2012年9月24日月曜日

クズ 葛花 延喜式,大和本草,和漢三歳図会,救荒本草

Pueraria lobata
2010年9月茨城県南部
秋が近づくと,何処からともなく甘いさわやかなグレープジュースの香りがしてくる.上を見上げると,クズの赤紫の花が木の枝から垂れ下がっている.昔は,蛋白の多い葉は家畜の飼料に,強いつるは籐細工や繊維を採って布に,根からは良質の澱粉を採ってくず粉や葛根に,花は薬用にと,クズは全草あまなく利用できる有用植物であったが,現在では野放図に不耕作地や樹木を覆う嫌われ者となってしまった.

クズの名は『古事記』(712)にも現れるそうだが,花の記述は『万葉集』(785前)の山上憶良の有名な秋の七草の歌「山上臣憶良、秋野の花を詠む歌二首のうち,「秋の野に 咲きたる花を 指(おゆび)折り かき数ふれば 七種の花」「萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなへし また藤袴 朝顔が花」」が嚆矢.『万葉集』ではクズの歌がこれ以外に20首程を数えるが,全て精力的にツルが延びるようすや秋の葉の色付きを題材にしたもので,当時花はあまり歌題として魅力的なものではなかったらしい.

しかし,「葛花」は平安時代には薬用として重要視されていて,『延喜式』(927年(延長5年)に一応完成し,その後も改訂が加えられ,40年後の967年(康保4年)より施行)の『巻三十七,典薬寮,諸国進年料雑薬』の項には,毎年,安房国より一斤,上総国より二斤,若狭国より三両,紀伊国より一斤,計4カ国より四斤三両の葛花が献上されるように記されている.一方,「葛根」の方は山城国には三十二斤,近江国には二十二斤八両,紀伊国には十一斤,伊勢国には十斤,計4カ国より七十五斤八両の献上が義務づけられていた.興味深いのは「葛花」と「葛根」両者を献上すべきなのは紀伊国一国で,他の六カ国はいずれか一方であることだ.

平安貴族たちはこの「葛花」にどのような薬効を期待していたのであろうか.

和漢三才図会
当時の文献は見出せなかったものの,江戸時代の本草書には「葛根」についての詳しい記述と共に「葛花」について以下のように記されている.
貝原益軒『大和本草』(1709)には
「--- 葛花ハ酒ヲケス薬ニ入用ユ ----」とあり,
寺島良安『和漢三才図会』(1713頃)(左図)には
「本綱(注『本草綱目』(初版1596)) ----(中略)--- 葛花(甘く平),酒を消す。小豆の花と同じく乾末して酒にて服すれば、酒を飲みて酔はず。」と葛花には酒毒の解毒作用があるとしている.

一方,小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806)では「--- 七月相葉ノ間二花穂ヲ出ス。長サ三五寸下垂ス。花ハ豆ノ花二似テ紫赤色。上代ハ名花ナク、コノ花ヲモ賞セシニヤ、万葉集秋七種ノ歌ニアリ。---」と単なる花の記述に留まっている.

救荒本草 NDL
また,周憲王(周定王)朱橚選『救荒本草』(初版1406),京都,茨城多左衞門等1716年刊の「葛根」の項には
「及ヒヲ採リ晒シ乾カシ煠(ゆが)キ食フモ可」と飢饉の際には根と共に食用になると記してある.(右図)

現代中国・台湾では,「葛花」は葛藤花.葛條花.刈花.山肉豆花とも呼び,「花盛開時採集」して「除去雜質」し,「鮮用或曬乾備」して用いる.功能は「解酒毒.化濕熱.清胃熱.止渴.止瀉」等で,用法は「酒醉.煩渴.頭痛.嘔吐.慢性酒精中毒.腸炎.便血」としている.

平安貴族たちも,行事にかこつけよくお酒を飲んでいたようなので,上総国などから取り寄せた「葛花」を二日酔い防止に用いていたのかも知れない.

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