2014年8月13日水曜日

ヒャクニチソウ-1 万延元年遣米使節,新渡花葉図譜,遠西舶上画譜,植物図説雑纂,方言

Zinnia elegans
 
2014年 6月
メキシコ原産のこの花の種子は,江戸幕府が万延1 (1860) 年に日米修好通商条約の批准書交換のためアメリカに派遣した遣外使節(万延元年遣米使節*)が日本に最初にもたらしたとされている.この使節が持ち帰った種子の中には,ヒャクニチソウの他にもマツバボタン・ペチュニア,スイートピー,カッコウアザミ,パンジー等の観賞価値が高い草花や,アカツメクサやリクチメン,サトウダイコンのような有用植物が新来された**
ヒャクニチソウは,花色が豊富な大きな花を咲かせ,花期が長く水揚げも良く,種が多数とれて,日本の風土に適していて丈夫で育て易いため,比較的短期間で一部の好事家だけでなく,全土の一般家庭に広がったと考えられる.
 
左;新渡花葉図譜 写 (NDL),   右:遠西舶上画譜(東京国立博物館)
★馬場大助『遠西舶上画譜』安政乙卯*叙, には「ジンヤ 亜米利加州?○キスト 地名 ノ産 葉ハツユクサニ似テ短ク二葉相對ス 薄紅花ヲ開ク 上六辧ヨリ七八辧 真?○定メナシ 心蕋多ク先ニ辧ノ黄花ノ細カイモノヲ○ス 花ノ○長クサ○○○レドモ不凋セス 文久二実生シテ白花ヲ生ス」とある(○は解読不能文字).
馬場大助(1785-1868)は江戸後期の旗本・本草家.富山藩主前田利保が江戸で主宰した本草同好会「赭鞭会」の有力会員であった.麻布飯倉の自邸内に多数の舶来植物を植え,それらを実物から彩色写生し,形状や渡来年などを注記した本画譜は,袋綴の間紙に用いた薄墨色の紙が,淡彩の画に微妙な効果を与えているが,注記が読みにくい欠点がある.(*安政2年,1855

★尾張の又日菴『新渡花葉図譜 乾の巻,七十八』には「メリケン産 シンヤイルガンス 花戸ノ名 文久二年壬戌*横濱ヨリ来ル 赤紫色ノ花 又白花黄花薄紅色々アリ 樺色モアリ」とある.*1862
又日菴(ゆうじつあん)は尾張藩の家老をつとめた渡辺規綱(のりつな)(1792-1871),通称半蔵、別号楽々軒.乾巻は天保末年~元治元年(1864),坤巻は元治元年~明治3年(1870)).
添付した圖は,大正3年(1914)に伊藤圭介の孫伊藤篤太郎が母の小春(圭介の五女で,画才があった)に転写してもらった書からである.

とこの時代には,まだ百日草の名前はなかったことが分かる.

磯野直秀『参考書誌研究 第59号(2003) 研究ノート 伊藤圭介編著『植物図説雑纂』について 』 には,文政9年(1826)頃から明治前半に活躍した伊藤圭介(1803-1901)が編集した草類の大資料集.『植物図説雑纂』の二百三十二巻には「百日草ハ近畿花戸ノ称ニシテ、又長生菊・・・我邦ヘハ文久[安政?]七年創(ハジ)メテ米種ヲ伝フ」、「文久二年、仏***」文久二戌、重弁ノ品ノ種子、フランスヨリ持帰レリ***」とあり,米国のみならず,フランスからも八重種を含めて園芸種が渡来していた.残念ながら NDL のデジタルコレクションでは,この巻の閲覧はできなかった.
谷上弘南, 西洋草花図 (1917)

* 万延元年遣米使節:幕末,万延1 (1860) 年日米修好通商条約の批准書交換のため,江戸幕府がアメリカに派遣した最初の幕末遣外使節.安政7118日(186029日)に米船米国海軍のポーハタン号に乗船し,122日(213日)出港し,ハワイ経由で38日(328日)にサンフランシスコに到着した.パナマ地峡を陸路横断後,ワシントンには閏325日(515日)に到着した.批准書交換後, 512日(629日),ニューヨークからナイアガラ号で帰国の途についた.途中サン・ヴィセンテ島ポルト・グランデ(現カーボベルデ),ルアンダ(アンゴラ)を経由し, 711日(827日)には喜望峰を通過し,バタヴィア(現ジャカルタ),香港を経由し927日(119日)に品川沖着,翌日下船し帰国した.

** 磯野直秀「明治前園芸植物渡来年表」慶応大学日吉紀要・自然科学 No.42, 27-58 (2007) には,以下の文献が引用されている.遠藤正治「遣米・遣欧使節齎来の植物を記載した「草木図説遺稿」の発見」,90号,「遣米使節齎来の植物を記載した「草木図説遺稿」の発見」慾齋研究会だよりNo.90 (2000),「慾斎が山本榕室に贈った遣米使節齎来の植物」同誌No.91(2000),「慾斎が山本榕室に贈った遣欧使節齎来の植物」No.93(2001)

*** 文久遣欧使節(第1回遣欧使節、開市開港延期交渉使節),文久元年(1862) - 文久二年(1863),江戸幕府がオランダ、フランス、イギリス、プロイセン、ポルトガルとの修好通商条約(1858年)で交わされた両港(新潟、兵庫)および両都(江戸、大坂)の開港開市延期交渉と,ロシアとの樺太国境画定交渉のため,文久元年(1862年)に欧州に派遣した最初の使節団が持ってきた思われる.

明治以降に普及した移入花卉としては全国各地に方言が多く(八坂書房編『日本植物方言集成』には37個),古くから一般家庭でも親しまれていたことが分かる.

2014年 7月
花期と一個一個の花の鑑賞期間が長いことから「いつまで:長崎(壱岐島),じゅーにかげつ:鹿児島(鹿児島市・日置),ときしらず:長野(長野)」

浦島と係る名前も多く「うらしま:青森(津軽・八戸・三戸)岩手(上閉伊)山形(東田川)新潟 愛知(尾張)岡山(苫田・御津・岡山)熊本(玉名),うらしまそー:青森(八戸)岩手 山形(東置賜),うらしまのはな:青森(津軽)」とある.これも花の命が長いことに由来するのかも知れない.

花の特長や,形が帽子(シャッポ)に似ていることから「かさねばな:山形(西田川),くるまそー:静岡(志太),しゃっぷばな:山形(庄内),しゃっぼぎく:和歌山(海草),しゃっばばな:静岡(小笠)富山(東礪波・西礪波)岐阜(飛騨・吉城)愛知(知多)和歌山(日高),しゃっぽんぎく:福井(大飯・今立),しゃっぽんのぎく:福井(今立),しゃっぽんばな:福井(大飯)奈良 和歌山(新富・日高),しゃっぽんばな:和歌山(日高),しゃんぽんぎく:奈良(南大和)」

多くの色の花を咲かせることからか,実生から親とは異なる色の花が咲くからか,「ななぼけ:和歌山(海草)島根(出雲),ななへんげ:島根,へんげばな:島根(邑智・仁多)」,美しいことから「びじんそー:鹿児島(肝属),びぞんそ:鹿児島(肝属)」とあり,仏壇に供えるのに適し,またお盆の時期まで咲くことから「ほとけばな:山形(東田川・飽海),ぼんばな:栃木 栃木(安蘇)」とある.

異国情緒をまとっていることからか「おらんだそー:静岡(小笠),おらんだばな:鹿児島(肝属),かごしまばな:鹿児島(肝属),てんじくそー:京都(竹野),とーじんそー:愛知(海部),よこはまぎく:千葉 千葉(長生)」.また,「こごめぐさ:加賀,さっかいそー:山形(北村山),じごくばな:和歌山(西牟婁),せこんどばな:鹿児島,せんだんくわ:鹿児島(鹿児島),ちんだんか:鹿児島(鹿児島市)」の名も記録されている.

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