ナデシコの名が現れる現存の最古の文書は『出雲国風土記』天平5年(733年).出雲国の仁多(にた)郡の山野に在る有用な草木などのリストに白頭公(オキナグサ)や附子(トリカブト)と共に記載されている.勿論観賞用ではなく,薬用としての重要性が認められていた.「〔凡諸山野所在草木〕 白頭公・藍漆・藁本・玄参・百合・王不留行・薺尼・百部根・瞿麦・升麻・抜葜・黄精・地楡・附子・狼牙・離留・石斛・貫衆・續断・女委・藤・李・檜・椙・樫・松・栢・栗・柘・槻・蘗・楮。」日本の古名は 単に「なでしこ」なのだが,形状が良く似ているので,中国から入ってきた石竹の「瞿麦」(瞿-目の様な模様がついた 麦-細い葉を持つ草)の名前を適用したのであろう.
島田忠臣の著した平安前期の漢詩集,『田氏家集』(891年頃成立)の「五言,禁中瞿麥花詩,三十韻」の前文には「瞿麥一名巨句麥,子頗似麥,因名瞿麥。花紅紫赤,又有濃淡。春末初發,夏中最盛。秋冬不凋,續續開拆。窠文圓纈,異彩同葩。四時翫好,靃蘼可愛。今年初種禁籬,物得地而增美,雖有數十名花,傍若無色香耳。但古今人嘲詠知小,蓋此花生大山川谷,不在好家名處。不亦然者,何得右薔薇、左牡丹、前蘭菊、後萱草乎。花亦有時,人亦有時。人臣奉敕而賦之,前修之未能去焉。」とあり,「窠文圓纈」が花の模様のことなら,この瞿麥は石竹と考えるべきであろうが,バラや牡丹,菊に比して豪華ではないナデシコに趣を感じて,宮中に持っていってご覧に入れた様子が伺える.
やがて,枕草子に描かれたように,在来種のナデシコを中国から来た石竹(からなでしこ)と区別するため,「やまとなでしこ」と呼ぶようになった.この言葉は、素性法師 (9c.末-10c.初) の『寛平后宮歌合』(893)の時の歌「我のみや あはれと思はん 蛬(きりぎりす) なくゆふかげの やまとなでしこ」(『古今和歌集』(ca.914))に初出.一方「からなでしこ」の初出は『栄華物語』 (11c.末) という(未確認).
また,源氏物語の第4帳「夕顔」,第26帳「常夏」等の中世以前の文献に現れる「とこなつ(常夏)」は,カワラナデシコの事だが,現在は江戸時代に石竹より作出された品種,トコナツ(常夏) D. sinensis var. semperflorens=四季咲き をいう.
島田忠臣の著した平安前期の漢詩集,『田氏家集』(891年頃成立)の「五言,禁中瞿麥花詩,三十韻」の前文には「瞿麥一名巨句麥,子頗似麥,因名瞿麥。花紅紫赤,又有濃淡。春末初發,夏中最盛。秋冬不凋,續續開拆。窠文圓纈,異彩同葩。四時翫好,靃蘼可愛。今年初種禁籬,物得地而增美,雖有數十名花,傍若無色香耳。但古今人嘲詠知小,蓋此花生大山川谷,不在好家名處。不亦然者,何得右薔薇、左牡丹、前蘭菊、後萱草乎。花亦有時,人亦有時。人臣奉敕而賦之,前修之未能去焉。」とあり,「窠文圓纈」が花の模様のことなら,この瞿麥は石竹と考えるべきであろうが,バラや牡丹,菊に比して豪華ではないナデシコに趣を感じて,宮中に持っていってご覧に入れた様子が伺える.
やがて,枕草子に描かれたように,在来種のナデシコを中国から来た石竹(からなでしこ)と区別するため,「やまとなでしこ」と呼ぶようになった.この言葉は、素性法師 (9c.末-10c.初) の『寛平后宮歌合』(893)の時の歌「我のみや あはれと思はん 蛬(きりぎりす) なくゆふかげの やまとなでしこ」(『古今和歌集』(ca.914))に初出.一方「からなでしこ」の初出は『栄華物語』 (11c.末) という(未確認).
また,源氏物語の第4帳「夕顔」,第26帳「常夏」等の中世以前の文献に現れる「とこなつ(常夏)」は,カワラナデシコの事だが,現在は江戸時代に石竹より作出された品種,トコナツ(常夏) D. sinensis var. semperflorens=四季咲き をいう.
PAUL A. ROBERT “ALPINE FLOWERS” ポール・ロベール画,C. シュレター解説『アルプスの花』(1938)より Dianthus Surperbus (エゾカワラナデシコ).日本でも北海道や本州中部以北の高地で見られるこの花の苞は2対で十字に対生,カワラナデシコが3~4対なので見分けられる.右下はこの花をモチーフにした 1949 年スイス発行の青少年育成のための寄付金つき郵便切手