2012年2月25日土曜日

フクジュソウ 2 (1/2) 江戸時代の文献,毛吹草,花壇綱目,花譜,花壇地錦抄,草花絵前集,大和本草,和漢三才図会,絵本福壽草

Adonis ramosa寒さが続いたせいか,例年より遅れていたが,ようやくフクジュソウが金色の花を開き始めた.
日本に原生していて,目立つ花にしては,文献に現れる時期は遅く江戸時代.その後多くの江戸園芸書に記述されるが,その薬効や毒性へ言及した本草書は見つけることが出来なかった.

江戸時代の俳諧論書,松江重頼『毛吹草』 (1645) の序に 「先春たてば福壽草の花、黄梅、白梅色香もあらたまりつつ」(左図)(読み,駒澤大学総合教育研究部日本文化部門 「情報言語学研究室」のHPより)とあるのが文献上の初出といわれている(磯野直秀).

日本最初の園芸書水野勝元『花壇綱目』 (1681) には「福壽草 花黄色小輪也正月初より花咲元日草とも朔日草(ついたちそう)とも福づく草とも云。右養土の事肥土に砂を少加て能まぜ合ふるいにて用て宜し、肥の事茶がらを干し成程こまかにして右の土に少宛交る也。分植事二月末より三月節迄八月末より九月節分植也。」(右図)

貝原益軒『花譜』 (1694) に「福壽草 又ふくづく草ともいふ.草のたかさ数寸にすぎす.その葉胡蘿蔔(なにんたん)に似たり.其花くさやまぶきに似て黄なり.春の初花ひらく.故に元日草という.盆にうへて,新春席上の清賞とす.平安城におおし.春秋わかくうふべし.
偏鄙(いなか)には移し植れども,おほくは生ぜず.但所によりてよろしき地あるべし.寒月は,北ふさがりたる暖所にうへて,其うへに,ぬかをおおふべし.且又霜おほいをすべし.夏月は,日かげよろし.五月には,茎はかれて根はかれず.九月に発生す.此ときほりてあたたかな所にうつしうふべし.又盆にうへてよし.湿をいむ.また糞(こえ)を用ゆべからず.」

伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』 (1695)巻四・五「草花 春之部」に「福壽草 初中.花金色(こんしき),葩(はなひら)多ク菊のことし.葉こまかなる小草なり.花朝ニ開,夕にねむり,其花又朝にひらきて,盛久敷物なり.○元日草共ふくづくくさともいふ.祝儀の花也」

伊藤伊兵衛三之丞画・同政武編『草花絵前集』 (1699) に「○福壽草 花金色にて,葩(はなびら)たくさんに菊のごとく,朝に開(さく)花夕(ゆうべ)にねぶり,其花また朝に聞く,さかり久敷物なり,〇一名元日草,〇一名ふくつく草,陽春より花さく,植(うえ)やうにて冬より咲事あり.」(左図)

貝原益軒『大和本草』 (1709) に「福壽草 フクヅク草とも元日草とも云 春初めより黄花を開く 盆にうへて賞す 花は朝開き夕はねふる. 又明朝ひらく 葉は胡蘿蔔に似て花は草山吹の如し 寒をおそる 夏は陰地を忌み糞を畏る また白花あり.」

寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)に「 元日草  福寿草 △思うに,福寿草は洛東の山渓の陰処に生えている.冬は枯れ,春に宿根から生え出る.茎は肥え,高さは二,三寸.葉は胡蘿蔔(にんじん)や石長生(かつべら)(石草類)の葉に似ていて小さく,歳旦に初めて黄花を開く.半開の菊花に似ていて,人は珍重し,盆に植えて元日草と称する.春・夏には長さ一尺余になり,枝条(えだ)が生え,花は綻び開く.そうなると観賞するに堪えなくなる.
『五雑組』に歳蘭(さいらん)というのが載っている.「花は蘭と同じで,葉はやや異なっている.必ず歳の初めに花が開くので歳蘭という」(物部二)とある.これも元日草と同類の異種であろうか.」(右図)現代語訳 島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,平凡社-東洋文庫.

大岡春卜『絵本福壽草』 (1737) は福寿草のモノグラフではないが,冒頭に福壽草を配したのは春一番に咲く「元日草」だからであろう.(左図)


橘保国『画本野山草』 (1755 初版) 巻之四 に「元日草 花,金色.葩(はなびら)多く菊のごとし.葉,胡蘿蔔(にんじん)に似たり.はな,一重八重あり.又,深黄或は浅黄,又白もありといふ.朝にひらき,夕にねぶる.其はな,又翌朝ひらく.久しくあり.高さ一寸より五寸,又春の末に至れば八九寸ばかりのぴる.茎をのばし,枝をのばす.葉ひらく.正月より二月まであり.山原,又谷そこに生ず.近江国北山よ.出せり.一名福壽草,又漢名報春草.漢にも立春よりさくと有.報春鳥(うくいす)と同じ.よって,報春草といふ.」(右図)

引用した文献にも,既に八重や浅黄・白花の変異種があることが記されているが,江戸時代後期には,多くの園芸品種が育種され,延宝,元禄の頃すでに迎春用の観賞植物として一定の地位を得ていた.その後日本各地の野性種の中から変異を求めたり,実生により変化を求めて品種数は増加し,愛好家により受継がれたと思われる.
(続く フクジュソウ 2 (2/2) 園芸種 三段咲き)

2012年2月19日日曜日

トウキンセンカ Pot-Marigold (2/3) Turner, Geralde, Parkinson, 薬効 Calendulae flos, 欧州薬局方, EMEA, WHO

Calendula officinalis (A double-flowered cultivar (Shin-guro, Black-eyed))Marigold (Calendula) は古くから,薬用としても用いられていたが,花びらから鮮やかな黄色い色素が浸出されるため,サフランの安価な代用品として人気があった.また,チーズやバターに黄色い色をつけるためにも使われた.

ターナーは「この花で髪の毛を黄色に染める人がいる.神様が与えてくれた自然の色ほど満足のいく色ではないが」と書いている.

ジェラードは,オランダの薬屋には,「スープや水薬用に,また異なったいろいろな用途のために……スープは乾燥したマリゴールドがないとおいしくできないので」,樽一杯の大量の乾燥したマリゴールドの花びらが置いてあると記している(左図,ジェラード『本草あるいは一般の植物誌』より).

パーキンソンは,「この花は夏中咲いている.気候が温暖ならば冬でも咲く」といい,また園芸種の大花マリゴールドについて,「園芸種マリゴールドの茎は丸く,緑色で地面からたくさん分枝し,長い平たい葉をつける.葉は先の方が,一番広く,丸くなっているが,茎につく部分は細くなっている.花は花びら(舌状花)の数が実に多く(鱗片状のじとじとした頭から出てくるのだが),幾列にも並んでいて,それがぎっしりと重なり合っているものだから,真ん中のしべ(管状花)はほとんど見えないようなものもあり,花びらの数がもっと少なく,真ん中に茶色の小さなしべの集まりが見えるものもあり,花びらは二列か三列で,真ん中に大きな茶色のしべがあるものもある.花びらの一枚一枚は先の方がやや広がっていて,へりで二,三カ所切れ目が入っている.
花の色は,目もさめるような濃い金色のものもあるが,もっと薄い色のものもある.強い,上品な,よい香りがする.花が終わると,内側へ曲がった鈎形の種子が花頭にできるが,外側の種子がもっとも大きく,内側の種子がもっとも小さい.根は白く,地中に広がる.結実後,根が残ることもあるが,ふつう消えてしまい,出来た種子から発芽する.草も花も食用野菜として大変有益なものである.花は生のものも,乾燥したものもよく,ミルク,酒,肉や魚のスープ,飲み物に入れて用いられるが,心臓の働きをよくし,神経を柔わらげ,心臓や神経の方に集まった悪性の病気を追い払う働きをする.生の花から作ったシロップやジャムも,同じ用途に用いられ,同様の効果がある.」と書いている.(上図,パーキンソン『日当たりの良い楽園・地上の楽園』より)

花びらの殺菌作用や消炎作用は外傷の治療に役立つことがよく知られ,近代では第一次大戦の際,英国の有名な園芸家 Gertrude Jekyll (1843 – 1932) は彼女の土地でキンセンカを大々的に育て,その花を戦傷の治療のためにフランスに送った.

現在でも,欧州では乾燥した花は “Calendulae flos” として欧州薬局方 (EP 5) に “DEFINITION: Calendula flower consists of the whole or cut, dried, and fully opened flowers which have been detached from the receptacle of the cultivated, double-flowered varieties of Calendula officinalis L. It contains not less than 0.4 per cent of flavonoids, calculated as hyperoside (C21H20O12, m. wt. 464.4) with reference to the dried drug.” とあり,規格試験法が収載されている.

更に EMEA (European Medicines Evaluation Agency, 欧州医薬品審査庁) が発行したCOMMITTEE ON HERBAL MEDICINAL PRODUCTS (HMPC) の "MONOGRAPH ON CALENDULA OFFICINALIS L., FLOS” では,伝統的な使用法として,"for the symptomatic treatment of minor inflammations of the skin (such as sunburn) and as an aid in healing of minor wounds.” と “for the symptomatic treatment of minor inflammations in the mouth or the throat.” が挙げられている.

また,WHO (世界保健機構)の Monographs on Selected Medicinal Plants - Volume 2 の “Flos Calendulae”の項には,「薬効を支持する臨床データはないが,”Uses described in pharmacopoeias and in traditional systems of medicine” として “External treatment of superficial cuts, minor inflammations of the skin and oral mucosa, wounds and ulcus cruris”」と記載されている.(続く)

2012年2月14日火曜日

トウキンセンカ Pot-Marigold (1/3) シェクスピア,プリニウス,欧州古本草,Potの由来

Calendula officinalis (A double-flowered cultivar (Shin-guro, Black-eyed))
Great princes' favourites their fair leaves spread
But as the marigold at the sun's eye,
And in themselves their pride lies buried,
For at a frown they in their glory die.

大侯の寵愛を受け美しい花びらを拡げる人々は
所詮は陽を受けて開くマリゴールド
栄華に埋もれてはいても
一たび不興をこうむれば しぼんでしまう
-Shakespeare SONNET 25

地中海沿岸の南部欧州原産の一年草.プリニウス(Gaius Plinius Secundus, 22 / 23 – 79)の ”Naturalis historia 『博物誌』” (77 A. D.) には,Caltha と記された花があり,これを H. Rackham は大きな花をつけるトウキンセンカとしている.
"Caltha: perhaps marigold, Calendula officinalis"XXI 28 : Nearest to it comes the caltha,(e) both in colour and in size. In the number of the petals it exceeds the marine violet, which never has over five. The same plant is surpassed in scent, that of the caltha being strong.(a) No less strong is the scent of the plant which they call royal broom, though it is not the flowers that smell, but the leaves.(b) "PLINY "NATURAL HISTORY" English translation by H. Rackham (1945 )
28 色と大きさで最もスミレ*に近いのはキンセンカである。花弁の数では、五枚を越すことのない海岸種のスミレに勝っている。海岸種のスミレは香りの点でも負けていて、たしかに、キンセンカの香りは強烈である。スコパ・レギア(「王家のほうき」の意。キク科ノコギリソウ属)と呼ばれる植物は、花ではなく、その葉が匂うのだが、これにも劣らぬ強い香りがする。和訳:大槻真一郎編『プリニウス博物誌』「植物薬剤篇」(八坂書房 1994)
* この場合の「スミレ」はニオイスミレ,アラセイトウ,ニオイアラセイトをいい,それぞれ紫,白,黄色のスミレと花の色で区別されたと考えられている.

一方 16 世紀のドイツ・英国の本草書に描かれたキンセンカ (Caltha, Marigold, Calendula) は,その図から,より耐寒性の高いヒメキンセンカ (C. arvensis) と思われる.図は左から ブルンフェルス Otto Brunfels (1488 – 1534) 『本草写生図譜 Herbarum Vivae Eicones』(1531),フックス Leonhart Fuchs (1501 –1566) 『植物誌 De Historia Stripium』(1542) ,ターナー William Turner (1508? –1568) 『新本草書A new herball 』 (1551- 1568) ,ライト Henry Lyte (1529? – 1607) 『本草書New Herball』(1578) .また,英国の2つの図譜はフックスの図の剽窃と分かる.
英国にもかなり古く(13 - 14 世紀?) C. officinalis が移入されたが,耐寒性に劣るためか,希少なためか,鉢植えで育てられので,C. arvensis の Filed Marigold に対して,Pot Marigold と呼ばれた.
この "pot marigold" という名前には「詩人のマリゴールド "poet's marigold" (Shakespeare, The Winter's Tale: "The Marigold that goes to bed with the sun/ And with him rises weeping.") 」から来たとか, 「Kitchen herb (in the pot) として用いられた」からだとかの説がある.(続く

2012年2月6日月曜日

番外編 ペリー遠征記「磔刑の図」Japanese Fac Simile, CRUCIFIXION

「ペリー提督日本遠征記」第一巻 Japanese fac simile, CRUCIFIXION
“Narrative of the expedition of an American squadron to the China seas and Japan”  vol. 1 (1856) from “Narrative of the expedition of an American squadron to the China seas and Japan”  vol. 1 (1856)
ペリーたちは日本滞在中に贈られたり,購入したりした多くの物品-家具や細工物,陶磁器,漆器,織物など-を持ち帰った.変わったところでは将軍家から大統領に贈られた二匹のイヌ(チン?)やコインの一そろいもあった.
「ペリー提督日本遠征記」第一巻には日本の絵画に関するコメントとともに,滞在中に入手した3枚の日本の版画が原色で収められている.2枚は広重が描く「京都名所 淀川」と「大井川徒歩(かち)渡(し)」の図で,この二つは大きく多くの色を使って,彼らにとって興味深い江戸時代の風俗を描いているが,ここに示した芳貞(歌川を称す.国芳の門人,一葉斎と号した.馬喰町三丁目の旅館駿河屋に生れ,嘉永より明治の初めにかけて作画がある)が描いた「浅倉當吾一代記」は図版も小さく色も地味で,芸術品としてもあまり高く評価は得られない作品である.しかし,ペリーがわざわざこの図譜を議会への報告書に入れたのは,日本の懲罰のシステムに興味があったことと,それまでの日本に関する報告・情報に訂正を加えたかったからではないかと思われる.

艦隊の士官がこの絵を手に入れたのは, 1854 年 6 月 25 日に日本を出港する直前,下田においてであったらしく,ペリーは艦上で開いた送別の宴の席で,この礫刑の絵を(通詞の)森山栄之助(左図,左側の人物.ペリー『遠征記』第一巻より)に見せ “a Japanese picture, representing the punishment of crucifixion, was shown to (Moriyama) Yenoske. This had been purchased at Simoda, by some of our officers, and its presence turned the conversation on the subject of capital punishments in Japan. The Commodore was glad of the opportunity to procure accurate information on this point, inasmuch as some writers, later than Kempfer have denied his statement that crucifixion is a Japanese mode of execution. Yenoske said that the picture itself was illustrative merely of a scene in one of their popular farces ; but, he added, that regicides were executed somewhat in the manner represented in the picture, being first nailed to a cross and then transfixed with a spear.”
「話は日本の死刑のことに移った。提督はこの点に関する正確な報告を獲る機会を喜んだ。ケムプエル以後の著述家達数人は、礫刑が日本の処刑方法であると云ふケムプエルの記述を否定してゐるからである。栄之助の語るところによるとこの絵自身は或る通俗的な(人気のある?)道化芝居(歌舞伎芝居?)の一場面を描いたものに過ぎないとのことだつたが、尚附け加へて弑逆者はこの絵に描いてあるものとやゝ似た方法で刑せられるのであって、最初は十字架に釘づけにし、それから槍で刺すのであると語った。」(和訳:ペルリ提督『日本遠征記』土屋喬雄・玉城肇訳 岩波文庫 (1948))

なお,遠征記に収録された図は,歌舞伎の『東山桜荘子』(ひがしやまさくらそうし)の一場面を描いたもので,三世瀬川如皐作,嘉永 4 年 8 月江戸・中村座初演の演目で,義民 佐倉惣五郎の実録本や講釈と,柳亭種彦の『偐紫田舎源氏』(にせむらさきいなかげんじ)を組み合わせた農民劇.当時大当たりを取ったと伝えられている.江戸時代は,芝居にするときは実際の時代や実名を使うことはご禁制に触れるため,『伽羅先代萩』や『仮名手本忠臣蔵』のように,この演目でも時代や登場人物の名前を変えてはいたが,観客には、この物語が佐倉の義民伝であると分かっていた.佐倉藩の苛政・門訴・老中駕籠訴・将軍直訴・処刑・怨霊という筋立で,登場人物の義民は浅倉當吾,領主は織越政知.勿論,浅倉當吾は佐倉惣五郎,織越政知は領主堀田正信をあてたもの.事件は家光の後の家綱の時代(在職1651 – 1680年)にあったとされ,正信は将軍家綱の死を知って配流先の阿波徳島で自害している.
左図は 一英斎芳艶画「當吾一代記 獄門場所」 桜荘子後日文談 (さくらそうしごにちぶんだん) 早稲田演劇博物館

私のブログの『日本遠征記』 「下田 公衆浴場の図」 Public Bath at Simoda の図譜・記事はこちらから.

2012年2月3日金曜日

ホンキンセンカ,フユシラズ,Field Marigold,救荒本草,本草綱目,倭名類聚抄,訓蒙圖彙,花壇地錦抄,花譜,和漢三才図会,本草綱目啓蒙

Calendula arvensis 地中海沿岸原産の一年草.中国では古くから薬用として広く育てられていた.金盞花、醒酒花,金盞兒花,長春花、杏葉草,長春菊,金仙花、長春草等と呼ばれ,周憲王(周定王)朱橚選『救荒本草』(初版1406)には「金盞兒花,人家園圃多種。苗高四、五寸,葉似初生莴苣葉,比莴苣葉狹窄而厚,抪莖生葉。莖端開金黃色盞子樣花。其葉味酸。」と,また明の李時珍選『本草綱目』(初版1596)には「金盞草,夏月結實,在萼內,宛如尺蠖蟲數枚蟠屈之狀。」とある.

日本には中国由来で古代に入ったと考えられ,913 年頃に成立した『倭名類聚抄』に「こむせんか」の名が出る.日本でもこのキンセンカは広く栽培され,狩野探幽(1674没)の『草木花写生図鑑』に図が載る.
中村惕斎『訓蒙圖彙(キンモウズイ)』(初版1666)には図(左図)が載り,伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)に「草花春之分 金銭花(きんせんくわ)四季ニ花咲 花形名のごとし又金盞花(キンセンクワ)共書よし」とあり,また「草木植作様伊呂波分(いろはわけ) きんせんくわ 植替何時成共種も毎月蒔ハ年中花たへず合肥よし」とあり,育てやすく,年中花が見られるとしている.

貝原益軒『花譜』(1694)には「金盞花 和俗きんせん花と称す.春の初より花咲く.色黄金のごとく,かたちさかづきのごとくなる故に,名づく.子の形は蟲に似たり.実をとりて逐時まけば,四時常に花あり.故に長春花ともいふ.本草綱目湿草部に,葉を食す,毒なしとあり.」と記されている.

また,寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)には 「金盞草(きんせんか) キンツアン ツアロウ 杏葉(きようよう)草 長春(ちようしゆん)花 〔俗に幾牟世牟(きんせん)花という〕『本草綱目』(草部湿草類金盞草〔集解〕)に次のようにいう。金盞草は苗の高さ四、五寸。葉は出はじめの萵苣(柔滑莱チシャ)の葉に似ていて厚く狭く、茎を抱いて生え出る。茎は柔脆で、頭(さき)に花が開く。花は指頭ぐらいの大きさで金黄色。状(かたち)は盞子(ちょこ)に似ていて一年中花が絶えることがない。夏月に萼の内に実を結ぶが、ちょうど数匹の尺蠖(しゃくとり)虫が蟠屈(わだかまり)しているような状である。葉の味は酸。よく茹でてから水に浸過し、油・塩を拌(かき)まぜて食べる。腸・痔の下血を治める効がある。
△思うに、盞〔音はサン〕とは杯のことである。花の形のことである。近頃では白花のものもあって珍重される。俗にこれを金銭花(次出)というのは間違いである。」(現代語訳 島田・竹島・樋口,島田勇雄,竹島淳夫,樋口元巳訳注,平凡社-東洋文庫) とある(右図).

さらに,小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806)の巻之十一 草之四 隰草類 上には,「金盞草 キンセンクハ トコナツバナ フダンバナ トキシラズ ケイセイクハン(如州)アリヤケ(摂州),コガネグサ 〔一名〕常春花 長春菊(花疏) 回回菊(三才図会) 金盞児 萵苣花
家二栽テ瓶花二供ス。葉細長ニシテ尖ラズ。鼠麹草(ハハコグサ)ノ葉二似テ、大ニシテ白色ヲ帯。初メ地二就テ叢生ス。取テ食料ニ供ス。春月茎ヲ抽ヅ。高サ六七寸、枝頭ゴトニ花ヲ開。久シク相続ク。形単弁ノ菊花二似テ、小サク、正開セズ。常二盞子様ヲナス。紅黄色亦淡黄色ノ者アリ。花後実ヲ結ブ。其形屈曲シテ虫ノ状ニ似タリ。蘇頌、変生一小虫ト云ハ、非ナルコト時珍弁ゼリ。本邦ニテ和名金銭花ト云ハ誤ナリ。唐山ニテ銭ト云ハ満開シタルモノヲ云。金盞草ノ花ハ半開ニッチ盞ノ如シ。故二金盞花ノ名アリ。午時花、旋覆花(注 オグルマ)ハ、正シク開ク。故二金銭花ノ名アリ。」とあるが,『和漢三才図会』や『本草綱目』と同様種子が蟲のようだといっているのは,その特徴をうまく捉えていると興味深い.また,ゴジカと混同しないようにとしきりに注意を促しているのは,逆にゴジカが江戸時代広く栽培されていた事を示すと考えられる.

これらの書物に記されている「金盞草」は,その記述から現在一般的に「キンセンカ」と呼ばれているトウキンセンカ Calendula officinalis ではなく,背は低く,枝分かれして多くの比較的小さな一重の花を永くつける Calendula arvensis (ホンキンセンカ)ということが分かる.

一方, シーボルトが日本から持ち帰った腊葉コレクションに「金盞草」の標がついた標本があり(左図,牧野標本館),これは C. officinalis と同定されていて,江戸時代にはトウキンセンカが栽培されていた証拠とされている.

なお,現代中国での薬効は「利尿,發汗,興奮,緩下,通經。 又治腸痔下血不止。降血壓」とある.