2019年9月28日土曜日

イチハツ-11 和-9 屋根の上のイチハツ (1) 花譜・豊國紀行・花壇地錦抄・大和本草・廣益地錦抄・誹諧名知折・増訂草木図説・俳句・鏡花『春昼』・露伴『花のいろいろ』


Iris tectorum
西山御殿の屋根棟のイチハツ
西山荘は,日本の茨城県常陸太田市にある水戸藩二代藩主徳川光圀の隠居所である.国の史跡及び名勝に指定されている.
元禄3年(1690年)に建設され,隠居した光圀が同4年(1691年)から同13年(1700年)に亡くなるまで過ごした.光圀はここで歴史書『大日本史』の編纂に尽力した.当時の建物は文化14年(1817年)の野火によって焼失し,現存するのは文政2年(1819年)に八代藩主・齊脩によって再建されたもの.

 原産地中国の本草書,園芸書には「高阜墻頭を好み墻頭草の名もある」とは記されているが,屋根の上にイチハツを生やしているか否かは,定かではない.日本のようには葺・藁葺の草ぶき屋根が多くはなかったためであろうか.

 一方日本では,江戸時代以前から草ぶき屋根の棟に鳶尾を植えていて,本草学者や園芸家の眼を引いていた.また,ひなびた草ぶき屋根の上の鮮やかな緑の葉と,風に翻る紺碧の花弁は,文学者に感興を与え,俳句や随筆にも取り込まれた.

★貝原益軒の『花譜 (1694) の「中巻 三月」に
鳶尾(いちはつ)           是かきつばなの類なり。関東にはこれを屋の棟にうふ。大風に萱屋(かやや)乃棟を吹きあらされじとなり。」とあり,茅葺屋根の保持材として,使われていることを知っていたが,実用的な価値よりも,むしろ咒として植えていると考えていたようだ.

★貝原益軒の大分地方の旅行記『豊國紀行』は元禄七年 (1694) の旅の記であるが,それには,
「別府のあたりには家のむねにしばをおき、いちは(ち)と云花草をうへで、風のむねを破るをふせぐ。武蔵國にあるがことし。風烈しさゆへと(思る)。家毎にみなかくのごとし。」とあり,花譜に記した関東のみならず,別府地方でもイチハツを屋根の棟に植える風習がある事を記した.

★貝原益軒『大和本草(1709) の,「草之三 花草類」にも,
紫羅傘(イチハツ)(中略)民家茅屋ノ棟ニイチハツヲウヘテ大風ノ防トス風イラカヲ不破 (以下略)」と,前著の二冊と同様,茅葺屋根の棟に植えて,大風の被害を防ぐとある.

★伊藤伊兵衛(四代)政武著・画『廣益地錦抄(1719) は花卉だけではなく,有用な植物を記録した書だが,その「巻之五 藥草五十七種」には,
鳶尾(ゑんひ) (中略)此草萱(かや)家(ヤ)の棟(ムネ)に芝(シバ)を敷(シキ)て三尺の間に一本つゝ植ハ段々根はひこりて後ハみな鳶尾のばかりからみ
百歳を經(ヘ)ても棟(ムネ)を損(ソン)せす」とあり,茅葺屋根の棟に芝を敷いた中にイチハツを植えると,根をはびこらせて絡み付き合い棟を守ると,咒や縁起担ぎではなく,イチハツの性質を利用していると,庭師としての注意深い観察から,科学的な説明をしているのが注目される.

俳人の為の植物図鑑★谷素外編・北尾重政画『誹諧名知折(はいかいなのしおり)』(1781) には,浮世絵師北尾重政の絵で,花ばかりではなく,葉や蕾なども美しく描かれた「紫羅傘 イチハツ 花紫 田家此草を屋上にうゆる」とある.例句は岩槻の何□の句
「紫羅傘 いちはつや根強き棟の百姓家」
が掲げられいて,草ぶき屋根の上に植えられ,強い根で屋根を守るイチハツが詠われている.

★牧野富太郎が飯沼慾斎の「草木図説」を増補・改定した『増訂草木図説 1-4』(1907-22)の「草部 巻二」のイチハツの項には,慾斎の記述文の後ろに
○第二圖版 Plate II.
イチハツ  鳶尾
Iris tectrorum Maxim.
アヤメ科(鳶尾科) Iridaceae
[補]本種ハ予ハ未ダ我邦ニ於テ野生セルアリヲ見ズ.タヾ諸州ニ栽植セラルヽアルヲ知ルノミ.泰西学者本種ノ武州横濱附近ノ原野ニ自生スルアルヲ言フモノアリト雖ドモ,此ノ如キ事實蓋シ之レナルカルベシ,而シテ往々之ヲ藁ヲ以テ葺キタル人家ノ屋脊ニ植ウルヲ見ル.種名 tectrrum (屋葢ノ義)ノ生ゼシ所以ナリ,(中略)叉支那ニ産ス(牧野)」とある.

近代の俳人の★俳句としては
一八の屋根並びたる小村かな  子規
わら家根や一八咲いて橋の下  鬼城
一八の屋根の藁家の灯りけり  石鼎
いちはつの花すぎにける屋根並ぶ        秋櫻子
一八の東海道も戸塚かな                       鳴雪
一八の屋根に鶏なく真昼かな  破笛

★幸田露伴『花のいろ/\』(「新小説」1898(明治31)年3月号 7月号に「百花譜」と題し掲載)
「胡蝶花
 しやが、鳶尾草(いちはつ)は同じ類なり。相模、上野あたりにて見かくる事多し。射干(ひあふぎ)にも似、菖蒲(あやめ)にも似たる葉のさま、燕子花(かきつばた)に似たる花のかたち、取り出でゝ云ふべきものにもあらねど、さて捨てがたき風情あり。雨の後など古き茅屋(かやや)の棟に咲ける、おもしろからずや。すべて花は家の主人(あるじ)が眼の前に植ゑらるゝが多きに、此花ばかりは頭の上に植ゑらるゝこと多きも、あやしき花の徳といふものにや。おもへばをかし。」

★泉鏡花『春昼』(「新小説」1906(明治39)年11月)
「三   悚然(ぞっ)として、向直(むきなお)ると、突当(つきあた)りが、樹の枝から梢(こずえ)の葉へ搦(から)んだような石段で、上に、茅(かや)ぶきの堂の屋根が、目近(まぢか)な一朶(いちだ)の雲かと見える。棟(むね)に咲いた紫羅傘(いちはつ)の花の紫も手に取るばかり、峰のみどりの黒髪(くろかみ)にさしかざされた装(よそおい)の、それが久能谷(くのや)の観音堂(かんおんどう)。」
逗子駅から、歩いて15分ほどの岩殿寺(がんでんじ)の観音堂の明治の頃の情景.茅葺き屋根だったが,昭和六十三年に修理工事が行われ、現在は銅版葺.

神奈川では,屋根に植えられることが多かったためか,地方名は「ヤネショウブ」.

2019年9月27日金曜日

イチハツ-10,漢-3(仮)鳶尾,紫胡蝶,紫羅欄,墻頭草,射幹.芥子園画伝,秘傳花鏡,佩文齋廣群芳譜,小山画譜,植物名實圖考

Iris tectorum
王槩『芥子園画伝』和刻版

 イチハツは中国画譜の『芥子園画伝』や『小山画譜』に取り上げられ,紫胡蝶の名で詩と共に描かれ,絵手本とされている.
 中国園芸書の『秘傳花鏡』には,紫羅欄の名で収載され,蝴蝶花(今言うシャガ)に葉や花のつくりが似ているとされ,また高阜墻頭を好み,墻頭草の名もあると,高い阜(おか)や墻(かき)の背に育つとされている.佩文齋廣群芳譜』にも墻頭草の名はあり,さらに花はナツズイセンのそれに似て,4月に咲き愛すべしとある.
 中国植物図譜の『植物名實圖考』では,毒草の部にカテゴライズされ,三月に開花し,根が民間薬として用いられるとする.
 現代中国でも射干(ヒオウギ)の根が「射幹」として,鳶尾(イチハツ)の根が「川射幹」として流通している.

★王槩(おうがい)『芥子園画伝(かいしえんがでん)』(1679,序)
初集は李流芳の画譜をもとに,南京在住の絵師王槩が大幅に増補し,文章をつけて編集した山水樹石画譜で,1679年に刊行された.全五巻本,李漁序.巻五に名をとどめる王槩・王臬兄弟,王楫,孫肇功,陳淏(扶揺)は,康煕年間に同じく南京において刊行された短編小説集『西湖佳話』の図版にも名が見えるのみならず,作風のうえでも共通するところがあり,両書がともにこれらの人々の関与によって制作されたものであることを示している.二集は王槩とその兄弟が共同編集した蘭竹菊梅画譜で1701年刊.4巻本.三集も王槩とその兄弟が共同編集した花鳥画譜で同じく1701年刊.
元来絵師の技術は,門外不出だったので,それを一般に広め,また統一的な描き方の無かった絵画技術を整理するために,解説文と挿絵を用いた書物であったので歓迎され何度も出版された.
日本にも元禄年間(1688年-1704年)に渡来しており,寛延年代(1748年ごろ)以来,日本でも翻刻本が何度も出版され,多くの図が大岡春ト(1680 - 1763)の『明朝紫硯』(1746) に摸刻されている.(http://hanamoriyashiki.blogspot.com/2019/08/3-3.html)
その第三集の「青在堂草蟲花卉譜下冊」に,イチハツの圖が「紫胡蝶 倣張奇畫・黄虞山人句」として収められている(冒頭図).
なお,図は王安節 摸古,出版は京都 五車楼の版(出版年代不明).NDLの公開デジタル画像より引用.

★陳淏子『秘傳花鏡』(1688).陳淏子(ちん こうし.1612 - 没年不明)は中国.清代の博物学者.園芸家.浙江省杭州の人.字は扶揺.号は西湖花隠翁.経歴は知られていない.
晩年杭州の西湖の湖畔に住み多くの花草果木を育てた.1688年.77歳の時に刊行した『秘傳花鏡』は花木・花草の種類.栽培法と.鳥・獣・魚・昆虫の飼育法を述べた書物
その「五 花草類攷」には
           蝴蝶花
蝴蝶花類射干。一名烏音設葉如蒲而短闊。其花六
出。儼若蝶狀。黄瓣上有赤色細點。白瓣上有黄赤細
點中抽一心。心外黄鬚三莖繞之。春末開花。多不結
實。至秋分種高處易活。壅以鶏糞則肥。

紫羅欄
紫羅欄。俗名墻頭草。一名高良姜。葉似蝴蝶草。而更
濶嫩。四月中發花青蓮色。其辧亦類蝴蝶花。大而起
薹紫翠奪目可愛。秋分後分栽。性喜高阜墻頭種則
易茂。」とある.
引用図は康煕27 [1688] 序版(NDLの公開デジタル画像より引用)

★汪灝・張逸少・汪・黃龍睂等『佩文齋廣群芳譜』(1708)は,明の王象晉の著書『二如亭群芳譜』を基に,改編擴充した百卷からなる園芸書.その,「巻五十二 花譜」には
           紫羅襴
*〔草花譜〕紫羅襴,草本,色紫翠,如鹿蔥**花,秋深分本栽
種,四月發花,可愛.」とある.
*増:二如亭群芳譜に追加した項目
**鹿蔥:ナツズイセン,Lycoris squamigera Maxim.
引用図は1868(姑蘇亦西齋藏版 NDLの公開デジタル画像より引用)

清の政治家、画家、学者の★鄒一桂1686-1772)『小山画譜』の「巻之上」には
「 紫蝴蝶
濶葉抽莖幹上生枝陸續開放紫花九瓣作三
臺大瓣三有紫中起一墻如鋸白質而紅
小瓣三無其大瓣之上另擎出三瓣狹小而
拳白色紅筋此花宜栽髙處喜日色土墻上多
有之俗謂之墻頭草」とある.本来ならば図があるのだが,NETで見る事の出来る文献では確認できなかった.

この和刻版 1864 山城屋佐兵衛刊『小山畫譜』(卷上)では,
「 紫蝴蝶 イチハツ ヤツハシ 鳶尾 花薑 紫羅欄
-葉抽莖。幹-上生枝。陸續-花。紫-花九瓣。作-
。大--中起-鋸。白-質而紅-
-瓣三。無其大-瓣之上。另擎-二出三瓣。狹-小而
拳。白色紅-筋。此花宜髙處。喜-。土-墻上多
之。俗謂之墻--。 四月中発花
と「イチハツ ヤツハシ」の和名が追加されている.ヤツハシは薩州の地方名(本草綱目啓蒙,諧季寄これこれ草).
図はNDLの公開デジタル画像より引用
なお,「各花異名引證書目」によれば,参照文献の,:本草啓蒙, :廣東新語, :秘傳花鏡である.

清末★呉其濬著の『植物名實圖考』三八巻 (1848) は,薬草のみならず植物全般を対象とした中国初の本草書として名高い.『図考』には実物に接して描いた,かつて中国本草になかった写実的図もある.
その「二十四 毒草」には,
鳶尾
鳶尾本經下品唐本草花紫碧色根似高良薑此即今之紫蝴
蝶也花鏡謂之紫羅欄誤以其根爲即高良薑三月開花俗亦
呼扁竹李時珍以爲射干之苗今俗醫多仍之」と
鳶尾を射干(ヒオウギ)の苗とする李時珍の説は,この時代でも俗醫の間では流布されているとある.
図はInternet Archives より.

現代中国でも射干(ヒオウギ)の根が「射幹」として,鳶尾(イチハツ)の根が「川射幹」として流通している.

射幹,烏扇
【藥理作用】        抗病毒作用,抗炎解熱作用。
【性味功能】        苦,寒,有毒。解毒利咽,清熱化痰,散熱消結。
【主治用法】        咽喉腫痛,咳逆上氣,痰涎壅盛,瘰鬁結核,瘧母,閉經,癰腫瘡毒。: 煎湯,0.8-1.5錢;入散劑或鮮用搗汁。外用: 研末吹喉或調敷。

川射幹,鳶尾,烏鳶
【藥理作用】        消炎作用。
【性味功能】        辛、苦,寒,有毒。消積,破瘀,行水,解毒。
【主治用法】        食滯脹滿,癥瘕積聚,脹,腫毒,痔瘺,跌打損傷。: 煎湯,0.3-1錢;或研末。外用: 搗敷。

2019年9月22日日曜日

イチハツ-9,漢-2(仮) 鳶尾,射干,本草綱目,頭註国訳本草綱目

Iris tectorum, Iris domestica

 李時珍『本草綱目』(1596) は,中国本草学の集大成であり、1871種の薬種を収録していて,日本の本草学(博物学)にも大きな影響を与えた.時珍はそれまでの本草書のまとめにその本領を発揮し,実際の薬種を観察・研究することには疎かった.この書は,刊行の八年後の 1604年には日本に渡来したとの記録があり,1637年に初の和刻本が出るなど,日本の本草学の教科書となり,多くの版本が出た.
 この中で時珍は,張揖の『廣雅』に「鳶尾は射干なり」とあり,また土宿真君の『造化指南』に「射干、即ち扁竹である。花の紫なる一種と、花の黄なる一種と、花の碧色なる一種とあつて、云々」とあるのを引用し,「鳶尾」と「射干(今云ヒオウギ)」は,あたかも「牡丹、芍藥、菊花の類は色がさまざま異つても、いづれも同一種屬であるやうなものである。」と,また「鳶尾は射干の苗で肥えた地に育って大きいものを射干,痩せた地に生えたものを鳶尾と言っている.」と言い切っている.
 日本の本草家達も金科玉条としていた『本草綱目』に従い,両者を同一種とみなしていたが,江戸後期になると,松平君山(『本草正譌』1776や,小野蘭山(『大和本草批正』)のように,これに異議を唱える本草家も出てきた.(Blog-34 参照)

()李時珍『本草綱目』の「第十四冊(第十七巻)草之六 毒草類 四十七種」には,それまでの本草書を引き継いで「射干」と「鳶尾」が一応別条で記載されているが,図は「射干鳶尾」と一つで,同一種とみなしている.
(圖 ()李時珍撰, ()李建中/図『金陵版本草綱目』万暦十八(1590),出版者:胡承竜)(NDL デジタル公開画像より引用)
磯野直秀によると,「この金陵本は伝本が少なく、現存の完本(多少の補写を含む)は世界で7点だけだが、うち4点が日本にある。所蔵館は、1.国立国会図書館(本資料)、2.東洋文庫、3.公文書館内閣文庫、4.東北大学附属図書館狩野文庫。」)
射干 本經 下品
【釋名】烏扇 本經烏翣 別錄烏吹 別錄烏蒲 本經鳳翼 拾遺鬼扇 土宿扁竹 綱目
仙人掌 土宿紫金牛 土宿野萱花 綱目草薑 別錄黄遠 呉普 (弘景曰)射干方書多音夜.
(頌曰)射干之形,莖梗疏長,正如射人長竿之狀,得名由此爾.
而陶氏以夜音為疑,蓋古字音多通呼,若漢官仆射,主射事,
而亦音夜,非有別義也.時珍曰其葉叢生,橫鋪一面,如烏翅
及扇之狀,故有烏扇,烏翣,鳳翼,鬼扇,仙人掌諸名.俗呼扁竹,
謂其葉扁生而根如竹也.根葉又如
蠻薑,故曰草薑.翣音所甲切扇也.
【集解】(別錄曰)射干生南陽山谷田野.三月三日采根,陰乾. (弘
景曰此是烏翣根,黃色,庭台多種之.人言其葉是鳶尾,
而復有鳶頭,此若相似爾,恐非烏翣也.又別有射干,相似而
花白莖長,似射人之執竿者.故阮公詩云射干臨層城. 此不
入藥用.(恭曰)鳶尾葉都似射干,而花紫碧色,不抽高莖,根似
高良薑而肉白,名鳶頭.保升曰射干高二,三尺,花黃實黑.根
多鬚,皮黃黑,肉黃赤.所在皆有,二月,八月採根,去皮日乾.(
器曰)射干,鳶尾二物相似,人多不分.射干即人間所種為花
卉名鳳翼者,葉如鳥翅,秋生紅花,赤點.鳶尾亦人間所種,苗
低下於射干,狀如鳶尾,夏生紫碧花者是也. (大明曰)射干根
潤,形似高良薑大小,赤黃色淡硬,五六七八月採. (頌曰)今在
處有之.人家種之,春生苗,高一,二尺.葉大類蠻薑,而狹長橫
張,疏如翅羽狀,故名烏 .葉中抽莖,似萱草莖而強硬.六月
開花,黃紅色,瓣上有細紋.秋結實作房中子黑色.一
射干多生山崖之間,其莖雖細小,亦類木.故荀子云西方有木,名
曰射干,莖長四寸,生於高山之上,是也.陶弘景所花白者,
自是射干之類.(震亨曰)根為射干,葉為烏翣,紫花者,是紅花
者非. (機曰)按諸注則射干非一種,有花白者,花黃者,花紫者,
花紅者.丹溪獨取紫花者,必曾試有驗也.(時珍曰)射干即今
扁竹也.今人所種,多是紫花者,呼為紫蝴蝶.其花三,四月開,
六出,大如萱花.結房大如拇指,頗似泡桐子,一房四隔,一隔
十餘子.子大如胡椒而色紫,極硬,咬之不破.七月始枯.陶弘
景謂射干,鳶尾是一種.蘇恭,陳藏器謂紫碧花者是鳶尾,紅
花者是射干.韓保升謂黃花者是射干.蘇頌謂花紅黃者是
射干,白花者亦其類.朱震亨謂紫花者是射干,紅花者非.各
執一,何以憑依謹按,張揖廣雅云鳶尾,射干也*1易通卦驗
云,冬至射干生.土宿真君本草云射干即扁竹.葉扁生如側
手掌形.莖亦如之,青綠色.一種紫花,一種黃花,一種碧花.多
生江南,湖廣,川,浙平陸間.八月取汁,煮雄黃,伏雌黃,製丹砂,
能拒火.據此則鳶尾,射干本是一類,但花色不同.正如牡丹,
芍藥,菊花之類,其色各異,皆是同屬也.大抵入藥功不相遠.
○(藏器曰)射干之名有三佛經射干貂+≫此是惡獸,似青黃
狗,食人,能緣木,阮公云,射干臨層城者,是樹,殊
有高大者,本草射干是草,即今人所種者也.

根【修治】(斅曰)凡采根,先以米泔水浸一宿,漉出,
然後以□≪の草冠を竹冠に≫竹葉煮之,從午至亥,日乾用.
【氣味】苦,平,有毒.(別錄曰)微溫.久服令人虛.(保升曰)微寒.(權曰)
有小毒. (元素曰)苦,陽中陰也.(時珍曰)寒.多服瀉人.
(以下略)」とあり,次條に


鳶尾 本經 下品
【釋名】烏園 本經根名鳶頭.(時珍曰)並以形命
名.烏園當作烏鳶.
【集解】(別錄曰)鳶尾,生九嶷山谷.五月採.(弘景曰)方家言是射
干苗,而主療亦異,當別是一種.方用鳶頭,當是其根,療
體相似,而本草不題.(恭曰此草所在有之,人家亦種.葉似射
干而闊短,不抽長莖,花紫碧色.根似高良薑,皮黄肉白嚼之
戟人咽喉興射于全別射于花紅抽莖長根黄有臼.(保升曰)
草名鳶尾,根名鳶頭,亦謂之鳶根.葉似射干,布地生.黑根似
高良薑而節大,數個相連.九月,十月採根,日乾.(時珍曰此即
射干之苗,非別一種也.肥地者莖長根粗,瘠地者莖短根瘦.
其花自有數色.諸家皆是強分.陳延之小品方
言東海鳶頭即由跋者,亦訛也.東海出之故耳
【氣味】苦,平,有毒.(恭曰)有小毒
(以下略)」とある.

★白井光太郎監修『頭註国訳本草綱目』鈴木真海(翻訳)(1929)春陽堂 には,和訳として
射干(本經下品)         和名       ひあふぎ
      學名       Belamcanda chinensis Linn..
      科名       アヤメ科(鳶尾科)

【釋名】烏扇(本經) 烏翣(別錄) 烏吹(別錄) 烏蒲(本經) 鳳翼 (拾遺) 鬼扇(土宿) 扁竹(綱目) 仙人掌(土宿) 紫金牛(土宿) 野萱花(綱目) 草薑(別錄)黄遠(呉普) 弘景曰く、射干は、方書には多く射を夜(ヤ)と發音してある。
く、射干はその形狀が莖、梗がまばらで長く、さながら射る矢の長竿(ちやうかん)のやうだ。名稱は此から起つたのである。然るに、陶氏は夜の發音を疑問としてゐるが、蓋し古は字の音を多くは通じて發音したもので、漢時代の官名僕射(ぼくや)は、射(しや)に關する事務を主(つかさど)つたものだが、やはり音を夜(や)と發音した。格別意義のあるわけではない。
時珍曰く、其葉は叢生して橫に一面に鋪(し)き、烏の翅や扇などの形のやうだ。故に烏扇、烏翣、鳳翼、鬼扇、仙人掌などの諸名がある。俗に扁竹と呼ぶは、その葉が扁で根が竹のやうだといふ形容だ。根、葉はまた蠻薑のやうでもあるところから草薑といふ。〇翣の音は所申の切、扇(セン)と發音する。
【集解】別錄に曰く射干(やかん)は南陽の山谷、田野に生ずる。三月三日に根を採つて陰乾する。
弘景曰くこれは烏翣のことで、根は黃色だ。庭や築山などに多く種(う)ゑてある。世間ではその葉を鳶尾(えんび)だといふが、鳶いふ草が別にある。良く似ているといふだけだ。恐らく烏翣(うせん)とは違ふ。又別に射干といふものがある、良く似たものだが、
花が白く莖が長く、射手が箭をつがえへて立つた状態に似たものだ。故に阮公の詩に、『射干層城に臨む』といふ句がある。これは薬には入れない
曰く、鳶尾は、葉は全て射干に似ているが、花が紫碧色で、高い莖は抽き出さない。根は高良薑(かうりやうきやう)に似て肉は白い。これを鳶頭と名ける。
保升曰く,射干は高さ二三尺、花は黃色、實は黑色、根は鬚が多く、皮が黃黑で肉が黃赤だ。所在いづれにもある。二月、八月に根を採り、皮を去つて日光で乾す。
藏器曰く、射干、鳶尾の二物はよく似てゐるので、一般には多くは區別せぬが射干は世間で花草として種ゑる鳳翼と名けるものだ。葉は鳥の翅のやうで、秋、赤點のある紅色の花を着ける。鳶尾はこれも世間で種ゑるもので、苗の高さは射干より低く、形狀が鳶の尾のやうで、夏、紫碧色の花を着けるものがそれだ。
大明曰く、射干の根は潤ふたもので、形狀は高良薑に似てゐる。大、小があり、赤黃色で淡(うす)く硬い。五、六、七、八月に採収する。
曰く、今は方方にあつて、人家で種ゑてゐる。春、苗が生え、高さは一、二尺、葉は大いに蠻薑(ばんきやう)に類して狹く長く、橫に疏(まば)らに張つて翅羽の形狀のやうだ、故に烏翣と名ける。葉の中から抽き出る莖が萱草(くわんさう)の莖に似て強硬だ。六月花を開く、その花は黃紅色で、瓣の上に細紋がある。秋、房になつた實を結ぶ。その中の子は黑色だ。一射干は多く山崖の間に生ずる。その莖は細小ではあるが木に類したものだ。故に荀子に『西方に木あり、名けて射干(やかん)といふ。莖の長さ四寸、高山の上に生ず』、とあるがそれだともいふ。陶弘景所花の白いものといふは、やはり射干の類である。
震亨曰く、根を射干といひ、葉を烏翣といふ。紫花のものが正しい。紅花のものは違ふ。
曰く、按ずるに、諸家の注に據れば、花の白いもの、花の黃なるもの、花の紫なるもの、花の紅いものなどあつて、射干なるものは一種ではないが、丹溪は獨り紫花のものを採用した。必ず曾て實驗上効果を認(みと)めたものであらう。
時珍曰く、射干、即ち今の扁竹である。現に一般に栽培するものは多くは紫花のもので、紫蝴蝶と呼んでゐる。その花は三四月に開き、辧が六出で、萱花ほどの大いさだ。大さ拇指ほどの房を結ぶ、頗る泡桐子(ほうとうし)に似てゐる、
その房は一個が四ツに仕切られ、一仕切りに十餘箇の子がある。子は大いさ胡椒(こせう)ほどで、色が紫で極めて硬く、咬んでも破れない。七月に始めて枯れる。陶弘景は、射干、鳶尾を同一種だといひ、蘇恭、陳藏器は花の紫碧のものが鳶尾、花の紅のものが射干だといひ。韓保昇は花の黃いろのものが射干だといひ、蘇頌は、花の紅、黃者のものが射干であつて、白花のものもやはりその類だといひ、朱震亨は、花の紫のものが射干であつて、花の紅なるものは違ふといひ、各々自説を主張するのでいづれに信據すべきかが問題だが、謹んで按ずるに、張揖の廣雅には、『鳶尾は射干なり』とあり*1易通卦驗には『冬至に射干生ず』とあり、土宿真君の本草には『射干、即ち扁竹である。葉は扁に生えて手の掌を側(そばだ)てたやうな形だ。莖もやはりその通りで青綠色だ。花の紫なる一種と、花の黄なる一種と、花の碧色なる一種とあつて、碧花のものは多く江南、湖廣、川、浙の平陸の地に生ずる。八月に取つた汁は、雄黃(うわう)を煮、雌黃(しわう)を伏し、丹砂を制し、能く火を拒(こば)む』とある。これに據れば、鳶尾、射干は、ただ花の色が不同なだけで、本來は一類のものだ。恰も牡丹、芍藥、菊花の類は色がさまざま異つても、いづれも同一種屬であるやうなものである。大抵藥に入れての功力は相遠からぬものだ。
藏器曰く、射干なる名稱のものに三種ある。佛經經典、貂(てん)□≪犭+就≫(こう)とあるそのものは青黃狗(せいわうく)に似た惡獸で、人を食い、能く木に攀ぢ登るものだ。阮公の射干層域に臨むといふ射干は樹木であつて、殊に高大なるものもある。本草にいふ射干は草で
あつて、現に一般に栽培しつつあるものだ。

根〔修治]斅曰く,凡その根を採つたならば,先づ米泔水に一夜浸して漉出し,然る後に,□の草冠を竹冠に≫竹葉(きんちくえふ)を用いて正午から午後十二時まで煮て,日光で乾して用ゐる。
〔氣味〕【苦し,平にして毒あり】別錄に曰く,微溫なり。久しく服すれば人をして虛せしめる。保升曰く微寒なり。權曰く小毒ある。元素曰く,苦し,陽中
の陰である。 時珍曰く寒なり。多く服すれば人をして瀉せしめる。」とある.

*1 中国三国時代の字書,魏の張揖撰『廣雅』(全十巻)の「卷十 釋草」に「鳶(専悅)尾鳥蓮(夾所)射干也」とある
*2 『造化指南』は明の土宿真君が書いた本草書で,15世紀以前の著作である.現在は散逸して引用文のみ残る.時珍によれば,三十三篇で載靈草五十三種が収載されている.

また,次條には,
鳶尾(一)(本經下品)    和名 いちはつ
   學名 Iris tectorum Maxim.
   科名 あやめ科(鳶尾科)

【釋名】烏園(別錄)根を鳶頭と名ける。時珍曰く,いづれもその形狀に對して命名したもので,烏園は烏鳶(うえん)と書くが正しい。
【集解】別錄に曰く烏鳶は九疑(きゅうぎ)の山谷に生ずる。五月に採取する。弘景く,方家ではこれは射干の苗だといふが,主たる治療上の効力に異るところがあるのだから,これは別種の植物であるやうに思ふ。方に『鳶頭を用う』とあるは,其根を用ゐるといふことらしい.療體が似てゐるので,本草には取別けて掲載しなかつたのだ。
く,この草は所在にあつて,一般民家でも栽培する.葉は射干に似て闊(ひろ)く短く,長莖は抽き出ない.花は紫碧色だ。根は高良薑に似て,皮が黃で肉が白く,嚼(か)めば咽喉を刺戟する.射于とは全く別者だ.射于は,花が紅く,莖が抽き出て長く,根は黃にして臼がある.
保升く,草を鳶尾と名ける,根を鳶頭と名け,また鳶根ともいふ。葉は射干に似て,地に布(し)いて生え,根は黑く,高良薑に似て節が大きく,數個相連つてゐる。九月、十月に根を採つて,日光で乾す。
時珍く,これは射干の苗のことだ,別の一種ではないのであつて,肥えたのものは莖が長くて根が粗く,瘠せた土地のものは莖が短くて根が瘦せてゐるのだ.
その花には自から數色ある。それで学者達がいづれも強いて區別を試みたのだ。陳延之の小品方に『東海鳶頭といふのは由跋のことだ』とあるが,やはり訛(あやまり)だ。東海にこの物が産するからかく呼ぶに過ぎない.
【氣味】苦し平にして毒あり。恭曰小毒あり。
【主治】蠱毒邪氣,鬼疰,諸毒.癥瘕(ちょうか),積聚を破り,水を去り,三蟲を下す(本經)。鬼魅を殺し,頭眩を療ず (別錄)。

()牧野云フ、コノ種我邦ニハ野生ハナイ多分元ト支那カラ渡セシモノナタント思フ。普通人家ニ觀賞用トシテ栽培セラレテ居ル、叉往往藁葺屋ノ脊ニ栽エラテルヲ見ル。種名ヲ tectorum (屋根ノ義)ハ之カラ出タモノデアル。」」

とある.