2019年9月1日日曜日

イチハツ-7 和-7 牧野富太郎,頭註国訳本草綱目,植物一日一題,植物一家言,牧野日本植物図鑑 初版

Iris tectorum
 日本植物学を創りあげた牧野富太郎は,植物の精密な形態的な研究で,数多くの新種を発見し,学名をつけたが,また膨大な和漢洋の典籍を渉猟し,植物史の分野でも大きな功績を残した.
 「忍耐を要す」「精密を要す」「草木の博覧を要す」の態度を貫き,特に中国の本草書を精査して,植物名の中国名と日本における漢名,和名の対応や,「橄欖=オリーブ」や,「馬鈴薯=ジャガイモ」などの誤った考定を正すべく,時には当時の文筆家を罵倒してまで奮闘した.
 「鳶尾」と「イチハツ」の考定には異論がなかったので,イチハツに関しては,「日本には自生はなかった.」と,「屋根の棟に植えている風景の美しさ」が主に語られている.また,名前の由来にしても,新たなアイディアはなかったのか,正否不明ながら,アヤメの仲間で最初に咲くからとしている.

★白井光太郎(監修),鈴木真海(翻訳),牧野富太郎(考定)『頭註国訳本草綱目』(1929)の「本草綱目草部第十七卷 下 八六 毒草類 鳶尾」の「頭注 ()」に
()牧野云フ、コノ種我邦ニハ野生ハナイ多分元ト支那カラ渡セシモノナタント思フ。普通人家ニ觀賞用トシテ栽培セラレテ居ル、叉往往藁葺屋ノ脊ニ栽エラテルヲ見ル。種名ヲ tectorum (屋根ノ義)ハ之カラ出タモノデアル。」とある.(左図,Internet Archives)

★牧野富太郎『植物一日一題(1953) 東洋書店
「屋根の棟の一八
 一八とはイチハツの当字で、イチハツとは鳶尾(エンビ)で、鳶尾とは紫羅襴(シララン)で、紫羅襴とは紫蝴蝶(シコチョウ)で、紫蝴蝶とは扁竹(ヘンチク)で、扁竹とは Iris tectorum Maxim. で、それはアヤメ科の一花草で、中国の原産で、往時同国から日本に渡ったもので、今日、日本では鑑賞花草としてよく人家の庭に栽えられてある宿根草であるが、もとより日本には野生はない。
 このイチハツは日本で名づけた俗名でありながら、今のところその語原が不明である。茎の頂に花が一つずつひらくから、それで一発の意味だとこじつけられないことはない。だがこのズドンと撃った一発は的をはずれ、それは無論勝ち星が得られないこと受け合いだろうが、また世間にはまぐれ当りということもある。
 方々を歩いてみると、往々このイチハツを藁屋根の棟に密に列植してあるのを見かけるが、その紫葩(はな)を飜えす花時にはすこぶる風流な光景を見せている。吾らはこのイチハツがナゼそんなところに栽えてあるのか不審に思うのだが、しかしそれには理由がある。すなわちそれは強風で家の棟が取られないために屋脊を保護してあるのである。今ならトタン板を利用するところだが、昔日本には無論そんな気の利いた材料がなかったので、そこで天然物でこれをおおいイチハツの根でしっかりと押えつけたものであるところに面白味がある。今朝見れば夕べの風で棟が禿げ大事のイチハツどこへ風が飛ばしたか、その補充でこの家の主人思わん仕事がまた一つ殖えたわけだ。風め! しょうがないなあとつぶやく。
 この学名の Iris tectorum Maxim. tectorum は「家根ノ」あるいは「家屋ニ成長シテイル」との意味である。この種名はこの学名の命名者マキシモウィチ(Maximowicz)氏が日本で家根のイチハツを望み見て名づけたものである。そしてその研究命名の材料の一つは横浜付近で得たのだから、多分それは程ヶ谷町(保土ヶ谷町)で採ったのであろう。そして同地では今日でもなおイチハツの藁葺屋根が残っている。
 中国の書物の『秘伝花鏡(ひでんかきょう)』にある紫羅襴(イチハツ)の文中に「性喜コノム高阜墻頭レバ則易」とあるところをみれば、同国でも高い阜(おか)や墻(かき)の背に生えることがあると見える。そうするとこのイチハツはその生えているところがたとえ乾くことがあっても、それに堪え忍ぶ性質をもっていると思う。つまりその地下茎が硬質で緻密でよく水を抑留して長くその生命を保っているものとみえる。
 元禄七年(1694)にできた貝原益軒(かいばらえきけん)の『豊国紀行(ほうこくきこう)』に「別府のあたりには家の棟に芝を置いて一八と云花草をうえて風の棟を破るを防ぐ武蔵国にあるが如し、風烈しき故と云家毎に皆かくの如し」と書いてある。この紀行文は豊後別府の人森平太郎氏が昭和十四年に発行した『大分県紀行文集』に収録せられているが、この紀行文へ対して後に入れた頭注を書いた福田紫城氏の文に「鳶尾草也、大正震災前まで、東海道線平塚駅付近及び箱根山中の農家に於て、福田はしばしばこの風俗を目撃せり、別府に於ても明治十年頃までは、この古風俗を存したりと云ふ」と出ている。また益軒の『大和本草(やまとほんぞう)』にも紫羅傘[傘は棟の誤り]すなわちイチハツの条下に「民家茅屋の棟ニイチハツヲウヘテ大風ノ防ギトス風イラカヲ不破」と書いてある。
 昔の東海道筋にあたる武蔵程ヶ谷(保土ヶ谷)の藁葺の家には、その家根の棟にイチハツが栽えてあって、花時にはその花があわれにも咲いてなお昔の面影をとどめている*。もしも時の進みでこの藁葺の家がなくなれば、この風景が見られなく、きのうはきょうの物語りになるのであろう。
 伊豆の湯が島(温泉場)ではこれを万年グサと呼んでいる。これはそのイチハツを屋上に栽えれば久しく生活して永く残るゆえだといわれる。
 甲州ではイワヒバ(方言イワマツ)が藁葺屋根の棟に列植せられてある。東北地方では同じく藁葺の家根草にまじって往々オニユリの花が棟高く赤く咲いていて、すこぶる鄙びた風趣を呈している。
 泰西のある学者**は横浜付近の野にイチハツが野生しているように書いているが、それは見誤りでイチハツは絶対に我国に野生はない。」

★牧野富太郎『植物一家言 (1956) の「屋の棟に花咲くイチハツ」の章に
「横浜市外、保ヶ谷へ行くと、今でも、其道路添いの、藁葺屋の棟に、イチハツが植えて在る*、そして、屋上に花の咲く風情は、敢て他処で見られざる、珍しさで在る。
九州、豊後の国の、何と乎謂ふ田舎でも、同じく、此れが、屋根の上に、植えて在る処が在ると、何乎の本に出ていた。
イチハツの語源はいまだ詳かでない、俗に一八と当字が書いて在るが、併し其意味は判ら無い。
イチハツは、支那にも産し、其れが、「秘伝花鏡」と謂う書物に、図入りで載って居る、そしてその支那名は、紫羅襴で在る。」とある.

★『牧野日本植物図鑑 初版(1940)
2141 圖 あやめ科
「イチハツ(鳶尾)
Iris tectorum Maxim.
(= I. tomiolopha Hance *3 ; I. cristata Miq.*4)
支那ノ原産ニシテ往時我邦ニ渡来シ今ハ觀賞花草ト
シテ栽植シ,叉大風ノ防ギトシテ往々之レヲ藁葺屋根
ノ棟ニ栽エアル多年生草本ニシテ高サ30-50 cm許,叢
生ス.
(中略)
和名ハ此花ノ多種ア
ル中ニテ最モ早ク花サク故最初(イチハツ)ノ義ナリ
ト謂ハルレドモ正否不明ナリ。」(上図,牧野植物園)

*鳴雪「一八の東海道も戸塚かな」の句がある.
内藤鳴雪(ないとう めいせつ、1847 - 1926)は、幕末の伊予松山藩の武士、明治期の官吏,明治・大正期の俳人.
*2 泰西のある学者:Iris tectorum の学名を付けたマキシモウィッチ.「学名」の記事で記述予定
*3 Iris tomiolopha Hance” On A New Species Of Iris, By H. F. Hance, Ph.D., etc.” Journal of Botany, British and Foreign. London, 10: 229 (1872). 現在は異名.
Henry Fletcher Hance (1827-1886). ヘンリー・フレッチャー・ハンスは,イギリスの外交官,中国で働き,余暇に中国の植物を研究したことで知られる.
*4 I. cristata Miq.Iris cristata Aiton, Hort. Kew. 1: 70 (1789).米国産のアヤメ属の矮性植物.ミクェルによる誤同定.

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