2011年5月29日日曜日

カワラナデシコ ミーティアミックス (2)

Dianthus superbus var. longicalycinus = long calyxクロウリハムシは白い花弁が好きなのか,単に目立って標的にされ易いのか,薄紅色のより被害はひどい.


ナデシコの名が現れる現存の最古の文書は『出雲国風土記』天平5年(733年).出雲国の仁多(にた)郡の山野に在る有用な草木などのリストに白頭公(オキナグサ)や附子(トリカブト)と共に記載されている.勿論観賞用ではなく,薬用としての重要性が認められていた.「〔凡諸山野所在草木〕 白頭公・藍漆・藁本・玄参・百合・王不留行・薺尼・百部根・瞿麦・升麻・抜葜・黄精・地楡・附子・狼牙・離留・石斛・貫衆・續断・女委・藤・李・檜・椙・樫・松・栢・栗・柘・槻・蘗・楮。」日本の古名は 単に「なでしこ」なのだが,形状が良く似ているので,中国から入ってきた石竹の「瞿麦」(-目の様な模様がついた -細い葉を持つ草)の名前を適用したのであろう.

島田忠臣の著した平安前期の漢詩集,『田氏家集』(891年頃成立)の「五言,禁中瞿麥花詩,三十韻」の前文には「瞿麥一名巨句麥,子頗似麥,因名瞿麥。花紅紫赤,又有濃淡。春末初發,夏中最盛。秋冬不凋,續續開拆。窠文圓纈,異彩同葩。四時翫好,靃蘼可愛。今年初種禁籬,物得地而增美,雖有數十名花,傍若無色香耳。但古今人嘲詠知小,蓋此花生大山川谷,不在好家名處。不亦然者,何得右薔薇、左牡丹、前蘭菊、後萱草乎。花亦有時,人亦有時。人臣奉敕而賦之,前修之未能去焉。」とあり,「窠文圓纈」が花の模様のことなら,この瞿麥は石竹と考えるべきであろうが,バラや牡丹,菊に比して豪華ではないナデシコに趣を感じて,宮中に持っていってご覧に入れた様子が伺える.

やがて,枕草子に描かれたように,在来種のナデシコを中国から来た石竹(からなでしこ)と区別するため,「やまとなでしこ」と呼ぶようになった.この言葉は、素性法師 (9c.末-10c.初) の『寛平后宮歌合』(893)の時の歌「我のみや あはれと思はん 蛬(きりぎりす) なくゆふかげの やまとなでしこ」(『古今和歌集』(ca.914))に初出.一方「からなでしこ」の初出は『栄華物語』 (11c.末) という(未確認).
また,源氏物語の第4帳「夕顔」,第26帳「常夏」等の中世以前の文献に現れる「とこなつ(常夏)」は,カワラナデシコの事だが,現在は江戸時代に石竹より作出された品種,トコナツ(常夏) D. sinensis var. semperflorens=四季咲き をいう.


PAUL A. ROBERT “ALPINE FLOWERS” ポール・ロベール画,C. シュレター解説『アルプスの花』(1938)より Dianthus Surperbus (エゾカワラナデシコ).日本でも北海道や本州中部以北の高地で見られるこの花の苞は2対で十字に対生,カワラナデシコが3~4対なので見分けられる.右下はこの花をモチーフにした 1949 年スイス発行の青少年育成のための寄付金つき郵便切手

2011年5月26日木曜日

カワラナデシコ  ミーティアミックス (1)

Dianthus superbus var. longicalycinus = long calyx古くから愛されている日本原産の花.万葉仮名では奈泥之故,奈弖之故と,また漢字では石竹,撫子,瞿麥とも記載されている.
『万葉集』にはナデシコを詠った歌が26首収載され,その多くは大伴家持の作.如何に彼がこの花に愛着していたが分かる.彼の「吾屋外尓 蒔之瞿麦何時毛 花尓咲奈武 名蘇経乍見武 我がやどに蒔きしなでしこいつしかも花に咲きなむなそへつつ見む」は観賞用草花を種から育てた最初の記録として残っている.
有名な山上憶良の秋の七草の歌「芽之花 乎花葛花 瞿麦之花 姫部志 又藤袴 朝皃之花 萩の花、尾花(をばな)、葛花(くずはな)、なでしこの花、をみなへし、また藤袴(ふぢはかま)、朝顔の花」でも知られる.

また 1001年 長保3年頃に成立した『枕草子』にはからなでしこ(石竹)と共に名が出て,「やまとのもいとめでたし」と,その可憐で繊細な美しさが賞されている.
(四二段) (前略) 少し日たけたるほどに、三位中將とは關白殿をぞ聞えし、(中略)細塗骨など、骨はかはれど、ただ赤き紙を同じなみにうちつかひ持ち給へるは、瞿麥のいみじう咲きたるにぞ、いとよく似たる。(後略)
(七〇段) 草の花は  嬰麥(なでしこ)、唐(から)のは更(さら)なり、やまとのもいとめでたし。(後略)
(一一九段) 繪にかきておとるもの  瞿麥(なでしこ)。さくら。山吹。物語にめでたしといひたる男女のかたち。(後略)
(一五五段) うつくしきもの (中略) かりの子。舎利の壺。瞿麥の花。

昨年の秋に購入して播種した,「サカタのタネ」の園芸品種ミーティア(meteor).一代交配種で株元より多く分枝し,草丈70cm以上で茎がかたくしまっているので,切花としてよいそうだが,花や蕾はクロウリハムシ Aulacophora nigripennis の好物で,完全な花は殆ど見られない.

おまけはカワラナデシコの母種,エゾカワラナデシコ Dianthus Surperbus の図譜
W Curtis “Botanical Magazine” (英)1795年 銅版手彩色

2011年5月23日月曜日

アオバナシラン(青花紫蘭)

Bletilla striata var. coerulea = Heavenly blueピントは甘いが,最も色が良く出ている画像なのでご勘弁を.シランの青花種.中国では白芨藍變種といわれている.草姿・花姿ともシロバナシランより華奢で,上がく片の垂れ下がり方は,シロバナシランより著しい.伊藤伊兵衛『増補地錦抄』(1695) 巻之六 に 「うすけい 紫らん草のうすむらさき」 と記されている「うすけい」がこれかと思われる.近くのホームセンターで2008年に購入.一時は消えたかと思っていたが,今年は数本の花茎を立てたので,紫・白・藍の三種のシランの花が見られた.
シラン属で他に観賞価値の高い花としては,アマナランBletilla formosana,台湾原産.花被は薄いピンクで唇弁には黄色のマークがあり華やか.)と,キバナショウハクキュウ,キバナシランBletilla ochracea, 中国原産.花被は黄色で唇弁は赤いマークのある白色.)が知られているが,特にアマナランは美しい.

シランの地下の白く多肉で大きな扁圧球形な球茎を白芨(びゃくきゅう,Bletillae Tuber (中)白芨)と呼び,漢方で止血,消炎,排膿薬とし,肺結核や胃潰瘍による喀血や吐血,血たんなどに各種薬方に配合して用いられ(用量:1日6~18g),外傷,腫ちょうなどには粉末を外用している.薬理実験によれば,血球を凝集して血栓を形成する止血作用がみられ,その効果がすばやくあらわれることが認められている.また胃せん孔に用いると,粘液がせん孔をふさいでしまう効果が認められている.成分としては多糖類の粘液でbletillaglucomannan,およびデンプンが知られているだけ.収穫は秋の地上茎が黄変したころがよく,掘り上げてひげ根と地上部を除き,よく洗ってほとんどすきとおって来るまで蒸し,その後かるくたたいて取れる粗皮を除き,日に当てるかまたは火力で速やかに乾燥させると「白芨」が得られる.

欧米では園芸店でシランは非常に育てやすく,地植えで葉も楽しめるランとして 'Hardy Orchid' あるいは 'Chinese Ground Orchid' の名で販売され,また白芨やその粉末も薬種店やアジア食品店で “Bletilla (bletilla powder)” として売られていて,その収斂作用を利用して痛み,潰瘍,ひび・あかぎれの治療に用いられている.

2011年5月20日金曜日

シロバナシラン(白花紫蘭)花壇地錦抄,増補地錦抄,広益地錦抄,和漢三才図会

Bletilla striata f. gebina 昨年 UP したシランの白色種.江戸時代には知られていて,紫のシランと混栽すると消えるとされている(大和本草).現在のところ,庭ではその気配はないが,繁茂している母種に比べると小型で,確かにひ弱そう.シランと異なり上がく片が垂れ下がったままでいるようだ.蕊柱の先端がやや赤紫色を帯びるのが彩りで可憐.2007年,群馬県太田市の大慶寺で購入.昨年は消えかけていたが,元気に復活. 今年は遅霜がなかったのでシラン類の花が痛まなかった.

シランの根(偽球茎)からは白及(びゃくきゅう)と呼ばれる漢方薬が取れ,植物名ともなっていたが,『広益地錦抄』によると,薬用になるのはこの白い変種(白蘭(ハクラン))とされている.

伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)花壇地錦抄 四,五 草花春の部には,
「紫蘭(しらん)葉ハささのやうにて中より花出てこいむらさき 白蘭(はくらん)葉ハしらんよりみじかく花しろし」

伊藤伊兵衛『増補地錦抄』(1695)増補地錦抄 巻之六には,
「うすけい 紫らん草のうすむらさき」

伊藤伊兵衛『広益地錦抄』 (1719年)広益地錦抄 巻之五には,
「はくきゅう(白芨)草はなにハ白蘭(ハクラン)といふ 花むらさき成ハ紫蘭(シラン)といふ 薬種にハ白花成を用ゆ」 とある.

また,寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)には左図に示すように白及は紅紫色の花をつけ,その根には止血作用など多様な薬効があると記されている.

シランは中国にも分布するが,このシロバナシランは自生しないと見えて,中国の種苗店では「日本 蘭花 Bletilla striata var alba 日本白芨 (白變種~花大~出葉藝) 稀有 野生蘭」として売っている.

2011年5月16日月曜日

メコノプシス・バイレイイ Himalayan blue poppy,ケンブリッジ大植物園

Meconopsis baileyi = Lt. Col. F M Bailey’s1911-12年にチベットのRong Chu 谷で,F. M. Baileyによって発見され,1924年にウォーデン・ボックスで知られる Frank Kingdon Ward が種子を南西チベットから英国に移入した.一般にヒマラヤの青いケシといえば本種を指し,英名もそうなっているが,主産地は中国雲南省北西部の高山地帯である.この種は過去,葉の形から M. betonicifolia という名も使われていたが,2009年に発見者の名前に由来する現在の学名に統一されるようになった(Meconopsis baileyi and M. betonicifolia - reclassification, http://www.meconopsis.org/spages/baileybeton.html).

アジア原産のメコノプシスは「ヒマラヤの青いケシ」として非常に有名であるが,分布の中心はチベットから中国西部にかけてであり、ヒマラヤはむしろ分布の辺縁域に当たる.英国を中心に栽培・園芸化されている種も中国西部産の種が多い.花色も青以外に赤・黄・白,さらにクリーム・紫・ピンクなどがあり,花色に赤(マゼンタ),青(シアン),黄の三原色が含まれている数少ない植物属の一つとして知られている.花序も総状や単頂,花容もつかみ咲きや上向きなど変化にとみ,また交配しやすいことから,非常にバライティーに溢れた花を楽しめる.英国,特に北部は気候が適しているために露地においても栽培しやすく,エジンバラ王立植物園が種の保全と系統確立の中心となっている(The Meconopsis Group, Royal Botanic Garden Edinburgh. http://www.meconopsis.org/index.html).
残念ながら日本では高地や北海道の一部を除いては露地での栽培は不可能で,東京都薬用植物園,咲くやこの花館などの植物園での冷室で育てられている.

画像は1979年6月にイングランドのケンブリッジ大学の植物園で露地栽培されていた花を撮影.写真での同定はエジンバラ王立植物園の The Meconopsis Group の Evelyn Stevens さんにご協力願った.
大阪で1990年に開かれた「国際花と緑の博覧会」のブータン館で展示されていた本種を見に行ったが,ブータンから開花見込み株が送られてきたのか,萎れてみすぼらしく,期待はずれだった.
なお,私の持っているメコノプシスを描いた複数の英国の植物図譜は,http://psieboldii.blog48.fc2.com/blog-entry-61.htmlで見ることが出来るので,ぜひお越しください.

2011年5月14日土曜日

メコノプシス・カンブリカ Welsh poppy,ケンブリッジ大植物園

Meconopsis cambrica = of Welsh origin 属名のメコノプシス Meconopsis は「ケシに似た」という意味のギリシャ語で,ケシ属とは多くの共通する特徴を有するが,画像で見られるように,花柱が明瞭に認められる点によって区別される.この属は 40種ほどの俗称「ヒマラヤの青いケシ」で有名だが,元々は唯一のヨーロッパ産のこの種で属が立てられた.原産地はアイルランド,イギリス南部(ウェールズ),フランス西部,イベリア半島北部などのやや湿性の高地だが,ヨーロッパ各地で園芸用に栽培されていたものが逸出して分布を広げている.花色は黄又はオレンジだが,園芸品種には朱色のものがある.この属が隔離分布をしているのか,偶然に欧州とヒマラヤ・中国南部で同じように進化したのかは不明だが,遺伝子情報を元に見直された新しい分類体系でも,青いケシとカンブリカは同じ属に入っている.

ウェールズを象徴する花として,EU統合のなかで独立国ウェールズを建国することを最終目的としているウェールズの地域政党,プライド・カムリ(ウェールズ語:Plaid Cymru,英語:The Party of Wales,ウェールズ民族党,ウェールズ党)が2006年に党のロゴに採用した.





画像は1979年の6月に,英国ケンブリッジ大学植物園の森影に野生化して咲いているのを撮影. 緑を背景にした逆光に浮かぶ薄い花弁の繊細さと,微妙な色が良く出ていると自画自賛.
同所で撮影したヒマラヤの青いケシの画像は,このブログの以下のリンクで.
メコノプシス・バイレイイ Himalayan blue poppy,ケンブリッジ大植物園

おまけはWilliam Baxter’s "Figures and Descriptions of British Flowering Plants or British Phaenogamous Botany” 1834-1843 より(銅版手彩色) "Meconopsis cambrica" Welshi Poppy









ディル イノンド

Anethum graveolens = strong smell香り,草姿ともフェンネルに良く似ているが,一年草である点が異なる.種子や葉を香味料や生薬として用いる. 原産地は西南アジアから中央アジア,薬草として古くからヨーロッパ・北アフリカ・アジアで栽培されてきた.5000年前にはエジプトの医師に使用されておりアメンホテプ二世の墓から枝が発見されている (https://en.wikipedia.org/wiki/Dill).またイギリスにあるローマ時代の廃墟からもその痕跡が見つかっている(https://www.english-heritage.org.uk/learn/story-of-england/romans/food-and-health/). 新約聖書「マタイによる福音書」23章23節にはパリサイ人がイノンドで税を支払っていたことが分かる場面がある.イエスの言葉として「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。薄荷、いのんど、茴香の十分の一は献げるが、律法の中で最も重要な正義、慈悲、誠実はないがしろにしているからだ。これこそ行うべきことである。もとより、十分の一の献げ物もないがしろにしてはならないが。23 “Woe to you, teachers of the law and Pharisees, you hypocrites! You give a tenth of your spices—mint, dill and cumin. But you have neglected the more important matters of the law—justice, mercy and faithfulness. You should have practiced the latter, without neglecting the former.”」.また,中世には魔術を防ぐ効果があるとも考えられていた. 日本では,江戸時代には薬草として導入・栽培され,貝原益軒『大和本草』 (1709)で「蒔蘿」は小茴香と同じでフェンネルとディルを含めて言っていたようであるが,一年草の方を特にイノンドとしている(左図). また寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)では,蒔蘿は小茴香(= フェンネル)とし,伊乃牟止(いのんど= ディル)と分けている.双方とも種は蛇牀(ヤブジラミ)のそれに似ていて,薬用として用いられ,特に伊乃牟止の種から得られた油は消炎・鎮痛などに効果があるとしている(右図). さらに,小野蘭山『本草綱目啓蒙』 (1803-1806) 巻之二十二では「蒔蘿 詳ナラズ。〔一名〕時美中 蒔蘆 イノンドサウヲ蒔蘿二充ル説ハ穏ナラズ。イノンドハ八月二種ヲ下シテ翌年夏二至り苗根共ニ枯。形状甚茴香二似タリ。只高サ二三尺二過ズ。葉花共二同シテ、臭気アリ。茴香ノ香気アルニ異ナリ。子ノ形茴香ヨリ短クシテ薄シ。油ヲ採、薬ニ入。腫ヲ消シ、痛ヲ止ム。漢名詳ナラズ。」とある. 家内が買ってきた鉢植えから落ちた種が成長.開花した.ミントや香菜などのハーブを良く買ってくるが利用することはほとんどない.これもどうかな.

2011年5月10日火曜日

サクラソウ(15) 七賢人 真如の月

Primula sieboldii cv. Shichi-kenjin & Shin-nyono-tsuki

















 左: 品種名:七賢人,品種名仮名:しちけんじん,表の花色:とき色地紅絞り・目流れ,裏の花色:とき色地紅絞り,花弁の形:広,花弁先端の形:桜,花容:浅抱え咲き,花柱形:短柱花,花の大きさ:中,作出時期:江戸末期.同時に多数の花が咲き,しかもそれぞれが微妙に異なるのを,3 世紀の中国・魏(三国時代)の時代末期に,竹林の中で酒を飲んだり清談を行なった七人の賢人に例えたのだろうか.
 右: 品種名:真如の月,品種名仮名:しんにょのつき,表の花色:白,裏の花色:薄桃,花弁の形:広,花弁先端の形:桜,花容:浅抱え咲き,花柱形:僅長柱花,花の大きさ:大,作出時期:江戸後期,類似品種:藤の里,その他:丈夫で葉が大きい.真如の月とは,真如(永久不変の真理)によって煩悩(ぼんのう)の迷いがはれることを、明月が闇(やみ)を照らすのにたとえていう語.また、雲一つなく輝く明月のことも指す.ふくよかな花容と暖かい色から名づけられたか.

花時には,一面の緋の絨毯とたとえられたサクラソウの群生地も,行楽客達が掘ったり摘んだり,度重なる荒川の氾濫,河川改修などによって,攪氾土の供給がなくなった事,水質の汚染などから衰えた.危機感からか1920年 大正9には田島ケ原サクラソウ自生地が,天然記念物に指定されるが,一方1921年 大正10には『浮間の桜草は近年全く滅んだ。』とされている.さらに関東大震災後,郊外の都市化が急速に進み,自生地はさらに減少.第二次大戦前には自生地の一つ錦ケ原は食糧増産のため開墾され,全域が農耕地となり消滅.1952年 昭和27田島ケ原サクラソウ自生地が国の特別天然記念物に指定された(http://www.scvb.or.jp/info/data/tajimagahara.html).現在旧自生地ではサクラソウ自生地復活の試みがされ,サクラソウ祭りも開催されている(http://www.ukima.info/primula/form/maturi.htm)が,園芸種の混栽や遺伝子汚染が課題となっている.

2011年5月7日土曜日

ヒナゲシ (1/2) 与謝野晶子, 『毛吹草』, 『訓蒙図彙』,『大和本草』『和漢三才図会』『絵本野山草』『梅園草木花譜』『本草綱目啓蒙』

1977年10 月英国ケンブリッジ

Papaver rhoeas = red (Greek)

嗚呼皐月 仏蘭西の野は火の色す 君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟(コクリコ)
与謝野晶子 『歌集 夏より秋へ』1914(大正3年)より

この歌にあるように,欧州原産の野草.英名の Corn poppy の名が示すように小麦畑の雑草.Corn flower (ヤグルマギク) とともに小麦の生育と同調した成長過程を取るので除草が難しく,特に手入れが悪い畑に繁茂する.
ケンブリッジの秋には小麦畑で,まさに晶子が夫と共にロダンの家を訪ねる途中で見た光景

「黄ばんだ麥と雛罌粟(コクリコ)と、
黄金にまぜたる朱の赤さ。」 (寛との合著『巴里より』1913(大正2年))

が見られた.

晶子にとって,この火の色のヒナゲシは,彼女の寛を追っての情熱と重ね合わせて印象深かったのか,『歌集 夏より秋へ』には,他にも
(仏蘭西南部のツウルにて)
「雛罌粟と矢車草とそよ風と田舎少女のしろき紗の帽」
「夏川のセエルに臨むよき酒場フツクの荘の雛罌粟の花」
(倫敦塔にて)
「哀れなる香こそただよへ雛罌粟に藍をにじませ野辺の暮るれば」
(ミユンヘンにて)
「秋くれば根も枯れぬらん雛罌粟は夜な夜な船の夢に立てども」
の4首が収載されている.

画像は1977年10 月に英国ケンブリッジの空き地で撮影.上方の黄色い小さな花をつけている細長い枝のアブラナ科植物は,日本にも帰化しているカキネガラシ Sisymbrium officinale と思われる.

日本で文献に現れたのは,1645 (正保2年)★『毛吹草』毛吹草 巻第五 毛吹草題目録 夏部に「美人草」の名で,七首の歌が掲載されているのが,故慶大磯野教授の初見である.
毛吹草 美人草
NDL
       百 合
姫百合は美人草をや待女郎                                         弘永

美 人 草
 花は虞氏(ぐし)露は涙か美人(びじん)草 定重
 折とるはりふじんなれや美人草                                     長重
 戀くさといふへき物や美人草                                        定時
 鬼あさみばけかはりてや美人草                                     留一
 捨(すて)られし西施(せいし)か野邉の美人草           正直
 えり出すや千種(ちくさ)の中の美人草                        圓成
 螢火をみてやゑみぬる美人草                                        貞盛

  訓蒙図彙 1666 NDL
図としては,1666 (寛文6年)刊行の★『訓蒙図彙』に「麗春(れい志ゆん)
俗云びじ(志+濁点)さう 麗春花(れい志ゆんくわ)
叉名(二)御仙花(ぎょせんくわ)虞美人花(ぐびじ(志+濁点)んくわ)ト(一)」として出ているのが古いようだ.
麗しさを賞されてか,よい鉢に植えられていて,大事にされていたようだ.

更に江戸中期以降にはかなり一般的に栽培されたと見え,貝原益軒★『花譜』(1694)には,「花譜中巻四月
虞美人草 芥子に似て小なり.其花艶(ゑん)なり.曽南豊が虞美人草の詩あり.園史に,虞美人草は罌粟(けし)の別種なりとかけり.また麗春花と云.格別論曰,麗春は罌粟の別種なり.くき,やはらかにして針あり,千葉あり,八重あり.魚のあらひ汁を折々そヽぐべし.八月中旬にうふる事,けしをうふるごとし.」とあり,また同人の★『大和本草』 第七巻 (1709) には虞美人草,美人草として「外」「虞美人草 名花譜云花四辧色艶ニ類(二)テ罌粟(一)而小ナリ 園史云呉俗呼テ爲(二)虞美人草(一)ト 蓋罌粟之別種也今國俗ニ美人草ト稱ス ケシニ似テ小ナリ 紅紫白ノ三種アリ 千葉アリ單葉アリ 紅夷ヨリ来ル種アリ 八月ニ子ヲマク 早ク生スルハ單葉也 千葉八重ハ單葉ヨリヲソク生ス 他花モ亦如(レ)此 肥テ軟ナル沙土ヨシウヘテ上ニ灰ヲオホヒ冬月糞ヲ置ヘシ 春月ハ糞ヲイム 虫生セシハ去ヘシ 春ハ魚汁ヲソヽクヘシ 四五月ニ花ヲヒラク 花甚艶ナリ好花トス 苗生シエノチ他土ニウツシテモヨシ 不(レ)移ニハシカス 冬月早ク糞水小便ヲソヽグヘシ 此物根小ニ莖多長大ニシテ風ニ倒ヤスシ 毎根厚ク培カヒ小竹ヲ立テ助ケ結フヘシ」と栽培法も記され(図右,中村学園)ている.

寺島良安★『和漢三才図会』(1713頃)(図左)の 巻第百三 穀類 には,
「麗春花(びじんさう)  賽牡丹(さいぼたん)錦被花(きんひか)
本綱、江東の人、罌粟の千葉なる者を呼びて麗春花と為す。或は是れ罌粟の別種なりと謂ふ。蓋し亦た然らず。其の花の変態は本より常ならず。白き者、紅なる者、紫の者、粉紅なる者、杏黄なる者、半紅なる者、半ば紫半ば白なる者有り、艶麗愛づべし。故に麗春と日ふ。
△按ずるに、麗春花の花葉の状は皆罌粟に似て小さく、其の種も亦た別なり。罌粟も亦た本より千葉の者有り。蓋し本綱時珍の説は非なり。比の草、高さ一尺以来、茎に白茸毛(うぶげ)有り。罌子には白茸毛と無し)其れ之れを種ゑ花を開く時も、亦た皆罌子と同じ。其の子を結ぶこと罌子に似て小さし。」とあり,その麗しさが称えられている.
絵本野山草 NDL

良安が引用しているのは,本草綱目の以下の部分で,八重の罌子粟が必ずしもヒナゲシ(麗春花)では,ないと時珍の説に異議を唱えている.
李時珍★本草綱目(1590)「穀之二 罌子粟(略)
時珍曰︰(略)   江東人呼 千葉者為麗春花。或謂是罌粟別種,蓋亦不然。其花變態,本自不常。有白者、紅者、紫者、粉紅者、杏黃者、半紅者、半紫者、半白者,艷麗可愛,故曰麗春,又曰賽牡丹,曰錦被花。 詳見游默齋《花譜》。」

★橘保国(1715-1792)『絵本野山草 四』(1755)
「麗春花(れいしゅんくハ)) 花鸎粟(くハをうぞく)
 俗にいふ美人草.かたち,芥子にして小く,はなびら同四.紫いろ,白有,大紅有,むらさき,,ひとへあり.また,八重有,千葉(え)有.春三月に,はなさく.葉は,けしのはにして,みじかく,花のつぼみ,葉茎,ともに毛有.台同.はな,ひらくにしたがひ,台をちるなり.
 鶯粟(をうぞく),八月ノ内,種テ喜(よ)シ.疎ニシテ壮(さかん)ナリ.子ヲ収メテ腐卜作シテ佳ナリ.五色千葉ノモノアリ.尤モ愛スベシトス.」(左図)

小野蘭山★『本草綱目啓蒙』(1803-1806) 巻之十九 穀之二 稷粟類 には
「罌粟 ケシ(中略). 一種ヒナゲシアリ.一名ビジンサウ.同時*ニ種ヲ下ス.苗葉共小サクシテ白毛アリ.高サ一尺許,同時*花ヲ開ク.形*同シテ小サク光リアリ.単葉,千葉,色ニ数品アリテ美シ.コレヲ麗春花ト云.時珍ノ説ニ麗春花ヲ千葉ノ罌粟トスルハ非ナリ.
 一名,御仙(閔書) 満園春(花疏) 胡蝶満園春(汝南圃史) 虞美人(同上) 娯美人草(丹鉛録) 百般嬌(秘伝花鏡) 鸎粟母(通雅) 舞草(名物法言) 虞姫草(南極篇)」とあり中国では多くの名で呼ばれていたとある.  *(罌粟と)

毛利梅園(1798 – 1851)★『梅園草木花譜』(1825 序,図 1820 – 1849)には,「千葉(八重)」の花が美しく描かれている(右図 NDL).

梅園は江戸後期の博物家.名は元寿,号は梅園,楳園,写生斎,写真斎,攅華園など.江戸築地に旗本の子として生まれ,長じて鶏声ケ窪(文京区白山)に住み,御書院番を勤めた.20歳代から博物学に関心を抱き,『梅園草木花譜』『梅園禽譜』『梅園魚譜』『梅園介譜』『梅園虫譜』などに正確で美麗なスケッチを数多く残した.他人の絵の模写が多い江戸時代博物図譜のなかで,大半が実写であるのが特色.江戸の動植物相を知る好資料でもある.当時の博物家との交流が少なかったのか,名が知られたのは明治以降.

現在,日本で修景花卉として河川敷などに植えられているひなげしはシャーレポピー(Shirley poppy).1880年頃に英国シャーレイにいたW・ウィルクス牧師が近くの野原で偶然見つけた赤花で白の縁どりがあるヒナゲシの株から,繰り返し選別して作り出した.ナガミヒナゲシと異なり,広く植えられている割にはあまり野生化しないようだ.

旧英連邦諸国の Poppy Day に纏わる ヒナゲシ (2/2) の話は11月07日に掲載.

2011年5月5日木曜日

サクラソウ(14) 南京小桜 桜草自生地への行楽,夏目漱石『虞美人草』,田山花袋,永井荷風

Primula sieboldii cv. Nankin-kozakura品種名:南京小桜,品種名仮名:なんきんこざくら,表の花色:紅色・目白,裏の花色:紅色・爪白,花弁の形:細,花弁先端の形:梅,花容:受け咲き,花柱形:短柱花,花の大きさ:小,作出時期:江戸中期,その他:もっとも小型・芽は太い. 
昨年近くのHCで喰裂紙等と同時に買った苗が無事に年を越して咲いた.越年率 80%.

花の大きさ比べ.左より大朝日・南京小桜・野生種・宇宙・蜃気楼.南京小桜の小ささと宇宙の大きさが分かる.


江戸時代に作出された銘花の一つ.花が極小で,ピコティー咲きが特徴.江戸中期に作出され,現在でも栽培されているのは他に 駅路の鈴,五大州,など計10種.ナンキンコザクラは葉緑体DNAタイプの分析から江戸に近い荒川流域の野生種から作り出されたと考えられている(http://miya.let.hokudai.ac.jp/modules/tinyd3/content/honjo.swf).

左図:『地錦抄附録』四世伊藤伊兵衛(1733) には,
「南京小桜 花形極て小りん花形少しそりかへりじんじやうに花の内白くまはり紫にこ白ともいふべしかはりたる物也 二月咲」とある.

荒川流域の桜草自生地への行楽は,明治以降もつづき,永井荷風の「葛飾土産」や田山花袋の「東京の近郊一日の行楽」等に描かれた.また,夏目漱石も明治40年に発表した「虞美人草」の一節に書き,その一文は足立区新田にある都立新田高校内に碑として建てられている。(http://homepage2.nifty.com/yasinden-sakurasou/sub3.html#bugakuhi)


なお,この高校は桜草のもつ清楚、根強さ、ひたむきな心をこころとし、本校の発展を願って校章としていて,図案の三方にひろがる葉は、真・善・美への限りないあこがれと,実践を象徴し,中心の花は,清楚にしてひたむきな心をしるしとしてすえたとの事(右図).


夏目漱石 『虞美人草』(1907年)宗近一と妹糸子との会話
「ハハハハ実は狐の袖無(ちゃんちゃん)の御礼に、近日御花見にでも連れて行こうかと思っていたところだよ」
「もう花は散ってしまったじゃありませんか。今時分御花見だなんて」
「いえ、上野や向島(むこうじま)は駄目だが荒川(あらかわ)は今が盛(さかり)だよ。荒川から萱野(かやの)へ行って桜草を取って王子へ廻って汽車で帰ってくる」
「いつ」と糸子は縫う手をやめて、針を頭へ刺す。
「でなければ、博覧会へ行って台湾館で御茶を飲んで、イルミネーションを見て電車で帰る。――どっちが好い」
「わたし、博覧会が見たいわ。これを縫ってしまったら行きましょう。ね」

田山花袋 『東京近郊一日の行楽』(1918年)
浮間 赤羽には、見るものがもう一つある。それは桜草である。浮間ケ原の桜草である。

永井荷風 『葛飾土産』(1950年)
 コスモスの花が東京の都人に称美され初めたのはいつ頃よりの事か、わたくしはその年代を審(つまびらか)にしない。しかし概して西洋種の草花の一般によろこび植えられるようになったのは、大正改元前後のころからではなかろうか。
 わたくしが小学生のころには草花といえばまず桜草(さくらそう)くらいに止(とどま)って、殆どその他のものを知らなかった。荒川堤(あらかわづつみ)の南岸浮間(うきま)ヶ原(はら)には野生の桜草が多くあったのを聞きつたえて、草鞋(わらじ)ばきで採集に出かけた。この浮間ヶ原も今は工場の多い板橋区内の陋巷(ろうこう)となり、桜草のことを言う人もない。

2011年5月2日月曜日

ナガミヒナゲシ

Papaver dubium = doubtful, uncertain
アフガニスタン西北部あるいは地中海沿岸原産といわれ,現在では世界各地で帰化・野生化していて(左図:Encyclopedia of Life Discover Life Global Mapper),4弁のオレンジ色の花を付ける一年草.

日本では1961年に東京都世田谷区で初めて確認されたのち,アルカリ性土壌を好むため都市周辺の路傍や植え込みなどに繁殖している.予算の関係で年度変わり以降の5月ごろに路肩や中央分離帯や空き地などの除草作業が行われるが,この頃には既にほとんどの株が結実を終え枯死しているためなかなか減らない.むしろ草刈機の振動により種子が周囲に撒き散らされ,さらに草刈機に着いた種が運ばれたりして,翌春になると前年より増え,拡がっていることが多い.生命のサイクルが日本の社会事情に合致しているため,今後も成育域を拡げて行くだろう.
ヒナゲシに比べると花の色がオレンジっぽくインパクトが小さい.また果実が下の画像に見えるように,ながい(和名の由来)ので見分けがつく.
 
都心に遅れること5年ほどで,当地でも拡がり始めた.道路に面した法や空き地に多いので,自動車が運んできたのかもしれない.庭にも数年前から現れているが,幼苗の内に処理していた.しかし今年は一本だけブログに登場してもらうために開花まで育ってもらった.この後,花を摘んで実をつけないようにしている.

左は近所の空き地.背景の青紫の花は,これも野生化した北米原産の帰化植物マツバウンラン(Linaria canadensis ).期せずして出来たお花畑ではあるが,オレンジとパープルの配色はなかなかのもの.