2019年9月28日土曜日

イチハツ-11 和-9 屋根の上のイチハツ (1) 花譜・豊國紀行・花壇地錦抄・大和本草・廣益地錦抄・誹諧名知折・増訂草木図説・俳句・鏡花『春昼』・露伴『花のいろいろ』


Iris tectorum
西山御殿の屋根棟のイチハツ
西山荘は,日本の茨城県常陸太田市にある水戸藩二代藩主徳川光圀の隠居所である.国の史跡及び名勝に指定されている.
元禄3年(1690年)に建設され,隠居した光圀が同4年(1691年)から同13年(1700年)に亡くなるまで過ごした.光圀はここで歴史書『大日本史』の編纂に尽力した.当時の建物は文化14年(1817年)の野火によって焼失し,現存するのは文政2年(1819年)に八代藩主・齊脩によって再建されたもの.

 原産地中国の本草書,園芸書には「高阜墻頭を好み墻頭草の名もある」とは記されているが,屋根の上にイチハツを生やしているか否かは,定かではない.日本のようには葺・藁葺の草ぶき屋根が多くはなかったためであろうか.

 一方日本では,江戸時代以前から草ぶき屋根の棟に鳶尾を植えていて,本草学者や園芸家の眼を引いていた.また,ひなびた草ぶき屋根の上の鮮やかな緑の葉と,風に翻る紺碧の花弁は,文学者に感興を与え,俳句や随筆にも取り込まれた.

★貝原益軒の『花譜 (1694) の「中巻 三月」に
鳶尾(いちはつ)           是かきつばなの類なり。関東にはこれを屋の棟にうふ。大風に萱屋(かやや)乃棟を吹きあらされじとなり。」とあり,茅葺屋根の保持材として,使われていることを知っていたが,実用的な価値よりも,むしろ咒として植えていると考えていたようだ.

★貝原益軒の大分地方の旅行記『豊國紀行』は元禄七年 (1694) の旅の記であるが,それには,
「別府のあたりには家のむねにしばをおき、いちは(ち)と云花草をうへで、風のむねを破るをふせぐ。武蔵國にあるがことし。風烈しさゆへと(思る)。家毎にみなかくのごとし。」とあり,花譜に記した関東のみならず,別府地方でもイチハツを屋根の棟に植える風習がある事を記した.

★貝原益軒『大和本草(1709) の,「草之三 花草類」にも,
紫羅傘(イチハツ)(中略)民家茅屋ノ棟ニイチハツヲウヘテ大風ノ防トス風イラカヲ不破 (以下略)」と,前著の二冊と同様,茅葺屋根の棟に植えて,大風の被害を防ぐとある.

★伊藤伊兵衛(四代)政武著・画『廣益地錦抄(1719) は花卉だけではなく,有用な植物を記録した書だが,その「巻之五 藥草五十七種」には,
鳶尾(ゑんひ) (中略)此草萱(かや)家(ヤ)の棟(ムネ)に芝(シバ)を敷(シキ)て三尺の間に一本つゝ植ハ段々根はひこりて後ハみな鳶尾のばかりからみ
百歳を經(ヘ)ても棟(ムネ)を損(ソン)せす」とあり,茅葺屋根の棟に芝を敷いた中にイチハツを植えると,根をはびこらせて絡み付き合い棟を守ると,咒や縁起担ぎではなく,イチハツの性質を利用していると,庭師としての注意深い観察から,科学的な説明をしているのが注目される.

俳人の為の植物図鑑★谷素外編・北尾重政画『誹諧名知折(はいかいなのしおり)』(1781) には,浮世絵師北尾重政の絵で,花ばかりではなく,葉や蕾なども美しく描かれた「紫羅傘 イチハツ 花紫 田家此草を屋上にうゆる」とある.例句は岩槻の何□の句
「紫羅傘 いちはつや根強き棟の百姓家」
が掲げられいて,草ぶき屋根の上に植えられ,強い根で屋根を守るイチハツが詠われている.

★牧野富太郎が飯沼慾斎の「草木図説」を増補・改定した『増訂草木図説 1-4』(1907-22)の「草部 巻二」のイチハツの項には,慾斎の記述文の後ろに
○第二圖版 Plate II.
イチハツ  鳶尾
Iris tectrorum Maxim.
アヤメ科(鳶尾科) Iridaceae
[補]本種ハ予ハ未ダ我邦ニ於テ野生セルアリヲ見ズ.タヾ諸州ニ栽植セラルヽアルヲ知ルノミ.泰西学者本種ノ武州横濱附近ノ原野ニ自生スルアルヲ言フモノアリト雖ドモ,此ノ如キ事實蓋シ之レナルカルベシ,而シテ往々之ヲ藁ヲ以テ葺キタル人家ノ屋脊ニ植ウルヲ見ル.種名 tectrrum (屋葢ノ義)ノ生ゼシ所以ナリ,(中略)叉支那ニ産ス(牧野)」とある.

近代の俳人の★俳句としては
一八の屋根並びたる小村かな  子規
わら家根や一八咲いて橋の下  鬼城
一八の屋根の藁家の灯りけり  石鼎
いちはつの花すぎにける屋根並ぶ        秋櫻子
一八の東海道も戸塚かな                       鳴雪
一八の屋根に鶏なく真昼かな  破笛

★幸田露伴『花のいろ/\』(「新小説」1898(明治31)年3月号 7月号に「百花譜」と題し掲載)
「胡蝶花
 しやが、鳶尾草(いちはつ)は同じ類なり。相模、上野あたりにて見かくる事多し。射干(ひあふぎ)にも似、菖蒲(あやめ)にも似たる葉のさま、燕子花(かきつばた)に似たる花のかたち、取り出でゝ云ふべきものにもあらねど、さて捨てがたき風情あり。雨の後など古き茅屋(かやや)の棟に咲ける、おもしろからずや。すべて花は家の主人(あるじ)が眼の前に植ゑらるゝが多きに、此花ばかりは頭の上に植ゑらるゝこと多きも、あやしき花の徳といふものにや。おもへばをかし。」

★泉鏡花『春昼』(「新小説」1906(明治39)年11月)
「三   悚然(ぞっ)として、向直(むきなお)ると、突当(つきあた)りが、樹の枝から梢(こずえ)の葉へ搦(から)んだような石段で、上に、茅(かや)ぶきの堂の屋根が、目近(まぢか)な一朶(いちだ)の雲かと見える。棟(むね)に咲いた紫羅傘(いちはつ)の花の紫も手に取るばかり、峰のみどりの黒髪(くろかみ)にさしかざされた装(よそおい)の、それが久能谷(くのや)の観音堂(かんおんどう)。」
逗子駅から、歩いて15分ほどの岩殿寺(がんでんじ)の観音堂の明治の頃の情景.茅葺き屋根だったが,昭和六十三年に修理工事が行われ、現在は銅版葺.

神奈川では,屋根に植えられることが多かったためか,地方名は「ヤネショウブ」.

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