Bellis perennis 1978年9月,ロンドンに一泊した後,汽車でイングランド中部の大学町へ.大学の機関を通じて借りた家は市の中心部の築後100年のレンガ造りのテラスドハウス.家主さんはブラックホールの研究で,十数年後に日本でも大変有名になったH博士.鉄道駅まで出迎えてくれた妻のJさんは,後年離婚したとか,TVの番組になって日本で放映されていた.
借りた家の近くにはいくつもの公園があり,四季折々いかにも英国らしい花で彩られたが,初期の不安な気持ちを慰めてくれたのは小さな公園の芝生の上に咲いていたヒナギクの花.子供の頃から育てて親しんでいた素朴な花は,懐かしい幼友達.おさらんこ花と呼んでいたっけ.
この可憐な花は英国人に愛され,文学にも古くから登場し,当時世俗の言葉であった英語を使って物語を執筆した最初の文人ともいわれるジェフリー・チョーサー(Geoffrey Chaucer, 1343? - 1400)はその『善女物語 (The Legend of Good Women)』(1380- 86)の牧場の花づくしで,私の好きなのは白と赤のデージーと歌った.
“Now I have also this disposition, that of all the flowers in the meadow I most love those white and red flowers, which men in our town call daisies.”
また,スコットランドの国民的詩人,ロバート・バーンズ(Robert Burns、1759 – 1796) もこの花を大変愛し,古いスコットランド民謡(日本の「蛍の光」の原曲)につけた詩,有名な Auld Lang Syne の 3番では旧友と子供時代にこの花をつんで遊んだ昔を懐かしむ.
We twa hae run about the braes, and pu’d the gowans fine ; But we’ve wander’d mony a weary fit, sin auld lang syne. (Burns’ original Scots verse)
We two have run about the slopes, and picked the daisies fine ; But we’ve wandered many a weary foot, since auld lang syne. (English translation)
彼はこの花を人の純朴さ・純粋さや自然の象徴と考えていたようで,"To a Mountain Daisy" では,ヒナギクが不誠実な人や社会の発展の力で折られていくのを悲しむ.
Ev'n thou who mourn'st the Daisy's fate,
That fate is thine -- no distant date;
Stern Ruin's ploughshare drives, elate,
Full on thy bloom,
Till crush'd beneath the furrow's weight, Shall by thy doom
おまけは,約1年後にH博士所有の家から転居した郊外の家の裏庭の写真.
ここには 5月には花で覆われ,初秋に小さな実のなるリンゴの樹があり,ハリネズミもやってきた.4月の芝生にはヒナギクがいっぱい.風力を利用した洗濯もの干しの装置もユニーク .