2008年7月 岩手県小岩井農場 |
角川文庫「悪魔の手毬歌」表紙,部分 H8
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被害者宅に到着した金田一耕助は台所の「水瓶の蓋のうえにちらかっている五、六本の草花である。それはききょうの花のようである。」を発見し,地元の人から「あっ、いけません。お客さん、それは毒です。毒草ですけんおさわりんさってはいけません」と声をかけられ,あわてて土間に捨て名を聞いて,「このへんではお庄屋ごろし」と呼ばれていることを知った.一方,現場に残っていた汚物(吐瀉物)を県警の鑑識課が分析したところ,汚物のなかからロベリン (C22H27NO2) なる猛毒アルカロイドが発見され,このロベリンなるアルカロイドは沢ぎきょうというキキョウ科の植物の全草中に含有されていて,この沢ぎきょうは「お庄屋ごろし」とよばれ,現場付近の沼の周辺のあちこちに群生しているとされている.
この小説は横溝の代表作として名高いが,薬剤師免許を持っていたとはいえ,横溝正史はこのロベリンの毒性を過大評価していたのではないだろうか.
Structure of Lobeline |
彼は『悪魔の手毬唄』のなかで,「放庵氏(被害者)は毒殺されたのではなかった。絞殺されたのである。しかし、その後の解剖の結果判明したところによると、放庵氏はロべリンなる猛アルカロイドを多量に服用しており、絞殺のことがなくとも毒死していただろうということである。」としている.また,「放庵さんの草庵に残っていたいなりずしは十個であった.したがって二個のいなりずしは放庵さんや怪老婆の胃の腑へおさまった勘定である。しかも草庵に摂っていた嘔吐物のなかから検出されたロベリンなる毒物は、このへんいったいに群生している、沢ぎきょう、俗名お庄屋ごろしという草花の全草中に含有されているという。」としている.つまり,いなりずし2個中の含まれるサワギキョウ中のアルカロイド(ロベリン)が「毒死」をもたらすとしたわけである.
ロベリンはロベリア属の植物に含まれるアルカロイドで,特に米国原産のこの属の植物は薬草として名高い.ロベリンの安全性は動物実験で左図のように示されている.経口投与の報告がないのは,この投与経路では 2,000 mg/kg 以上では死亡例がないのか,或いは嘔吐その他の生体反応で,投与不可能になったためと推察される.
比較のために植物毒として名高いアコニチン(トリカブト毒)のデータを示すが,ロベリンの毒性はアコニチンの数十から数百分の一と考えられる.
したがって,動物種差はあるとはいえ,ロベリンで成人を殺害するには,すくなくとも 10g 以上を経口で摂取させなければ「毒殺」はできないと考えられよう.
サワギキョウ中のロベリン濃度(含有量)は残念ながら検索しても見出せなかったが,米国産のロベリア属の植物中のロベリン濃度は右図に示すとおりで,乾燥全草中で約 10 mg/kg であり,乾燥によって重量が五分の一になった(通常はもっと減る)としても,生では 2 mg/kg 以下と計算される.サワギキョウ中のロベリンがこの程度であるとしたら,1g 以上のロベリンを経口で摂取させるためには,生のサワギキョウをかなりの量,二個のいなりずしに入れる必要があり,到底不可能と考えられる.
ロベリン(サワギキョウ)を摂取して死亡にいたるとしたら,嘔吐に伴う窒息,あるいは全身の衰弱が原因であって,そのニコチン様薬理作用の直接的な「毒死」とは考えにくい.
「悪魔の手毬歌」のサワギキョウは,陰惨な連続殺人と可憐なその花との対比のロマンを楽しむための小道具と位置づけるのがよろしいだろう.
サワギキョウ (1/2) 江戸時代本草書 池坊専応口伝,花壇地錦抄,大和本草,和漢三才図会,絵本野山草,ツンベルク『日本植物誌』,学名初出文献図
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