Seymour IN, USA 2002年8月 |
なかなか,花のいい季節の訪ねることはできなかったが,ある年の八月の午前中,時間があったので,ホテルから程近い農地を結ぶ原野を歩いて,いくつか見たいと思っていた野生の花を見ることができた.そのひとつがこのカーディナル・フラワー(枢機卿の花).
人目を引く真紅の花は,道の側の溝の緑の中でぽつぽつと咲いていた.野生のせいか,花弁は細く,花と花との間も広く,色の強烈さの割にはすっきりとした印象を持った.
一般的には 1637年に,アメリカのヴァージニアに三度のプラントハンティングに出かけたトラデスカントの息子(John Tradescant, younger, 1608-62)によって英国に導入されたとされているが,実際にはその10年ほど前にパーキンソン(John Parkinson, 英国1567-1650)が, “Brave plant” として記載している.
彼の『太陽の園、地上の園』 “Paradisi in Sole (1629)” の Chapter 84, Campanula. Bell-flower (キキョウ類)の項に,8. Trachelium* Americam flore ruberrimo, sive Planta Cardinalis. The rich crimson Cardinals Flower を,アメリカのカナダに近い川のフランスの植民地に生育していること,茎や葉の形状,葉序などを細かく記述すると共に, “most rich crimson coloured flower, ending in five long narrow leaves, standing all of them foreright, but three of them falling downe, with a umbone set as it were at backe of them, - - - , but of no sent or smell at all, commendable only for the great bush of so orient red crimson flowers: と,5弁の輝くような緋色の花について述べている(左図).さらに,名前については,彼がこの植物を譲り受けたフランスでのラテン名を英訳したものだとしている.
(*おもに地中海沿岸に分布するキキョウ科ユウギリソウ属)
この名前の由来について,ラウドン夫人(Mrs. J. C. Loudon)は興味深いエピソードを伝えている.この植物がカナダのフランス植民地から,女王ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス(Henrietta Maria of France, 1609 - 1669)に献上されたときに,彼女はこの花を見て大笑いしながら「この花の色は枢機卿(Cardinal)の緋色の靴下を思い出させる」と言ったそうだ.
この名前がフランスから植物と一緒に,パーキンソンに伝えられたのであろう.
なお,Lobelia という属名は,フランドルの著名な植物学者,マティアス・デ・ロベル(Mathias de l’Obel, 1538 – 1616)を記念して,フランスの植物学者シャルル・プリュミエ(Charles Plumier, 1646 – 1704)が 1702 年に名づけた.マティアス・デ・ロベルは,それまで薬効で分類されていた植物を形態で分類した “Plantarum seu stirpium historia” を 1571 年と 1576 年に出版し,リンネの先駆者といわれている. "de l’Obel" という姓は白いポプラ(白楊) "Abele" に由来しているので,この名前は植物から人へ,そしてまた人から植物へと受け継がれた事になる.
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