アカヤシオの枝についているオオミノガの蓑.幼虫が顔をだし,柔らかい葉を貪欲に食している.
ミノムシは古くから親しまれ,枕草子の第五十段「蟲は」の項に「蓑蟲いとあはれなり。鬼の生みければ、親に似て、これもおそろしき心地ぞあらんとて、親のあしき衣ひき著せて、「今秋風吹かんをりにぞこんずる、侍てよ」といひて逃げていにけるも知らず、風の音聞き知りて、八月ばかりになれば、ちちよちちよとはかなげに鳴く、いみじくあはれなり。」と,実際には出すことのない鳴き声を「いみじくあはれなり」としている.
和歌には「雨ふれば梅の花かさあるものをやなぎにつけるみのむしやなそ」(和泉式部),「古里のいたまにかかるみのむしのもりける雨をしらせかほなる」(後京極摂政),「春雨のふりにし里を来てみればまくらのちりにすかるみのむし」(定家卿)ととりあげられている.
また俳句では秋の季語として「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」(松尾芭蕉),「みの虫や啼かねばさみし鳴くもまた」(酒井抱一),「みのむしや笠置の寺の麁朶の中」(与謝蕪村)など,多くの俳人の句の題材になっており,蓑虫,鬼の子,鬼の捨子,父乞蟲,みなし子,親無子,避債蟲,結草蟲,木螺,木樵虫と多くの呼び名を持っている.
また俳句では秋の季語として「蓑虫の音を聞きに来よ草の庵」(松尾芭蕉),「みの虫や啼かねばさみし鳴くもまた」(酒井抱一),「みのむしや笠置の寺の麁朶の中」(与謝蕪村)など,多くの俳人の句の題材になっており,蓑虫,鬼の子,鬼の捨子,父乞蟲,みなし子,親無子,避債蟲,結草蟲,木螺,木樵虫と多くの呼び名を持っている.
寺島良安の『和漢三才図会』(1713頃)では(現代語訳 島田ら訳注,平凡社-東洋文庫)
蓑衣虫(みのむし)
結草虫(けつそうちゅう),木螺(ぼくら),壁債(へきさい)虫 〔俗に美乃無之という〕
△思うに、諸木の嫩葉(わかば)がようやく舒(の)び、老葉になると、まま巻くことがあり、中に小虫を生じる。その虫は枯葉を喰い取って糸を吐き、その糸を用いて窠(す)をつくる。長さ一寸ばかり、婆娑(ばしゃ,しおれて垂れ下るさま)とした形で、撚艾炷(ねりもぐさ)のようである。つねに枝にぶちさがっている。その虫は赤黒色で、皺ひだがあって首は尖り、時には首を出して漱葉を喰い首を動かす。貌(さま)は蓑衣翁(みのをきたおきな)を彷彿とさせる。それでこう名づけられている。俗説に、秋の夜に、「秋風吹けば父恋し」と鳴くという。けれどもまだ鳴き声を聞いたこともない。ところでこの虫は、木の葉を父とし家とし、秋風が至れば零落寸前となる。人はこれを察して付会(こじつけ)してこういうだけである。だからその鳴くとは喓声(すだく)ではなく、涕泣(ていきゅう 悲しんで涙を流してなく)という意味である。
契りけん親の心も知らずして秋風たのむみの虫のこゑ 寂蓮
『枕草子』に、「風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば父よ父よとはかなげに鳴く、いみじくあはれなり」(五十段)とある。
『羅山文集』(『詩経』巻第五十七、十二虫、蓑虫)の詩に次のようにいう。蓑袂蠢然唯恠哉 蓑の袂,蠢然として唯恠(ただかい)なるかな
曾聞戦蟻避風雨 曾つて聞く、戦蟻風雨を避(さえぎ)ると
今見微虫撲雪来 今見る、微虫、雪を撲(う)って来たるを
と,鳴き声を聞いた事はないと,実践家らしい記述をしている.
庭の蓑虫は昼間は蓑の口をロート状に開いて葉を食しているが(右図,左),夕方になると閉め(右図,右),翌朝又開いて摂食を続けている.蛹化の時期になったら取り込んで,雄ならは蛾に羽化する,雌ならば蓑内部の蛹の殻の中に留まるという過程を見たいと思っている.
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