2012年9月29日土曜日

ルコウソウ(1/2) 花壇地錦抄・草花絵前集・花譜・大和本草・地錦抄付録・和漢三才図会・花彙

Ipomoea quamoclit

熱帯アメリカ原産のつる性植物.熱帯では多年草だが,温帯では冬の寒さで根まで枯れるので,一年草扱いとなる.庭では毎年こぼれ種で咲いていたが,だんだん個体数を減少させ,いまではほとんど見られなくなってしまった.細い蔓は見かけより強く,なかなか手ではちぎれない.切り口からは水滴が滴り,一種独特の匂いがする.枯れた後の蔓も強靭で,ネットからの除去も,アサガオより手間がかかる.

『草花絵前集』 NDL
伊藤伊兵衛『花壇地錦抄』(1695)には「△草花秋之部 るこう(中末) 葉もあいらしく花小りん朱のことく蔓ニからミてあさがおのことしいろいろのつくり物ヲして此草からましむ 」と,また,「草木植作様伊呂波分(いろはわけ)」の「る」の項に「●るこう 二月中の時分たねをまく随分はへにくき物也節〃水をそゝくべししめりを得て生ル也種を植て四五日の内生ルも有一月二月にして生るもあり来春生る事もあり蔓草なりいろいろの作り物してからましるニ其のごとくニまとふ物なり合肥よし」とあり,作り物に絡ませて形作るなど,江戸で広く愛玩・栽培されていた.

伊藤伊兵衛三之丞画・同政武編『草花絵前集』 (1699) には「○留行 花あさがほ形(なり)。図ほどの小りん、色朱(あけ)のごとし。ほそきかづらにて、葉の艶美事(つやうつくしきこと)、又花にすぐれたり。」とあり,葉と花の繊細さが高く評価されている(左図).

和漢三才図会
貝原益軒『花譜』(1694)には「柬蒲塞牽牛花(かんぽちやあさがほ) 子(み)をまきて生ず.日あてをこのむ.蔓はなはださかへ生ず.盆栽箱にうへて,ませを作り,かごのごとくにして蔓をはわしむ.花ひらきてはなはだ愛すべし.うへたる盆を床のほとりにをくべし.七月中の後花咲く.この草の種近世異国よりきたる.もろこしの書にていまだみず.」とあり,同人の『大和本草』(1709)「巻之七 草之三 花草類」には「蛮種 柬蒲塞牽牛花(カホチヤアサカホ) 蔓草也 寛永年中 (注 1624~1644) 長崎ニ来ル 間柬蒲塞又甘孛智ト云 真臘国(注 しんろうこく,初期のクメール人の王国,現在のカンボジア王国周辺)ナリ 葉ハ結明又豌豆ニ似テ甚細也 七八月細紅花ヲ開 形丁香ニ似愛ス可 好事ノ者盆ニウヘ籬ニ延(ハヽ)シム 根ハ當年枯ル 實ヲマクヘシ」とあり,寛永年間に東南アジアから長崎に来たこと,丁子の花のように花筒の長い花を「愛すべし」とし,また蔓を籬に絡ませて,鉢で楽しんでいる人々がいたとされている.

一方,四世伊藤伊兵衛著『地錦抄付録』(1733年)巻の三には「天和(注 1681~1683年)貞享(注 1684~1687年)年中来ル品々」として,“るこう”が“千日紅,柊南天,朝鮮朝がほ”と共に挙げられている.貝原益軒の『大和本草』の記述より遅いものの,17世紀には日本に入り,育てやすさと愛らしさからその普及は速かったものと思われる.

花彙 (NDL)
寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)には良く特徴を捉えた絵(右上図)と共に,「△思うに、留紅草は茎が細くて靭(しな)え、葉は細密で杉藻のようである。表・裏とも浅青色で、茎の端から蔓を出す。八月、枝の叉に短い茎が抽(ぬき)ん出て花を開く。形は丁子のようで紅色。長さは六、七分で愛らしい。花が終ると角(さや)を結ぶが、中に細かい子(み)がある。(現代語訳 島田・竹島・樋口訳注,平凡社-東洋文庫)」とここでも評価が高い.

小野蘭山『花彙』(1765)には「藤菊(トウキク) ルカウ 花史左編 葉繊線(ホソキイトスチ)ノ如クニテ青緑色 形チ架(タナ)ニ上ル●(虫+吴)蚣(ムカヘ)ノ如シ 婆々綿々トノ蔓延ス 五六月花ヲ開ク 五弁深紫色 又紅黄艸ト呼(ヨフ)モノアリ 又其千葉ナルモノヲ千壽菊(センシュキク)ト名ク 即此ノ種類ナリ」とある.図は明らかにルコウソウだが,花の色を深紫色とし,また,紅黄艸(フレンチマリーゴールド)も其の一種とするなど,うなづけない点もあるものの,葉をムカデのようだとは言いえて妙.

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