最初に植物として「薇」の文字が現れた和書は,『風土記』と考えられる.全文検索で調べた限りにおいては,『古事記』にも『日本書紀』にも「薇」は現われない.『出雲風土記』においては,「薇」はワラビを,一方「貫衆」はゼンマイを表わしたと考えられる.
『風土記』撰進の命令が下ったのは,元明天皇の世,和銅六年(七一三年)五月二日であった.『続日本紀』は「(和銅六年)五月甲子。畿内・七道の諸国は、(一)郡・郷の名は好字を著け、(二)その郡内に生ずるところの、銀銅・彩色・草木・禽獣・魚虫等の物は、つぶさにその品目を録し、及び(三)土地の沃瘠、(四)山川原野の名号の所由、また(五)古老相伝の旧聞・異事は、史籍に載せて言上せよ。」(原漢文)と伝えている.
現在殆んど完本に近い状態でその内容が伝えられているのは,『出雲國風土記』のみで,完成は勅令の20年後,天平五年(733年)との後記がある.この風土記は,完成が他の風土記より大分遅れ,勅令後20年後である事や,内容や記述の順序が必ずしも勅令に合致していないため,第二版ではないかとも考えられている.この『出雲國風土記』では,国の九つの郡それぞれに「凡諸山野所在草木」と,記述に価する自然産物,主に植物や動物が記載され,また,いくつかの嶋にも生育・生息する動植物が記録されている.
旧松江桑原家所蔵『出雲風土記抄』岸崎時照(天和三年-1683-自序) 島根大学図書館 (SUL) 公開画像より部分引用 |
一方,木下武司は★『万葉植物文化誌』八坂書房(2010)の「わらび (和良批)」の章で,「蕨という名は、奈良時代に成立したとされる最古の風土記『出雲國風土記』「意宇郡」の条に「羽嶋 椿、比佐木、多年木、蕨、薺頭蒿有り」と出てくる。平安中期の『和名抄』では「爾雅注云 薇蕨 徴厥二音 和良比 初生無実而可食之」とあり、薇蕨を漢名とするが、『出雲國風土記』の「秋鹿郡」の条にも薇蕨の名がある。しかし、同風土記では蕨の名が別出するから、「薇と蕨」の意であって『和名抄』とは意味が異なることに留意しなければならない。」と記して,薇はゼンマイと解している.
また,貫衆は上記三成書*では「ヤブソテツ」or「オニワラビ」としているが,井上俊の★『いにしえの草木』羽衣出版 (2010) では「オニヤブソテツ」と考定していて「実用性はありませんが、目立つので記されたのでしょう。」といっている.
しかし,「薇」をゼンマイとする読みが確認できるのは,『和名抄』(931 - 938)よりずっと後なので,「薇」も「蕨」も「薇蕨」もワラビと訓じるのが正しいと思われる.また,この「凡諸山野所在草木」には,薬用・食用・建築材料として有用な植物しか記載されていないので,もう一つのシダ科の植物「貫衆」がゼンマイであろうか.
約200年後の927年に編纂が開始された★『延喜式 卷第卅七 典藥寮』の『諸國進年料雜藥』の項には,各国から朝廷に貢進されている多くの薬草が記載されているが,その中には「薇」も「蕨」も「薇蕨」も入っていない.しかし,『卷第卅九 正親司、內膳司』の『漬年料雜菜』には,「蕨二石,【料鹽一斗。】薺蒿一石五斗,【料鹽六升。】(以下略)」とあり,ワラビは朝廷でも漬物として蓄えられ食卓に供されていた.
一方「貫衆」は『諸國進年料雜藥』の項で「山陽道播磨國」より貢進されている藥草,五十三種の内に「松脂、厚朴、貫眾各五斤」とあり,薬用に供されていた.
木村康一,木村孟淳著★『原色日本薬用植物図鑑』保育社 (1981) で,「従来日本では貫衆をヤブソテツ Cyrtomium fortunei J. SM. (=Polystichum fortunei NAKAI) とするがヤブソテツには駆虫作用はなく,薬用にはならない。中国では,オシダのほか,クサソテツ Matteuccia struthiopteris TODARO, ゼンマイ Osmunda japonica THUNB.,Lunathyrium acrostichoides CHING,Brainia insignis J. SM.,Blechnam orientale L.,オオカグマ Woodwandia japonica SW.などを貫衆として用いており,地域的にはまだほかに数種あげることができ,原植物は一定していない。」とあり,駆虫剤の「貫衆(貫眾)」として,ゼンマイの根も起源であることを記している.
*秋本喜郎『日本古典文學大系2 風土記』岩波書店(1958),吉野裕『東洋文庫145 風土記』平凡社(1969),荻原千鶴『出雲国風土記』講談社(1999)
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