可食。最奇者,
余在湖北孝感縣范效順家,見一大石盆用玲瓏石片
堆垜為山狀,種數十幹,長不滿尺,花大如錢而皆向
,殆非人工,詎能如是。」とあり(右図,左側),広く栽培されていて,種子が食用になるとある.

皇帝の命により『二如亭群芳譜』の改定・拡充をした,清★劉灝等奉敕撰『御定佩文齋廣羣芳譜』(命:康熙47(1708),刊:同治7(1868) ,姑蘇亦西齋藏版)の「卷五十一,花譜,菊花四」には,
「附錄 丈菊
|原|丈菊,一名西番菊,一名迎陽花。莖長丈餘,幹堅麤*如竹,葉類蔴,多直生,雖有傍枝,只生一花,大如盤盂,單瓣,色黃,心皆作窠,如蜂房狀,至秋漸紫黑而堅,取其子種之,甚易生,花有毒,能墮胎」(* 字源:「鹿」が集まるのに距離をおく様,音:「粗」「疎」「疏」に通ずる.意義:肌理きめがあらい.粗末な.)とあり,この項に関しては『二如亭群芳譜』と粗→麤を除いては,同一の文章が記載されている.

中国初の薬草のみならず植物全般を対象とした植物譜として名高い清末の★呉其濬 (1789-1847)『植物名實圖考(1848) には,「丈菊
羣芳譜丈菊一名迎陽花莖長丈餘幹堅粗如竹葉類多直
生雖有傍枝只生一花大如盤盂單辧色黄心作窠如蜂房
狀至秋漸紫黒而堅取其子種之甚易生花有毒能墮胎
按此花向陽俗間遂通呼向日葵其子可炒食微香多食頭暈
滇黔*與南瓜子西瓜子同售於市
」とあり(左図),『二如亭群芳譜(群芳譜)』に記された花の毒性は疑問としている.
更に,雲南と貴州では種子はカボチャやスイカの種と同様市中で売られているが,食べ過ぎると頭痛がするとある.
多食が頭痛を引き起こすことは,スペイン王フィリップ二世のために,1570と1575年にメキシコの動植物探索を行ったスペイン人の医師フランシスコ・エルナンデス・デ・トレド(Francisco Hernández de Toledo, 1514 –1587) の著作に記されている. *滇黔:雲南と貴州

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