2011年3月20日日曜日

ショカツサイ 白花,地錦抄附録,紫金草,諸葛菜,橋本関雪,Curtis's Botanical Magazine

Orychophragmus violaceus
筑波山麓の耕作放棄された畑の片隅に咲いていた白いショカツサイ.白いのがあるとは知っていたが,複数の白い花の株が紫と一緒に咲いていたので,そっと一株ずつ抜いて,庭に植えた.種が落ちて白と紫の花が咲いた.白い花は珍しいらしい.宮城教育大学の安江・鵜川研究室 が管理する oNLINE植物アルバム(http://plantdb.ipc.miyakyo-u.ac.jp/index.htmlを「ショカツサイ」で検索すると13の登録画像の内,白花が2つ.

諸葛菜の名前から分かるように,中国原産.日本には,古くは江戸時代,宝永正徳年間(1704 - 15)に渡来し,庭園で栽培されたとの記録がある(地錦抄附録 しょかつな).但し,名は諸葛菜ではあるが,花は黄色(ウコン色)とあり,挿図を見ると立性のキャベツのように見える.ハボタンの一種ではないかと言う専門家もいる.

紫色の花をつける「ショカツサイ」が方々で目に付くようになったのは戦後で,昭和14年に茨城出身の軍医,山口誠太郎博士と黒田辰一郎博士が,中国南京郊外の紫金山で採取した種を増やして「紫金草」と名付け,戦没者の慰霊のため,種を頒布したからとされている.オオアラセイトウ(標準和名?),ショカッサイ,ムラサキハナナ,ハナダイコンとも呼ばれる.

中国では,二月兰(「蘭」の簡字体),菜籽花,翠紫花,二月蓝,湖北诸葛菜,毛果诸葛菜,缺刻叶诸葛菜,野油菜 の別名がある(http://www.cfh.ac.cn/16292.spid).
中国での正式名は「諸葛菜」,三国時代の蜀の名丞相,諸葛孔明(181 – 234)が戦の先々で,しばしの在陣でも地を選んで,生育の速いこの植物を蒔かせたのでこの名がある,といわれているが,この植物は食料としての価値はほとんどない(若い芽は煮てから水にさらし,苦味を取った後に食用にできるそうだが)ので,実際には蕪の類ではなかったのかと思われるとの事.実際,本草綱目では菁の別名ともされている.

しかし,こんな伝説をもって中国ではこの植物をも諸葛菜と呼ぶようになったといわれている.

江南の地に良く繁殖し,中国の春を旅した画家の橋本関雪(1883 - 1945)は「支那山水随録」(文友堂書店 1940)の一節で,この花を描写して「紫毛氈を敷いた如く,繁殖力特に盛んなり.わが紫雲英(レンゲソウ)比すべく,その花さらに美なり.」とその美しさをたたえている.

都内の鉄道沿線,春の土手をセイヨウアブラナは黄色の,ショカツサイは紫の毛氈に変える.中央線,中野と東中野の間,よく知られている桜が終わると,この花が斜面を埋め尽くす.都内でこの花が拡がった陰には,いわゆる花ゲリラの活躍があった.彼らはあまりに殺風景な鉄道の土手に彩りを与えるため,こっそりといろいろな花の種をまいて歩いたが,このショカツサイはその中の優等生であったとか.今では首都の春の色として,この花の紫色は欠かせない.

左図:1876年 W Fitch原画, Curtis's Botanical Magazine (England)
Moricandia Sonchifolia (= Orychophragmus violaceus, PURPLE CHINESE CABBAGE) 石版手彩色

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