2012年8月19日日曜日

ナンテン (4/4) 『出雲風土記』のサセノキはナンテン? 古事記,烏草樹(サシブ),佐斯夫能樹(サシブノキ),南燭,シャシャンボ,松田修『植物世相史(古代から現代まで)』

Nandina domestica
1973年12月 鎌倉大仏殿
倉敷市立自然史博物館のホームページの「出雲風土記の植物」(http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/plant/bungakusakuhin/izumofudoki.htm)には「仁多郡」の植物として「南天燭(きしぶ) ナンテン」があると記されている.
その出典をメールで伺ったところ,ご親切に,秋本吉郎校注『出雲風土記』(1981)岩波書店 の「仁多郡,佐世の郷」の項に「郡家の正東九里二百歩。古老の伝へて云はく、頂佐能衰命、佐世の木の葉を頭刺して、踊躍らしし時に、所刺せる佐世の木の葉、地に堕ちき。故、佐世と云ふ。」とあり,訳注に、「木の名。明らかでない。旧説にサセブの略とする。サセブはサシブ(烏草樹)。石南科のヒサカキに似た木で黒紫色小球状の実がなる。」とある。しかし,松田修『植物世相史(古代から現代まで)』(1971)社会思想社の「出雲風土記の植物」に「南天燭(さしぶ)」の記述があることから,これを残して「させのき=サシブ→南天燭=ナンテン」とみて,ナンテンが『出雲風土記』に記載されたと考えていると教えていただいた.

今尾景年 1891年 多色木版
しかし,多くの書で,ナンテンは平安時代以降に中国から渡来し,現存している文書での初出は鎌倉時代初期の『明月記』であるとしていることから,調査をした.

大高利夫『動植物名よみかた辞典』(1991)日外アソシエーツ株式会社 では,烏草樹(サシブ),佐斯夫能樹(サシブノキ)はいずれも「南燭」の古名であるとしている.

木村陽二郎監修『図説 草木名彙辞典』(1991)柏書房 には,「させのき【佐世乃木】サセノキ」は南燭(しゃしゃんぼ)の古名であり,「さしぶ・しやしやんぼ」であるとし,また,「さしぶ【烏草樹】サシブ〔佐斯夫・左之夫〕」 の項では「南燭(しゃしゃんぼ)」の古名であり,別名「烏草樹(さしぶのき)・佐斯夫能樹(さしぶのき)・左之夫乃歧(さしぶのき)→しやしやんぼ」,出典は「日本書紀(下)/新撰字鏡,倭名抄,下学集」と記している.
また「しやしやんぼ【小小ん坊・南燭】シャシャンボ」の項に,古名は「烏草樹(さしぶのき)・烏草樹(さしぶ)・佐斯夫(さしぶ)・佐世乃木(させのき)・さしび・させ・させび・させ・させび・させぶ」,漢名は「南燭」とし,また出典として古事記(下),出雲風土記(大原郡)/新撰字鏡,倭名抄,多識編を挙げている.

さらに,江戸時代の百科事典,寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)での「南天燭,南燭」の記事.前半の『本草綱目』からの引用は,「ナンテン」ではなく,むしろ「シャシャンボ」の記述のように思える(葉に光沢がある.実は熟すると紫色.食用になって味は甘酸っぱい.薬用としての効果は強壮.)これに関して『和漢三歳図会 現代語訳』 島田,竹島,樋口訳注,平凡社-東洋文庫 のこの項の「注」では,『国訳本草綱目』で牧野博士は南燭にシャクナゲ科シャシャンボをあてているが,難波恒堆氏は『花とくすり-和漢薬の話-』(八坂書房)で、「ナンテンを中国で南天燭、南天竺、あるいは南天竹などと称していたものと思われる」とし、『本草綱目』の図はシャシャンボに似ているが、ナンテン(メギ科)にも似ており、記事は明らかにナンテンを指していると思われるから、牧野富太郎博士が南燭にシャシャンボをあてているのは信じがたい、とされている。ちなみに北村四郎氏によれば『新証校定国訳本草綱目』の頭注で、『本草綱目』の南燭の記事の中には、ナンテンの説明(蘇頭の説)とシャシャンボの説明(時珍の説)とが混在していると指摘されている。

湯浅浩史『花の履歴書』(1995)講談社 の「ナンテン」の項には,「『古事記』のサシブをナンテンとする見方は、仁徳天皇の記にその下にツバキがはえるとあるので、ふつうツバキより小さいナンテンにはぴったりしない。」との見解が示されている.

『古事記 下 仁徳天皇』には,大后 石之日賣〔イハノヒメ〕命が歌った歌として,

都藝泥布夜 夜麻志呂賀波袁 迦波能煩理 和賀能煩禮婆 迦波能倍邇 淤斐陀弖流 佐斯夫袁 佐斯夫能紀 斯賀斯多邇 淤斐陀弖流 波毘呂 由都麻都婆岐 斯賀波那能 弖理伊麻斯 芝賀波能 比呂理伊麻須波 淤富岐美呂迦母

つぎねふや(山代の枕詞) 山代河を 河上(かはのぼ)り 我が上れば 河の辺に 生ひ立てる 烏草樹(さしぶ)を 烏草樹の木 其(し)が下に 生ひ立てる 葉広(はびろ) ゆつ真椿(まつばき) 其(し)が花の 照り坐(いま)し 其(し)が葉の 広り坐(いま)すは 大君(おほきみ)ろかも

と,「さしぶの木の下に葉の広い椿が花をつけて照り輝いている」と謡っている.

Curtis' Botanical Mazine (1811)
一方,倉野憲司校注『古事記』(1991)岩波書店 の該当部の「さしぶ」に対する注では,「シヤクナゲ科の常緑潅木のシャシャンボ。しかしその下に椿が生えていたとすると、木が小さ過ぎるようである。或いは同名異木か。」としている.しかし,林弥栄編『山渓カラー名鑑 日本の樹木』(1985)山と渓谷社 によれば,シャシャンボは高さ2~3㍍,まれに10㍍ほどになるもののあるとの事で,高さ約2㍍にしかならないナンテンより大きい.なお,「ナンテンの床柱」の材はそのほとんどが「ナンテンギリ=イイギリ」であるとの事で,ナンテンの大木はあったとしても非常にまれであろう.

現代の中国では「南燭」は「ナンテン」ではなく,「烏飯樹」をいい,これは学名 Vaccinium bracteatum Thunb.から「シャシャンボ」である.また,引用している.『本草圖經』では「南燭,今惟江東州郡有之。株高三、五尺,葉類苦楝而小,陵冬不雕,冬生紅子作穗。人家多種植庭除間,俗謂之南天燭,不拘時采其枝葉用。亦謂之南燭草木。其子似茱萸,九月熟,酸美可食。葉不相對,似茗而圓厚,味小酢,冬夏常青,枝莖微紫,大者亦高四、五丈而甚肥脆易摧折也。」と,「南天燭」もシャシャンボの俗名であるとしている.一方「ナンテン」は「南天燭」とは言わず,「南天竹」「(南)天竺」というのが一般的である.

須佐能衰命が髪飾りにして頭に指して躍るときに,「ナンテン」の葉や枝よりは,「シャシャンボ」の艶やかな葉のついた枝のほうが呪術的な効果が高いであろう.さらに,大和・奈良・平安時代の文献に「ナンテン」が出ないこと(初出:鎌倉時代の公家で,歌人・書家としても有名な藤原定家の日記『明月記』(治承4年(1180年)~嘉禎元年(1235年)),江戸時代でも地方名が少なく,わずかな地方名も「ナンテン」の転訛と思われること(小野蘭山『本草綱目啓蒙』ではナツテン(京)ランテン(上総)の二つ,一方アセビは二十個),現在でも人家近くにしか自生が見られない事から,「ナンテン」は中国から薬用として移入されたと考えられる.

これらの事から,『出雲風土記』の「サセノキ」は「ナンテン」ではなく,「シャシャンボ」の可能性が高いと思われ,松田修『植物世相史(古代から現代まで)』の「出雲風土記の植物」の「南天燭(さしぶ)」は「南燭(さしぶ)」の誤植ではなかろうかとさえ考えられる.
この知見は参考としてお知らせした.

ナンテン (3/4) 花壇地錦抄・増補地錦抄・本草綱目啓蒙・廻国奇観

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