2014年8月2日土曜日

ホテイアオイ(1/2) スリナム産昆虫変態図譜,前田次郎『草木栽培法』,谷上廣南筆『西洋草花図譜』,学名初出,方言,中国名

Eichhornia crassipes 
谷上廣南筆 『西洋草花図譜』 (1917) 多色木版
雨水貯めのウィスキー樽に飼っている金魚のためにホテイアオイを浮かべている.日陰と産卵場所を作るためと思っていたが,根や膨らんだ莖を食べているらしい.卵が付着したホテイアオイを別の水槽に移し,そこで生まれた仔金魚たちも,ホテイアオイの根をつっついている.

原産地は中南米で,ホテイアオイ属では,ほかに,南アメリカ原産のE. azureaE. diversifolia,マダガスカル島原産の E. natansなどが知られている.自立した女流自然科学者の魁として,虫愛ずる淑女として知られるマリア・ジビーラ・メーリアン (Anna Maria Silbylla Merian1647-1717)の大作『スリナム産昆虫変態図譜De metamorphosibus insectorum Surinamensium, of te verandering der Surinaamsche insecten』(1714)には,タガメの類とともに,E. azurea が描かれている(左図).

日本に観賞用水草としてホテイアオイ (E. crassipes) が移入されたのは明治中期とされている.前田曙山の筆名で知られる大衆作家の前田次郎1872-1941)には,趣味の園芸に関する著作も多いが,その『草木栽培法』(明治 36 年,1903,裳華房刊,右下図,NDL)の「四季花暦 六月」の節には,
「布袋草 ウオタア,ヒヤセンスといふ,洋種の水草なり,甚だ日本の水葵に似て葉莖(えふけい)は,菱に似て,菱より遥かに大なる膨張部あり.これ即ち浮嚢なり.花は薄紫にして,上辧に黄色(こうしょく)の斑點あり.莖頭に蔟々として群がり開く.
菱に比して,大いに俗なりと雖(いへど)も甃石(たたき)の泉水には,彼よりも是の相應せるを感ずべし.一時は甚だ高價なりしが,今は夏の縁日植木屋に,数多く出陳さるゝを見る.
其培養法は甚だ簡易(かんゐ)なり,水中に泛(う)かべたるままにして,更に泥土を要する事なく,時々灰叉は油粕の如きものを,少許づゝ拯(すく)ひ入れ,可成(なるべく)日光に触れしむれば可なるものにて,秋末(しうまつ)に至り,葉漸く衰らふに及べば,水を去りて根を泥土にて蔽(おほ)い,床下等に貯(たくは)ふれば足れりとす.」
とあり,明治後期には広く普及し,愛玩されていたことが分かる.

また,谷上廣南筆西洋草花図譜』(大正 6 年,1917,芸艸堂刊)には,「ウォーターヒアシンス」の名でホテイソウがインパーセンス(インパチエンス)とともに美しい多色木版画で描かれている(最上図,2008 5 月,e-Bay 33.50 ドルで落札,他のコレクションはこちらでご覧いただける). 
大正初期は,欧米の珍らしい花卉の輸入や外来園芸種の洋花が町や家庭の観賞花となり,日本人の洋花への関心が高まり,花の文化において和洋の区別がなくなりつつあった時代である.谷上廣南著『西洋草花図譜』は,こうした時代背景の中,大正六年五月に全五帖の木版画集として芸艸堂から刊行されている.全百二十五の図版に百六十余の洋花が描かれており,大型で色鮮やかな花卉が集合したユニークな画集であり,最近も米国・日本でグラビア印刷ながら復刊されている.

最初にホテイアオイに学名をつけたのはドイツ人の Carl (Karl) Friedrich Philipp von Martius (1794-1868) で,ブラジル産の本植物を,Pontederia crassipes と言う名前で 1824 年に “Nova genera et species plantarum : quas in itinere per Brasiliam MDCCCXVII-MDCCCXX jussu et auspiciis Maximiliani Josephi I., Bavariae regis augustissimi instituto /collegit et descripsit C.F.P. de Martius. ” i. 9. t. 4 に美しい図版とともに発表した(左図)

しかし, Hermann Maximilian Carl Ludwig Friedrich zu Solms-Laubach (1842-1915) が,”Monographiae Phanerogamarum Prodromi nunc Continuato, nunc Revisio Auctoribus Alphonso et Casimir de Candolle Aliisque Botanicis Ultra Memoratis. Paris” 4: 527 (1883) に,属を変更して,現在でも有効な学名 Eichhornia crassipes を記録した(右下図)
Martius の記録したホテイアオイはブラジルでの Type とされている.

近代になってから日本に移入帰化した植物にしては,多くの
地方名を持っていて,八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房(2001には 35 個が収載されている.九州を中心とした西日本の名前が多く,一番東は埼玉(北葛飾)の「ぼてれんそ-」である.
特に佐賀県からは,「いもがら,うみほ-ずき,お-うきぐさ,がねんしぶたけ,がめのしぶたい,がめのしぶたけ,がめのしゅぶたけ,がめのしゅぷたけ,がめんしふた,がめんしぶた,がめんしぶたけ,たいわんなぎ,だいわんなぎ,たいわんもがら,だいわんもがら,たいわんもぐら,だいわんもぐら,ばとっしゅ-,ふ-らん,ひやしんす,みずひやしんす,みずらん,もがら」と 27 の地方名が収載されている.これは,この地方は筑後川からのクリーク(用水路)が発達していて(左図,By Google),そこでは暖かいため冬も枯死せずにホテイソウが繁茂し,人々の目に触れていたからと思われる.

他の地方名としては「ういたかひょ-たん:三重,うきくさ:愛媛・鹿児島,うきぐさ:広島・鹿児島・沖縄,うきらん:静岡,たいわんなぎ:熊本,たまばす:岡山,ひやしんす:山口,ふくらすずめ:新潟,はていそ-:富山,ぼてれんそ-:埼玉,みずぐさ:奄美大島,みずたま:岡山」などが記載されており,膨れた葉柄で浮いている特徴からの名前が目に付く.また「ひやしんす:山口(厚狭)佐賀(三養基),みずひやしんす:佐賀(小城)」の英名の Water-hyacinth に通じる地方名が興味深い.

中国にも移入され野生化している.一般的な中国名は,花の最上部内花被の黄色い部分に基いてか「鳳眼蓮()」「鳳眼藍()」と風雅.また,浮いている特性から「浮水花,水葫芦,水浮蓮(水浮,布袋、豬蓮,洋水仙,浮水蓮,水蓮花,大水萍」などの名もある.一方薬効としては,風熱感冒,水腫,熱淋,尿路結石,風疹,濕瘡,癤腫に,15-30㌘の煎湯を服し,外用には,適量をつぶして貼るとある.

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