2014年7月17日木曜日

クガイソウ(1/3) 威靈仙, 本艸綱目品目,和語本草綱目,大和本草,広益地錦抄,和漢三才図会,用薬須知,草木弄葩抄,絵本野山草,質問本草,剪花翁伝,薬品手引草,物品識名,本草綱目啓蒙,草木図説

Veronicastrum japonicum
2009年7月 尾瀬ヶ原駐車場 植栽
日本では高地の比較的乾燥した地に自生する,観賞価値は高いものの,園芸用としても,薬用としてもあまりポピュラーではない植物だが,江戸時代には多くの本草書に収載された.その理由は,リューマチや通風の特効薬として中国本草に収載されていた「威靈仙」と誤って比定されていたからである.

「威靈仙」の真起源はキンポウゲ科のテッセン類の根で,その名は「性猛なるを以って威と日ひ、功神なるを以って靈仙と日ふ」由来とされている.なぜ,薬としての効果のないクガイソウが,「威靈仙」と考えられたのかは,次の記事に述べるが,中国本草での記述の混乱と,それに伴う図のあいまいさにある.
しかし,輸入した正品と和品(クガイソウ)との性状・薬効の違いがはっきりとしてきて,江戸後期には,正品を藤性威靈仙と,クガイソウを草性威靈仙として区別した.

磯野の初見は, ★貝原篤信(益軒)『本艸綱目品目 蔓艸類 七十三種 巻之十八』(1762以前,執筆は1680頃か)で,これには,「威靈仙 クガイサウ」とあり,これ以降「威靈仙=クガイサウ」が定着したと思われる(左図,NDL).

★岡本一抱(1654 - 1716)撰『広益本草大成 通称 和語本草綱目』(1698刊)には「和人ハ徐長卿(フナバラ)及仙人艸ヲ以テ威靈仙トス.尤トモ非也.今ノ九蓋(ガイ)艸ト云フ者.是レ威靈仙ナリ,然レドモ惟タ唐ヲ用テ宜トス」とあり,17世紀末には,クガイソウを正品としながらも実際にはクガイソウは威靈仙としては用いられておらず,中国からの輸入品もクガイソウ基源のものではなく,また徐長卿(フナバラソウ)でも仙人草(センニンソウ)でもないことを認識していた本草家がいたことが分かる.

★貝原益軒『大和本草 巻之六 薬草類』 (1709) には,
「威靈仙 九蓋(カイ)草ノ和俗名ツク 葉ハ莖ニ付テ段々ニアリ 一段有五葉開花ヲ 花虎ノ尾ト云草花ニ似タリ 碧色也如穂長シ 八九寸アリ 七重草ノ類ニハアラス フナハラヲ威靈仙トスルハ非ナリ」と,「威靈仙=クガイサウ」と,当時フナバラソウが威靈仙として用いられていたことを示す(右図,NDL).

★  伊藤伊兵衛『広益地錦抄 巻之五薬草五十七種』(1719)
「威靈仙(いれいせん)葉は五葉づゝならび車のごとく付て段〃にのぼる故に草花に草三七共九蓋(かい)草ともいふ 花はうすむらさき色粟穂(アワノホ)のかたちにて五月ひらくながめ有り 穂しだれてきぢの尾といふ草花に似たり 本草に作(ル)レ穂(ニ)碧白色といふハよく似たれとも初蔓を生ス叉菊花頭のことくと云は心得ず 時珍が別に数種有といふ是ハ和の威靈仙なるにや いにしへより是をよび来れり」と,クガイサウの花の美しさを讃える一方,古くから「威靈仙=クガイサウ」とされているが,『本草綱目』の威靈仙の記述には合致しない事もコメントしている.

★寺島良安『和漢三才図会 巻之第九十六 蔓草類』(1713頃)には,「威靈仙 いれいせん  九蓋(カイ)草 今俗云  宇豆保久佐 布那波良 右二ノ和名ハ古ノ名ヲ而非也
本綱、威靈仙は其の生ずること衆草に先んず。方なる茎は銀股の如く、数葉相対す。初生は蔓を作し、七月に花を生ず、六出浅紫或は碧白色。穂を作して莆台子に似たり。亦た菊花の頭に似る者有り。実は青色、根は稠密にして鬚多く、穀に似て毎年朽ち敗れ、毎年蒡引す。年深くして転(うたた)茂る。一根草鬚数百条、長き者二尺許り、初時は黄黒色、乾けば則ち深黒し。別に数種有り。根鬚は一様にして但し色或は黄或は白し。皆用うべからず。
根(微辛、賊、温) 痛風を拍するの要薬なり。(中略) 但し性大抵疎利なり。久しく服すれば恐らくは英気を損ず。気弱き者は之れを服すべからず)性猛なるを以って威と日ひ、功神なるを以って靈仙と日ふ。
△按ずるに、威靈仙(俗に云ふ九蓋草)は芸州・予州・丹波及び金剛山より多く之れを出す。初生は蔓に似て後に茎を立つ。高さ二三尺、茎は細円にして莞の如く、葉は虎尾草に似て六七葉対生す。頗る車輪の如し。最も長ずる者九段許り。(故に九重と名づく) 六月に花を開き、人家に栽うる者は四月に花を開く。形も亦た虎尾草及び荘草の花に似て穂を作し碧色、実を結びて鶏冠の実の如し。其の根髭多く芹の根の如し。乾けば則ち黒色、是れ能く上の説に合す。椎だ所謂る茎と図する所の花穂とは少し異なるのみ。
或は薬を採る人、徐長卿の根を用ゐて威靈仙に充つ。弁ずべし。(徐長卿*は根白色、細辛の如く、詳しくは山草に見ゆ)」
<* ガガイモ科スズサイコ>
と『本草綱目』の「威靈仙」の記事を紹介・引用した後(中略部は後の記事で詳しく書く予定),その記述とクガイソウの性状は合致していることを強調しているが,莖の形状と花穂の形が異なるとは指摘している.

★松岡恕庵(1668-1746) 『用薬須知 巻之二 六』(1712脱稿) には,「威靈仙 和漢共ニアリ漢ヲ上トス 所謂鉄脚威靈仙是レナリ 和ノ九蓋草(クガイソウ)是ナリ 貨(ウル)所ノモノ間(ママ)仙人草根ヲ用ユ 甚タ毒有用可不 王藎臣ガ群芳譜ヲ按スルニ和ノ鐵線蓮ト云蔓草ノ根亦威靈仙ノ一種ナリ 若シ漢種乏キ時代用」とあり,クガイソウに比定はしているが,センニンソウの根は有毒で代用できない,しかしテッセンの根は中国からの輸入品が手に入らないときには代用できるだろうとしている.クガイソウの根には薬効がないことと,テッセン類が真の威靈仙で,中国ではこの根を用いていることを推察していたのであろう.

当時もっとも著名だった本草家稲生若水が校正し,和刻本草綱目のなかで一番優れているといわれている★稲生若水校『本草綱目(新校正本〉』(1714)  でも,「威靈仙 朱開寳 クカイソウ」とあり,本草学では「威靈仙=クガイサウ」が一般認識であったことを示す.

★菊池成胤?『草木弄葩抄(ソウモク ロウハショウ)』(1735) には,「くかい草 漢名 威灵仙(イレヒセン) <注 灵=「靈」と同音>
花のかたち虎の尾のことく色うす紫なり 葉くるま葉につきだん/\に葉いつる.」とある.(右図,左 NDL)
(NDL の書誌情報によれば,この書は「知名度は低いが、先行する『花壇綱目』や『花壇地錦抄』より記載がはるかに詳しい園芸書で、草類だけを載せる。著者名は明記されていないが、序文の筆者菊池成胤(浪華の人)と思われる。現存本は上巻であり、これには図が一つも無い。
凡例によれば図集を下巻として出版するとあるが、刊行された形跡は認められない。上巻もこの国立国会図書館本以外に知られていないようである。見出し数は209だが、同一項に類品を挙げる場合が少なくないので、総品数はこれよりかなり多い。(中略)『絵本野山草』(宝暦5年=1755刊、特1-2166)は全163項目だが、うち半数の82項が本書の記文の全部あるいは一部の転写である。」(磯野直秀))

★橘保国『絵本野山草 巻之一』(1755)
「くかい草 花のかたち,虎の尾のごとく,色うす紫なり.葉,くるまばにつき,だん/\に葉出る.五月,はなさく.」と,記述文は『草木弄葩抄』の剽窃に近い.図の花穂は花の付き方がまばらで直立し,テンニンソウを思わせるが,葉の形や付き方は実物に近い(右図,右 NDL).

琉球の植物の本草名を記載した★呉継志『質問本草 巻之三』 (1789) には,「威靈仙(大蓼 タカタデ ハボロシ*)(以下略)」とあり,また,巻之四には,クガイソウと比定されている.巻之三に添付されている図はサキシマボタンヅル(Clematis chinensis) と思われる(左図 上,WUL)現在の中国ではこれが威灵仙と言われている..*葉疿子 センニンソウの別称.(「クガイソウ (3/3)」).
一方,テッセンは欄路虎と言う名で記載されているが,威靈仙との関連には言及されていない(左図 下,WUL)

寛政元年(乾隆五十四年、尚穆王三十八年、1789年)に完成した本書は,沖縄の中山および掖玖諸島の草木160種に関し,薬効を福建等の中国医師45名に質し作成したと始めに記す.草木の線描と簡単な効用を紹介.作者の呉継志,また,成立についての詳細は不明.時の八代薩摩藩主島津重豪はこれをおおいに喜んで出版するつもりであったが,果たさないうちに死去.これを48年後に曾孫の十一代藩主島津斎彬が世に出したものである.中山呉子善著,薩摩府學蔵版として,天保八年(道光十七年,尚育王三年,1837年)に江戸の須原屋,山城屋等で刊行されている.

★毛利梅園(1798 – 1851)『梅園草木花譜 夏之部 一』(1825 序,図 1820 – 1849)には,紫色の花と黄色い雄蕊が美しい,正確な写生畫と共に,「救荒本草曰 威靈仙(クガイサウ) 一名 能消, 地錦抄曰 和俗名 九蓋草(キウカイソウ)車三七, 大和本草曰 威靈僊, 増補多識編蔓草類曰 威靈仙(イレイセン)和俗ニ布那波羅(フナハラ)ト云 誤(アヤマリナリ),本草綱目曰以性●曰功神曰威以功神曰靈仙」とあり, 「壬午蕤賓日写」とあるが,梅園生存中の壬午は1822年,蕤賓= 陰暦5月の異称なので,この年の陰暦五月に写生したとわかる(右図,NDL).なお,『救荒本草』の威靈仙はクガイソウでもテッセン類でもなくて,現在では不明のキク科の植物.

「いけばな」愛好者のための実践的な花井栽培ハンドブック、切り花取り扱い技法ハンドブックとでもいうべき内容と性格とをそなえている特異な園芸書★中山雄平著,松川半山画『剪花翁伝 前編 五月』
(1847著,1851刊) には,「○ふかい艸 花、青く紫色を含めり。貌(かたち)、虎の尾と同じ。開花、五月より、二番切・三番切するゆゑに、九月まであり。方・地・土・肥・株、並に切時、升水(ミづあげ)の方、虎の尾艸におなじ。(○くがいそう 花は紫色を含んだ青である。花形は、おかとらのおと同じである。開花は五月からであるが、二番切り・三番切りと花を切っていくので、九月まで花がある。方位・土地・土壌・肥料や、株分け・花切りの時節や、水揚げ法などは、おかとらのおと同じである。)左図,WUL」とあり,栽培法や採花法,水揚げ法と実際に即した手法が記載されている.

★加地井高茂
[編]『薬品手引草』(1843) には,「威靈仙 (イレイセン) 能消(ノフセウ)くがい屮 唐 和ハ偽物多シ」とあり,和の偽物が多いことが記されるが,クガイソウの根由来かも知れない.(右図,NDL)

★岡林清達・水谷豊文『物品識名 坤』(1809 跋)  には,「クカイサウ 草本威靈仙」とあり,威靈仙の中の草本がクガイソウだとしている.一方小野蘭山が,藤本威靈仙としているテッセンは,鉄線蓮の一種としているだけで,威靈仙との関連は記されていない.

★小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之十四下 草之七 蔓草類』(1803-1806)
「威靈仙 〔一名〕能消(証類本草) 寿祖(絹耕録)
集解ニ説トコロ、草本(クサダチ)、藤本(ツルダチ)ノ二種アリ。

藤本ノモノハ時珍説トコロノ鉄脚威靈仙ナリ。
平賀源内監修 秘伝花鏡(WUL)
和名テッセン即漢名鉄線蓮ナリ。秘伝花鏡ニ、鉄線蓮一名番蓮、或云、即威靈仙トイヘリ。広東新語ニ西洋蓮、西洋菊ノ名アリ。花戸ニ多クウユ。人家ニモ栽テ花ヲ賞ス。和州ニハ自生アリ。春時芽ヲ旧藤ヨリ発ス。一根数条赤色、竹木上ニ纏延スルコト甚長シ。節ゴトニ葉鬚相対シ生ズ。葉ハ山蓼(ボタンヅル)ノ葉ニ似テ、小シ。夏ニイタリ花ヲ生ズ。一茎一花大サ二寸余、六出アルヒハ八出、形玉蘂(トケイサウ)花ノゴトク碧色、中心ニ細小紫弁簇生シテ菊花ノゴトシ。マタ白弁紫心ノモノアリ。皆外弁マヅオチ内弁ノチニ凋ム。ソノ根数十条一葉ヲナシ、長サ一尺余、浅黒黄赤色。マタ一種カザグルマト呼モノアリ。葉大ニシテ橢ナリ、三葉一朶ヲナシ、大蓼(センニンサウ)葉ニ似タリ。花ハ鉄線蓮ヨリ大ニシテ紫心ナシ。碧色、白色、千弁、単弁ノ数種アリ。マタ鉄線蓮ノ一種ナリ。多ク人家ニ栽テ花ヲ賞ス。

又一種草本(クサダチ)ノモノハ、蘇頌ノ説トコロノ威靈仙ナリ。
和名クガイサウ或ハクカイサウトモイフ。一名トラノヲ越前 ヤヤツヽミ佐州 クルマサンシチ花戸 コノ草人家ニ多クウユ。春旧根ヨリ叢生ス。茎円ニシテ高サ一二尺、葉ハ形長シテ細鋸歯アリ。鳳仙(ホウセンクハ)葉ニ似テ、アツク深緑色。五葉ゴトニ節ニ対生シ層ヲナス。肥タルモノハ十二三層、小ナルモノハ八九層、故ニ、クカイサウト名ク。夏月、茎梢ニ長穂ヲイダス。六七寸許、小花密ニ綴リ、淡紫碧色、後小尖莢ヲムスブ。根ハ短シテ黄褐徴黒。一種江州伊吹山ニ産スルモノハ、茎短ク葉モマタ短、六七葉アルヒハ二三葉対生シ、或ハ互生シ、斉カラズ。又一種奥州南部津軽ヨリ出ルモノハ、茎葉ニ毛茸アリ、花穂扁ク、アルヒハ穂ヲナサズ、花小ニシテ色浅シ。其根細長、一尺許、浅黄褐徴黒ヲオブ。
薬舗ニ唐ノカモジデト呼モノ、色黒クシテ長ク、数首条一窼ヲナス。コレ真ノ鉄脚威靈仙ナリ。鉄線蓮ノ根ハ形同シテ脆ク折ヤスシ。内ニ小白心アリテ、舶来ニオナジ。代用ベシ。和ノカモジデト呼モノハ、大蓼(センニンサウ)根ナリ。色黒シテ徴褐、折バ内ニ大白心アリテ味辛シ。下品ナリ。又クカイサウノ根ヲ真ノ威靈仙ト称シ売。コレハ蘇頌ノ説ニヨルナリ。クカイサウ三種ノ中、奥州ノ産ハ根長シテ味アリ。用ベシ。」

と,威靈仙を藤本(ツルダチ),草本(クサダチ)二種があり,前者が時珍のいう鉄脚威靈仙であり,後者(クガイソウ)が蘇頌のいう威靈仙であるとしている.生薬店で中国渡来の「カモジグサ」として売っているのは,鉄脚威靈仙であり,和産のテッセンでも代用できる.また,センニンソウの根を「和のカモジグサ」と称して売っているが,これは副作用が強い.一方和産のクガイソウの根を真の威靈仙として売っている.と記している.

★  飯沼慾斎『草木図説前編(草部)巻之一』(成稿 1852年(嘉永5)ごろ,出版 1856 - 62)には,
「クカイソウ 第一目 一雌蕊, 第二綱 二雄蕊 ヂアンドリア
クカイサウ 草木威靈仙
数種アリ.本草啓蒙詳明草状.萼五出披針状.花筒様微ニ四裂シ.淡紫碧色.實礎麦粒状ニシテ一柱頭微哆.雄蕋二莖葯茶褐色ニシテ黄粉ヲ吐ク.其攅簇ノ数ニ多アリ少アリ.又莖葉ニ毛ノ有無.又草ニ矮生ナル者.又梢上ニ多穂ヲ出ス者.等ノ種々アレドモ.生殖部ミナ同シ故ニ不一々」
第二種 ヘロニカ・ヒルギニカ.羅, ヒルギニセ・エーレンプリース 蘭, 卵葉圖可併證」と,美しい単色木版画と共に性状が収載されており,漢名として草木威靈仙が記されている(左上図,NDL).

以上のように,リューマチや神経痛に著効を示すと考えられた威靈仙として,日本では江戸時代まで,クガイソウ,フナバラソウ,センニンソウ,テッセンなど多くの植物が比定されていた.一応クガイソウを正品とする説が多いが,実際には中国から輸入された威靈仙を治療には用いていたようだ.この輸入品の起源は主としてテッセン類と考えられ,輸入品が品薄の場合は和産のテッセンを用いてもいいだろうとの説もある.


なぜクガイソウが日本では威靈仙として比定されたのかは,次記事に記す.

2014年7月8日火曜日

ヌマトラノオ(2/2) 星宿菜,周憲王救荒本草,広益地錦抄,備荒草木図,本草綱目啓蒙,物品識名,梅園草木花譜,救荒本草啓蒙,草木図説,方言,マキシモヴィッチ,学名,タイプ標本,中国名と効用

Lysimachia fortunei
2008年8月 茨城県南部
オカトラノオによく似ているが,比べると湿地を好み,全体に華奢で,葉も細い.花穂には白い小さな五辧の花をまばらにつけ,中国での「星宿菜」(星宿=星座)の名がよく似合う.花の美しさよりは救荒植物として知られていた.なお,オカトラノオの中国名は珍珠菜で,これは丸い蕾が連なる様からか.

★明徐光啓輯(1562–1633)『農政全書 巻之四十五-六十 荒政』(1639刊) に収載されている『周憲王救荒本草』(救荒植物414種(そのうち276種は本草書未記載品)の形状を詳細に述べ,写実的な図を添え,調理法を加える.)の「巻之五十 荒政 九」には,
「星宿菜 生田野中作小科苗生葉似石竹子葉而細小叉似米布袋葉微長梢上開五辧小尖白花苗葉味甜
救飢 採苗葉煠熟水浸淘浄油塩調食」とあり,星型の花がまばらに着いた花穂と狭い葉をもつ特徴がよくとらえられている絵がつけられている(左図:王氏曙海樓重刊 1843年刊,NDL)

★和刻 明徐光啓輯『周憲王救荒本草 巻之五 六』茨城多左衞門等刊 (1716) には,上記『救荒本草』を復刻し,返り点を加えている.読み下すと
「星宿菜 田野ノ中ニ生ス 小科苗ヲ作ス 生ノ葉石竹子葉ニ似テ而細小 叉米布袋葉ニ似テ微長 稍(梢?)上ニ五辧ノ小尖白花ヲ開ク 苗葉味甜
救飢 苗葉ヲ採リ煠キ熟シ水ニ浸シ淘浄シ油塩ニ調食」となるが,原文の「梢」が「稍」となっている.図はほぼ同一.石竹子は「ナデシコ」,赤字で不知とされている「米布袋」はゲンゲの中国名でその図も『農政全書 巻之五十二 荒政』に載る.

★伊藤伊兵衛『広益地錦抄 巻之五薬草五十七種』(1719) には,「白前(はくせん) 葉形ほそながく柳のことく花はとらの尾草のことくして白く五月ひらくしめり地に有宿根より生田の道芦の中におほく生ス」とあり,記述からして,この「白前」はヌマトラノオのことと分かる.

★建部清庵『備荒草木図 巻之上』(1771成,1833刊)には植物の図と「珍珠菜(とらのお)
葉を煠(ゆで)、水を換へ浸し、渋ミを去、塩・味噌に調(ととのえ)、食(くらふ)ベし。」の記述もある(右図,NDL)
植物名は「珍珠菜(ちんしゅさい)」とオカトラノオの漢名ではあるが,挿図では花序が直立しているのでヌマトラノと考えられる.中国では,オカトラノオの全草を珍珠菜と呼び,利尿、月経不順などの薬用に用いる.

★小野蘭山『本草綱目啓蒙 巻之九 草之二 山草類下』(1803-1806)
「白前  スヾメノヲゴケ (中略)
シラハギハ、一名ヤナギサウ ヒメトラノヲ ヌマトラノヲ コへマケグサ江州 ヌマハギ 水辺二多クアリ、春、苗ヲ生ズ。高サ五六寸、或一二尺、千屈菜(ミソハギ)葉ニ似テ、大キク、密ニ互生ス。円茎フトクシテ赤シ。夏、茎頭ニ二三寸ノ穂ヲ出シ、五弁ノ白花ヲ摂生ス。珍珠菜(イハヤナギ)花ニ似テ、小シ。後一分余ノ円実ヲ結ブ。秋ニ至テ紅色。是、救荒本草ノ星宿菜ナリ。」とあり,白前はヌマトラノオではなく,星宿菜がシラハギ=ヌマトラノヲと比定されていたことが分かる.

★岡林清達・水谷豊文『物品識名 乾 奴部』(1809 跋) には,「艸 ヌマトラノヲ (シラハギ) 星宿菜 (救荒本草)」とある.

★毛利梅園『梅園草木花譜 秋之部三』(1825 序,図 1820 – 1849)には,「農政全書出 星宿菜(サンゴクサウ?) ヌマトラノオ
戌子初秋望一日 飛鳥山折莖真写」と,初秋に飛鳥山で採取した個体の美しい図が載る(左図,NDL).

★小野蕙畝(職孝)口授『救荒本草啓蒙 十四巻』(1842) には,「星宿菜
ヌマトラノオ シラハギ
水辺池澤ニ生ス圓莖赤色葉形柳葉ノ如ク互生ス苗小ナル者ハ五六寸大ナル者ハ尺ニ及フ夏莖上ニ穂ヲ成シ白花ヲ綴ル珍珠花ニ似タリ花後圓實ヲ結フ後苗枯ル宿根枯レス春ニ至リ新芽ヲ生ス一種莖葉倶ニ細小ニシテ花淡紅ヲ帯ル者アリ」と,珍珠花(オカトラノオ)と比べながら,詳しい性状が記載されている.


★  飯沼慾斎『草木図説前編(草部) 巻之三』(成稿 1852年頃,出版 1856 -  62年) には
「ヌマトラノオ 星宿菜
好テ水辺湿地ニ多ク生シ.圓莖尺餘.葉柳葉ニ似テ小ニシテ互生.夏莖端穂ヲナルコト四五寸.短梗花ヲ綴ル.形珍珠菜(トラノオ)花ノ如ク.萼鐘状五葉.花輪様ニシテ五裂殆ト五辧ノ如ク.共ニ卵圓.子室柯子状一柱ヲナシ.頭纔ニ開テ五出.緑色ニシテ頸赤褐ノ五縦條アリ.五雄蕊筒ニ出.葯淡黄色ニシテ白粉ヲ吐ク.附 全花二倍圖
按珍珠菜ト同属」と植物学的に正確な解説と,黒白ながら特徴をとらえた美しい木版図が載る(右図,NDL).

★八坂書房編『日本植物方言集成』八坂書房(2001)「こえまけぐさ 江州,じゅうごやそう 新潟(刈羽),しらはぎ 加州」とあり,「じゅうごやそう」以外は,小野蘭山『本草綱目啓蒙』の引用にとどまり,近代ではあまり食用としては重要性がないと推察される.

現在でも有効な,フォーチュンに献名された学名 Lysimachia fortunei は,マキシモヴィッチ(Carl Johann Maximowicz, 1827 - 1891)によって, Maxim. Bull. Acad. Imp. Sci. Saint-Pétersbourg (「サンクト・ペテルブルク帝国科学院紀要」),  xii. (1868) 68. "Diagnoses plantarum novarum japcmiae et mandshuriae" (「日本・満州産新植物の記載」) に発表され,南部,横浜,九州などの日本の地名が見える(左図).

ロシアの植物学者マキシモヴィッチは 1860 年(万延元年)9月18日に箱館に上陸し,北海道の植物調査に着手した.岩手県紫波郡下松本村で生まれた須川長之助を下僕に雇い採集家に育てた.万延2・3年には長之助を伴い箱館,横浜で採集した.ちょうど伊藤圭介らがシーボルトの研究調査を手伝ったように,長之助はマキシモヴィッチを助け,外国人が入れない南部(岩手県)や信濃のような地域の植物を採集し彼の研究を支援した.
マキシモヴィッチの標本は,すべて彼が研究に従事したサンクト・ペテルブルクのコマロフ植物研究所(旧ロシア帝室植物標本館)に収蔵されている.
ここには少なくとも4枚のヌマトラノオの基準標本が保存されていて,そのうちの二枚は日本で採取されたものである.

Lectotype(選定基準標本): 1845年 中国
Isolectotype(副選定基準標本):1845年 中国
Syntype(等価基準標本):1862年 横浜,1863年 長崎. (右図)
(出典:T.Y. Aleck Yang "Type specimens of Taiwanese plants named by Dr. C.J. Maximowicz and housed at the Herbarium, Komarov Botanical Institute of the Russian Academy of Sciences, St. Petersburg, Russia (LE). ISSN 1015-8391. http://www.nmns.edu.tw/common/07library-attach/special/200612.pdf)

なお,現代中国での別名と薬効作用は以下の通り
「星宿菜 Xīnɡ Xiù Cài
別名:假辣蓼、泥鰍菜、紅根草、紅氣根、紅七草、金雞腳、百煎草、蛙霓草、黃鰍竄、紅頭繩、血絲草、紅燈心、紅筋仔、大田基黃、麻雀利、紅筋草、地木回、拔血紅、紅香子、紅梗草、田岸柴

功效作用:活血,散瘀,利水,化濕。治跌打損傷,關節風濕痛,婦女經閉,乳癰,瘰癧,目赤腫痛,水腫,黃疽,瘧疾,痢疾。」

2014年7月1日火曜日

コオニユリ(1/2) 大和本草,梅園画譜,シマユリ,本草綱目啓蒙,細葉ノ巻丹,本草図譜,スゲユリ,草木図説,大花卷丹

Lilium pseudotigrinum
2014年6月 茨城県南部
 庭では今二株のコオニユリが咲いている.一株は今年の正月料理の余り物の百合根から,もう一株は近くのホームセンターでテッポウユリとして売られていた球根の一つから成長した.最初は細い葉が密生して茎から出ている様子から,タカサゴユリが出てきたのかと思ってしまった.

最も分布の広いユリとして知られ,奄美大島から北海道の,海辺から山地草原に自生する.花はオニユリによく似ているが,葉は別名の「スゲユリ」が示すように,オニユリより細く,スリムなスタイル.茎に紫色の斑点がないのもその印象を深める.
一番大きな違いはオニユリは三倍体が普通で,種子は作れず,葉腋に作ったムカゴで繁殖するが,コオニユリはムカゴを作らず,種で繁殖する.食用とする「百合根」のなかでは最も苦味が少ないので,食用としては最適で,商品として販売されているのは,殆んどがコオニユリの鱗茎である.

コオニユリの記述は古い本草書・博物書にはあまり見出せなかった.

★  貝原益軒『大和本草 諸品図 上(巻十九)草類』(1709) には,
「島巻丹(シマユリ)
葉小花亦小
蓋巻丹之小者
一類異品ト為」
と,花のない状況と思われる図があり,「巻丹 オニユリ」の一種で,葉も花も小さいものと記述されているので,しまゆり=コオニユリと考えられる.(左図,NDL)

★毛利元寿『梅園画譜 夏之部四』(春之部巻一序文 1825)(図 1820 – 1849)には,ムカゴが無いことからコオニユリと考えられる美しいユリの図が掲げられ,
「大和本草曰 島巻丹(シマユリ) シムラユリ?
此者武州野新田多 其葉小花亦小 蓋巻丹之小者 甚能相似 此為一類 巻丹異種」
と,採集された地の名称を記載し,『大和本草』を引用している.(右図,NDL)

★小野蘭山『本草綱目啓蒙』(1803-1806) の「巻之二十三 菜之二 柔滑類 百合」の項に「今菜店ニ貯ルモノハ皆巻丹根ナリ。味苦シ。今ハ細葉ノ巻丹ヲ種テ売。味苦カラズ。」とあり,この時代には,コオニユリ(細葉のオニユリ)が食用として栽培・販売されていたことが分かる.

★岩崎灌園(1786-1842)『本草図譜 巻之四十八 菜部柔滑類四』(刊行1828-1844) の「百合(ひゃくごう)」の項には
「一種
すげゆり
越中富山に産す
形状巻丹に
似て葉細きこと
羅漢松マキの如
し花ハ巻丹に
似て細し」(左図,NDL)
とあり,「スゲユリ」の名とともに,葉や花がオニユリに比して細いことを記しているが,ムカゴの有無については考察していない.

★飯沼慾斎『草木図説前編(草部)巻之五』(成稿 1852年ごろ,出版 1856年から62年)においては,コオニユリの名称が用いられ,ムカゴ(珠根)を付けない相違点についても言及されている.
「コオニユリ 巻丹一種
往往山中ニ自生ス.オニユリヨリ小ニシテ.茎高三四尺紫点ナク.葉狭ク柳葉ノ如クシテ密邇撒布シ.梢上分叉花ヲ著クコトオニユリノ如ク.形色亦同フシテ稍小.辧内ノ点オニユリヨリ細ニシテ多ク.葉腋珠根ヲ生セズ.根苦味少シ.故ニ食用トスルニ佳ナリ.
按林氏第四種ニ挙ル「リリウム・カルセドニユム」羅「ローデ・クリュルーレリト」蘭ノ形状恰モ本条ニ合ス.宜就他書較考」(右図,NDL)

東アジアからユーラシア大陸に分布していて,中国での名は「大花卷丹」,「卷丹」とはオニユリのこと.日本ではオニユリより花は小さいとされているが,中国ではコオニユリの花の方が大きいのであろうか.日本と異なり食用としては認識されていないようだ.

リンク先は当ブログ内の記事.

2014年6月7日土曜日

ユキノシタ (5/5) 英国への導入,英名,ロバート・フォーチュン,変わり葉種,草木奇品家雅見,草木錦葉集-はつれゆき

Saxifraga stolonifera (Syn. S. sarmentosa)
Curtis’s Botanical Magazine Vol. 3 (1789)
ユキノシタは英国で親しまれて,多くの英名を持つ.Strawberry Saxifrage, Strawberry Begonia, Strawberry Geranium とイチゴに関連付けた名が多いのは,赤いランナーを親株から出して子株をつける様子がイチゴにそっくりだからで,ベゴニアやゼラニウムとは葉の形や斑の入っている様子が似ているからと考えられる.Mother of Thousands は親株から多くの子株が出るからであろう.一方,Wandering Sailor, Creeping Sailor, Wandering Jew は,赤く細いランナーが四方八方に伸びて,その先に子株を付ける様子を,地図上の航路と寄港地に見立てたのではないだろうか.

ユキノシタが中国から英国に渡ったのは 1770 年(一説には 1771 年),広東で supercargo として東インド会社に雇われていたベンジャミン・トーリン (Benjamin Torin) がキュー植物園に送った植物の中に含まれていた.それまで知られていたユキノシタ属(Saxifraga)の植物とは大きく生育環境や性質が異なっていたので,別の属に属するのではないかと疑われた事もあった.その斑点の入った丸い葉,イチゴに似たランナー,下を向いた特異な二つの下部の花弁の大きさ,花の中心にあり,胚を半分ほど囲んだ目立つ蜜腺が,この種に他と明確な相違点である.これは温室植物として適しているが,特に壁の元や岩の間に植えられている場合は.暖かい冬は戸外でも冬を越す.しかし厳しい冬では,このような環境でも枯死する.五月から六月に花をつけるが,他のと同じくそう簡単には花をつけない.繁殖には困難はなく,むしろランナーですばやく数を増やすため,トラブルを引き起こすほどだ.(Curtis’s Botanical Magazine Vol. 3 (1789) [92] SAXIFRAGA SARMENTOSA, E. Step, D. Bois, ’Favourite flowers of garden and greenhouse’, vol. 2: t. 87 (1896-1897), A. M. Coats “Flowers and their Histories’ p.230 (1956))

Houtte, L. van,
‘Flore des serres et des jardin de l’Europe’
 vol. 21-t. 0 (1845), 左下に Japon とある
特に赤・緑・白,三色の斑の入った変種 var. tricolor は,欧州にアオキの雄株を導入して実を結ばせる事に成功した,など多くの日本の園芸植物を英国に移入したことでよく知られるロバート・フォーチュンによって,1860年に大切に極東から運ばれ,その後欧州で鉢植え用観葉植物とし高く評価された(左図).

彼が中国経由で日本からこの植物を運んだ苦心は,その著作に以下のようにある.

Robert Fortune “Yedo and Peking” (1863), Chap. XXIII. VOYAGE HOME.
“Here I found my Japanese collections (which I had left in Mr. Webb's garden) in excellent condition,
(中略)
Some especial favourites, which I did not like to trust to the long sea journey round the Cape, were brought home by the overland route under my own care. One of these is a charming little saxifrage, having its green leaves beautifully mottled and tinted with various colours of white, pink, and rose. This will be invaluable for growing in hanging baskets in greenhouses or for window gardening. I need not tell now how I managed my little favourites on the voyage home ; how I guarded them from stormy seas, and took them on shore for fresh air at Hongkong, Ceylon, and Suez ; how I brought them through the land of Egypt and onwards to Southampton. More than one of my fellow-passengers by that mail will re- member my movements with these two little hand greenhouses.”

ロバート・フォーチュン『江戸と北京』(1863), 第二十二章 帰路
「そこ(上海)で私が日本で収集した植物が,ウェッブ氏の庭で良好な状態であることを確認した*.
(中略)
草木奇品雅見
巻之上十三 NDL
(上海から英国までの)喜望峰を廻る長い航海は信頼しがたいので,特に気に入った数種類の植物は,私自身が注意深く持ち帰った.そのうちの一つは魅力的な可愛いユキノシタで,白・ピンク・バラ色のさまざまな美しいまだら模様で色どられた緑の葉をつけていた.これは温室のハンギング・バスケットや,出窓プランターで育てるのに,非常に価値がある.英国への航海でも,この可愛いお気に入りをどんなに大切に取扱ったか,いかに荒海から護ったり,香港・セイロン・スエズでは上陸させて新鮮な空気にふれさせたり,またエジプトに上陸してからサザンプトンに到着するまでの陸路で,どのように運んだかは,改めて話すまでもない.何人もの私との同乗者は,二つの小形の手提げ温室(小型のウォーデン・チェンバーか)を持った私の行動を憶えているだろう.」

草木錦葉集巻之一 二十三
はつれゆき NDL
*1860年12月17日,横浜より英客船イングランド号で,上海に送付.
1861年11月以降上海出航,フォーチュンは1862年1月2日,サザンプトン到着

江戸時代の斑入り・葉変わり植物品種の図譜,金太編『草木奇品家雅見(そうもくきひんかがみ)』(1827),水野忠暁『草木錦葉集』(1829) にも,「はつれゆき」という名の斑入り葉のユキノシタの図が掲げられ,当時から好事家の愛玩品として,釣り籠で,或は鉢植えで育てられていたことが分かる.現在でも「御所車」「雪月花」「七変化」等の源氏名の,葉の模様の変わった品種が存在し,var. tricolor は,御所車に該当すると思われる.

欧州においては,var. tricolor はもちろん,基本種も多くの種苗店で販売されている.

ユキノシタ (4/5) ゲオルグ・マイスター,ケンペル,リンネ,ツンベルク,伊藤圭介 キシンソウは鬼神草?,カーチス 学名原記載文献

2014年6月3日火曜日

ユキノシタ (4/5) ゲオルグ・マイスター,ケンペル,リンネ,ツンベルク,伊藤圭介 キシンソウは鬼神草?,カーチス 学名原記載文献

Saxifraga stolonifera (Syn. S. sarmentosa)
2013年6月 茨城県南部 植栽
ユキノシタを,ヤマブキなど日本の多くの植物と共に欧州に紹介した最初の書物は,出島のオランダ商館の庭園技師として,1682-83, 1685-86の二回に渡り合計2年間ほど滞日した★ゲオルグ・マイスター(Georg Meister, 1653-1713)の『東方・インドの庭園技師 (Der Orientalisch=Indianische Kunst= und Lust=Gärtner)』(1692) であろう.

この書ではほぼ90種に及ぶ日本の庭園植物のみならず,日本の自然を取り入れた造園法を紹介し,後のイングリッシュガーデンに影響を与えたとされている.その中では,ユキノシタは “Kysinso (きしんそう)” と記載されている (p172).記述もあるが鬚文字のドイツ文なので読解できなかった(左図, Universitäts- und Landesbibliothek Sachsen-Anhalt).
この書はケンペルに先立つ日本植物のまとまった紹介書であるが,ドイツ語で書かれたためか,マイスターが植物学の教育を受けていなかったせいか,リンネの著作などに引用されてはいない.

出島の医師として,1690 – 1692年に滞日し,江戸にも参府した★エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kaempfer, 1651 - 1716)の『廻国奇観』(Amoenitates Exoticae , 1712)p.870 には,“石荷 Sekika, vulgo Kisinso, it Jukinosta.”として,漢名の「石荷」と共に,「俗にキシンソウ,またユキノシタ」と和名も記録されている(右図,KUL).

Saxifraga sarmentosaという学名が発表されたのは★リンネ(Carl von Linné, 1707- 1778)の “Supplementum plantarum Systematis vegetabilium (Apr 1782 (1781 on titlepage)). p.240. “ で,そこには,“DECANDRIA. DIGYNIA. SAXIFRAGA. sarmentosa. - - - Habitat in Japonia. Gordon, Hortul. Londin. ♃, H. U. - - - “ (♃ (Jupiter = perennial))” とあり,日本に産することが記載されている.” Gordon, Hortul. Londin.” とは,標本を提供したロンドン園芸協会のゴードンさんの事かとも思うが判明せず(左図).

出島の医師として,1775 – 1776年に滞日し,多くの日本の植物を恩師リンネの体系によって分類し,学名をつけた★カール・ツンベルク (Carl Peter Thunberg, 1743-1828) の『日本植物誌』(Flora Japonica, 1784, p182)には,
“Saxifraga. sarmentosa. S. foliis inciso-lobatis pilosis, caule subnudo erecto paniculato. Saxifraga sarmentosa, Linn. suppl. Syst. P.240.
Japonice: Sekika, vulgo Kisinso, i.e. herba Diaboli; Kisin enmi Diabolum significat. Item Jukinosta, seu Juki no Sita i. e. sub nive sita vel crescens herba; Juki namque nevem et Sita herbam siguificat. / Sekika, vulgo Kisinso, it Jukinosta. Kaempf. Am. Ex. Fasc. V. p.870.  / Crescit  iuxta Nagasaki prope aquas, in insula Nipon vulgaris locis montosis et humidis inque lapidibus.
Floret  Maio, Junio. - - - .” とあり(右図),「長崎と本州の水辺や山地湿地に生育し,毛の多い厚い葉を持ち,花茎を挙げて穂状の花を五月から六月につける.俗名のキシンソウは鬼神の草,ユキノシタは雪の下でも生育する草の意味」と記している.


このツンベルクの『日本植物誌』に所収された植物を,シーボルトの指導を受け,学名のアルファベット順に配列し,その和名・漢名を記した★伊藤圭介訳述『泰西本草名疏』(1829)には,
「SAXIFRAGA SARMENTOSA. LINN. ユキノシタ 虎耳草
 [RUNIFRAGA SARMENTOSA. TH. ユキノシタ  ]
とある.[ ]は,別説を示すと凡例にあり,RUNIFRAGA はツンベルクがユキノシタに与えた属名と考えられるが,不明(左図 NDL).

ユキノシタは欧州産のユキノシタ科の植物とは特に湿性を好み,ランナーで増え,柔らかい葉に模様がある点が大きく違うためか,欧州の園芸家や植物学者の興味を引いた.また,園芸植物としても,ハンギング・バスケットなどに広く用いられた.


なお,米倉浩司・梶田忠 (2003-) 「BG Plants 和名−学名インデックス」(YList)で標準とされているユキノシタの学名,Saxifraga stolonifera Curtis の原記載文献 Phil. Trans. Lond. ser. B, 64(1): 308, no. 2541 (1774) の画像は右の如くで,既にこの時期にユキノシタが英国に入っていたことが分かる.この学名の命名者 William Curtis は "Curtis’s Botanical Magazine" の刊行者 W. Curtis と同一人物なので,Curtis’s Botanical Magazine Vol. 3(1789) で,ユキノシタに Saxifraga sarmentosa L. の学名を用いているのと矛盾するように思われるが,あるいは同じ植物との認識がなかったのかも知れない.

ユキノシタ (5/5) 英国への導入,英名,ロバート・フォーチュン,変わり葉種,草木奇品家雅見,草木錦葉集

ユキノシタ (3/5) 耳の疾患への薬効伝承,方言,畸人草,キジンソウ