Iris
tectorum, Iris domestica
ヒオウギ Iris domestica |
右:as Pardanthus
sinensis by L. van Houtte, “Flore des serres et des jardin de l’Europe”,
vol. 16: t. 1632 (1845)
中国原産のイチハツは,中国では古くから「鳶尾」の名で,薬草として用いられていて,伝わっている本草書では最も古いと考えられる「神農本草」(宋-三国時代成立)にも収載されている.
初期の中国本草書では別種とされていた「射干」(今言うヒオウギ,Iris domestica)と「鳶尾」(イチハツ)であるが,唐代の陳藏器 (681-757)『本草拾遺』によれば,同一種とみなす人が多いとあり,その後の本草書でも,鳶尾に関する記述も射干の項に多い.
後に最も権威あるとされた時珍『本草綱目』に,花の色が違うだけで同種だとする見解が記載されてから,日本でも両種が同一種とみなされた.これは葉のつき方や薬効部位の根の形状,また薬効が類似しているからと思われる.
日本でも奈良時代から,「射干」(今言うヒオウギ)は,「夜干(やかん)」の名前で薬草として用いられ,またその実は漆黒である事から,和歌で黒や夜の枕詞の「ぬばたま」として知られていた.
★『神農本草経』(後漢から三国の頃に成立)巻下 には
「●射干.一名烏扇.一名烏蒲.味苦平.生川谷.治欬逆上氣.喉痺咽痛不得消息.散結氣.腹中邪逆.食飮大熱.
●鳶尾.味苦平.生山谷.治蠱毒邪氣.鬼注諸毒.破癥瘕積聚.去水下三蟲.」と別種として扱われている.
底本:『神農本草経』江戸・嘉永七年、森立之校正本
日本には,飛鳥初期までに★梁の陶弘景(456年-536年)の『本草経集注』(500頃成) が伝来されたと考えられている.この書は弘景が,『神農本草経』に補注を加えて、730種の薬名を記録した本格的な本草書で,正しくは『神農本草経集注』といい,『集注本草』とも呼ばれる.
この書には
「射干
味苦,平,微溫,有毒.主治咳逆上氣,喉痺咽痛,不得消息,散結氣,腹中邪逆,食飲大熱.治老血在心肝脾間,咳唾言語氣臭,散胸中熱氣.久服令人虛.一名烏扇,一名烏蒲,一名烏翣,一名烏吹,一名草薑.生南陽川谷,生田野.三月三日采根,陰乾.
此即是烏翣根,庭壇多種之,黃色,亦治毒腫.方多作夜干字,今射亦作夜音.乃言其葉是鳶尾,而複有鳶頭,此蓋相似爾,恐非.烏翣,即其葉名矣.又別有射干,相似而花白莖長,似射人之執竿者.故阮公詩云︰射干臨層城.此不入藥用,根亦無塊,惟有其質.
鳶尾
味苦,平,有毒.主治蠱毒,邪氣,鬼疰諸毒,破症瘕積聚,大水,下三蟲.治頭眩,殺鬼魅.一名烏園.生九嶷山谷,五月 .方家皆云,是夜干苗,無鳶尾之名,主治亦異,此當別一種物.方亦有用,鳶頭者即應是其根,治體相似,而本草不顯之.」
とあり,射干は夜干とも発音し.また葉は鳶尾というとある.一方鳶尾は射干の苗であると云う藥師も多いとある.
「射干
射干鳶尾按此物相似人多不分射干總有三物
佛経云夜干貂□此是惡獸似青黃拘食人郭云能
緣木又阮公詩云夜干臨層城此即是樹今之射干
殊高大者本草射干即人間所種為花卉亦名鳳翼
葉如鳥翅秋生紅花赤點鳶尾亦人間多種苗根下
於射干如鳶尾春夏生紫碧花者是也又注云據?此
猶錯夜干花黃根赤黄色
鳶尾
鳶尾主飛尸游蟲著喉中氣欲絕考以根削去皮肉
喉中摩病處令血出為佳」
とあり,唐時代になると,此二種を多くの人が分けては考えておらず,射干(ヒオウギ)にも花の青いものがあるとしている.この花の青い射干は鳶尾(イチハツ)と考えられる.
奈良時代には★唐の蘇敬『新修本草』(659成)が渡来した.これは第9次遣唐使(717-718)がもたらしたらしい.『続日本紀』の延暦6年(787)5月15日条には典薬寮から上奏文として,『新修本草』を調査したところ,この書はそれまで用いていた『本草経集注』を包含したうえ100余条を増加しているので,今後は『新修本草』を用いるべきと提案され,これが許されたと記されている.これ以降,平安時代にかけて『新修本草』が本草書の標準になったと考えられる.
この書の「卷第十」では,蘇敬は赤い花の咲く射干と青い花の咲く鳶尾は,明らかに分けて考えていた.
「射干
味苦,平,微溫,有毒.主咳逆上氣,喉痹咽痛,不得消息,散結氣,腹中邪逆,食飲大熱.療老血在心肝脾間,咳唾、言語氣臭,散胸中熱氣.久服令人虛.
一名烏扇,一名烏蒲,一名鳥翣,一名鳥吹,一名草薑.生南陽川谷,生田野.三月三日采根,陰幹.
此即是烏翣根,庭壇多種之,黃色,亦療毒腫.方多作夜干字,今射亦作夜音,乃言其葉是鳶尾,而復有鳶頭,此蓋相似爾耳,恐非.烏翣,即其葉名矣.又別有射干,相似而花白莖長,似射人之?執竿者.故阮公詩云,射干臨增城.此不入藥用,根亦無塊,惟有其質.
〔謹案〕射干,此説者是其鳶尾、葉都似夜干、而花紫碧色、不抽高莖、根似高涼薑而肉白、根即鳶頭也.陶説由?●(妖の女を足)、都論此耳也.
鳶尾
味苦,平,有毒.主蠱毒,邪氣,鬼疰諸毒,破症瘕積聚大水,下三蟲.療頭眩,殺鬼魅.
一名烏園.生九嶷山谷,五月採.
方家皆云,是夜干苗,無鳶尾之名,主療亦異,此當別一種物.方亦有用,鳶頭者即應是其根,療體相似,而本草不顯之.
〔謹案〕此草葉似夜干而闊短,不抽長莖,花紫碧色,根有小毒,嚼之戟人咽喉,與夜干全別.人家亦種,所在有之.夜干花紅,抽莖長,根黃有臼.今陶云由跋,正說鳶尾根莖也.」とある.
この時代にイチハツが渡来していたかは定かではないが,日本にも自生していたヒオウギ(当時は夜干(やかん)と云)は薬草として用いられていた.
奈良前半期★『出雲国風土記』(733) の「出雲郡」の項に
「〔凡諸山野所在草木〕 萆薢・百部根・女委・夜干・商陸・独活・葛根・薇・藤・李・蜀椒・楡・赤桐・白桐・椎・椿・松・栢。 〔禽獣〕 則有
晨風・鳩・山雞・鵠・重鳥・猪・鹿・狼・兎・狐・獼猴・飛鼯
也。」と記されている.(岸崎時照『出雲風土記抄』(1683)島根大学所蔵)
平安前期★『延喜式』(927編纂開始,967に施行)の「卷第卅七 典薬寮」には,海外からの使節に対して返礼として与えた薬草の中に「夜干」があり,また毎年国内の各地方から宮廷に献上すべきとした薬用産物の中に,主に西日本の多くの地方に「夜干」が定められている.
「遣諸蕃使
唐使:草薬五十九種,夜干:六斤
渤海使:草薬八十種,夜干:二斤
新羅使:草薬廿四種,夜干:五斤」
「諸国進年料雑薬
畿内 山城國 卅二種 夜干:十五斤. 摂津國 四十四種 夜干:五斤
東海道 伊賀國 廿三種 夜干:十斤,伊勢國 五十種 夜干:四十五斤,尾張國 四十六種 夜干:廿四斤,駿河國 十七種 夜干:十斤
北陸道 越前國 十八種 夜干:廿斤,越中國 十六種 夜干:十斤
山陰道 丹波國 四十三種 夜干:十斤,出雲國 五十三種 夜干:二斤
山陽道 備後國 廿八種 夜干:廿一斤,安芸國 卅二種 夜干:三斤,周防國 十九種 夜干:卅斤八両
南海道 紀伊國 卅五種 夜干:一斤九両,讃岐國 四十七種 夜干:十五斤」
奈良時代の984年(永観2年)朝廷に献上された★丹波康頼(912 – 995)撰『医心方』は,漢の本草に和名を考定した書であるが,その
「第一巻 諸薬和名篇」の「第十巻 草下之上 卅五種」には
「射<音夜> 干<考寒反>
和名 加良須安不岐
やかん 音ハ夜 考ト寒ノ反シ
和名 カラスアフキ」
「䳒<音縁> 尾
和名 古也須久佐
えんび 音ハ縁
和名 コヤスクサ」とあり,カラスオウギがヤカンと呼ばれていたことを現す.
★稗田阿礼誦,太安麻呂撰録『古事記 上・歌謡』(和銅5年 (712年) 献上)に,
「阿遠夜麻邇。比賀迦久良婆。奴婆多麻能。用波伊傳那牟。阿佐比能。恵美佐加延岐弖。
(青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ 朝日の ゑみさかえきて)」
また,
「歌曰。 奴婆多麻能。久路岐美祁斯遠。麻都夫佐爾。登理與曾比。淤岐都登理。牟那美流登岐。波多多藝母。許禮婆布佐波受。
(ぬばたまの 黒き御衣を まつぶさに 取りよそひ 沖つ鳥 胸見るとき はたたぎも これはふさはず)」とある.
★舎人親王ら撰『日本書紀 十四 雄略天皇』(養老4年(720年)完)に,
「天皇聞是歌、反生悔惜、喟然頽歎曰「幾失人哉。」乃以赦使、乘於甲斐黑駒、馳詣刑所、止而赦之。用解徽纒、復作歌曰、
農播拕磨能 柯彼能矩盧古磨 矩羅枳制播 伊能致志儺磨志 柯彼能倶盧古磨
(天皇是の歌を聞こして、反(かへりて)悔(くい)惜(をしむ)こころ生(な)したまひて、喟然(なげき)頽(くづ)れて歎曰(なげきのたまはく)、「幾(ほとほと)人を失へり哉(や)。」となげきのたまひて、乃(すなはち)赦使(ゆるしのつかひ)を以ちて、甲斐(かひ)の黒駒(くろこま)に乗せて、刑(つみする)所(ところ)に馳せ詣(おもぶ)けて、止(とど)めしめて[而]之(こ)を赦したまひき。 用(もち)て、徽纒(しるしのまつはりもの)を解かしめて、復(また)歌(みうた)を作りて曰(よみたま)はく。
ぬばたまの かひのくろこま くらきせば いのちしなまし かひのくろこま)」とある.
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