これまでも何度か當ブログにその美しく正確な図を引用・紹介してきた江戸時代後期の旗本,毛利元寿★『梅園画譜』(春之部巻一序文
1825)(図 1820 – 1849)の「春之部巻四」に,ゼンマイの若芽と胞子葉,栄養葉の見事な図がある.
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本草蕨ノ集解出
紫萁(シキ)(ゼンマイ ハナワラビ) 又 迷蕨
予曰和通用ス 紫蕨(ゼンマイ)ヲ三蒼 月爾(クワツニ)尓雅
別ニ 曰 有大葉ノ者名ケテ 鬼狗背(オニセンマイ)ト 毛蕨
毛詩品物圖攷 迷蕨
天保三壬辰*如月二十四日
自芝山生芽一圖
「本綱ニ説狗背即和漢無異フ耳(ノミ)●ラス然ノミ 大和本草ニハ狗背別物ナルヲ説ケリ可考 亦薇(イノテ)ニ迷蕨ノ名雖有ト是(コハ)別物也 薇ハ野豌豆ノ総名ヲ云 紫萁有リ 青出.赤出ノ二種 赤莖ノ者乾而爲菜苦味最(ヤヽ)薄(ウス)シ 青莖ノ者味苦 是ヲ云鬼紫萁ト 予考狗背ニ和漢ノ二種アリ 山原ニ自然生ノ者和産ニシテ莖葉至テ硬(コワ)シ食フニ堪エス 漢種ハ莖葉軟(ヤワラカ)ニシテ味苦カラス 土民日用ノ飣(サイ)トス 紫蕨ハ越後國ヲ名産トス 四方ニ送ル 漢種今ハ所々ニ種(ウヘ)殖(フヤシ)山ニ生ス 状和漢異ナルコトナシ」(*1832年)
記述の中で,多くの本草家が先人の学説「薇=ゼンマイ」を墨守する中,好事家の梅園が寺島良安の『和漢三才図会』に準拠して「薇ハ野豌豆ノ総名ヲ云」としているのが注目される.また,「青出.赤出ノ二種」があって,「青は苦く,赤は柔らかで苦くない」としているが,これは保存用のゼンマイ(若芽)の乾燥法「表面の綿毛を取り去り、小葉をちぎって軸だけにし、ゆでてあく抜きし天日に干す。干しあがるまでに何度も手揉みをして柔らかくし、黒い縮緬状の状態で保存する。 天日で干したものを「赤干し」と呼び、松葉などの焚き火の煙で燻したものを「青干し」と呼ぶ。」(Wikipedia J [ゼンマイ])の「赤干し」「青干し」と対応するのかも知れない.
一方,ゼンマイを欧州に最初に文献で紹介したのは,出島のオランダ商館の医師として 1690-1692年滞日した★エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651 -
1716)で,その『廻国奇観』(Amoenitates Exoticae , 1712)に,”Dsjemmai” として二種を記述した.
現在も有効な学名 “Osmund japonica” をつけたのは,リンネの弟子で,出島のオランダ商館の医師として 1775-1776年滞日し,精力的に日本の植物相を研究した★カール・ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828) でその『日本植物誌』(Flora
Japonica, 1784)において発表した.彼はこの植物を長崎と江戸参府途中の箱根で見たとしている.
この『日本植物誌』に所収された植物を,シーボルトの指導のもと学名のアルファベット順に配列し,その和名・漢名を記した書★伊藤圭介訳述『泰西本草名疏』(1829)には「OSMUND JAPONICA. TH. ゼンマヒ 薇」とある(右図,左端 NDL ).
以下に江戸時代,前~後期の主な本草・植物学者,益軒・良安・蘭山の代表的な成書中の「貫衆」「狗脊」の記事をまとめておくが,彼らのこれらの植物の起源の認識は一定していない.
★貝原益軒『花譜 下巻 草』(1694)
「貫衆(きじのを)
葉の形,そてつに似て其葉あつし.山中石間に生ず.四時しぼまず.花なし.假山石間に植べし.」と常緑のシダ植物で観賞価値が高いものを云っている.
★貝原益軒『大和本草 巻之九 雑草』(1709)
「狗脊 若水曰葉ハシノフ草ニ似テ大ナリ日本ニアルハ根小シトイヘトモ形状ハ唐ヨリ來ト同シイタチノ毛ノコトシ篤信曰俗アヤマリテ狗脊ヲセンマイト訓ス大ニチガヘリ狗脊ハ其根毛多クシテ誠ニ狗ノ脊ニ似タリ中華ヨリ來ル狗脊ヲミテセンマヒニ非ル事ヲ可レ知センマヒハ本草綱目ノ蕨ノ註ニノセタリ紫萁ナリ狗脊ニアラズ」
「貫衆(キジノヲ ヲニワラヒ)
其葉ハ狗脊ニ似テ根ハ不レ同處々ニアリ唐ヨリ來ト根同シ和名ヲ雉ノ尾ト云本草ニモ葉ノ状如二雉尾一トイヘリ葉ノ形状蕨ニ似テ甚大ナリユエニ順和名ニヲニワラビト訓ス」
★寺島良安『和漢三才図会 巻第九十二の本 山草類』(1713頃) (上図 右)
「拘脊(ぜんまい)
本綱,狗脊ハ山野ニ生ズ.其ノ苗尖リテ細ク砕ケテ青色,高サ一尺以来,其ノ茎細クシテ葉花共ニ両両対生シテ正ニ大葉ノ蕨ニ似タリ.貫衆ニ比ス.葉ニ歯有リテ,面背皆光リ,其ノ根ハ黒色,長サ三,四寸,多ク狗ノ脊骨ニ似タリ.大キサ両指許リ有リ.肉ハ青緑色.一ニ云フ,花無シト.但ダ二種有リ,一種ハ根黒色,狗ノ背骨ノ如ク,一種ハ金黄毛有リテ,狗ノ形ノ如ク,共ニ薬ニ入ル.
気味(苦ク甘,微黒) 男女ノ腰膝脚弱ク,或ハ痛キ者ヲ治ス.老人ニ利アリ.最モ背ヲ堅クシ,俛仰ヲ利シ,萆薢之レガ使ト為ス.(敗醤莎草ヲ悪ム) 病後ノ足腫レシ者,湯ニ煎ジ漬ケテ洗フ.△按ズルニ,狗脊ハ深山ノ中ニ生ジ,春月ニ芽ヲ生ズ.蕨ノ如クニシ
テ一茎,椏無ク,茎ノ未ニ葉ヲ巻キテ握拳ノ状ニ似テ,小サク嫩茎ヲ苅リ取リ晒シ乾シ,用ウル時渫(ユ)デテ水ニ漬ケルコト一宿,苦味ヲ去リテ再ビ煮(者ノ下ニ火)テ之レヲ食フ.淡甘ク脆ク美ナリ.羽州秋田,同ジク最上ノ産佳シ.既ニ長ズレバ則チ葉ニ鋸歯有リ.貫衆ニ似テ厚ク,面背光リ,両両対生ス.葉ニ附キテ細小花生ズ.老ユレバ則チ茎ハ褐色,漆塗金ノ如クシテ長サ三,四尺・其ノ根ニ毛多シ.但ダ金毛狗形ノ者希レナリ.薬ニ用ウルニハ,則チ金剛山ノ産良シ.
一種ニ大葉ノ者有リ.俗ニ呼ンデ鬼狗背ト日フ.嫩芽モ亦タ食フニ堪ヘズ.凡ソ狗脊・貫衆ノ図ハ三才図会ニ出ヅル所ニシテ狗背ニ二図有リ.共ニ其ノ形状似ズ.但シ,本草綱目ノ集解ハ和漢異ナルコト無キノミ.」
左図:明王圻 (1592-1612) 纂集『三才圖會 全百六卷』萬暦37(1609)序刊,NDL
「貫衆(やまぐさ)
本綱,貫衆ハ山陰ノ近キ水処ニ生ズ.春ニ苗ヲ生ジ,葉ハ両両対生シテ狗脊及ビ蕨ノ如クシテ鋸歯無シ.又,鳳及ビ雉ノ尾ニ似テ青黄色,面深ク背浅シ.茎幹三ツ稜,一根数茎,冬夏死(カ)レズ.四月ニ小花有リ.七月ニ実黒シ.但シ花有ルハ少(マ)レナリ.其ノ根曲リテ尖リタル嘴有リ.黒鬚叢族シテ亦タ狗脊ノ根ニ似テ大キク,状伏鴟(フシタルトビ)ノ如シ.春秋根ヲ取リテ薬ニ用ウ.(三才図会図スル所ノ状,狗脊,貫衆草共ニ葉ハ大ニ,千本文ト異ナリ,倭ト似ズ)
気味(苦ク微寒,毒有リ) 能ク諸血ヲ治ス.人軽粉*ノ毒ニ中リテ,歯ノ縫メヨリ血ヲ出シ臭ク渡ルル者ハ,貫衆,黄蓮ヲ水ニ煎ジテ,氷片少シ許リヲ入レテ時々之レヲ漱(スス)グ.
△按ズルニ,貫衆ハ俗ニ云フ山草(一名歯朶,-名穂長,一名裏白),大小ノ二種有リ.大ナル者ハ葉ノ長サ二尺余,小ナル者一尺許リ,蕨及ビ狗脊ニ似テ,葉柔薄.面青,背白.四時死(カレ)ズ.(蕨・狗脊ハ則チ冬枯ル) 茎幹三ツ稜ニ,堅ク勁ク,褐色.根ハ曲リテ嘴ノ如ク,黒キ鬚有リ.若シ人家ノ園中ニ之レヲ植ウルモ育タズ,実ニ山草ナリ.歯朶,穂長,裏白ノ名皆形状ニ拠ル.以ッテ元旦嘉祝ノ物ニ飾ル.蓋シ長生不老ノ義ヲ取ルカ.一種ニ石長生(加豆倍良草**)有リ,形ハ貫衆ニ似タリ.(石草類ニ見ユ)」と,一種はウラジロを云っているようだ.(上図,左)
*軽粉:水銀.加豆倍良草**:かつべらそう,イノモトソウ科の常緑多年草 一説にハコネシダ?
★小野蘭山『本草綱目啓蒙『本草綱目啓蒙 巻之八 草之一 山草類上』(1803-1806)
「狗脊 〔一名〕狘奴(掇耕録)
和産、詳ナラズ。舶来、金毛狗育、上品ナリ。薬用ニ人ベシ。根長サ六七寸ヨリ一尺二至ル。潤サ二寸許、短枝左右テ出テ曲リ、獣ノ背骨ノ如シ。其枝ハ葉ノ出タル茎ノ本ノ残リタルナリ。根モ枝モ色黒クシテ根ニハ短キ金毛茸茸トシテ黄●(=犭+由)(テン)皮ノ如シ。和産、奥州南部ニアリ云。然レドモ未ダ其苗ヲ見ズ。」
「貫衆 ヤマソデツ(同名アリ) ホソバキジノヲ 〔一名〕牛高非(郷藥本草)
山中渓側或ハ深林陰処ニ生ズ。一根数葉ヲ生ズ。一葉ノ形、数十ノ細長葉、一茎ニ排生シテ一大葉ヲナス。長サ三尺、周辺ニ細鋸歯アリ、深緑色。夏月、別ニ葉ノ形ノ如キ者両三茎ヲ生ズ。鉄蕉(ソデツ)葉ニ似テ繊細柔軟、即其花也。板ハ鳥頭ノ形ノ如クニシテ黒色徴褐。一種キジノヲ一名トラノヲ(同名多シ)葉ハ相似テ潤ク鋸歯ナシ。又紫藤(フジ)葉ニ似テ堅ク厚ク、面深緑色、背ハ浅クシテ小金星多ク生ジ、虫卵ノツケルガ如シ。是即其花ナリ。根ノ形相似テ褐毛アリ。一種ムカデグサ一名ヤブソデツ ヲサバ イハシボネ 葉ノ形、番蕉葉ニ似テ薄ク軟ク黄緑色、新葉ハ徴紅ニシテ美シ。数葉地ニ就テ科ヲナス。夏月、花ヲ生ズ。亦葉ノ形ニ異ナラズ。只精細クシテ厚シ。根ノ形ハ、キヂノヲニ同クシテ小ナリ。市中ニ鬻グ者ハ皆和産ノミ.古ハ、ムカデグサノ根ヲ鬻グ。今ハ、キヂノヲノ根ヲ売。稀ニ古渡アリ。根色黒ヲ帯ルコト、ヤマソデツノ根ニ同ジ。故ニヤマソデツヲ真ノ貫衆トス。然レドモ此品未ダ薬舗ニ出(イデ)ズ。」
カラスノエンドウの記事 終了
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