2024年6月23日日曜日

ムギセンノウ (5) 欧州15世紀-3, 揺籃期本-1 “Nigella” ペーター・シェーファー『ラテン本草』,『アヴィケンナ新村のアルノルディ薬草園』

Agrostemma githago

小麦などの麦類の悪性雑草として長く欧米の農家を苦しめていたナデシコ科の一年草.小麦と同調して生育し,全草有毒.特にその黒い種子がパンに入ると,その味を損なうので,嫌われていて,聖書に出てくる「ドクムギ」の一つとも考定されていた.
 15世紀の欧州では,木版印刷術の発展と共に,図入り本草書が刊行されるようになった.それらの内,最初は西ドイツ中西部のマインツ周辺で印刷された三種の本草書(『ラテン本草』,『ドイツ本草』,『健康の庭園』)がよく知られ,間もなく他の地でも再刻あるいは翻訳され,新しい図を付されたものもあった.これらの書には,薬草として,ムギセンノウが掲載されている.その薬効は,ディオスコリデスやプリニウスの “Nigella”, “Gito” “Aera” に基づいているように思われる(要検討).


その本草書の内,最も初めに刊行され,広く流通し,多くの版が印刷されたのは,ペーター・シェーファー(Peter Schöffer, ca. 1425 ca. 1502)によって 1484 年に刊行された『ラテン本草』(Latin Herbarius)である.この書は,オリジナルではなく,一世紀ほど前に編纂された写本の編纂物であると考えられるが,これまでのところ年代を裏付ける写本は発見されてない.本書は絵入りでドイツ自生の植物と園芸植物をのせた小さな書で,簡単な薬草の本として一般の人たちの実用に供する意図で,ラテン語とドイツ語で植物名を,記述文はラテン語で書かれている.ドイツ内が多くの小国に分れていて,微妙に言語が異なっていた爲であろうか,ドイツ語の植物名は,版によって異なる場合がある.
 中の図は,力強いタッチで装飾的な魅力に富んでいると言えなくもないが,おおむね左右対称に描かれていて,時には幾何学的な図形程度のものもある.花は通常,誇張して大きく描かれていて,根が描かれている場合も,まったく型にはまった表現となっている.記載されている150品目の全てが植物であった.この内の一種 No. 130 Scicados arabicum = Von Arabien を除いて全てドイツ語名のある植物で,ドイツの野原や森で採取できる薬草と考えられる.後の別版でも図は殆ど全てが原版の再刻であり,微細な点を除いて違いは見当たらない.
 これらの書達の第97xcvii)章には,Nigella の名でムギセンノウが記載されている.1484 年の原版では,Radenの(冒頭図,左),1486 年の In hoc volumine continentur insignium – “(冒頭図,中央)では Balsem” * の地方名(ドイツ語名)が記載されている.ラテン語の記述文は見た限りでは全く同じである.図は同一と見えるが,葉の一部や根の陰影が異なり,1486 年版は原書を基に再刻したと考えられる.図の植物体は左右対称の装飾風であり,五瓣であるはずのムギセンノウの花弁が四瓣とされ,花冠から突き出ている苞片も四裂になっている.

イタリアで1499年に出版された Incipit Tractatus de virtutibus herbarumは,別名『アヴィケンナ新村のアルノルディ薬草園』(Herbarius Arnoldi de nova villa Avicenna)としても知られている書である.原版とこの版はわずか十五年しか離れていないのに,活字書体がゴシック様式からローマン様式に変わったことで,この本はぐっと近代的な感じとなり,それが中の図を倍ほども古拙に思わせることになった(冒頭図,右).
 これには,出典がドイツ系の本草書と考えられている一揃いの新しい図版が添えられている.それらの図は,初版本の幾何学的図案のようなものよりはややましの図もあるが,いぜんとしてかなり形式的で左右対称的である.しかし,ホウライシダなど,幾つは,実際の植物やその生育環境に基づいたと思われる図が掲載されている(ホウライシダ Blog 14-7-2 揺藍期本 ラテン本草).記載されている 150 品目の全てが植物で,章立ても1484年版『ラテン本草』と同じであった.また,ドイツ語の版では添えられていた地方名はなくなっている.
 この書の第97XCVII)章には,Nigella の名でムギセンノウが記載されている.地方名は省かれ,図はドイツ版に似ているがより簡略化され,本物とはますますかけ離れている.(冒頭図,右)
 


起こしたラテン語の記述文と,Google transfer による英訳を記す.

NIGELLA.

Nigella calída est & sicca ín tertio. Vírtus existit
ín semíne. Vírtutem habet díuretícam ex amarítu-
díne díssoluendí consumendí ex qualítatíbus suís;
Item emplastrum factum ex farína seminís nígellæ
cum succo absínthei círca umbílicü applícatü pue-
rís lumbrícos necat. Vnguentum factum cotra sca-
bíem fíat decoctío puluerís nígellæ ín magna quan
títate cuz sulphure ín fortí aceto ad aliqualem spis-
sitadiínem addito oleo fíat índe unguentum bonum
ad scabíem & impetigínem. Et ad lentígínem faciei
ualet farina semínis nigellæ & cerusæ cum aceto co
fecta. Et oleum amiedalarum amarum decoctíonís
farína semiínís nígellæ ínstillatus auribus uermes au
ríum necat. Item uínunr decoctíonis nígellæ & semi
nis nastrucíi & semaínis anetí & semís petrosilíni co-
fert cotra stranguiam & díssuríam & ylíacam pas-
siones. Et nigella ín mínínia quantítate sumpta ne-
ca. Pandecta. Sed ín magna quantítate cum uíno &
oleo cocta & ? sacculo applicata pectíní & renibus
ualet ad prædícta. Vrína decoctionís farínæ nígel-
læ & succí uermícularis curat carbunculum cü ace-
to coquendo. Et farína seminis nigellæ cum aceto
cocta míscendo parum píretrí & in oretentum míti
gat dolorem dentíum. Est uinum decoctíonís nígel-
æ & arthemísíæ pluribus diebus potatum menstru
ís imperat: urínas prouocat & lac deponit quía de-
síccat nímís. Et pingues & glutínosos humores díge
rít, Et caput purgium factum cum puluere eius &
puluere rádicís yreos naribus inflando confert ne
aqua descendat ad oculos. & propríetas eíus é quæ
aufert febreni flegmatícam & melancolícam, et con
fert morsui serpentum, Pandecta,

Nigella is hot and dry in the third. Virtue exists in the seed. It has the diuretic virtue of dissolving the bitterness of consuming it from its qualities; Likewise, a plaster made of the flour of the seeds of the nigella with the juice of absinthe, applied about the navel, kills worms in children. An ointment made for scabies should be made by decoction of the powder of nigel in a large quantity, because sulfur added to strong vinegar to a certain thickness with oil makes a good ointment for scabies and impetigo.
  And for the lentigine, he should make a meal of nigella and cherry seeds cooked with vinegar. And oil of bitter almonds, decoction of flour and seeds of nigella, instilled in the ears, kills earworms. Likewise, a decoction of nigella and nasturtium seeds and dill seeds and parsley seeds cures both strangulation and disorientation and dysentery.
  And nigella, taken in small quantities, kills. Pandemic But in a great quantity cooked with wine and oil & ? the bag applied to the comb and the kidneys is worth the aforesaid. Urine decoctions of nigel flour and vermicular juice cure carbuncle by boiling it with vinegar. And the flour of the seed of the nigella cooked with vinegar, mixing a little pyrite and putting it in the mouth, gives pain in the teeth.

*Balsem: Fries, Lorenz. “Synonima vnd gerecht - - -” (1519) ”Nigella” の項を見たが,異名・地方名としては記載されていなかった.Pritzel, Georg. ”Die Deutschen Volksnamen der Pflanzen” (1882) では Balsamum gileadense の地方名としてのみ記載されている.

2024年6月21日金曜日

ムギセンノウ (4) 15世紀-2 ヴィトゥス・アウスラッサー『本草書』" Macer de viribus herbarum"

Agrostemma githago

小麦などの麦類の悪性雑草として長く欧米の農家を苦しめていたナデシコ科の一年草.小麦と同調して生育し,全草有毒.特にその黒い種子がパンに入ると,その味を損なうので,嫌われていて,聖書に出てくる「ドクムギ」の一つとも考定されていた.


  15世紀から,本草書には図と共に頻繁に取りあげられているが, 花弁の外に長い苞片が飛び出しているという特徴がよく分かる図が掲載されている本草書の嚆矢は,★ヴィトゥス・アウスラッサー (Vitus Auslasser) Macer de viribus herbarum (Macer de viribus herbarum. Herbarius depictus per fratrem Vitum Auslasser de Fumpp prope Swaz mo)" (1479) である.本書には,様式化されてはいるが,写生されたと思われる多くの薬草の図が収められている.これらの手書きの図の作者はエアハルト・レーヴィーク (Erhard Reewiijk, Erhard Reuwich, 1445 in Utrecht - 1505 in Mainz) だという資料もある.
 
記述文の部も添えられていて,それも見ることが出来るが,解読はできなかった.

この書には,約 200 種の薬草の図が掲げられているが,その 136 番には美しいムギセンノウの図を正確な彩色とともに見ることが出来る.名称としてラテン名の Zyzaniaと,ドイツ語の名称 Raden及び Prawn korn pluemの三種が記載され,花辧から突出した苞片,莖・対生する細い葉・苞の(細毛による)緑灰色の色相,花辧の模様などから,一目でムギセンノウと分かる.

著者の15世紀に活動したヴィート・アウスラッサーとも呼ばれるヴィトゥス・アウスラッサー (Auslasser, Vitus, 生没年不詳) は,現在のチロル州シュヴァーツ近くのフォンプ出身で,ミュンヘン近郊のエーベルスベルクにある聖セバスティアン修道院 (https://de.wikipedia.org/wiki/St._Sebastian_(Ebersberg)) のベネディクト会修道士であった(冒頭図,左部の Title page に,Herbarius iste depictus est per fratrem Vitum Auslasser de fůmpp prope Swacz monachum professum prespiterum monasterii sancti Sebastiani in Ebersperg Anno d[omi]ni 1479. とある).
 
また,図を描いたとされるエアハルト・レーヴィーク (Erhard Reewiijk, Erhard Reuwich, 1445 in Utrecht - 1505 in Mainz) は,後述する『ドイツ本草』(German Herbarius, Herbarius zu Teutsch, 1485)や,『健康の庭園』(Ortus Sanitatis, 1491) の木版画など,多くの書籍の挿絵を担当したと推察されるオランダ出身の有力なイラストレーターであった (https://en.wikipedia.org/wiki/Erhard_Reuwich)

2024年6月20日木曜日

ムギセンノウ (3) 15世紀 時祷書,新約聖書「毒麥のたとえ話」zizania, cockle, tares

 Agrostemma githago

小麦などの麦類の悪性雑草として長く歐州の農家を苦しめていたナデシコ科の一年草.小麦と同調して生育し,全草有毒.特にその黒い種子がパンに入ると,その味を損なうので,嫌われていて,聖書に出てくる「ドクムギ」の一つとも考定されていた.そのためか,私家版『時祷書StundenbuchLivre d'heures)』を彩る花の一つとして,描かれている例がある


『時祷書』とは,一般のキリスト教信者のために編まれた祈祷書で,一日七回の定時課の祈祷文や聖歌、死者への祈りなど、さまざまな祈祷文が含まれ、巻頭には聖人の記念日を記した暦が置かれている.
14世紀にこの『時祷書』が流行すると、特に貴族の女性のためには,彩色豊かな細密画を含む華麗な写本が妍を競って製作された。祈祷文の周りを種々の草花が取り巻く装飾が多いが,それらの草花には,例えばパンジー (viola tricolor) は花辧の配色から,ムラサキツメクサは葉が三つある事から,それぞれ三位一体を,ナデシコはキリストの受肉(Incarnation) を,オダマキの花は聖霊を現す鳩や聖母の悲しみを象徴するなど,意味がある事が多いそうだ(詳しくは "Plants in Christian iconography" ).その伝で言うと,聖書の「毒麥のたとえ話」に現われる毒草,Zizania と考定されていたムギセンノウ(前記事)が描かれているのも,邪悪な偽信徒に対する警戒を呼び起こす意味があるのかも知れない.

★「毒麥のたとえ話, Parable of the Tares」は,新約聖書,マタイによる福音書第13に,イエスの言葉として次のように伝えられている.(「新共同訳」日本聖書協会)
 13:24 イエスは、別のたとえを持ち出して言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある人が良い種を畑に蒔いた。 13:25 人々が眠っている間に、敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。 13:26 芽が出て、実ってみると、毒麦も現れた。 13:27 僕たちが主人のところに来て言った。『だんなさま、畑には良い種をお蒔きになったではありませんか。どこから毒麦が入ったのでしょう。』 13:28 主人は、『敵の仕業だ』と言った。そこで、僕たちが、『では、行って抜き集めておきましょうか』と言うと、 13:29 主人は言った。『いや、毒麦を集めるとき、麦まで一緒に抜くかもしれない。 13:30 刈り入れまで、両方とも育つままにしておきなさい。刈り入れの時、「まず毒麦を集め、焼くために束にし、麦の方は集めて倉に入れなさい」と、刈り取る者に言いつけよう。』」
 
(中略)
 13:36 それから、イエスは群衆を後に残して家にお入りになった。すると、弟子たちがそばに寄って来て、「畑の毒麦のたとえを説明してください」と言った。 13:37 イエスはお答えになった。「良い種を蒔く者は人の子、 13:38 畑は世界、良い種は御国の子ら、毒麦は悪い者の子らである。 13:39 毒麦を蒔いた敵は悪魔、刈り入れは世の終わりのことで、刈り入れる者は天使たちである。 13:40 だから、毒麦が集められて火で焼かれるように、世の終わりにもそうなるのだ。

★四世紀末に出されたラテン語訳聖書で,中世欧州に最も広く流布され,各国語訳聖書の基礎となった The Vulgate(ウルガタ) には,この毒草は.Zizania という名で記されている.
  13:24 Aliam parabolam proposuit illis, dicens : Simile factum est regnum caelorum homini, qui seminavit bonum semen in agro suo :  13:25 cum autem dormirent homines, venit inimicus ejus, et superseminavit in medio tritici, et abiit.  13:26 Cum autem crevisset herba, et fructum fecisset, tunc apparuerunt et zizania.  13:27 Accedentes autem servi patrisfamilias, dixerunt ei : Domine, nonne bonum semen seminasti in agro tuo? unde ergo habet zizania?  13:28 Et ait illis : Inimicus homo hoc fecit. Servi autem dixerunt ei : Vis, imus, et colligimus ea?  13:29 Et ait : Non : ne forte colligentes zizania, eradicetis simul cum eis et triticum.  13:30 Sinite utraque crescere usque ad messem, et in tempore messis dicam messoribus : Colligite primum zizania, et alligate ea in fasciculos ad comburendum : triticum autem congregate in horreum meum.
(中略)
  13:36 Tunc, dimissis turbis, venit in domum : et accesserunt ad eum discipuli ejus, dicentes : Edissere nobis parabolam zizaniorum agri.  13:37 Qui respondens ait illis : Qui seminat bonum semen, est Filius hominis.  13:38 Ager autem est mundus. Bonum vero semen, hi sunt filii regnum. Zizania autem, filii sunt nequam.  13:39 Inimicus autem, qui seminavit ea, est diabolus. Messis vero, consummatio saeculi est. Messores autem, angeli sunt.  13:40 Sicut ergo colliguntur zizania, et igni comburuntur : sic erit in consummatione saeculi.

15世紀に成立したカトリックの英訳聖書であるドゥアイ・リームズ聖書DouayRheims Bible)の中で,上記の麦畑の中で成長し,害を与える zizania は cockle (ムギセンノウ)と訳された.
  13:24 Another parable he proposed to them, saying: The kingdom of heaven is likened to a man that sowed good seeds in his field.  13:25 But while men were asleep, his enemy came and oversowed cockle among the wheat and went his way.  13:26 And when the blade was sprung up, and had brought forth fruit, then appeared also the cockle.  13:27 And the servants of the goodman of the house coming said to him: Sir, didst thou not sow good seed in thy field? whence then hath it cockle?  13:28 And he said to them: An enemy hath done this. And the servants said to him: Wilt thou that we go and gather it up?  13:29 And he said: No, lest perhaps gathering up the cockle, you root up the wheat also together with it.  13:30 Suffer both to grow until the harvest, and in the time of the harvest I will say to the reapers: Gather up first the cockle, and bind it into bundles to burn, but the wheat gather ye into my barn.
(中略)
  13:36 Then having sent away the multitudes, he came into the house, and his disciples came to him, saying: Expound to us the parable of the cockle of the field.  13:37 Who made answer and said to them: He that soweth the good seed, is the Son of man.  13:38 And the field, is the world. And the good seed are the children of the kingdom. And the cockle, are the children of the wicked one.  13:39 And the enemy that sowed them, is the devil. But the harvest is the end of the world. And the reapers are the angels.  13:40 Even as cockle therefore is gathered up, and burnt with fire: so shall it be at the end of the world.

特に英国においては,イネ科のドクムギ(darnel, Lolium temulentum)より,ムギセンノウ(cockle)の方が麦畑の強有害雑草として人々の生活に影響を与え,イエスの話をより身近に具体的に感じることが出来るからであろか.麦畑の雑草として,Cockle が強有害雑草 Zizania を代表するようになり,Cockle がドクムギの英名として使われるようになったのかもしれない.Gerth van Wijk, H. L. “A dictionary of plant names” (1911) では,ドクムギの英名として (corn) cockle を収録しており, OED でも Cockle の意味の一つに Darnel を挙げている.

★イングランド王ジェームズ1世がイングランド国教会の典礼で用いるための聖書の標準訳を求めて,その命令で翻訳された欽定訳聖書国王の命令によって翻訳された聖書であるため「欽定訳」と言われ,とくに「ジェイムズ王訳」(King James VersionあるいはAuthorized Version)は1611年刊行の英訳聖書を指すこのバージョンでは,ラテン語の zizania は,tares(やっかいな雑草) と訳されている.

Matt. 13
[25] But while men slept, his enemy came and sowed tares among the wheat, and went his way.
[26] But when the blade was sprung up, and brought forth fruit, then appeared the tares also.
[27] So the servants of the householder came and said unto him, Sir, didst not thou sow good seed in thy field? from whence then hath it tares?
[29] But he said, Nay; lest while ye gather up the tares, ye root up also the wheat with them.
[30] Let both grow together until the harvest: and in the time of harvest I will say to the reapers, Gather ye together first the tares, and bind them in bundles to burn them: but gather the wheat into my barn.
[36] Then Jesus sent the multitude away, and went into the house: and his disciples came unto him, saying, Declare unto us the parable of the tares of the field.
[38] The field is the world; the good seed are the children of the kingdom; but the tares are the children of the wicked one;
[40] As therefore the tares are gathered and burned in the fire; so shall it be in the end of this world.

2024年6月16日日曜日

ムギセンノウ (2) コンラート・フォン・メゲンベルク『自然についての本』"Buch der Natur" Rroten kornplum & Ratenkraut, Nigelella & Zysania

Agrostemma githago


可憐な花をつけるが,小麦などの麦類の悪性雑草として長く欧米の農家を苦しめていたナデシコ科の一年草.小麦と同調して生育し,全草有毒.特にその黒い種子がパンに入ると,その味を損なうので嫌われている.

 小麦と共に生育していたので,古くから本草書に記載されている.図が確認出来た最も古い本草書は,コンラート・フォン・メゲンベルクKonrad von Megenberg または Konrad von Mengelberg,羅:Conradus de Montepuellarum1309 - 1374)の『自然についての本』("Buch der Natur")の手写本である.

コンラート・フォン・メゲンベルクは,ドイツの14世紀の学者であり,22冊のラテン語の聖人伝,神学,道徳や哲学に関するものから自然科学にかんするものまでの書籍の著者である.特に『自然についての本』("Buch der Natur")が知られる.彼は Mäbenbergで役人の息子に生まれ,エルフルトやパリのソルボンヌ大学で学んだ後,パリ大学で1334年から1342年まで教えた.学者としての評価が高まると,ウィーンのStephansschule1365年にウィーン大学に統合される)の学長に任じられた.1348年にレーゲンスブルクに移り大司教座聖堂で教えた.この時代最も多くの著作を行った.

自然についての本』("Buch der Natur")は1349年に書かれ,フランドルの学者,Thomas Cantimpratensis (1201 – 1272)  のラテン語の著作,"liber de natura rerum" に範をとっているが,ドイツ語で書かれた最初の自然に関する書物となった.広く読まれ,多くの手写本が残されている.最初の印刷本は "Puch der Natur" のタイトルで Johann Bämler によって 1475年に出版され,1500年までにすくなくとも6回,印刷されている. 

この『自然についての本』は (1) 人類・解剖学・生理学(50章),(2) 天と7つの惑星・天文学・気象学(33章),(3) 動物学(四足動物69種,鳥類72種,海の怪物20種,魚類29種,蛇,トカゲ,爬虫類37種,ミミズ31種),(4) 普通の木(55章)・芳香樹(29章),(5) 薬草と野菜(89章),(6) 貴石と半貴石(86章),(7) 10種類の金属,(8) 川と水 8つの部分から成る.

初期写本の一つには,ムギセンノウと考定できる植物が描かれているページが二枚あり,それぞれ “Nigelella” “Zysania” と本文の文頭に記載されている.(下図)


 1478年に Johann Bämler (1430 – 1503) が刊行した "Puch der Natur" の第五部には “Negella” “Von dem Rattenkraut,  Zizania” という章があり,これが写本のムギセンノウ,“Nigelella” “Zysania” と対応すると思われ,記述部は写本と一致しているようだ.しかし,第五章最後の項目の “ratenkraut” は,ムギセンノウではなく,ドクムギを記述している様に思われる.しかし,“ratenkraut” は前記事に述べたように,ムギセンノウのドイツ名として使われているし,手写本(上図,右部)の図はイネ科の植物ではなく,ムギセンノウである(下図,左部).

一方,Franz Pfeiffer1815-1868)によって,1861 年に刊行されたドイツ語版 “Das Buch der Natur, von Konrad von Megenberg : die erste Naturgeschichte in deutscher Sprache” では,“V.  VON DEN KRÄUTERN” 部に,ムギセンノウが“55. Von der roten kornplum” 及び “89. Von dem ratenkraut” として,“Nigelella” “Zysania” と対応する形で記述されている.”roten kornplum” については,性状と薬効,そしてウール織布の際の漂白剤として使われることも記している(前記事参照).”ratenkraut” については,小麦の生育への悪影響が記されている(上図,右部).

なお,“Zysania (Zyzania)” というのは,ドクムギ(lolium)のアラビア語由来らしい(Yuhanna Ibn Serapion, Yuhanna Ibn Serapion “Breviarium Medicinae latine”, Cap LXX (1497)).

55.VON DER ROTEN KORNPLUOM.

Nigella haizt rôteu kornpluom. daz ist ain erkantz
kraut und wehset in dem korn und hât klaineu pleter
und ainen langen stengel, der ist grüen und rauch und
hât ain r
ôte pluomen und ist sein sâm swarz. daz kraut
ist an kraft haiz und trucken und entsleuzt die wind und
daz plæen in dem leib und benimpt plaich varb. ez
entsleuzt auch und swentet die herten apostem, wenn
man ez mit ezzeich tempert, und s
ô man ez mit ezzeich
seudet und den munt dâ mit wrescht, daz benimt den
zantsmerzen, ez sprechent auch etleich wollenweber, daz
ez daz wuillein tuoeh gar weiz rainig.

Google transfer による英訳 “OF THE RED CORN PLUOM.

Nigella is called red corn plum. It is a known herb and grows in the corn and has a small plume and a long stalk which is green and smokey and has a red plume and its seed is black. The herb is powerful in heating and drying and removes the odor from the wind and the smell in the body and calls veil color. It also removes the smell and sweetens the grains when it is tempered with wax, and when it is sown with wax and the mouth is wrung with it, it is called the tawny sap. Some wool weavers also say that it turns the wool into white.”

 

89. VON DEM RATENKRAUT.

Zizania haizet ratenkraut und haizt auch ze latein
lolium und haizent ez etleich unrât. daz kraut wechst
in dem korn, aber ez derret den waizen und daz korn
und benimt im sein narung, sam der mâg den habern
derret und der köl den weinreben, wer des krautes
sâmen izt, den macht er trunken und unsinnich.

Mit dem haben nu diu kräuter ain end.

Google transfer による英訳 “OF THE RAT HERB.
Zizania is called rat herb and is also called in Latin lolium and means something unrat. The herb grows in the grain, but it kills the wheat and the grain and takes its nourishment, like the mullein kills the oats and the vine. Whoever sows the herb now, it makes him drunk and mad.

With that, the herbs have an end.”

2024年6月11日火曜日

ムギセンノウ (1) 小麦畑の小悪魔 欧州各地の名称数,アルベルトゥス‐マグヌス(Albertus Magnus)『植物について』(De vegetabilibus)Nigella

Agrostemma githago


 可憐な花をつけるが,小麦などの麦類の悪性雑草として長く欧米の農家を苦しめていたナデシコ科の一年草.小麦と同調して生育し,全草有毒.特にその黒い種子がパンに入ると,その味を損なうので嫌われていて,聖書に出てくる「ドクムギ」の一つとも考定されていた.種子選別法が発展するとともに小麦畑から姿を消し,現在では主に庭での花卉として栽培されていて,日本でも逸出・帰化が認められている.
 日本で栽培されている種は,萼片が花弁より短いか同じである事から,A. githagoの園芸種 “Milas” か,別種 A. brachylobum と思われるが,ムギセンノウ A. githago として記述する.

 古くから小麦と共に生育していたが,ディオスコリデスやプリニウスの書籍には,ムギセンノウと確定できる植物の記載は見当たらない.彼らが麦の悪雑草として記した loliumzizania や,種の黒い git A. githago と考定した後世の本草家もいたが,これらはドクムギやクロタネソウとも考えられる.

 中世から欧州では悪名が高いためか,ムギセンノウは各地方で多くの異名や地方名を持っている.特にドイツ語圏内が多くG. A. Pritzel, K. F. W. Jessen “Die deutschen Volksnamen der Pflanzen: neuer Beitrag zum deutschen Sprachschatze” (1882) には  Mittalt, Gid, Lolium, Nigella の欧州での共通名称の後にドイツ語圏での名称として,“Ackerkümmel” から “Schneller” まで,46の名称が収載されている.
 また,欧州各地の植物の名称(文献上の名称,死語も含む)を収載した Gerth van Wijk, H. L. “A dictionary of plant names” (1911) には,欧州での共通名称とし,死語の †gith; †githago ; †lolium ; †nigellastrum ;†pseudomelanthiuni が挙げられ,更に英語圏での “bachelor's buttons” から “wild savager” 34 の,フランス語圏での “agrosteme” から “turaiel” 54 の,ドイツ語圏での “ackerrade(n)” から “zottiger feldkumme” 80 の,オランダ語圏での “baronnen” から “zwijnsooren” 61 の,計 229 の名称(重複あり)が収載されている.語源を調べれば興味深いだろうが,「小麦」「バラ色」「貝」「黒(い種)」「鼠」に関連する名称が多いようだ.ドイツ語圏での名称が多いのは,多くの小国が存在し,言葉が多少なりとも異なっていたためもあろうが,小麦など麦類の生産が盛んで,ムギセンノウに悩まされていたからであろう.

明らかにムギセンノウと考定できる植物の,欧州での記事の嚆矢は,ドイツの神学者アルベルトゥス・マグヌスAlbertus Magnus, 1193? - 1280)著★『植物について』(De vegetabilibus)の “Nigella” であろう.この “Nigella” が現在のキンポウゲ科のニゲラと異なっているのは,記述から明らかで,名称はムギセンノウの特徴の一つである「黒い種子」に由来すると思われる.この “Nigella” はムギセンノウの名称として16世紀半ばまで使われていた.

マグヌスの著作を復刻・注釈した K. F. W. Jessen, E. H. F. MeyerAlberti Magni ex ordine praedicatorum de Vegetabilibus libri VII :historiae naturalis pars XVIII” (1867) には,

De vegetabilibus libri VII
   Liber VI. Qui est: De speciebus quarundam plantarum.
     Tractatus II. In quo agitur: De herbis specialiter secundum ordinem alphabett.
       Cap. 13. De napone napello napello Moysi nasturtio narcisso nenufare nigella et nepita.

(Agrostemma githago Lin.)  Nigella est herba nota, quae nascitur in frumento, parvis foliis, longo crure et viridi et lanuginoso, rubeo flore, qui exit de siliqua viridi, sicut exit rosa, et figura floris eius est1 pyramidalis. Intra2 florem autem concrescit testa tenuis valde et dura, et in ilia sine ordine stat semen eius nigrum3 , sicut semen rosae est sine ordine in theca4 sua. Sed testeum est illud vas seminis, quod non est vas seminis rosae, et est valde frangibile et tenue. Est autem calida et sicca), incisiva et abstersiva et resolutiva ventositatum et inflationum. Ultime5 abscidit verrucas inversas et colorem pallidum et morpheam. Cum aceto resolvit apostemata dura. Confert coryzae6 et capitis doloribus. Et decoctio eius cum aceto confert doloribus dentium, ore ex ea colluto, et proprie cum ligno pini, Confert doloribus oculi et matricis, diversis praeparationibus praeparata secundum artem medicorum, sicut traditur in simplici medicina. Suffumigalo etiam7 ex ea facta interficit vermes venenosas. Fullones etiam quidam tradunt quod farina eius lavat8 laneos albissime et mundissime, sicut herba, quae vocatur borith (Salsola fruticosa Lin.λ)

x) Avic. vet. cap. 523; Plemp. pag. 279: Sjunìz, Melanthium.   λ) Quam plantam et fortasse quoque plantas confines herbam borith Hebraeorum esse, ex verbis Maimonidis patet, qui eam uschnan Arabum esse docuit (conf. Ro- senmüller Biblische Naturgeschichte Vol. I pag. 112), quo nomine ???? etiam hodie hoc plantarum genus in Egypto desìgnari Husson confirmavit, conf. Sontheimer Zusammengesetzte Heilmittel der Araber, Freiburg 1845 p.269.

§. 396 : 1 et est figura ejus A.  2 in terra V;— cresciti.  3 et add.L.  4. intheca L; teca V.  5 -ma A, -mo JL.  6 corize Codd. ubi- que; colicae J.  7 autem Edd.  8 pannos add. A ;— borich L.”


とあり Jessen Meyerはマグヌスの言う Nigella をムギセンノウと同定した.本文では確かに,ピラミッド型につける花はバラ色で,長く細い茎に小さな葉をつけ,実の薄くて硬い殻には黒い種子がぎっしりと詰まっているなど,ムギセンノウと合致し,今云うニゲラとは異なる記述がされている.また,薬草としての効能や種子の粉末が borith (Salsola fruticosa)* と同様に羊毛の漂白洗剤に用いられるとある.このムギセンノウをラテン語で Nigella と呼ぶ事は,16世紀半ばまで,確認されている.

  
* Salsola fruticose L. = Suaeda fruticosa Forssk. ex J. Gmelin. ヒユ科オカヒジキ属,ハママツナに似ていて,肉厚の茎,枝,葉を持ち侵海水湿地に生育する.ナトリウム塩の含有量が高く,焼いて石鹸やガラスの原料とされた.

アルベルトゥス・マグヌス Albertus Magnus は,スコラ神学者,自然研究家.南ドイツ,ラウインゲン (Lauingen) で騎士の家に生まれ,イタリア,パドヴァ(Padua)大学在学中にドミニコ会に入り,ケルンその他の修道院で神学を学び,また教えて後,1245年パリ大学神学部教授となった.このころトマス・アクイナス (Thomas Aquinas) がアルベルトゥスの弟子となる.48年ケルン大学の前身であるドミニコ会神学大学ストゥディウム・ゲネラーレ創設のためケルンに移る.この後レーゲンスブルク司教,および教皇庁所属の神学者として活躍した時期を除くと,主としてケルンを本拠に著作,教育および仲裁・和解活動に従事.彼は当時の学問領域の全般にわたる学識のゆえに,〈普遍博士doctor universalis〉と呼ばれ,存命中すでにギリシャのアリストテレス(Aristotle),アラビアのアビセンナ(イブン・シーナー,Avicenna),アベロエス(イブン・ルシュド,Averroes,)と並ぶ権威ある著作家とみなされたが,その多方面な研究活動の中心はつねに神学であり,キリストの福音の宣教をめざしていた. 

彼は哲学,つまり経験世界についての包括的で根元的な研究が神学にとって不可欠であることを認識し,アリストテレスの全著作を,彼自身の解釈と創見を加えた形でラテン世界に紹介することでこの要求を満たした.その成果は彼の著作のほぼ半分をしめ,百科全書の観を呈している.また,自然現象や動植物の観察に強い関心を示し,さまざまの魔術伝説が生まれたほどであるが,実際には彼の自然研究者としての功績は,当時優勢であった教学的方法による自然現象の説明に対抗して,固有の対象と方法をもつ自然学を確立したことである.

1622年にはグレゴリウス15世によって福者 (beātus) に,1932年にはピウス11世によって聖者 (Sanctus) に列せられ,自然科学研究の守護者とされている.

圖:Bust of Albertus Magnus by Vincenzo Onofri, c.1493 from Wikipedia (G)