2012年8月27日月曜日

クマガイソウ (2/2) 和漢三歳図会,絵本野山草,ツンベルク

Cypripedium japonicum
2004年5月 仙台市野草園

寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)には,「熊谷草(くまがえそう)俗称〔本名は未詳〕
△思うに,熊谷草は高さ五,六寸.葉は款冬(ふき)に似ているが小さい.三月に茎を出して花を開くが,内に細かい莟子(ななこ)(斑点の意味か)がある.花の形は母衣に似ている.
源氏の武臣に熊谷直実という者がいた.一の谷の合戦に戦功があり,その母衣を負うた姿を図して彼を讃えた(其れ母衣を負ひて形勢を図りて之れを讃む.)この草の形がその母衣に似ているので,熊谷と名づけたという.大へん迂遠な名のつけ方というべきである.」とある(左図)
図は花が複数一本の花茎につき,葉も小さいのが何本も根元から出るなど,到底クマガイソウとは思えず,大和本草等の記述を基にした想像図としか思えない.

一方,橘保国『絵本野山草』(1755)には,特徴をよく捉えた見事な図と共に「熊谷草 くまがえさう 花,三月 敦盛草 阿つもりさう 花,二月
花のかたち母衣のごとく,色白く,菜は款冬の葉に似て,こはくあつし.また,敦盛草は色うす紅也.葉,さゝばなり.花のかたち似たり.是,其類.漢名莪朮(がじゅつ)」と,クマガイソウは花は白く,葉はフキの葉に似ている.一方花は似ているが,アツモリソウは花が赤く,葉は笹葉.と両者を比較した記述がある.莪朮とはマレーシア・インド・ヒマラヤを原産とするショウガ科のガジュツ(Curcuma zedoaria)で,ムラサキウコンと呼ばれることもあり,ランとは縁遠い.

この植物の学名の原記載は,カール・ツンベルク『日本植物誌』(Flora Iaponica)(1784)であり(左図),クマガイソウとアツモリソウがラン(Orchidaceae)科の植物として記されている.クマガイソウ( Cypripedium japonicum)について,ツンベルクは,「4-5月に花が咲き,江戸で見られた.日本名は「ホテイソウ Fotei So」,「クマガイソウ Kumagaiji so」である.」とした.彼がつけたこの学名は現在でも有効である.一方「アツモリソウ Atsmori So」の方は,リンネが学名をつけた欧州原産の C. calceolus と同定している. (現在の有効学名は Cypripedium macranthos Sw. var. speciosum (Rolfe) Koidz.)

C. formosanum

クマガイソウは日本特産とする書も多いが,朝鮮,中国にも分布し,中国では「扇脈杓蘭」と呼ばれ,根或は全草を「扇子七」と呼び薬用にする.

また台湾にはクマガイソウの変種とされる事もある,赤みの勝った美しい花をつける「台灣杓蘭」C. formosanum が分布している(左図.From “Botany Boy: Plant Encyclopedia (http://botanyboy.org/), Two sister Cypripediums from Asia, C. japonicum and C. formosanum”)

2012年8月25日土曜日

クマガイソウ (1/2)  花壇地錦抄 大和本草

Cypripedium japonicum
伐採した竹林の明るい空き地 茨城県南部
世界でも稀な,葉の幅が広いラン.二枚の大きな扇形の葉の間から,下部が袋状の花を一個咲かせる.花径は10センチにもなり,葉とともに目を引く.竹林やヒノキ近くの日のよく当たる平地に根を張って群落をつくり,いっせいに咲くと見事.国内に広く分布しているため,ベコノツラ,キツネノチョウチンなどのひなびた地方名も多い.
受光量が減るなどの環境の変化に敏感で,姿を消すことも多い.『大和本草』などの古書に「枯れやすい」と書かれている.そのためか,花言葉は「気まぐれ美人」だそうだが,熊谷直実の名をもらった和名のように,むしろ男性的な印象を受ける.

現存文献での記録は比較的遅く,

伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695) 巻四・五「草花 春之部」に
布袋草 (末) 花形丸クして宛子安貝の形なり色うすむらさき葉も二まいづゝ出て花ハ一りんづゝ咲
敦盛草 (末) 花形ほてい草ニ似て異有ほろかけたるごとく紫葉も段々付ク
熊谷草 (末) あつもり草の花うす白キ物

とあるのが,確認されている初出.この記述では「布袋草(ほていそう)」が「クマガイソウ」にあたる.このことは,ツンベルクの『日本植物誌(Flora Japonica)』(1784)の「クマガイソウ」の項に,「ホテイソウ」とも呼ばれていると書かれていることからも,支持される.

貝原益軒『大和本草』 (1709)には
「熊谷 葉はフキの葉の形にして小也.エビネの葉の如く皺あり.葉に少光あり.葉の高八九寸.梢に花,一あり.花の大きさ鴨(あひる)卵を二に割りたるより猶大にして形はハマクリを二にひらきたる如し.色白し或黄なり.心はハマクリの肉の如くにして黄なり.花うるわしと見つるべし.深山にあり.或曰(く)敦盛熊谷一物なり.花の紫なるを敦盛(と)為,花淡白を熊谷と為.共に枯れやすし.」
と詳しく記している.花の大きさをアヒルの卵を基準にして述べているのが,興味深い.
同書の巻之十九諸品図上の「あつもりそう」の図は,「敦盛 倭名也,或曰(ク)鬼督郵ナリト未(レ)知(二)是否ヲ(一)-(未だ是否を知らず)」とあるが,葉の特徴から明らかにこれは「クマガイソウ」である(左上図).なお,「鬼督郵」はハグマの類の漢名とされている.
(続く)

2012年8月19日日曜日

ナンテン (4/4) 『出雲風土記』のサセノキはナンテン? 古事記,烏草樹(サシブ),佐斯夫能樹(サシブノキ),南燭,シャシャンボ,松田修『植物世相史(古代から現代まで)』

Nandina domestica
1973年12月 鎌倉大仏殿
倉敷市立自然史博物館のホームページの「出雲風土記の植物」(http://www2.city.kurashiki.okayama.jp/musnat/plant/bungakusakuhin/izumofudoki.htm)には「仁多郡」の植物として「南天燭(きしぶ) ナンテン」があると記されている.
その出典をメールで伺ったところ,ご親切に,秋本吉郎校注『出雲風土記』(1981)岩波書店 の「仁多郡,佐世の郷」の項に「郡家の正東九里二百歩。古老の伝へて云はく、頂佐能衰命、佐世の木の葉を頭刺して、踊躍らしし時に、所刺せる佐世の木の葉、地に堕ちき。故、佐世と云ふ。」とあり,訳注に、「木の名。明らかでない。旧説にサセブの略とする。サセブはサシブ(烏草樹)。石南科のヒサカキに似た木で黒紫色小球状の実がなる。」とある。しかし,松田修『植物世相史(古代から現代まで)』(1971)社会思想社の「出雲風土記の植物」に「南天燭(さしぶ)」の記述があることから,これを残して「させのき=サシブ→南天燭=ナンテン」とみて,ナンテンが『出雲風土記』に記載されたと考えていると教えていただいた.

今尾景年 1891年 多色木版
しかし,多くの書で,ナンテンは平安時代以降に中国から渡来し,現存している文書での初出は鎌倉時代初期の『明月記』であるとしていることから,調査をした.

大高利夫『動植物名よみかた辞典』(1991)日外アソシエーツ株式会社 では,烏草樹(サシブ),佐斯夫能樹(サシブノキ)はいずれも「南燭」の古名であるとしている.

木村陽二郎監修『図説 草木名彙辞典』(1991)柏書房 には,「させのき【佐世乃木】サセノキ」は南燭(しゃしゃんぼ)の古名であり,「さしぶ・しやしやんぼ」であるとし,また,「さしぶ【烏草樹】サシブ〔佐斯夫・左之夫〕」 の項では「南燭(しゃしゃんぼ)」の古名であり,別名「烏草樹(さしぶのき)・佐斯夫能樹(さしぶのき)・左之夫乃歧(さしぶのき)→しやしやんぼ」,出典は「日本書紀(下)/新撰字鏡,倭名抄,下学集」と記している.
また「しやしやんぼ【小小ん坊・南燭】シャシャンボ」の項に,古名は「烏草樹(さしぶのき)・烏草樹(さしぶ)・佐斯夫(さしぶ)・佐世乃木(させのき)・さしび・させ・させび・させ・させび・させぶ」,漢名は「南燭」とし,また出典として古事記(下),出雲風土記(大原郡)/新撰字鏡,倭名抄,多識編を挙げている.

さらに,江戸時代の百科事典,寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)での「南天燭,南燭」の記事.前半の『本草綱目』からの引用は,「ナンテン」ではなく,むしろ「シャシャンボ」の記述のように思える(葉に光沢がある.実は熟すると紫色.食用になって味は甘酸っぱい.薬用としての効果は強壮.)これに関して『和漢三歳図会 現代語訳』 島田,竹島,樋口訳注,平凡社-東洋文庫 のこの項の「注」では,『国訳本草綱目』で牧野博士は南燭にシャクナゲ科シャシャンボをあてているが,難波恒堆氏は『花とくすり-和漢薬の話-』(八坂書房)で、「ナンテンを中国で南天燭、南天竺、あるいは南天竹などと称していたものと思われる」とし、『本草綱目』の図はシャシャンボに似ているが、ナンテン(メギ科)にも似ており、記事は明らかにナンテンを指していると思われるから、牧野富太郎博士が南燭にシャシャンボをあてているのは信じがたい、とされている。ちなみに北村四郎氏によれば『新証校定国訳本草綱目』の頭注で、『本草綱目』の南燭の記事の中には、ナンテンの説明(蘇頭の説)とシャシャンボの説明(時珍の説)とが混在していると指摘されている。

湯浅浩史『花の履歴書』(1995)講談社 の「ナンテン」の項には,「『古事記』のサシブをナンテンとする見方は、仁徳天皇の記にその下にツバキがはえるとあるので、ふつうツバキより小さいナンテンにはぴったりしない。」との見解が示されている.

『古事記 下 仁徳天皇』には,大后 石之日賣〔イハノヒメ〕命が歌った歌として,

都藝泥布夜 夜麻志呂賀波袁 迦波能煩理 和賀能煩禮婆 迦波能倍邇 淤斐陀弖流 佐斯夫袁 佐斯夫能紀 斯賀斯多邇 淤斐陀弖流 波毘呂 由都麻都婆岐 斯賀波那能 弖理伊麻斯 芝賀波能 比呂理伊麻須波 淤富岐美呂迦母

つぎねふや(山代の枕詞) 山代河を 河上(かはのぼ)り 我が上れば 河の辺に 生ひ立てる 烏草樹(さしぶ)を 烏草樹の木 其(し)が下に 生ひ立てる 葉広(はびろ) ゆつ真椿(まつばき) 其(し)が花の 照り坐(いま)し 其(し)が葉の 広り坐(いま)すは 大君(おほきみ)ろかも

と,「さしぶの木の下に葉の広い椿が花をつけて照り輝いている」と謡っている.

Curtis' Botanical Mazine (1811)
一方,倉野憲司校注『古事記』(1991)岩波書店 の該当部の「さしぶ」に対する注では,「シヤクナゲ科の常緑潅木のシャシャンボ。しかしその下に椿が生えていたとすると、木が小さ過ぎるようである。或いは同名異木か。」としている.しかし,林弥栄編『山渓カラー名鑑 日本の樹木』(1985)山と渓谷社 によれば,シャシャンボは高さ2~3㍍,まれに10㍍ほどになるもののあるとの事で,高さ約2㍍にしかならないナンテンより大きい.なお,「ナンテンの床柱」の材はそのほとんどが「ナンテンギリ=イイギリ」であるとの事で,ナンテンの大木はあったとしても非常にまれであろう.

現代の中国では「南燭」は「ナンテン」ではなく,「烏飯樹」をいい,これは学名 Vaccinium bracteatum Thunb.から「シャシャンボ」である.また,引用している.『本草圖經』では「南燭,今惟江東州郡有之。株高三、五尺,葉類苦楝而小,陵冬不雕,冬生紅子作穗。人家多種植庭除間,俗謂之南天燭,不拘時采其枝葉用。亦謂之南燭草木。其子似茱萸,九月熟,酸美可食。葉不相對,似茗而圓厚,味小酢,冬夏常青,枝莖微紫,大者亦高四、五丈而甚肥脆易摧折也。」と,「南天燭」もシャシャンボの俗名であるとしている.一方「ナンテン」は「南天燭」とは言わず,「南天竹」「(南)天竺」というのが一般的である.

須佐能衰命が髪飾りにして頭に指して躍るときに,「ナンテン」の葉や枝よりは,「シャシャンボ」の艶やかな葉のついた枝のほうが呪術的な効果が高いであろう.さらに,大和・奈良・平安時代の文献に「ナンテン」が出ないこと(初出:鎌倉時代の公家で,歌人・書家としても有名な藤原定家の日記『明月記』(治承4年(1180年)~嘉禎元年(1235年)),江戸時代でも地方名が少なく,わずかな地方名も「ナンテン」の転訛と思われること(小野蘭山『本草綱目啓蒙』ではナツテン(京)ランテン(上総)の二つ,一方アセビは二十個),現在でも人家近くにしか自生が見られない事から,「ナンテン」は中国から薬用として移入されたと考えられる.

これらの事から,『出雲風土記』の「サセノキ」は「ナンテン」ではなく,「シャシャンボ」の可能性が高いと思われ,松田修『植物世相史(古代から現代まで)』の「出雲風土記の植物」の「南天燭(さしぶ)」は「南燭(さしぶ)」の誤植ではなかろうかとさえ考えられる.
この知見は参考としてお知らせした.

ナンテン (3/4) 花壇地錦抄・増補地錦抄・本草綱目啓蒙・廻国奇観

2012年8月15日水曜日

ヨウシュヤマゴボウ (1/2) poke-weed,原産地では若葉を食用に エルヴィスも唄う

Phytolacca americnana

道ばたや林の裾など,やや日陰になる場所を好む大型の多年性帰化植物.明治初めに原産地北アメリカから鑑賞用として渡来.高さ2㍍にも達し,大きな濃緑色の葉と紅色を帯びた茎が特徴だが,この時期にはまるで梅鉢紋のように整った形をした可憐な花が房をなして咲いている.花弁はなくて,ガクが花弁のように見える.やがて,濃い紅紫色の果実が房をなして垂れ下がり,房の根本の実は熟しているのに,先端部には白い小さな花が咲いている事も多い.もっと寒くなると全草が真っ赤に紅葉し,ますます目立つ.

米国での一般名は poke-weed. "Poke" は, Native american の「血」の意味の "poka" に由来し,これは実の汁の色が鮮やかな赤紫色だから.いかにも毒々しい実や茎だが,その通り全草にトリテルペン系の有毒成分フィトラクシン類を含み,大量に食すると下痢・腹痛・吐き気がもたらされ,痙攣後,死に至ることもあるとか.

一方有毒な植物は薬用植物でもあり,アメリカ原住民や初期の入植者の間では,痔疾から頭痛まで何にでも用いた.

このような毒性にも関わらず,原産地では葉を野菜として利用していた.若葉を塩水で2回(10分と5分)ゆでこぼして,毒性成分を抜くと,ホウレンソウに似た食味のサラダ菜として利用できたらしく,米国では缶詰として市販されていた.

また,1968年には,Tony Joe White が "Poke Salad Annie" という,この野草を摘んでは夕食の足しにする貧しい南部の少女とその家族を題材にした歌を発表し,この曲は1969年のビルボード誌で一時 8 位になった.エルヴィス・プレスリーの歌うこの歌はユーチューブで聴くことができる (http://www.youtube.com/watch?v=FOzaVpgeHJg)

南部では地域興しに " Poke Sallet Festival " を開催している町があり(テネシー州ゲイズンボロ,ケンタッキー州ハーラン)," Poke Sallet Queen" のパレードや Blue Grass の演奏会,そして," Poke Sallet " やヨウシュヤマゴボウの葉を使った料理のふるまいが呼び物とされている.

一方東洋では,漢方薬になっている.大きな根を乾燥させたものを,在来種のヤマゴボウ(中国原産,茎は緑色,果序は直立,紅葉せず)の根と区別せず「商陸(ショウリク)」と呼んで,利尿剤として用いる.適応症は水腫・脚気・リュウマチ・腎臓炎などだそうだが,毒性が強いので,民間での利用は避けた方がよいとのこと.

日本に生育するヤマゴボウ属の植物は,西日本原産のマルミノヤマゴボウ,中国原産のヤマゴボウと,このヨウシュヤマゴボウの三種.花の色と花序・果序の向きで見分けがつく.

なお,観光地でよく売っている漬け物のヤマゴボウはキク科モリアザミの根.これと誤認してヨウシュヤマゴボウの根を食べ中毒する事故が絶えないそうだ.ご用心.

2012年8月8日水曜日

コガネグモ メス

Argiope amoena (♀)
フェンスとローズマリーの枝の間に巣を作り,その中央に堂々と鎮座していた.庭にすんでいるクモの中では,最大級.

ジョロウグモによく間違えられる派手な色彩を纏うが,前2対と後ろ2対の足をそれぞれそろえて真っすぐに伸ばしたX字状の待機姿勢と,網の上に糸の帯でできた白いジグザグの模様(「白帯」(はくたい))があることから見分けられる.足もジョロウグモ (http://hanamoriyashiki.blogspot.jp/2011/09/blog-post_12.html) に比べると太く,男性的.

コガネグモは,鹿児島県姶良市(あいらし)の伝統行事,「クモ合戦」に使われ,この行事は 1996 年 11 月 28 日に国により「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」(選択無形民俗文化財)のひとつ「加治木のくも合戦の習俗」として選択されている.
伝承によれば,文禄・慶長の役において,薩摩藩の島津義弘が出陣した際,兵士達を励ますために始めたものとされている.高知県四万十市にも同様の行事がある.