2010年10月24日日曜日

ハハコグサ,万葉集,和草,草餅,本草綱目啓蒙,鼠麹草,草仔粿,鼠麴粿

Gnaphalium affine
葦垣の中の和草にこやかに我れと笑まして人に知らゆな
(蘆垣之 中之似兒草 尓故余漢 我共咲為而 人尓所知名 作者: 不明)

春の七草の一つ.御行(おぎょう)はこの草の古名で,七草粥に用いるのは早春のロゼッタ.和名は全草に生える白軟毛がほうけ立つことによるホウコグサからの転化ともいわれる.「万葉集」に詠まれている「庭の和草(にこぐさ)」は,和毛(にこげ)に覆われた特徴からこの草と考えられている.
漢名は鼠麹草(そこくそう)で葉を鼠の耳,花を熟した麹(こうじ)に見立てたものらしい.

現在では「草餅」の「草」はヨモギの若い葉を用いるが,古くはハハコグサを使っていた.小野蘭山『本草綱目啓蒙』 (1803-1806) によれば,ヨモギに変えたのは,色を濃くするためとか.また,花を煙草として吸うとも記している.
巻之十二 草之五 湿草類下 鼠麹草 ハハコグサ
 此草原野二多アリ。秋月、苗ヲ生ズ。菓ハ馬歯莧(スベリヒユ)葉ニ似テ、薄ク長クシテ白毛アリ。三四月苗高サ六七寸、或一尺ニ至ル。葉互生シ、梢ニ蔟リテ黄花ヲ開ク。此花ヲ取、烟草ニ代テ吸。又此花ヲ以テ完花二偽リ、又蜜蒙花ニモ偽ル。古ハ上巳(「桃の節句」)二此葉ヲ用テ餐(モチ)トス。即竜舌●(米+半)ナリ。後其色ノ濃カランコトヲ欲シテ、艾葉ヲ以テ代。朝鮮賦二謂ユル艾糕ナリ。
 今ハ皺葉芥(オオハガラシ)葉ヲ加テ其色ヲタスク。益其真ヲ失ス。〔集解〕●(米+巴)果ハ、果子ノコトナリ。禁烟ハ寒食ノ一名也。冬至ヨリ育五日ヲ云。

草餅になぜ,ハハコグサやヨモギが用いられたか.それはこれらの草の葉に生えている「毛」が餅の中で絡み合い,餅のつなぎとして,また餅の腰を出すために重要だったからである.同様に葉の裏に毛が多いオヤマボクチも,新潟県の笹団子や山梨県と檜原村の草餅で利用されている.

現在でもハハコグサは中国や台湾では食材として重要で,若芽を野菜として食べるほか,草仔粿 (chháu-á-ké) または鼠麴粿 (chhú-khak-ké) という,草餅の餡の代わりに味をつけたひき肉や野菜などを入れて蒸して作る食品に使われていて(「台灣大百科全書-草仔粿-」の項に作り方が詳しい),美味しいらしい.

2010年10月22日金曜日

洋種シュウメイギク ボタンキブネギク

Anemone ×hybridaピンクのシュウメイギクが満開.一株づつ離して植えたのが,子株を増やし広がった.秋風に揺れている様子は,なかなかエレガント.買った時は矮化剤を使っていたのか,こじんまりしていたが,次の年からは1m以上に花茎を伸ばす.乾燥は好きではないと見えて,今年の夏は葉を落とし,子株もいくつか枯れてしまった.

日本に昔からあるシュウメイギク(貴船菊,左図)は紫紅色で八重の花をつける.庭に植えてあるのは一重のと桃色の花をつける種.これらは「洋種シュウメイギク」とでも呼んで区別するよう,千葉大の村井千里氏は,「花葉 2007 No.26」で提案している.

また,長田武正『原色日本帰化植物図鑑』保育社 (1976) には,「シュウメイギク」の項に「萼片が幅広く,数は10個以下で白~淡紅色のものをボタンキブネギクという.」とある.これに従えば,この植物はボタンキブネギクとなる.

シュウメイギクの母種は Anemone hupensis で桃色の一重の花をつけ,漢名は「打破碗花花」,中国南部の海抜400~1800mの草原に生える.
日本でのシュウメイギク A. hupensis var. japonica は現地で「秋牡丹」と呼ばれ,八重咲き、蕚片が約20で,紫或は紫紅色.雲南,広東,江西などの各地で栽培されたものが野生化している.

一方日本で現在一般に流通しているシュウメイギクは欧州で秋牡丹と野棉花(一重,白花 A. hupensis var. alba)を交配して改良した A. ×hybrida ボタンキブネギク が主らしい(左図 Garden Perennials and Water Plants, 1970 より).

昔からある「シュウメイギク」は江戸時代には広く栽培・野生化していたと見え,小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803―1806)には日本各地での呼び方が記されているが,それぞれこの花の特徴を捉えていて興味深い.
秋牡丹一名秋芍薬卜云。
 和名 キブネギク京師 カウライギク讃州 八朔牡丹長州 アキ牡丹相州 カハギク紀州 カヾギク泉州 トウギク大和本草 紫衣ギク三才図会 ハマギク常州 シマギク越後 ムメウサウ南都 サツマギク濃州 カブラギク加州小松 カブロギク勢州山田 シウメイギク同上久井 クハンノンギク播州林田 ランギク同上立野 カラギク越前 クサボタン江州 
 山中渓側二生ズ。人家ニモ栽、甚繁茂ス。城州ニハ貴船山中二自生多シ。故ニキブネギクト云.春宿根ヨリ葉ヲ叢生ス。形三枝九葉ニシテ大抵牡丹葉ニ類シ、尖リテ毛茸アリ。夏月、茎ヲ抽コト三四尺、八九月二至リ、枝頂ゴト一花アリ。形菊花ノ如ク、二三重ナリ。大サ一寸余、初ハ紫紅色後ハ色淡シ。背二白毛アリ。花中ニ黄小心アリ。花後実ヲ結バズ。冬二至テ苗枯。春二至レバ根鬚ノ末皆苗ヲ発スルコト、金沸草(オグルマ)ノゴトシ。

海を渡ったシュウメギク」はこちらのリンクからどうぞ.

2010年10月19日火曜日

アカヤシオ (2), 戻り咲き,返り咲きのメカニズム.フユザクラやジュウガツザクラ,アブシジン酸,

Rhododendron pentaphyllum var. nikoense
春3月に開花したアカヤシオがまた10月にいくつかの花をつけた.ツツジやサツキではこのような「戻り咲き,返り咲き」は珍しくはないが,アカヤシオでは初めて見た.これは今年の夏の猛暑と乾燥により葉がほとんど落ちてしまったことと関連がありそうだ.

毎日新聞(10月5日)によると,大阪府四條畷市では,遊歩道に沿って植えられたヤマザクラが季節はずれの花を咲かせ,長居植物園(大阪市東住吉区)などによると,夏の間に猛暑による水枯れなどで開花を抑制する葉が落ちてしまい,春先のような気候になったこの時期に花が咲いたとの事.

サクラにはフユザクラやジュウガツザクラの様に,春と晩秋と二回花をつける種がある.サクラは気温が30 度に達すると花芽をつくり始めるので,平年7月に暑い日が続くとつぼみの元をつくりだんだん大きくなる.しかし,秋に成長したのでは,花が木枯らしで飛ばされてしまうので,そうはならないように葉から分泌されている植物ホルモンのアブシジン酸が花芽の成長を止める.ところがフユザクラやジュウガツザクラは早めの9月には落葉してしまい,花芽にアブシジン酸がたまらないため,晩秋~初冬でも暖かい日が続くと花をつけて,冬の花見が楽しめる(左2010年1月皇居東御苑).

一方ソメイヨシノやヤマザクラなどの春の一期咲きのサクラでも,葉がアメリカシロヒトリの幼虫に食べられたり,台風で飛ばされたり,あるいは葉が病気で枯れたということになると,芽にアブシジン酸がたまらない状況で落ちてしまい,それである程度暖かい日が続くと,秋に花をつけてしまう.

庭のアカヤシオでも,夏の落葉によって同様のメカニズムで,3月に続き10月にも花が咲いたと思われる.今年の夏の猛暑と少雨は野菜の生育や動物や昆虫の生態に大きな影響を与えたと報じられているが,庭の花々にも影響を与えているので,来年の春が心配.なお,朝日新聞(2月19日)はアブシジン酸とその受容体、さらにたんぱく質の脱リン酸化酵素PP2Cが結合した複合体の三次元構造が明らかになり,干ばつや冷害など厳しい条件下でも農業をするために利用できる可能性が開けてきた.と報じた.

2010年10月16日土曜日

アマクリナム’ドロシーハンニバル’

X Amacrinum ’Dorothy Hannibal’南アフリカ原産の「アマリリス・ベラドンナ (Amaryllis belladonna) ホンアマリリス」と「クリヌム・ムーレイ (Crinum moorei ) ハマユウを含むハマオモト属」との属間交雑種なので名前もアマクリナム.その園芸種の一つ.
9月から110月ごろ,70センチほどの花茎を伸ばして散形花序をつける.花序ははじめ苞に包まれていて,開花時にはこの苞は紐の様に下に垂れ,花には芳香がある.ヒガンバナと同様に花の咲く時期には葉が見られないので,この類の“Naked lady”の別称もうなずける.花後,根元につやつやとした幅広い剣状の束生する葉を伸ばす.

色に品がないので家内にはあまり評判が良くないが,花の少ない季節に咲き,花期は長く,密植すると花束のように華やかで人目を引く.



おまけは米国 Indiana 州 Seymour の Dan-san から送ってもらった,彼の家の花壇に咲くナデシコの仲間.多分ビジョナデシコ(Dianthus barbatus 英名 'Sweet William')の品種,他にピンクの剣咲きのバラも咲いているようだ. 秋の Seymour もいいだろうな.


2010年10月14日木曜日

コスモス "イエローキャンパス"

Cosmos bipinnatus cv. ‘Yellow Campus'
心中をせんとて泣ける雨の日の白きこすもす紅きこすもす  与謝野晶子

コスモス(オオハルシャギク)はメキシコを中心とした中南米及び北米南部原産.図譜(銅版手彩色)を左下に示した Curtis “Botanical Magazine 1813” によれば,欧州では 1789年の10-11月にマドリッドの王立植物園で開花,1791年に A.J.Cavanilles によって記載された.また1812年にメキシコから英国にもたらされた種子からボイトンで咲いた花を元にこの絵が描かれた.
日本では,文久二年(1862)12月遣欧使節が持ち帰った250種に及ぶ種子類の1つにあった.

コスモスの花色といえば,栽培が開始されてから約150年間は,野生原種の花色である桃色,白色に加えて深紅色,およびそれらの組み合わせ模様からなる発色に限られてきた.ところが一人の日本人の遺伝・育種学者による変異体の発見,および根気強い育種学的研究と農学教育の継続が,世界で初めての黄色コスモスをわが国において誕生させることになった.その人が佐俣淑彦(よしひこ)博士(1919-1984)である.

1957年,当時研究に使用していた東京大学田無農場において,紅色の八重咲きではあるが花弁の一部が黄色である1株の変異体を発見し,この黄色を,一重咲きコスモスへと取り込む実験に着手した.佐俣博士は1984年6月に逝去したものの,その遺志は教授を勤めていた玉川学園の研究者に受け継がれ,30年後(春と秋の選抜で,約60世代後)にあたる1987年に,世界初の黄色コスモスが「イエローガーデン」の品種名で登録された.しかし,次第に形質の退化が見られるようになり改良した結果,1998年にはさらにはっきりとした黄色の品種として「イエローキャンパス」が作られた.他にも玉川大学では,オレンジがかった「オレンジキャンパス」,クリムゾンと黄色の色素が重なった「イエロークリムゾンキャンパス」,濃い赤色の「ディープレッドキャンパス」が開発されている.

なお,黄橙色,鮮黄色,濃赤色等の花を咲かせるキバナコスモス(Cosmos sulphureus )は葉の形が異なる別種で,Cosmos bipinnatus との間では種を作らない.最近はチョコレートコスモス (Cosmos atrosanguineus) や,属が異なるウィンターコスモス(Bidens laevis センダングサ属)も園芸店で入手できるが,これらには秋桜の別名が似合う Cosmos bipinnatus の優雅さがない.

昭和記念公園などの花畑がまだ有名でない10年ほど前に一度,サカタから購入した種から育てて,道行く人に珍しがられた.画像の花は,昨秋近くの花壇の種をいただいて今春播いて育てた.猛暑で水切れのせいかあまり勢いはよくないが,花の色はきれい.

2010年10月12日火曜日

アオマツムシ(メス)

Truljalia hibinonis 8月下旬から現れ,オスは木の上で「リー・リー」と高い声で鳴く.一生を木の上で送る.中国南部が原産地といわれる外来種.日本での初記録は1898年(明治31年)とも,1917年に東京で発見されたとも言われる.その後戦災で樹が減ったためか,アメリカシロヒトリ防除のための殺虫剤散布のせいか,一時減少したが,その後自動車のただ乗りを利用して,どんどん棲息範囲を広げている.

原産地中国の「王朝網絡 (http://tc.wangchao.net.cn/bbs/detail_636434.html)」によると
アオマツムシの中国名は「梨片蟋」又は「金鍾、天蛉、綠蛣蛉、銀琵琶」.主要分布地は中国南部,インド、フィリピン、日本、ベトナムで,

此昆蟲是一種森林性蟲類,喜棲息于高大的樹木上,常停留在樹枝上高聲鳴叫,不論白天、黑夜其鳴聲都婉轉動聽,叫聲如“句—句、句、句,句.....”一般是4聲一組,第一聲教長,後3聲短促,常常不停的重複著這種調門鳴叫著。其鳴聲高亢清脆,音色比蟋蟀美。

と樹上に住み夜に鳴き,鳴き声はコオロギと肩を並べるほど美しいとしている.“句—句、句、句,句.....”は ” りーり,り,り,り ”と読むべきか.


庭から家に入りこんで壁に留まっていた.背中の網目模様(翅脈)を見ると、かなり規則的なのでこれは雌.道理で鳴かなかった.
アオマツムシの存在に最初に気がついたのは都心近くの街路樹から聞こえてくる鳴き声.頭上から降り注ぐようだった.茨城県南部の当地ではこの数年来.庭の下草からはコウロギの声がきこえ,住み分けているようだ.夜も更けて気温が下ると鳴かなくなる.熱帯産で寒いのは苦手か.

2010年10月9日土曜日

ミズヒキ

Antenoron filiforme
わが二十 町娘にてありし日の おもかげつくる水引の花   与謝野晶子

「考えてみれば,こんな小さな花を観賞栽培する国は,日本をおいて,まずない」(湯浅浩史).
ヒマラヤ,中国南部と朝鮮半島、そして日本列島へと分布している多年草。長さが四〇センチ以上にもなる花穂に、点々と長さ2-3㍉の濃紅色の小さな花がならぶ.花に花弁はなく,四枚の蕚片と四本の雄蕊に囲まれた二花柱の子房からなりたっている。蕚片は上の3枚が赤く,下の1枚が白く,花穂を上から見下ろすと赤く,下から見上げると白いので,紅白の水引に喩える.

室町時代以前の書籍でこの草ににふれたのは知られていないが、雪舟の弟子で十六世紀の始めに活躍した長谷川等春の代表作『花鳥人物図』には描かれているとのこと.
江戸時代には多くの文献に記述され

貝原益軒『大和本草』 (1709)  「海根」が「水引」にあたると記していて,種が出来ても落ちない蕚片を花と同一視している(左図,右).

寺島良安『和漢三才図会』(1713)(左図,左)

伊藤伊兵衛『広益地錦抄』(1719)巻之五 薬草五十七種 では
「海根」 田野に多く生ス葉毛蓼の葉に似大キく中に黒点少有花ほそながく二尺ばかりくれない穂のごとく也草花に水引草と云 とあり図(右図)も添えられている.

小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806) 巻之十二 草之五 では
「海根」  詳ナラズ。
ミヅヒキサウニ充ル古説ハ穏ナラズ。其水引草ハ一名ハイトリグサ、汝南圃史二載ル所ノ金線草、一名重陽柳ナリ。山野二多ク生ズ。春、旧根ヨリ苗ヲ発ス。葉互生ス。形土牛膝ノ葉二似テ、長大ナリ。面背トモニ短毛アリ。苗高サ一尺許、秋二至テ茎頭及葉間二一尺余ノ細紅茎ヲ抽テ、極小ノ深紅花、稀二綴リ、ミヅヒキノ状ノ如シ。又白花モアリ、ギンミヅヒキ卜云。紅白雑ルヲ、ゴシヨミヅヒキ卜云。一種葉ノ中間黒斑相対シテ墨記草(イヌタデ)ノ如ク、八ノ字ノ形二似タルモノアリ。八幡水引卜云。又一種長葉ノモノアリ。又チャボミヅヒキアリ。矮茎短穂、地ニッキテ生ズ。

と何れも本草の「海根」がミズヒキに当たるとしている.

しかし現代の中国では「海根」とは言わないようで,金線草 九龍盤 水引草と呼び,乾燥した全草は根が赤くなることから「朱砂七」として薬用に用いている.

庭に野趣を与えるが,根を張り大株になる困り者になった.また思わぬ所から芽生えるので不思議に思っていたら,ミズヒキの戦略に乗って私たちが種を拡げていた.

長田武正著『野草図鑑 8 はこべの巻』 に
果実の柄には関節があり,さわるとここで切れて果実がぴんぴんととぶ。さらに花柱の先はかぎ形に曲がるので,動物体にひっかかって運ばれる。
とある.