2014年5月15日木曜日

オキナグサ (5/5) 宮沢賢治「おきなぐさ」,うずのしゅげ-語源,春と修羅,岩手の地方名(翁・媼)

Pulsatilla cernua (Syn. Anemone cernua)
2007年4月 茨城県南部 植栽
 岩手の生んだ文学者,宮沢賢治の 1923年,27歳の時の作品に,「おきなぐさ」という童話がある.その中で,彼はオキナグサを愛着のある「うずのしゅげ」という地方名で記している.その冒頭部分を紹介すると,

「おきなぐさ」
 うずのしゅげを知っていますか。
 うずのしゅげは、植物学(しょくぶつがく)ではおきなぐさと呼()ばれますが、おきなぐさという名はなんだかあのやさしい若(わか)い花をあらわさないようにおもいます。
 そんならうずのしゅげとはなんのことかと言()われても私にはわかったようなまたわからないような気がします。
それはたとえば私どもの方で、ねこやなぎの花芽(はなめ)をべんべろと言()いますが、そのべんべろがなんのことかわかったようなわからないような気がするのと全(まった)くおなじです。とにかくべんべろという語(ことば)のひびきの中に、あの柳(やなぎ)の花芽(はなめ)の銀(ぎん)びろうどのこころもち、なめらかな春のはじめの光のぐあいが実(じつ)にはっきり出ているように、うずのしゅげというときは、あの毛茛科(もうこんか)のおきなぐさの黒朱子(くろじゅす)の花びら、青じろいやはり銀(ぎん)びろうどの刻(きざ)みのある葉()、それから六月のつやつや光る冠毛(かんもう)がみなはっきりと眼()にうかびます。
 まっ赤なアネモネの花の従兄(いとこ)、きみかげそうやかたくりの花のともだち、このうずのしゅげの花をきらいなものはありません。
 ごらんなさい。この花は黒朱子(くろじゅす)ででもこしらえた変()わり型(がた)のコップのように見えますが、その黒いのは、たとえば葡萄酒(ぶどうしゅ)が黒く見えると同じです。
この花の下を始終(しじゅう)()ったり来たりする蟻(あり)に私はたずねます。
「おまえはうずのしゅげはすきかい、きらいかい」
 蟻(あり)は活発(かっぱつ)に答えます。
「大すきです。誰(だれ)だってあの人をきらいなものはありません」
「けれどもあの花はまっ黒だよ」
「いいえ、黒く見えるときもそれはあります。けれどもまるで燃()えあがってまっ赤な時もあります」
「はてな、お前たちの眼()にはそんなぐあいに見えるのかい」
「いいえ、お日さまの光の降()る時なら誰(だれ)にだってまっ赤に見えるだろうと思います」
「そうそう。もうわかったよ。お前たちはいつでも花をすかして見るのだから」
「そしてあの葉()や茎(くき)だって立派(りっぱ)でしょう。やわらかな銀(ぎん)の糸が植()えてあるようでしょう。私たちの仲間(なかま)では誰(だれ)かが病気(びょうき)にかかったときはあの糸をほんのすこうしもらって来てしずかにからだをさすってやります」
「そうかい。それで、結局(けっきょく)、お前たちはうずのしゅげは大すきなんだろう」
「そうです」
「よろしい。さよなら。気をつけておいで」
 この通りです。(以下略)

自然,特に植物に造詣の深い賢治の観察だけあって,蟻の目から見たオキナグサの花の色の描写などは実に美しい.

2004年 5月 筑波実験植物園
この,賢治が魅せられた不思議な名前「ウズノシュゲ」,語源は何だろうか.岩手県のオキナグサの方言(地方名)にその秘密はあった.

オキナグサに地方名が非常に多いのは江戸時代から知られていて,松岡玄達(1668-1746)『用薬須知(1726)  巻之一草部 には「諸国方言[クニコトバ]最モ多シ」とある.
現代でも八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房 (2001) には,約300個の地方名が集められているし,また,オキナグサの地方名を集積している中園氏のサイト「幻の野草・オキナグサ/呼び名方言集」(http://www.synapse.ne.jp/m3naka/WORD.HTM)には,県別で集積しているので重複もあるが,20145月現在で700 個近い呼び方が記録されている.

どちらの文献でも岩手県での呼び方の数は突出しており,前者では 84 件,後者では 146 件(ちなみに二位はどちらでも長野県でそれぞれ,25 件,75 件)である.興味深い名前も多いが,やはり花後の白い種毛を老人の髪の毛や鬚に見立てた名前が多い.しかも,数からすると媼に関連する名前が多いのは,昔から女性の寿命が長く,しかも翁は禿頭になる場合も多いのに,女性は白髪がきれいなまま,年齢を重ねるからであろうか.

これらの岩手県の地方名を並べて考えると,冠毛を白くなった「おじいさんのひげ」にたとえた「オジーノヒゲ」が,「オジノシゲ」「ウジノヒゲ」「ウズノヒゲ」,そして「ウズノシュゲ」と変化していったのではないかと推測される.

賢治がその語感に詩心をそそられた「うずのしゅげ」と云う名前は,彼が「黒朱子(くろじゅす)の花びら、青じろいやはり銀(ぎん)びろうどの刻(きざ)みのある葉()、それから六月のつやつや光る冠毛(かんもう)がみなはっきりと眼()にうかびます。」と言ったオキナグサの魅力と一体化していて,この無粋な推測がそれを損なうものではない.

2007年4月 茨城県南部 植栽
なお,賢治の詩の最高傑作として知られる「心象スケツチ 春と修羅」には,いくつかのオキナグサの詩が収載されている.

小岩井農場 パート一」に,鉄道の駅を降りて馬車に乗るかどうか迷った後,「(前略)くらかけ山の下あたりで/ゆつくり時間もほしいのだ/あすこなら空気もひどく明瞭で/樹でも艸でもみんな幻燈だ/もちろんおきなぐさも咲いてゐるし/野はらは黒ぶだう酒(しゆ)のコツプもならべて/わたくしを款待するだらう (後略)(一九二二、五、二一)」と,オキナグサの花を「黒ぶだう酒のコツプ」になぞらえている詩を残している.

また,「おきなぐさ」と題する詩には「風はそらを吹き/そのなごりは草をふく/おきなぐさ冠毛(くわんもう)の質直(しつぢき)/松とくるみは宙に立ち/  (どこのくるみの木にも/   いまみな金(きん)のあかごがぶらさがる)/ああ黒のしやつぽのかなしさ/おきなぐさのはなをのせれば/幾きれうかぶ光酸(くわうさん)の雲 (一九二二、五、一七)」

かはばた」には,「かはばたで鳥もゐないし/(われわれのしよふ燕麦オートの種子たねは)/風の中からせきばらひ/おきなぐさは伴奏をつゞけ/光のなかの二人の子/(一九二二、五、一七)とある.

亡くなった妹トシが白い鳥になって兄の賢治を尋ねてきたと詠う「白い鳥」では,
「 ((みんなサラーブレツドだ/  あゝいふ馬 誰行つても押へるにいがべが))/ ((よつぽどなれたひとでないと))/古風なくらかけやまのした/おきなぐさの冠毛がそよぎ/鮮かな青い樺の木のしたに/何匹かあつまる茶いろの馬/じつにすてきに光つてゐる/   (日本絵巻のそらの群青や/    天末の turquois(タコイス) はめづらしくないが/    あんな大きな心相の/    光の環(くわん)は風景の中にすくない)/二疋の大きな白い鳥が/鋭くかなしく啼きかはしながら/しめつた朝の日光を飛んでゐる/それはわたくしのいもうとだ/死んだわたくしのいもうとだ/兄が来たのであんなにかなしく啼いてゐる/  (それは一応はまちがひだけれども/   まつたくまちがひとは言はれない)/あんなにかなしく啼きながら/朝のひかりをとんでゐる/  (あさの日光ではなくて/   熟してつかれたひるすぎらしい)」以下略(一九二三、六、四)

と多くのオキナグサの花や冠毛に触発された言葉を残している.

参考 岩手県のオキナグサの地方名
日本植物方言集成』より抽出
男性:うじのへげ,うずのひげ,おいじのひげ,おいじのひげこ,おいちのひげ,おいちのひげこ,おいでのひげ,お-じのばっこ,おじ-のひげ,おじのしげ,おじのひげ,おずのしげ,おずのひげ,じ-ちゃ-ば-ば,じじばば 15個
女性:うばかしら,うぼけ,うばしらが,うばしらがあ,うばと,うばのあたま,うばのしらが,うばばな,おえちのばば,おばかしら,おぼしらが,おぼしらがあ,おばっこ,おばのけっこ,じ-ちゃ-ば-ば,じじばば,じゃんがばば,しらがうば,しらがばば,しらがばばあ,しらがぽんば,しらがんば,ばばこ,ばばこくさ,ばばそ-,ぽんば,んばかしら,んばしらがあ 28個

「オキナグサの呼び名方言集」http://www.synapse.ne.jp/m3naka/WORD.HTM より抽出
男性:うしのひげ,うじのひげ,うじのへげ,うずのしげ,うずのしゅげ,うずのひげ,おいじぃのへんげ,おいじのひげ,おいじのひげこ,おいじばば,おいちのひげ,おいちのひげこ,おいでのひげ,おえでのしげ,おーじのばっこ,おーじのひげ,おじーのひげ,おじいのひげ,おじいのひげこ,おじこのひげ,おじのしげ,おじのひげ,おずのしげ,おずのひげ,おずのへげ,じーじぁばーば,じーちゃーばーば,じじばば,しばしらが 29個

女性:うばかしら,うばがしら,うばかすら,うばがすら,うばけ,うばこ,うばしらが,うばしらがぁ,うばと,うばのあたま,うばのしらが,うばのばっかい,うばばな,うんばけ,うんばけ,うんばのけ,おえちのばば,おばかしら,おばがしら,おばけ,おばこ,おばこばな,おばしらが,おばしらがぁ,おばじらがぁ,おばっこ,おばのけっこ,おばのけっと,おばのばっかい,じーじぁばーば,じーちゃーばーば,じじばば,しっしゃがばば,しっしゃがばんば,しばしらが,しらがうば,しらがばば,しらがばばぁ,しらがばんば,しらがぼんぼ,しらがんば,ばばこ,ばばこくさ,ばばこぐさ,ばばそー,ばんば,んばかしら,んばがしら,んばけ,んばけこ,んばしらが,んばしらがぁ,んばしらば,んばのばっかい 54個

オキナグサ (4/5) ツンベルク,シーボルト,川原慶賀,伊藤圭介,カーチスのボタニカル・マガジン

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